新たな黒歴史

 すでにわかりきっていることだけど、アドミラルに来てから、問題が起きる時は基本的に川合と松田のせいだ――二人は否定するだろうけど。どっちかもしくは片方のちょっとした発言のせいで、僕らは痛い目に合ってきた。ホテルで怪物に襲われたり、僕の恥ずかしい話をされたり……。あれ? 僕のせいでもある? まあ、面倒くさいことは置いておいて、例の如くまた僕らは痛い目に合うけど、今回の始まりは松田の一言だった。


「なんか遺跡みたいのあるけど、あれなに?」


 本当に何気ない一言。松田が言わなければ誰かが言っていたであろう言葉。だけど、さすが、トラブルメーカーの一人である松田。すかさず先手を取ったってわけだ。


「あれは松田の言う通り遺跡だよ。かなり古いもので、かなり昔に絶滅した種族が儀式かなにかで使ってたらしいよ」


 アドミがガイドらしく勇んで説明してくれた。ガイドにしてはかなり怪しい言い方だけど。「らしいよ」なんてガイドが使っていいのか?


「随分、曖昧じゃん」


 川合も僕と同じ意見だったらしい。


「詳しいことはわかっていないんだ」


 どうやら本当に知らないらしい。たまに見せる申し訳なさそうな表情だから間違いない。


「じゃあ、見学とかできないってこと?」


 松田が名残惜しそうに遺跡を眺めている。遺跡に言及したいとはそこにあったらしい。歴史とか好きそうだからね。そんな話をしているところは見たことないけど。


「そんなことないよ。調査はもう終わってるから、誰でも入れるよ」


「マジかよ、行ってみたい」


 アドミの言葉を聞いて、松田はクリスマスにプレゼントをもらった子供みたいに喜んだ。見ているこっちも微笑ましくなるくらいだ。


「川合と一ノ瀬はどうする?」


 あんなに喜んでいるところを見せられて、行きたくないなんて言えるわけない。遺跡に興味がないわけでもないしね。


「せっかくだし見に行くか」


「俺も賛成」


 みんなの意見が一致したところで、遺跡に向けて進路を変更した。


 思い返してみれば、異世界に来てから初めての観光になるのかもしれない。たまに街で買い出しや、ホテルに泊まることはあっても、どこかを観て回るなんてしたことがない。なにをしても初めてになる異世界ではなかなか珍しい気がする。異世界に来てここまで文化に興味を示さないのも僕らぐらいかもしれない――他にも異世界に来ている人がいるのならの話だけど。


 なんて考えている間に、あっという間に遺跡についた。ついたけど、なんだか思ったほどの感動も衝撃も受けなかった。僕があまりこういうものに興味がないせいかもしれないけど、黄土色したバカでかい建物としか思えない。歴史のロマンとか、過去の栄光の儚さなんてものは一切感じない。なんだったらすでに帰りたい。でも、川合と松田は違うみたいだった。


「なんか地球のピラミッドとかに雰囲気似てるよね」


「こういう古代の遺物って起源が同じだったりするのかね」


 二人はそんなことを言いながら、興奮気味に騒いでいる。動物園に来た子供みたいだ。そして、僕は子供を見守る父親ってところかな。


「みんな、こっちには彫刻があるんだよ。ついてきて」


 ガイドらしさ前回のアドミが僕たちを先導する。興奮気味の二人を連れていると、なんだか先生にも見えなくもない。


「なんか人間みたいじゃない?」


「アドミ、昔は人間がアドミラルにいたのかな?」


 二人の知的好奇心は止まらない。興味のない僕は溺れそうだ。


「どうだろ、私も詳しいわけじゃないからないね。でも二人の言う通りなにか関係があるのかもね」


 アドミはそう言いながら、二人を伴って遺跡の外側にある彫刻を丹念に説明し始めた。遺跡から興味を失っていた僕からしたら、時間の無駄にしか思えない。でも、そんなことをおくびに出すわけにもいかない。ガイドとして張り切るアドミと、熱心な観光客の二人に不快な思いを抱かせるわけにはいかないからね。


 だから僕は三人の邪魔をしないように少しだけ距離を空けて、一人で失われた太古のロマンに思いを馳せているように装った。それが良くなかったのかもしれない。僕は三人の話なんて一ミリも頭に入らず、場の空気を壊さないためだけにそれっぽく自分の手が収まりそうな窪みに触れてみた。僕の掌にとげを刺したような痛みが走り、悪夢が始まった。


