魔王軍との遭遇

「おい! あれ見ろよ!」


川合が突然大声を上げて、窓の外を指さした。眠っていたと思ったのに急になんだ?


「どうした」


 どうせくだらない事だとはわかっていた。でも、だからって無視することは出来ない。こんな馬鹿でも仲間だからね。


「あれUFOじゃね?」


 川合が真面目なトーンで言う。これは無視した方がよかったかもしれない。


「本当だ! あれUFOだよ!」


 松田も悪乗りし始めた。勘弁してくれ、僕は暇じゃないのに。


「は? なに?」


 僕は運転していて見ることが出来ないのと、嘘だとわかっていたから気のない返事をした。


「だからUFO! 未確認飛行物体! そんなもんも知らないの?」


 こりゃダメだ。長くなるやつだ。川合の変なスイッチが入った。


「そういうことじゃねーよ」


「じゃあ、『は? なに?』ってどういうことだよ」


 もう我慢の限界だ。毎日毎日面倒くさいのに付き合わされて。たまには和気あいあいとした普通の会話を楽しみたい。


「そのあほみたいな寸劇はなんなんだってことだよ!」


「寸劇じゃねーから。本当にUFOなんだよ。なぁ、松田?」


 僕の心の叫びなんて全く届かず、真面目腐った表情で川合が松田に同意を求める。


「今回はマジのマジ。あれはUFOだよ。ちょっと車止めて一ノ瀬も見てみなよ」


 松田も相変わらず悪乗りを止めない。


「そんなわけねーだろ」


 なんて言いつつ、僕は車を律儀に路肩に停めた――道を他に走ってるものなんて見たことないけど。地球での癖だ。なかなか抜けるもんじゃない。


 僕らは車から降りて、UFOとやらを確かめることにした。僕は嫌々で、二人は嬉々として。アドミは寝てる。


 二人の指さす先には、はるか上空を飛ぶなにかが見えた。


「わぁあ、本当だ、UFOだ…………、とでも言うと思ったか! ただの鳥じゃねーか」


 二人はゲラゲラ笑っている。たぶん、車内じゃなにも出来ないからストレスが溜まっていたんだろう。僕は二人に少し同情しながら、二人が気のすむまで放っておくことにした。


 放っておくことにしたけど、二人の笑いはまだまだ収まらない。僕は呆れ返って、暇つぶしにあの鳥を見ることにした。


 僕が雲一つないどこまでも広がる青空を仰ぎ見ると、さっきよりも鳥が大きく見えた。大きくといってもスズメがハトぐらいの大きさに見えるようになったくらいだけど。随分上空にいたんだなと何の気なしに思っていると、風船みたいにどんどんと大きくなっていき、僕らが鳥だと思っていたものが全く違う生物だということがわかった。しかもそれは凄まじく大きいみたいだ。川合と松田の馬鹿笑いをかき消す羽音、吹き飛ばされそうな風圧が僕を恐怖の底へ突き落す。


 アドミラルに来てからこれほどまでの恐怖を感じたことがない。あれは完全なる捕食者だ。僕は完全に食われると確信した。逃げることなんてもちろんできない。膝が震え、立ちすくみ、助けを求めることもできない。それは僕らめがけて真っ直ぐに突き進んでくる。それは旅客機ぐらいの大きさで、もちろん鳥なんかじゃない。飲み込まれそうなほど真っ黒で、艶めかしく波打つ膜を双眼鏡に取り付けたような奇怪な生物だ。僕らの旅はここで終わりみたいだ。


 僕は終わりを悟って二人に目を向けた。言葉なんて届かないほどの轟音だから、せめて二人の顔だけでも見ておきたかった。そして、僕の思っていることを感じてほしい。二人もそう思ったのか、僕と視線が合う。二人からは、これまでの感謝と別れの寂しさが伝わってきた。二人も僕と同じらしい。思えば、川合も言っていたけどこのメンバーじゃなければ、この世界でここまで生き残ることが出来なかった。この三人だから、車という極限の密室空間でも快適に過ごすことが出来たんだ。最後の言葉が憎まれ口だったことだけが心残りだ……。


 消し去ることのできない自責の念に苛まれていると、視力を奪いつくすほどの白銀の光が放たれ、雷鳴のような轟音が鳴り響いた。目の前は真っ白になり、僕は死の世界に放り込まれたと確信した…………。


