異世界で恋に落ちたら

 僕たちは小さな町に来ていた。全体的に埃っぽくて、赤茶けた建物が乱立する、にぎやかな町だ。イメージで言えば砂漠の中にあるような町。そんな所で、僕たちはいつものように食材や日用雑貨を買い集め、ホテルに泊まろうとしていた。そこで、松田が余命宣告でも喰らったように深刻そうな顔で、僕たちに言った。


「おれさ、もう旅は辞めたい」


 僕たちはまた冗談が始まったと思った。もちろんアドミも冗談だと思ったみたいだ。似たような光景は何度も見てきたからね。


「冗談はよせよ。言葉も話せないのに、どうするんだよ」


「そうだぞ。君ら僕のことを馬鹿にするけど、たいして話せないだろ? 無理だって」


「そうだよ。ここに私は留まれない。みんなを魔王の下に導かなきゃいけないから」


 僕たちの言葉に松田は耳も貸さない。ただ黙って虚空を見つめて、静かに口を開いた。


「大丈夫だよ。なんとかする。ここにとどまる理由が出来たんだ」


僕たちは顔を見合わたけれど、誰も理由がわからず黙ったままだった。


「え? もしかして松田も洗脳されてんの?」


 僕は自虐交じりに言った。それくらいしか思いつかなかったんだ。


「違うよ。あんな間抜けなことないよ」


 随分な言いようだけど、反論なんかできる雰囲気じゃない。


「間抜けって、おい。てか本気なのか?」


「本気だよ」


 そう言ってまた虚空を見つめる松田の顔には今までに見たことのないなにかがあった。そんな顔を見れば、なにを言っても無駄なの気がしてくる。いつものくだらないやり取りだろうけど。


「じゃあさ、理由だけ聞かせてくれる?」


 僕らは松田を見つめ、松田はしばらく逡巡してから、頬を朱に染めた。


「俺さ、恋したんだ」


 川合がすかさず口を開いた。


「洗脳か」


 僕も同意見だった。松田が恋なんかで頬を染めるわけがないからね。これはいつものお遊びだ。


「どうしたらいい?」


「薬でももらってくればいいよ」


 アドミも僕らのように軽口を叩く。


「違うんだ。洗脳なんかじゃない。他の奴らにも見えてたよ。あれは本物」


 そんな僕らの態度なんて松田は気にしない。いつもの遠くを見る目で、虚空を見つめる。


「いつ?」


 川合が恐る恐る訊ねた。誰もが冗談ではないことに気づき始めていた。でも、それを受け入れられていないだけ。


「昼間に買い出しに言ったじゃん? その時に小さな女の子が働いてたろ?」


「あー。あのシュッとした猫みたいなやつね」


 川合の言葉で僕も思い出した。


「確かにいた。緑のやつでしょ? 毛の生えた」


「そう。その子に一目ぼれしたんだ」


 そう言う松田の顔はどこからどう見ても本気だった。冗談なんて欠片もない。僕たちを助けようとする時に燃やす、本物の男だけが許された真っ赤な炎を瞳に宿している。


「そっか……」


 それしか僕らの口からは出なかった。


「それでさ、夕方、またあそこに行ったんだ」


「だからいなかったのか」


 段々と僕らの疑問が解かれていく。だからと言って、僕らの危機が解決するわけじゃないけれど。


「それで、俺の拙い言葉で愛を告白したんだ」


「やるなぁ。本気じゃねーかよ……」


 川合は努めていつも通りに相槌を打つけれど、元気もキレもない、スカスカな言葉だ。


「だから言ってるだろ。本気なんだ。それで、彼女も俺を受け入れてくれて、一緒に暮らすことになったんだよ」


「そっか……」


 そう言って、僕らはしばらく黙ったままだった。こんな特異な状況に巻き込まれたこともないし、考えたこともないからしょうがないだろ?


