こわいはなし

「暇だな」


 走る車の窓から、上半身を出す奇行を終えた松田が、なにもなかったかのように言った。傍から見ればひとりで楽しそうに見えたが、どうもそうではないらしい。


「そうだな。最近、なんにもないな。どうするよ」


 松田の奇行に気づいていなかったのか、川合は何事もなかったように言った。


「どうするもなにも、いつも通り進むしかないでしょ」


 一ノ瀬は至極まっとうなことを言って、そのまま運転を続ける。


「そうだけどさ、松田、なんか暇つぶしない?」


 川合はどうしてもこの状況を打破したいようだ。なにも思いついてないみたいだが。


「なんか怖い話でもする?」


 いつものように外を見るスタイルに戻った松田が提案した。松田の発言は相も変わらず、なんの脈絡もない。


「まだ明るいぜ? 盛り上がるか?」


 燦々と輝く二つの太陽が支配する青空を眩しそうに川合は見つめている。


「盛り上がるかどうかじゃないんだよ。盛り上げるんだ」


 松田が熱っぽく語って、川合に迫る。どうしても、怖い話をしたいようだ。


「なにそれっぽいこと言ってんだよ……。でも、ちょうどいい暇つぶしになるだろうからやるか」


 他になにも思いつかなかったのか、川合は怖い話を受け入れた。暗闇や幽霊が怖いのに。


「じゃあ、誰からいく?」


 いつもより少し低い声で唐突に松田が話し始めた。


「そう、あれはまだ俺が学生だった頃のこと……」


「あ、松田からスタートね」


 川合は急な始まりに苦笑いしていたが、すぐに真剣に聞き入り始めた。


「俺はバイトが終わってから、友達と話し込んでいたんだ。バイトは午後十時に終わってそれから三時間ぐらい。それで、さすがに次の日学校もあるからって、解散することになったんだ。途中まで一緒に帰って、友達と別れてから、俺は近道を使うことにした。街灯もほとんどない真っ暗な道。住宅街を通り抜ける細い道だから、夜中なんてもちろん人っ子一人いない」


 話を聞く二人の頭には真夜中の寂れた裏道が浮かび上がり、自分がそこにいることを想像していた。二人は知らないうちにゆっくりと物語に引き込まれているのだ。


「俺はその道を自転車で一人疾走していた。いつもなら、十分も走れば家に着く道を。でも、なぜかその時はなかなか着かなかった。なんだったら、見覚えのない道に迷い込んでいたみたいなんだ。でも、だからって心配はしなかった。住み慣れた場所だから、すぐにいつもの道に辿り着くと思ったからね。それなのに、いくらたっても自分がどこにいるかわからなかった。さすがに俺も焦り始めたころ、街灯に照らされた小さな公園が見えた。知ってる公園だと思って少し安心して、その公園まで行くと見覚えがない。しょうがないから、また進み始めると、街灯が一本立っていて、その下に白いワンピースを着た女の人がいた」


 街灯の下、白いワンピース、お決まりのシチュエーションだが、二人の恐怖を駆り立てるには充分だった。


「俺は犬の散歩かと思って気にも留めずに、その方向に進んだんだけど、その女の人は一歩も動かない。さすがになにかおかしいと思いながらも、なぜか引き返すとかそんなことは一切思いつかなかった。まるで引き寄せられるようにそっちの方向に行ってしまうんだ。そして、すぐに女の人のところまでたどり着いて、何事もなく通り過ぎた。通り過ぎたんだけど、俺はなぜかその女の人の顔を引き寄せられるように見ていたんだ――完全に無意識にね」


 演出なのか、松田は間を置いた。


「なんかヤバかったの?」


 川合の恐る恐るの問いかけに、松田は頷き、話を続ける。


「その女の人の顔はモザイクがかかったみたいにまともに見えなかったんだ。それで、その顔が頭から離れなくて、通り過ぎて少ししてから、後ろを振り向いたんだ。そしたら、そこには街灯も女の人もいなくて、いつもの見知った道が伸びていた。俺はもう完全に怖くなって、家に帰ろうとしたんだ。でも、そんなことをする必要なんてなくて、もう俺は家のすぐそばまで来ていた。それで、安心して玄関のところまで行くと、姉ちゃんが待ってて、意味深な目つきで俺の背後を見た後に『大丈夫みたいだね』って言ったんだ」


 車内は静まり返り、二人の生唾を飲み込む音しか聞こえない。


「どういう意味だったの?」


 川合の問いかけに松田は首を振って答えた。


「怖くて聞けなかった……」


 松田の話が終わってから、しばらくの間誰も口を利かなかった。


「なんか普通に怖い話なんだね」


 松田の話しぶりに感心した一ノ瀬が言った。川合は恐怖のせいか口を開く気配がない。


「え!? だって怖い話しようって言ったじゃん」


 松田の口調はいつものマイペースなものに戻っていた。役者顔負けの切り替えだ。


「そうだけど、松田が普通にするとは思わなかった」


「俺のことなんだと思ってんだよ」


 松田は少し気分を害しているようだった。真面目に話したのに意外だと言われれば誰もがそうなるが、松田の普段の行いを知っていればしょうがないのかもしれない。


「じゃあ、次は一ノ瀬な。俺の話にケチつけるくらいだから相当なもんを聞かせてくれるんだろうな」


「ケチはつけてないからね? まあ、いいや。話すよ」


 一ノ瀬は少し思案してから始めた。


「僕がカラオケでバイトしてたの覚えてる?」


「あの、地下のやつでしょ?」


 恐怖を克服したのか川合が話に入って来た。川合は何度か遊びに行ったことがあるのだ。


「そうそれ。そこでの話なんだけど、あそこって、地下だからか知らんけどなんか雰囲気がおかしいのね。暗くて、重いっていうの? なんか澱んでんの。俺は霊感とかないから、それくらいしか感じないんだけどね。霊感がある人だと、店に入ってなんかおかしいって言いだして、特定の部屋に通すと、気分が悪くなったとか、あそこになんかいるとか言ってすぐに出てきちゃうのよ」