「一ノ瀬! 大丈夫か!」


 川合と松田が僕を呼んでいる。二人も死んでしまったみたいだ。一緒に死の世界へと居を移したんだ。


 僕らの旅は終わったけれど、また二人といられるならそれでいいかもしれない……。なんて思っていたら、僕は頬をビンタされた。驚いて目を開けると、松田が怒ったように僕を見つめている。


「いつまで呆けてんだよ。あれ見ろ」


 松田が空を指さしている。近くにいた川合も真剣そうに空を見上げていた。僕もそれに倣って、空を見ると、さっきまで僕らを襲おうとしていた魔物は遥か上空で狂ったように飛び回っている。


「え、どういうこと?」


 僕には訳がわからなかった。


「アドミがあの怪物と戦ってるんだよ」


 松田が真剣な面持ちでそう言った。けれど一瞬、理解出来なかった。でも、祈るように空を見つめる二人と、空を飛び回る怪物、そして、五体満足な自分の身体を確認して、僕はやっとわかった。僕たちは死んでないし、あのまばゆい光と轟音はアドミの魔法だったんだ。僕はその事実に安堵した。まだまだ僕らは旅を続けられるんだ!


 そんな喜びも一入に、アドミの身が心配になった。自分の何百倍もある魔物にアドミは勝てるんだろうか……。


 何時間たっても、アドミと魔物の戦いは終わらない。戦いはどんどん上空へと場所を変え、終いには魔物は小さな黒い点になってしまった――アドミは最初からほとんど見えない。


 僕たちはアドミの勝利を願って空を見続けていたけど、さすがに首も疲れたし、戦況もほとんどわからない状況に飽き飽きしてきた。気づけば、誰からともなく車に戻り、しりとりを始めていた。


 もちろん僕たちにもしりとりなんてやってる場合じゃないという自覚はあった。アドミが負けたら僕たちはおそらく死んでしまうからね。だけど、あまりにも時間が経ち過ぎていたし、脅威が見えない状況じゃ、どうしようもできない。だから、アドミの勝利を期待しつつ、しりとりを始めたってわけ。決して、すべてがどうでも良くなったとか、アドミのことを忘れたわけじゃない。それだけは勘違いしてもらいたくないね。


「イスカンダル」


「ルーマニア」


「蟻」


「リール」


「また『る』かよ!」


 川合が執拗な「る」攻めにあって吠えた。その気持ちはよくわかる。「る」攻めってきついよね。


「お、パスする?」


 無尽蔵に「る」を錬成し続ける松田が川合を煽る。心底、松田の後じゃなくてよかったと思う。松田はいつも意地の悪い方法で相手を攻め落とすからね。


「しない! けどちょっと待って……」


 川合は長考に入り、車内は静寂に包まれた。久方ぶりにやってきた静寂は、僕らを現実に突きつける。死を運ぶ怪物、そしてそれと戦うアドミ。


 アドミはあの怪物に勝てるのだろうか? 僕らもなにかするべきなんじゃないか? もし、アドミが負けたら……。


「アドミが戻ってきたぞ」


 松田の言葉で、僕の不安は吹き飛んだ。


「大丈夫だったか!?」


 僕たちは車を飛び出し、アドミを迎え入れた。


「あれくらいなんてことないさ。ただ少し硬かったからね、時間がかかったよ」


 少し疲れたようだけど、なんともなさそうだ。本当によかった。


「あれはなんだったの?」


「魔王の絶大な魔力で生み出された生物兵器だよ。あんなのは見たことないけど」


 いつもの説明不足じゃなく、本当に知らないみたいだ。


「それにしても、アドミが無事でよかった」


 ここでもう一度言うけど、僕らは本当に心配だったんだ。しりとりしていたけど。


「あんなのには負けないよ」


 いつもみたいな口調だけど、頼もしい言葉だった。アドミは最高のガイドだ。


「これからあんなのがいっぱい出てくるの?」


 松田が僕らの不安を代表して聞いてくれた。


「もしかしたらね。断言は出来ないけど」


「もしかしたら、もっとたくさんの魔物が同時に襲ってくるかもしれないんだろ? そんなときはどうすればいいの?」


「そうだね、しりとりしてないで逃げてくれればいいよ。僕がなんとかするから」


「気づいてたのね……」


「いいんだよ。君たちが無事ならね」


 アドミはそう言うとフワフワと車に乗り込み、沈みゆく太陽のように静かに眠りだした。

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