白い歓迎

「今日はここらへんでキャンプにしよう」


 だだっ広い原っぱに車を停めさせて、アドミが言った。


「え? 近くに街ないの? ホテルに泊まりたい」


 松田が露骨に不満な表情をする。松田がここまで顔に表すなんて珍しいことだけど、言いたいことはわかる。アドミが詐欺をして稼いだり、偶然、魔物を追い払ったおかげで小金を得た僕らはことあるごとにホテルに泊まって贅沢三昧していたから。あの快適さを覚えたら、キャンプなんてしたくなくなる。


「道草食ったせいで厳しそうだよ」


 アドミはそんな僕らの不満を感じ取ったのか、申し訳なさそうに肩をすくめる。アドミはなにも悪いことをしていないのに。なんだか申し訳ない。


「やっぱりな。あのとき川合がトイレから戻ってこなかったからだ」


 キャンプする発端になった川合に僕は言ってやった。川合がアドミの説明も聞かずに頼んだ鈍色した半固体を思い出しながら。涙が滲み出るような刺激臭と蜂蜜みたいな甘ったるい匂いは今まで経験したことのないものだった。明らかに僕ら人間が食べていいものとは思えなかったけど、川合は見栄を張って水と一緒に一口分だけ飲み下して、五分ほど難しい顔をしてから、腹を抑えてトイレに消えていった。そして、三時間ほど戻ってこなかった。


「やめて! しょうがないでしょ? お腹弱いんだから」


 お腹とか以前に頭が弱いんじゃないかと思いながら、必死に言い訳する河合を見ていると、松田が注意を引きつけるように手を叩いた。


「ほら早くテント建てようぜ」


「切り替え早いな!」


 あれだけキャンプを渋っていたのに……、これじゃ僕だけがゴネてるみたいだ。このままじゃ僕の格好もつかないから、諦めてキャンプを受け入れることにした。


 ここで一つ言っておくことがあって、それは僕らはテントを建てるのが苦手だと言うことだ。何度もキャンプをしたことのある人や、息の合った親友とキャンプに繰り出す人からしたら、ただの経験不足だと思うかもしれない。その苦言は真摯に受け止めたいところだけど、僕らはこの世界に来てからホテルで贅沢していると言っても、何度もキャンプしてテントを建ててきた。それなのに、僕らは一向に上達しない。テントを建てるだけで、誰かが怪我したり、喧嘩が起こるなんてざらだ。ポールが生き物のように暴れまわり、ペグが銃弾のように飛び交うから。そのたびに僕らは責任を押し付け合い、なんとかテントを建て終われば、予定の何倍もの時間が経っている。そのせいで僕らはいつもくたくたになる。そして、アドミの準備してくれた夕飯を黙って食べて、今までの喧嘩のことなんて忘れて、心地良い疲れに抱かれるように眠りにつくことになるんだ。


 もちろん、今日も多分に漏れず無意味に体力を消費した結果、さっさと夕飯をすませて、寝ることになった。


「一人は車で寝るか」


 川合がそう提案した。


「そうだな。そしたら広く使えるし」


 松田も同意して、どうやって車に寝る一人を決めるか争いが起こりそうになったところで、僕が名乗りを上げた。これ以上厄介事は御免だからね。


「僕が車で寝るよ」


「いいのか?」


 川合が申し訳なさそうに僕に聞く。まぁ、内心は喜んでいると思うけど。川合も大人だ、それぐらいの配慮は出来る。松田は心底嬉しそうにしているけど。


「うん。こっちの方がしっくりくる」


 確かにテントは魅力的だけど、一人で気兼ねなく眠れる車が僕は好きなんだ。別になにするわけじゃないけどね。一人の時間てものは途方もなく貴重なんだ。


「わかった。じゃあ、俺と松田とアドミがテントな」


 川合がそう言うと、三人はそそくさとテントに引っ込んだ。僕も後部座席に寝床をこしらえて、横になった。身体は疲れているのに、不思議と眠気は借りてきた猫みたいになっている。それでも、無理矢理寝ようと目をつぶりはしたけど、眠気は霧みたいに消えてしまった。たぶんこのままなにをやってもすぐには眠れないから、僕は車窓から見える夜空を眺めることにした。宝石を散りばめたように光り輝く名も知らぬ星々、アドミラルに来ることがなかったら見ることのできなかった夜空。僕はこんなに美しい夜空を見たことがない。涙が出そうなほど美しい……。もしかしたら、地球にもこんな美しい夜空があるのかもしれない。なんで夜空を見なかったんだろう? 星が見えないから? それともそんな余裕なんてなかったから? もしこんな星空を地球で見ていたら、僕の人生は変わっていたのかもしれない……。


なんだか今日は少し感傷的になっているみたいだ。もう僕らは地球に戻れないだろうし、ちょっぴり危険で退屈なこの世界が好きだ。そんな世界で、アドミを含めた四人で旅をするのが好きだ。いつかはこの旅も終わってしまうなんて考えられない。いつまでもどこまでも四人で旅を続けたい……。


 誰かの声と車を叩く音が聞こえる。僕はいつの間にか寝てしまったみたいだ。しょぼつく目をこすって、もう朝なのかと声の主の方へ顔を向けると、そこには松田がいた。必死の形相でなにかを叫んでいる。


「どうした?」


「助けてくれ!」


 松田は相変わらず、必死に叫び車を叩く。僕は寝起きのせいで状況が理解できず、呆けたまま松田を見つめ、異変に気づいた。だだっ広い原っぱだったはずの場所が白いふわふわとした物体で埋め尽くされている。


「なにがあった!?」


 僕は少しずつ状況が理解できてきた。あの白いふわふわのせいで松田は泡を食ったように慌てているんだ。


「気づいたらこんなになってた! 早く開けて!」


 まとわりつく白いふわふわを払いのけながら松田が叫ぶ。綿毛に食われそうになっているみたいだ。なんだか笑える。それにしてもこんな時にアドミはどうしたんだろう。まさか綿毛に食われたか?