「いたっ!」


「どうした?」


 黙りこくっていた僕の急な発言に驚いた三人は駆け寄り、青ざめた。


「もしかして、この窪みに触ったりしてないだろうね?」


 いたって平静を装っている風なアドミだったけれど、いつだったかに遭遇した怪物みたいに瞳をきょろきょろさせていた。僕がやらかしてしまったことは明白だった。こんなアドミは見たことがない。


「あの……。触っちゃいました」


 僕の発言を聞いてアドミはちゃちな首振り人形みたいに首を振った。川合と松田は深刻そうに見つめ合い、諦めたように僕を見た。


「もしかして、なんかやっちゃいました?」


 なにかやらかしたのは明白だったけれど、聞かずにはいられなかった。真実の口に手を突っ込んだ嘘吐きの心境だ。


「一ノ瀬は私の話を聞いていなかったみたいだね……」


 いつもの子供のように純粋無垢な瞳でなく、死にゆく運命を見守る聖者の表情をアドミはしていた。


「これってヤバいやつ?」


「一ノ瀬、君は呪いを身に受けたよ」


 その言葉を聞いて僕は愕然とした。愕然とせずにはいられなかった。だって、誰が呪いを受けたことがある? そんなものを受けた日には、数日の間に苦しんで、最終的に苦しみのうちに死に絶えるのがおちだ。呪いなんてもんはそんなもんだろ? だから僕は愕然として、その後に絶望した。僕の旅は少なくともここで終わりを始めるんだから。


 なんてあっけない終わりなんだろう。今までだって何度も死を覚悟したけれど、こんなくだらないことで死を覚悟なんてしなかった。話を聞かずに、しょうもない窪みに手を突っ込んだだけで僕の人生が終わるなんて……。


 僕はなにも言えなかった。言いたくなかった。ただ死を受け入れようとした。僕には解呪の儀式なんてものの知識なんてありはしないから。けれど、僕の空気の読めない仲間たちの意見は違うみたいだった。


「一ノ瀬が死にそうな顔してんじゃん」


 川合と松田が事の深刻さを理解していないのか、ただ単に馬鹿なだけなのか、いつものおチャラけた調子で僕を茶化す。


「落ち込みすぎだろ。アドミ、どうにかしてやってよ」


「もちろんだよ。一ノ瀬、こっちに来て」


 アドミは小さな手を僕の額にあてた。その手はほんのり暖かく、熱を測る母親のような安心感を僕に与えてくれた。


 アドミは黙ったままだった。さすがの河合と松田も静かに僕らを見て、アドミが話し出すのを待っている。二人が静かにしてくれていて助かった。いつもの調子でふざけられたら、怒鳴り散らすか、黙って絶望に押しつぶされていたと思う。でも、心地良く漂う沈黙に抱かれ、僕はアドミの言葉を待った。


 待ったけれど、アドミは黙ったままで、心地良さはいつしか重苦しさへと移り変わり、死への恐怖を駆り立てた。苦しみながら迎える最後、醜く朽ち果てる最後、あっけなく迎える最後、最悪の結果しか思い浮かばない。


「一ノ瀬、楽にしていいよ」


 そう言ったアドミの表情にはさっき見た深刻さはなかった。一安心とでも言いたげに表情を崩している。だけど、アドミの説明を聞くまでは安心できない。僕は恐る恐る聞いてみた。


「助かるの?」


「大丈夫だよ、大したことないから」


 たったそれだけの言葉だけど、僕は本当に安心した。


「よかった……」


 心から本当の気持ちが漏れた。


「ただし、ちょっとやってもらわないといけないことがあるんだ」


 安心したのも束の間、いつもの純粋無垢な瞳でアドミが話し始めた。なんか嫌な予感がする。


「簡単なことだよ。でも、川合か松田に協力してもらわないといけないんだ」


「俺たちにまかせとけ」


「なんでもしてやるよ」


 アドミの言葉を聞いた二人は間髪入れずにそう答えた。なんて頼りになるやつらなんだ。


「それなら安心だね」


 僕らの輝かしい友情に心打たれたのか、アドミは瞳を潤わせている。


「ところでなにすればいいの?」


 心温まる最高の時間をぶち壊す気はなかったけど、僕は一刻も早く呪いを解きたかったから、無粋とわかっていても聞くしかなかった。


「一ノ瀬と、川合か松田のどちらかが体内に食物を取り入れる器官を接触させればいいんだよ」


「え?」


 アドミの言葉に僕らは息を呑んだ。このポンコツガイドはなにを言ってるんだ?