 僕らはそうやって黙っていたけど、言うことは決まっていた。後は誰がその言葉を贈るかだ。


「本気なら止められない。幸せにな」


 川合が僕らの言葉を代弁した。


「意外と軽いんだな……」


 松田は意外そうな顔をしている。無理もない。僕らは魔王を倒すために連れてこられたんだから。でも、だからって、僕らのすべてを擲つ必要はない。僕と川合の二人がまだ残っているんだから。


「そこまで本気なら止められないよ」


 僕はそう言った。これも、もちろん嘘偽りのない本心で、みんなの総意だ。僕らはそれだけ強い絆で結ばれている。


「ありがとう」


 松田の目には光るものが見えた気がした。でも、僕には確認することが出来なかった。僕の視界はぼやけて、ピントの合わない写真みたいになってしまったから。川合やアドミも同じだ。この時ばかりは断言できる、僕らの気持ちは一つだった。


 しばらくの間、鼻をすする音や、目元を拭う音だけが四人の間に垂れ込んだ。悲しくも名誉ある瞬間だったと思う。これだけの瞬間を享受できる人間はほとんどいないはずだ。


「明日から彼女の家に行くことになったから、俺の旅はここまでだ」


 沈黙を惜しみながら、松田が言った。もう松田は前を向いている。




「飲み明かそう」


 僕はここに来た時のことを思い出しながら言った。僕らの旅は二日酔いから始まったんだ。新しい旅も二日酔いから始まらなければ嘘だ。


「松田の幸せを願って、乾杯」


 僕と川合はそう言って杯を突き出した。松田もアドミもそれに倣った。




 僕が目を覚ますと、松田はもういなかった。松田は僕らの下を去ったんだ。


 僕は胸が痛かった。どうしようもないほど切なく締め付けられ、涙が止まらなかった。


別れがこんなにつらいとは思わなかった。


 僕と川合はその日一日ほとんど口を利かなかった、利けるわけがなかった。それなのに、アドミはいつもの呑気な口調で訊ねた。


「君たちは本当に松田を置いていくのかい?」


「しょうがないだろ。あいつは本気だ。無理矢理連れて行くなんてできない」


 僕の口調は思っていたよりも荒かった。正直、自分でも驚いたぐらいだ。


「それぞれの人生だからな」


 河合が僕を諫めるように穏やかな口調で言った。本当にできた男だ。自分だって辛いのに。


「君たちがそう言うんだったら、いいけど、しばらく様子を見よう」


 そんな僕らを見てもアドミは食い下がった。


「なんでそんなこと言うんだよ」


「あいつの幸せを願ってやれよ」


 さすがに河合も語気を荒くし、僕も自分を抑えるのに必死だった。僕らの親友の決断についてこれ以上言わせるつもりはなかった。


「君らがそこまで言うならこれ以上は言わないけど、何日かここにとどまるからね。万が一のこともあるし」


 アドミもさすがに僕らの思いに気づいたみたいだった。申し訳なさそうに僕らを見つめた。


 僕らはアドミの言葉に従って三日間、街で過ごした。その間に松田が戻ってくるなんてことはなかった。時折、町で幸せそうな二人を見かけるだけだった。もちろん、誰も声をかけなかった。幸せな時間を邪魔する気なんて誰もなかったから。


「やっぱり帰ってこないな」


 仲睦まじいカップルを思い出しながら僕は言った。


「もうそろそろ出発するか。この町はたいして観るところもないし」


 僕と河合の言葉にアドミは黙ったままだった。


 荷物を車に詰め込み、車を街の外に走らせる。


「三人になっちまったな」


 この三日間何度も繰り返した言葉が僕の口から零れた。


「そうだな。後部座席を独り占めできちまうよ」


 川合がしみじみと言った。そうなのだ、もう外を眺め、突拍子もない事を言い、誰よりも臨機応変に聞きに対処する松田はいないんだ。


「松田があそこまで本気になってるの初めて見た」


 ここまでの松田との思い出が溢れてくる。


「俺もだ」


 川合も言わずもがな同じだ。僕らは十年以上の付き合いなんだから。


 川合が左手で目を覆って、鼻をすすっていた。


「もしかして泣いてんのか?」


「ちげーよ。目がかゆいだけだ」


 川合はそう言ったけれど、左手を外すこともなく、声は心なしか震えていた。


「そうか……」


 僕はそれしか言えなかった。これ以上なにか言えば、運転できそうにない。


 僕はゆっくり車を走らせた。松田がこれから暮らす町を目に焼きつけ、僕らの使命を終えた時にここに戻ってこれるように。埃っぽい小さな町、赤茶けた質素な背の低い建物が乱立し、活気あふれる、松田の住む町……。