意外な事実を知らされて、川合が顔を青くする。自分が遊んでいたところで、そんなことがあったのなら誰だって青くなるだろう。


「で、その話を後輩の霊感あるやつに話して、店に来てもらったのね。そしたら、その問題の部屋には霊がいるとか言い出して、ほかにも何人か来てたから、みんなでビビってたわけ。一頻り、みんなで話し終わってから、霊感あるやつが『あのお札のせいで霊がここに溜まってるんだよ』ってボソッと言ったのよ。俺はそこそこ働いてたし、友達も何回か来てたから、からかってると思いながら、指さす方を見たら、マジでお札が貼ってあったっていう……。そんな話」


 一ノ瀬の話はあっさり終わった。


「普通に怖いな」


 松田が興味深そうに言った。川合はまだ顔を青くしている。


「そのあとなんかあったの?」


「わからん。俺が辞めてから潰れたくらい」


 その言葉に松田が息を呑み、一ノ瀬が慌てて付け加えた。


「一応言っておくけど、霊は関係ないからね。競合店が増えたからだから」


「じゃあ、次、川合ね」


 川合はそう言われると、気合を入れるように肩をぐるぐる回して、スポーツでも始めそうなテンションで話し始めた。


「よぉーし、俺のとっておきのを聞かせてあげるよ。あれは俺が免許を取って、車の運転が楽しくてたまらなかった頃だ。毎晩のように友達を乗せて家の車でドライブしてて、それの帰り道」


 楽しい思い出を話しているような口調だ。怖い話になんて微塵も聞こえない。


「友達の家に送りに行っている途中に、車の時計がなぜか点滅し始めたんだよ。今までそんなこと一度もなかったのに。しかも、点滅はゆっくりと文字が薄くなって消えたり、ちかちかなったり規則性もない感じで、古い車だったから、がたが来たのかななんて思いつつ、ホラー映画でありそうだとか言って気にしてなかったんだよ。でも、その点滅は一向に収まらないし、今度はETC車載器が何も弄ってないのに音が鳴り始めたんだよ。『ETCカードが挿入されてません』って。カードは入ってるのに。さすがにちょっと焦り始めたんだけど、友達の家も近いし、ついてから考えようとしてたら、また車載器が勝手に動き出したのよ。今度は何度も。終いには『いぃーティーしーくゎードぐゎ……そーにゅう……されていまぁ……せ、ん』みたいに完全におかしくなってたの」


 迫真の演技なのだろうが、どうも緊迫感と迫力がない。まるでふざけているように聞こえる。本人は至って真面目なのに。


「しかも何回も繰り返してるし。これはヤバいと思って、早く友達の家に着こうと思ったら、急に車のエンジンが止まったの。道のど真ん中で。俺も友達も言いはしなかったけど、完全に霊の仕業だと思って、ビビり倒してて、でも、車を動かさなきゃいけなかったから、二人で路肩に移動したんだ。それで、早くここから逃げ出したくて何度もエンジンをかけたんだけど、車は動かなくて、そこに車を放置して友達の家に行ったんだ。明日、業者に頼んで動かしてもらおうって。で、その日はなにもなくて、次の日業者に連絡して、車を持って行ってもらって何日かしてから連絡が来たんだ、車のことで。これは車になにか曰く付きのものでもあるんじゃないかと思って、緊張しながら話を聞いてたら、簡単に言うとエンジンオイルがダメになってただけだったっていう。そんな話……」


 今までの勢いはどこに消えたのか、最後はしりすぼみに終わった。


「うん、で? 終わり?」


 一ノ瀬が冷めた口調で言う。


「えっと、車の整備は定期的にしようね……」


 川合は自信なさげになって小さくなっている。


「がっかりだよ。せっかく二人で流れ作ったのにさぁ。なぁ、松田」


 一ノ瀬が黙ったままの松田に同意を求める。


「一ノ瀬の言う通り。やっていいことと悪いことがあるよ。俺たちだからこの程度ですんでるけど、場合によっちゃあ大変だよ。生皮全部はがされてるよ」


 川合の愚行に腹を立てているようだ。


「大げさだよ!」


「大げさじゃねーよ。俺たちは川合のことを思って言ってるんだよ」


 こんこんと松田は説教を始め、川合は助手席で半身になりながら、その説教を聞いていた。まるで教師と生徒みたいだった。


「わかってくれたかな?」


「すみません。次からは気を付けます」


 やっと説教は終わり、川合はもとに向き直り、フロントガラスに張り付いていたモザイクがかったなにかに一瞬息を呑んで、悲鳴を上げた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 そして、気絶した。


 一ノ瀬と松田はそんな川合の反応に大笑いして、フロントガラスに張り付いていたモザイクを車の中に入れた。モザイクはふわふわと後部座席に移動し、本当の姿を現した。


「大成功だね」


 モザイクからもとの姿に戻ったアドミが笑いながら言った。アドミの言う通り、大成功だ。まさか気絶するとは誰も思わなかったけど。


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