「わかりにくかったかな? おもに愛情や友情を示す際に行われる行為で、接吻だとかキスなんて呼ばれているものだよ。相手の額や頬に自分の唇を接触されることが多いけど、今回はお互いの唇を接触させないといけないんだ。でも。こんなに楽な呪いで助かったね。ひどいときは生贄を捧げたりしないといけないんだよ」


 淡々とわかりきったことを説明するアドミに僕らはなにも言えなかった。


「ほら、さっさとすませよう。日が暮れちゃうよ」


 アドミはなにも言えない僕らに、さっさと手を洗ってご飯にしよう、とでも言いたげに急き立てる。


「ちょっと待って。マジで?」


 川合が半ば叫びながら言った。僕も松田も同じ意見だ。


「なにがだい?」


 事の重大さに気づいていないアドミはいつもの純粋な瞳を崩そうともしない。


「いや、あの、マジでキスしないといけないの?」


 アドミが冗談を言わないのはわかっているけど、聞かずにはいられなかった。


「そうだよ。じゃないと呪いは解けない」


 ですよね。アドミが冗談を言うわけがない。特にこんな状況では。


「ちなみに、しないとどうなるの?」


 なぜだかいつもの調子を完全に取り戻していた松田が、他人事みたいに聞いた。


「死ぬよ」


 至極簡潔で明快な答え。


「えっ!? 落差がひどくない? なんでキスなんかで死の呪いが解けるの?」


 僕は聞かずにはいられなかった。あまりにも理不尽すぎる。


「呪いをかけた人の考えはわからないけど、一人だったらどうやっても解呪できないから侮れないよ」


「確かにそうかもしれないけど……」


 悲しいかな、呪いだとか魔法の知識なんてなにもないから、ぐうの音も出ない。


「ほら、まだ大丈夫だけどさっさとすませちゃおう。二人とも手伝うんでしょ? どっちにするの?」


 本当にこのガイドは人の気持ちを考えないやつだ。空気が読めないというか、デリカシーがないというかなんと言うか……。


「すまん、一ノ瀬。俺たちには無理だ」


 ガイドの気配りのなさに悩んでいたら、次はこれ。頼もしさの欠片もない。


「おい! なんでだよ! なんでもするって言ったじゃん」


「それとこれは別だって。なにが好きで男とキスしなきゃいけないんだよ」


 川合の言うことはわかるけど、僕の命がかかっているのにこの発言だ。友達や仲間なんてものが信じられなくなってくる。


「川合の言う通り。それに俺には心に決めた人がいるって知ってるだろ? 浮気は出来ないよ」


 松田も松田で僕らにそう言った。そんなことを言われたらなにも言えないじゃないか。


「じゃあ、相手は決まったね。川合、早くしてあげな」


 アドミの対応がどんどんおざなりになっていく気がする。


「なんで俺なんだよ! アドミでいいじゃん、助けてやれよ」


 こんなに拒否されると、それはそれで傷つく。別にキスしたいわけじゃないんだけど。


「私はダメなんだよ。同じ種族じゃないから」


「そんなこと言ってなかったぞ!」


 川合はやっぱり吠えた。気持ちはよくわかる、どんどん外堀を埋められているわけだからね。


「言い忘れてただけだよ」


 純粋無垢な瞳で一切悪びれた様子も見せないアドミ。本当にブレないやつだ。


「出たよ。いつもそればっかりじゃん」


「私のことはいいから、早くした方がいいよ。呪いは待ってくれないからね」


 アドミの言葉で、僕の心に再び恐怖が蘇ってきた。死にたくない。


「川合、頼むよ。僕まだ死にたくない」


「お前の言いたいことはわかるよ。でもね? 俺とお前はどれくらいの付き合いよ。十年以上だよ? そんな仲のやつと出来るわけないだろ」


 川合も言うことはもっともだけど、僕はそれどころじゃない。


「僕だってそう思ってるよ。でも、しないと死んじゃうんだよ? 川合はそれでいいのかよ」


「よくはないけどさぁ……」


「早くキスしろ~。さっさとやれ~」


