くだらないやりとり
寝るのも飽きたのか、川合が僕に訊ねてきた。
「あれなんだか知ってる?」
川合の指さす先には、歪な形をした見慣れないなにかがあった。ここ数日よく見かける気がする。
「知らない。なんなの?」
「あれはね、木に見えるじゃん?」
「でも違くて、石にされちゃった生物なの」
確かに石と言われればそうかもしれないし、急に石にされて慌てふためく生き物に見えなくもない。ただ、あくまで見えなくもないってだけで、幼少の頃の無邪気な想像力を存分に酷使してやっとそう思えるくらいだ。ってことは、これは暇を持て余した川合のお遊びなんだろう。いつものくだらないやつだ。
「違うよ、あれは木だよ」
アドミがいつもはどこかに忘れているガイドとしての責務を思い出したみたいに言った。僕も遊びに付き合ってやろうかと思っていたら、これだ。
「おい、なんで言うんだよ。てか、そんなのわかってるよ。ちょっとしたお遊びだろ」
お楽しみを邪魔された川合は少し不機嫌そうだ。無理もない。車内になにもないからね。基本的に暇なんだ。
「そっか、ごめん」
アドミがしょぼくれながら言った。自分の仕事を全うしただけなのに、なんだか可哀相だ。いつもそうやって説明してくれれば、こんなことにはならないとは思うけれど。まあ、しょうがない。人生なんてそんなもんだ。
「いや、わかってくれればいいんだよ」
川合もアドミの姿を見て申し訳なく思ったのか、少し申し訳なさそうに言って、また僕に聞いた。
「一ノ瀬、あれなんだか知ってるか?」
またなにかを指さしている。懲りない奴だ。
「知らん。てか、まだ続けるのね」
川合は僕の確認には一切気を払わない。返答が用意されているだろうから、さっさとそれを言いたいんだろうけど。もう少しアドリブを聞かせてもいい気がする。
「あれはね、この世界の標識なんだよ」
真面目腐って川合は言うけれど、あれはどう考えたって違う。もうちょっとましなことを言って欲しいもんだ。僕は特に思いつくわけじゃないけど。僕が話を始めたわけじゃないからいいよね?
「確かにそれっぽい形してるけど、無理ないか? あれは木だよ」
僕がそう言うと、アドミがまた空気を読まずにガイド根性を見せ始めた。
「そうだよ。あれは木だよ。あの大きなのが実だよ」
「だから、ふざけてるだけなの。アドミ、わかるかい? 遊び」
ガイドとしての責務を全うし続けるアドミに、川合は吠えるように捲し立てた。もう一度言うけど、なんだかアドミが可哀相だ。空気を読まないのが悪いだけだけれど。
「そっか、ごめん。でも一ノ瀬は運転中だからさ、混乱したら大変だろ?」
なんで僕の名前が出てきたのか疑問だけど、これでアドミが難を逃れられそうだからなにも言わなかった。
「一ノ瀬だってわかってるから大丈夫だよ。心配すんな」
どうにか話も逸れてきたみたいだ。川合も大人だからね、こういう気づかいはお手のもんさ。
「でも、一ノ瀬は洗脳されたこともあるから不安なんだ」
僕の優しさなんて気づきもしないのか、アドミは話を僕の方へと持ってくる。本当に空気の読めないやつだ。僕の優しさを無下にするなんて。
「確かにそうかもしれないな。気をつけるよ、アドミ」
そう言う川合の瞳はいたずらに輝いていたから、こいつはわざとだ。
「もうその話はいいだろ! もう大丈夫だ!」
もう一度言うけど、僕の優しさを無下にするなんてなんてやつらだ。性根が腐ってやがる!
「そうか? でも心配だな」
相も変わらず川合が僕を攻め立てる。あとでどうなっても知らんぞ。
「大丈夫。君らがその話をする方が危険だから」
「わかった。じゃあ一ノ瀬をからかうのは一旦やめよう」
自分も掘り返されたくない過去があるのを思い出したのか、これ以上からかってもなにもないと悟ったのか、川合の追及の手は止まった。
「そうしてくれ」
僕はそう言って、静かな時間が訪れることを期待したけど、間髪入れずに川合が話を続けた。本当に忙しいやつだ。
「松田、あの飛んでるやつなにか知ってる?」
窓の外を川合は指差した――アドミラルに来てからよく見る鳥みたいなやつだ。僕はどうにか難を逃れたみたいだ。あとは頼んだぞ、松田。
「あの鳥みたいなやつ?」
松田はいつもの態勢を崩すことなく、外を眺めたまま気怠げに答えた。
「そう。どこでも見るやつ」
「ジャーンじゃなかったっけ?」
僕らのやり取りを聞いていたせいか、松田の返答は適当に思えた。でも、アドミのほとんど見れないガイド根性のおかげでそれが間違いだということがわかった。
「そうだよ。アドミラルでは一般的な生物だね。どこにでもいるよ」
「当たってるのかよ! なんで知ってんの?」
僕の言葉を川合が代弁してくれた。そんなことは初めて聞いた。確かにどこでも見るけど、一般的なんだね!