「アドミは?」


「わからん! いいから開けろ!」


 松田が今にも窓をたたき割りそうな勢いだったから、ドアを開けてやった。松田が滑り込むように車に乗り込んで、ドアを閉める。一緒に入ってきた白いふわふわを窓から放り投げて、やっと松田は一息ついた。


「ありがとう」


 怪我はないようだけど、松田はひどく疲れ切っていた。可哀そうに、害はなさそうだけど、よくわからないものにたかられて悪夢のようだったんだろう。出来ればこのままそっとしておいてあげたいけれど、聞かなきゃいけないことがある。


 僕は松田が落ち着くのを待ってから聞いた。


「あの二人はどうした」


「たぶんテントの中」


 二人を残してきた罪悪感からか、暗い表情だ。僕はそんな松田を見ていられなくて、テントを建てたところを見てみると、完全に白いふわふわに飲み込まれていた。


「てか、なんで気づいたの?」


「トイレに起きたらこんなになってた」


 テントがあんなんになっていたら、助ける暇もなかったろう。


「あの二人大丈夫かな……」


 松田は膝を抱えて不安を口にする。僕も急に不安になって――いままで不安じゃなかったなんてことはない、ただ驚きの方が勝っていただけだ――なにも出来ないけどまた暗闇と白いふわふわに支配された窓の外を見た。


「あれ、アドミじゃね?」


 白い波にさらわれていくアドミが見えた。


「まさかそんなわけ……。ホントだ! 助けないと!」


 僕は無計画に飛び出そうとする松田を無理矢理押さえつけた。なにも考えずに飛び出したところで、痛い目に合うはず。本音を言えば、心の準備をしたかっただけだけど。


「でも、どうやって?」


「かき分けていくしかないだろ」


 なんて男らしくて頼りになるんだ。こういうときの松田は本当に頼りになる。僕を青い怪物から助けてくれた時もそうだ。率先して危険に飛び込み、それを鼻にもかけない。見習いたいもんだ。


「そうだな。ちなみに車から出る?」


 見習おうとは思ったけど、いざとなるとなかなか踏ん切りがつかない。出来るだけ安全な方法で、と考えてしまう。


「もしかしたら川合が外に出てるかもしれないから、車から出るぞ」


 松田の勇気には頭が下がる。それに勇気って伝染するみたいだ。僕も踏ん切りがついた。


「わかった」


「行くぞ!」


「おう!」


僕らは車から勢いよく飛び出し、ふわふわした白い綿毛のような物体の中を突き進んだ。このふわふわは僕の予想以上にふわふわしていて、害があるようには一切思えなかった。でも、ここは異世界。なにが起こるか、なにが危険かわかったもんじゃない。僕らは用心しながらも、ふわふわをかき分けて突き進み、なんとかアドミを救い出して車に戻った。


「大丈夫か、アドミ」


 アドミにまとわりついていたふわふわを払いのけながら松田が聞く。まるで主人公みたいだ。


「大丈夫だけど、どうしたの?」


 そんな松田の問いかけに、きょとんとしているアドミ。さてはなにが起こっていたかわからなくて、とぼけてるな。


「さらわれそうになってたじゃん」


「あれは遊んでただけさ」


 僕と松田はその言葉を聞いて、顔を見合わせた。遊んでいただけ?


「言ってなかったっけ? ここはコットリンの縄張りなんだ。彼らは友好的な種族で、縄張りに来た人たちをもてなすんだよ」


「なんにも言ってないよ!」


 僕らの必死の救出劇は徒労に終わったというわけだ。


「そういう時もあるよね」


 いつもの調子でアドミが言う。このガイドは僕らに厄介事を押し付けないと気がすまないらしい。


「ガイドだろ、ちゃんとして!」


 今日のヒーローになるはずだった松田が吠えた。いつもだったら、「うるさい」と叱責するところだけど、今日はそっとしておくことにした。可哀そうだからね。


「ところで、川合はどうしたんだい?」


 そんな松田を無視して、アドミが呑気に訊ねる。本当にマイペースなやつだよ。でも、確かにそうだ。川合はどこに行ったんだ?


「あ、運ばれてる」


 いつの間にかに落ち着きを取り戻していた松田が外を指さす。僕とアドミも外を見ると、確かに川合がいた。ライブ中に客席にダイブしたアーティストのように運ばれている。


「あれは寝てるな」


 ピクリとも動かない川合を見て僕は確信した。寝つきだけは凄まじくいいんだ。


「アドミかよ」


 まだ怒っているのか、松田が吐き捨てるように言う。


「それって私を馬鹿にしてない?」


 珍しく引きずる松田に、アドミは困惑していた。


そんなやり取りもほどほどに、僕らは川合の救出に向かった。歓迎してもらえるからって、目が覚めて白いふわふわに囲まれてたら困るかだろうからね。なんとか川合のところまで突き進み、アドミにコットリンを説得してもらうことになった。これにはかなりの時間がかかった。気づけば夜も明け、二つの太陽がひょっこり顔を出し始めている。なんとか開放してもらって、相変わらず寝たままの川合を揺り起こした。


「うーん、よく寝た。お前ら朝早いな」


 なんの苦労も知らず能天気な顔の川合に僕らは無性に腹が立って、一人一発殴ってもうひと眠りすることにした。


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