 自分は関係ないからって、松田が騒ぎ始めた。


「やめろ! こっちは真剣なんだよ!」


「真剣ならさっさと終わらせればよくない?」


 松田が川合の立場だったらそんなこと簡単にできるわけないのによく言うよ。


「そうなんだけどさ、違うじゃん? 心の準備って言うの? いろいろあるじゃん。なぁ、一ノ瀬?」


「早く終わりにしよう。もう耐えられない」


 僕は一分、一秒が惜しい。さっさと終わらせて、死の危険を回避したいんだ。


「発情してるみたいに聞こえるな」


 松田がぼそっと言った。いつもの僕だったら一発殴っていたところだけど、何度も言うようにそれどころじゃない。


「やめろ! 一ノ瀬だって苦しんでるんだぞ!」


 川合が僕の心を代弁してくれたけれど、だからって僕が救われるわけじゃない。


「よし、わかった。じゃあ、一、二の三でいくぞ」


 ほとんどしゃべらなくなった僕を見て、川合は腹をくくってくれた。


「一」


「二の~」


「忘れてた、解呪の呪文が必要だったんだ」


 本当に呆れ返るほど頼りにならないし、どこか抜けてるガイドだ。勘弁してほしい。


「おい! この糞ガイド! なんでいつもそうなんだよ! ちゃんと説明しろ!」


 川合がまた吠えた。少し声が枯れてきてる。ちなみに松田は爆笑してる。いい気なもんだ。


「ごめんよ。次から気をつけるから」


 本当に気をつける気がるのか怪しいもんだ。


「わかったから、早く教えろ」


 さっさと終わらせたい川合はイライラを隠すつもりもないようで、いつもより語気が荒い。


「ちょっと長いから、紙にでも書いた方がいいかも」


 アドミは川合のイライラに気づいていないのか、いつもの調子で、呑気に進める。


「松田、紙とペン持ってる?」


「車から持ってくるよ」


「そういうところだぞ!」


 天然マイペースコンビの茶番を見せられて、川合がまた吠えた。


「まあまあ、すぐ終わるから」


 自分のせいで川合が吠えているとわかっているのか怪しいけど、アドミが川合をなだめた。それで川合は静かになったけど、納得いっていないのは確かだ。


「終わってねぇんだよなぁ」


 川合がそう呟いたのを僕は聞いていたから。


 そうこうしているうちに松田が戻ってきて、アドミが解呪の呪文を書き始めた。


「川合、ありがとう」


 まだ書き終わりそうになかったから、失敗することはないだろうけど、念のためにお礼を言っておいた。


「気にすんな。てか、さっさと終わらせて、さっさと忘れよう」


 頼りないとか思ったけど、やっぱり頼りになるやつだ。完全に腹をくくっている。


「できたよ」


 やっと呪文を書き終えたアドミがそう言って、僕らに紙を差し出した。


「長いな。これを二人で読めばいいの?」


 紙には長々と仰々しい言葉が書いてあった。


「一ノ瀬だけが読めばいいよ。それで、最後の言葉を言ったら――」


「それ以上は言うな。わかってる」


 川合がアドミの言葉を遮って、僕に最後の確認をした。


「大丈夫か、一ノ瀬?」


 川合も不安だろうに、僕を勇気づけるように笑顔だった。


 僕はそんな川合から勇気をもらって、腹をくくった。


「おう、それじゃあ、いくぞ」


 川合に目配せして、僕は一気に読み上げた。


「われに根差し悪しき業よ、人の魂をくらう卑しき御霊よ。混沌の闇を彷徨い、自らの罪によって焼かれ、悪しき詩人の下に帰したまえ。我の輝かしき友情と寂寞のもとに自らの罪を呪え! キースリール!」


 そう言った後の僕と川合の記憶はない。いや、正確に言うと抹消した。僕と川合のやった儀式なんてものは覚えておく必要なんて一切ないからね。もちろん、アドミも松田も黙っていてくれる。でも、たまに車内で僕と川合が話していると、松田がニヤついているのがルームミラーから見える。

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