「アドミがいつだったか教えてくれた」
至って当然という風に松田は言う。本当に松田らしい。
「マジかよ。聞いた覚えないよ」
僕も川合と同意見だった。僕も聞いた覚えがない、気にもならなかったしね。
「松田と二人の時だったかもしれないね」
これだよ。アドミのガイドとしての義務感はあまりにも曖昧で、稚拙な使命感のランダムな突出過ぎる。もっと、画一的に無機質な調子でお願いしたい。
「俺たちにも教えてよ! そういうところだぞ!」
川合の言うとおりだ。情報を小出しにしたり、自分の判断で省きすぎる。それでどれだけ僕らが痛い目に合ったことか。
「そういうところって、どういうところ?」
なんだか面倒くさい流れになりそうだ。アドミは一切理解していないみたいだ。
「ちゃんと教えてくれないところ!」
川合は面倒な流れに気づいていないのか、アドミに対する追及を止めない。イライラとしていて、語気荒めだ。
「松田には教えたよ」
いつもの純粋な瞳でアドミは答えた。
「だから、一人に教えたら、みんなに教えてってこと」
川合も意気地になっているみたいだ。語気が荒い。天然を相手にするんだから、真面目に相手にしなければいいのに。
「そういうことならちゃんと言ってくれないとわからないよ」
そんな川合の心情に気づいていないアドミはいつも通りに答え、川合もさすがに諦めた。これ以上の争いは徒労に終わるのは目に見えていたから、最善の判断だったと思う。僕は心の中で拍手を送った。
「わかったよ、ちゃんと言うから」
川合がそう言ってから、一瞬沈黙が流れた。これでまた静かな時間が流れるのかと思ったけれど、そんなことはなかった。どうやら、川合は諦めを知らないらしい。
「お、松田、あれは知らないだろ。あのタンポポの綿みたいに飛んでるやつ」
車の前を横切ったなにかを指さして、川合が言った。確かにタンポポpの綿毛みたいだ。僕が死っているものより十倍くらい大きいけど。
「あーあれか。名前は忘れちゃったけど、なんかの木の葉っぱだよね」
「そうだよ、あれはね――」
アドミの説明を遮って、川合が吠えた。
「だから、なんで知ってるの!?」
「この前、アドミが教えてくれた」
またしても松田が白々しく答えた。見ているこっちからしたら見ものだけど、当事者からしたらたまらないだろう。
「アドミと二人の時に?」
勢いの削がれた川合の言葉は雨に打たれた子犬みたいに弱々しい。
「よくわかったね」
アドミも白々しく答えた。松田とアドミはいいコンビなのかもしれない。おとぼけ天然コンビだ。僕としては絶対に対峙したくない。話がかみ合わなくて疲れるだけだろうから。
「松田もさ、なにか教えてもらったなら教えてよ」
川合の言うことはごもっともだ。見知らぬ世界では情報こそ一番の武器だ。たいして役に立ったことはないけれど。
「お前らなにも聞かないじゃん」
松田の言うこともやっぱりごもっともだから、僕はなにも言えない。だって、目の前に飛び込んでくるものは、ほとんどが初めてのものばかりなんだよ!? 一々聞いてられない。それに僕は運転に集中してるからね。しょうがないんだ。
「俺たちは見てないんだから、聞きようがないじゃん」
「確かにな、気をつける」
松田が川合に素直に謝って、もうこの話は終わりかと思った。誰だって思うだろ? でも、川合はまだ諦めていなかった。
「あ、一ノ瀬、あの三角帽子みたいな建物なにか知ってるか」
前方に見える建物を指さして僕に訊ねた。結局、標的は僕に舌みたいだ。まぁ、僕は空気を読めるから当然の結果なんだけど。
「井戸みたいなもんでしょ」
「違うんだなー。あれはね――」
嬉しそうに説明しようとした川合を、アドミが遮った。
「あれは井戸だよ」
アドミに悪気がないのはわかる。純粋にガイドとしての役目をこなしているわけだから。でも、川合が可哀相だ。少しぐらい華を持たせてもいいはずだ。後で恥をかくことになっても。僕にだってそれくらいの良識がある。好き氏ぐらいとぼけた返答をすればよかったかもしれないけど。
「え!? 当たってるの!?」
裏切られたように川合は僕を見た。
「この前、アドミが教えてくれたからね」
僕はありのままを教えてやった。これはしょうがない事なんだ。それしか言いようがない。
「一ノ瀬、お前もか! なんで俺には教えてくれないんだよ!」
「え、いや、川合が寝てるからだろ?」
本当に見ているだけで可哀相になるけど、致し方ない。本当に川合は寝てばっかりだからこんなことになるんだ。アドミより寝ているかもしれない。
「そうなの?」
川合は追い詰められた小鹿みたいになっている。自業自得なんだけど。
「そうだね。それにあの井戸はいつも見えてると思うよ。なのに川合がなにも聞かないんだよ」
その気はないのだろうけど、アドミが正論を吐きまくって川合を攻め立てる。
「俺のせいか」
正論の前になすすべのない川合はそう呟いて、遠くを見ながら黙り込んだ。それから車内には静かで落ち着いた時間が流れ、気付けば川合は寝ていた。
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