 僕らの第二の故郷になるかもしれない町も、もう数百メートルだった。町の賑わいも鳴りを潜め、いつもの道はもう目の前。そんなところに松田が立っていた。


「見送りに来てくれたのか?」


 僕は窓を開けて、予想外の再開に心を躍らせた。


「アドミを出せ」


 僕の無邪気な喜びなんて松田は歯牙にもかけない。目を血走らせ、僕らのガイドを要求するだけ。


「どうしたんだい?」


 アドミは松田の様子に気づいていないのか、いつもの通り呑気な口調。


「どうしたもくそもない! 彼女が死んじまった! お前は知ってたな! だから反対しなかった!」


 僕と川合は松田の言っていることがわからなかった、理解できなかった。あの娘が死ぬなんて。冗談だと思いたいけど、松田の瞳に宿る狂気と殺意と悲しみは疑いようもなく本物だ。


「しょうがないだろ。彼らはそういう種族なんだ。君はあの時僕がそう言っても聞き入れなかったろ?」


「そうかもしれないけど、そんなのってひどすぎる! もう彼女には会えないんだぞ!」


 松田は泣いていた。こんなに感情をあらわにしているのを初めて見た。僕らはなにも声をかけられなかった。


「いつか会えるよ」


 アドミがポツリと言った。慰めにしか聞こえない。


「おれが死んだ時にか?」


 松田も僕と同じことを考えたようだ。葬式の時に聞かされるくだらない戯言にしか聞こえない。


「もしかしたら、そうかもしれないけど、たぶんもっと早く会える。具体的には君たちの世界で言う三年くらいたったらね」


 アドミの言葉はいつも通り呑気で羽毛みたいに軽い。


「慰めで言ってるんだとしたら、やめておけ。俺は本気だぞ」


 松田は両手を握りしめ、怒りで身体を震わせている。


「私はそんなことは言わない。事実を言ってるんだよ。君が恋したシーキャという種族は基本的には目に見えないんだ。実態がない、幽霊みたいなものなんだ。そういう種族なんだよ。でも、長い期間魔力を溜めて、数日だけ実体化できる。君はその幸運な時間に彼女に出会い、恋に落ちたんだ」


 松田はアドミの言葉に聞き入っていた。


「じゃあ、いつか会えるんだな」


 松田の瞳に宿っていた負の感情は薄らいできていた。


「うん。目には見えないけどね。いつも君のそばにいてくれてるはずだよ。どうする? 君はこの町にとどまる? 彼女は君がどこに行ってもついてきてくれるけど」


 アドミは優しく聞いた。


 松田はしばらく黙ったままだった。無理もない。松田はなんだかんだ真面目な人間だし、僕らにかけた迷惑のことで悩んでいるだろう。それに、あまりにも多くのことが一度に起こり過ぎた。いくら松田でも決断するには時間が必要だ。


「わがままなのはわかってるけど、ついて行っていいか?」


 消え入りそうな小さな声で、松田は言った。


「いいに決まってるだろ」


 僕はいつも通りに言ってやった。誰だって間違いを犯すし、判断を誤る。それでも許し合えるのが友達だから。


「早く乗れよ」


 川合もそう思ってくれてる。松田もそんな僕らに気づいたのか、少し恥ずかしそうに言った。


「ありがとう……」


 またいつもの四人に戻って、いつも通り僕が車を走らせ始めてから、松田がアドミに聞いた。


「なんであの時に言わなかったんだ?」


 もう怒りなんて感情は一切ない、単純な疑問。


「君は事実を受け入れられたかい? たぶん私のことを信じなかっただろ?」


 アドミも僕らのことを完全に理解しているようだ。そして、僕らを悲しませないようにしたんだ。今回は少し行き違いがあったけど、アドミの優しさは今となれば理解できる。


「そうだな。感情的になってたと思う。ごめん」


「いいよ。気にしてない。恋は人を盲目にさせるからね」


 それから一層、松田は一人で黄昏ている時が多くなった。でも、俺たちはなにも言わない。松田と目に見えない彼女の会話を邪魔するかもしれないから。


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