第3話 潜入捜査
黒部は頃合いを見計らって、隣の席の2歳年上の佐藤という男に声をかけた。
「すみません、佐藤先輩。ここのところは、どうすれば?」
「ああ? それか? 『臨時会計』にしておいて」
「ありがとうございます」
「いや、何でも聞いて」
「あー、いや、私、派遣先は必ず軽くエゴサするんですけど」
「じゃあ、見ちゃった?」
佐藤は手を止めた。
「ええ。なんか、事件の異常性の割に、マスコミの扱い小さくないですか?」
それは、黒部としては本気で疑問に感じていることだった。
「それは、俺たち社員も疑問に思ってるんだわ。ウチの社長にそんな力やコネがあるとも思えんし」
「社内のいじめが原因とかって、あれは?」
「いやー、あの3人のやり方は確かに古くさかったかも知れないけど、ちゃんと教育してたと思うんだけどなぁ」
「で、どなたが亡くなったから、先輩はそんなに深く悲しんでるんですか?」
「でねー、祐子とは入社も同期でずっと仲が良かったの」
三田は、隣の席の榊原という同い年の女のおしゃべりに辟易としていた。
「一ノ瀬祐子さんですね?」
「そう。彼女は美人で気が利いて私の誇りだったわ」
そこで、榊原は「内緒話をする」という感じで手招きをした。
「それなのに、そのうち、後輩の男子社員を同僚の女子社員とグルになっていじめるようになってねぇ」
内緒話のはずなのに声のボリュームは上がったような?
「それで、清掃員のおじさんが『俺の別荘、タダで貸してやるから、旅行に行ってきなよ』って言われりゃ疑いもせずにヒョイヒョイ乗っかるし」
「清掃員のおじさんが別荘?」
「そう! 誰だっておかしいと思うわよ! それを疑いもせずに、四谷君と五木君を『荷物持ちにする』って、連れてってさぁ。こんなことになって。まったく……」
「先輩! その先聞きたくないです。あなた、人が亡くなったっていうのに、はしゃぎすぎです。慎みなさい! トイレに行ってきます」
「四谷も五木も人付き合い下手だったからね。どっちも友達居なかった」
川村は休憩室で3つ年上の柴崎と話していた。
「四谷さんと五木さんで仲良くすればいいのに」
「俺も一度はそう思ったんだけどね。ダメ、絶望的に馬が合わない」
「柴崎さんって優しいんですね」
「ただのお節介焼きだよ」
「社内いじめって?」
「どーだろう? 四谷と五木はそう思ってた。周りの社員は行き過ぎた古くさい教育くらいに思ってた。俺は、俺の意見は、分からないや」
「嫌なら旅行なんか行かなきゃいいのに」
「焚き付けられてたよ。例の幽霊清掃員に、『行って復習しろ』って。まさか、殺すって知ってたら止めたのに」
「本当?」
「え?」
「あなた、心に悪魔を飼ってない?」
「あ、でねー、私、衝撃だったんだどぉ」
鬼津は、同い年の深沢という女がキャッピってるのに若干引いていたが調子を合わせていた。
「うんうん」
「じゃーん! これ見て! なんだか分かる?」
スマホの写真を得意げに見せられて、一瞬「トイレ」と即答しそうになって言葉を選ぶ。
「トイレってことは分かるけど、何か様子が変だねぇ」
「でしょー! 『簡易水洗』って言うんだって。どういう仕組みなんだろう?」
「ん? ああー、俺、親戚の家に泊まりに行ったときに使ったことあるわ」
「え? そうなの? どうやって使うの?」
「うん、水を流してもね、チョロチョロって、ちょっとだけしか水が流れなくて、流された物の重みで底の小さい丸い蓋がパクンって開いて下に落ちるんだ。で、流れずにこびりついた物は、この壁のフックに引っかけてあるウォーターガンで狙い撃ちにして落とすんだ」
「へー! おもしろーい! ウォーターガン撃ってみたーい!」
「まぁ、最初はちょっと面白かったけど、すぐに飽きたよ」
「この簡易水洗の便器の下ってどうなってるんだろー?」
「ああ、それをどけると、普通の和式便器があって……」
そこまで言って、鬼津はある考えに捕らわれた。
「どうしたの? 鬼津君?」
「あ、いや、何でもない」
「それで、その清掃員は、なんで『幽霊清掃員』だなんて呼ばれてたんですか?」
段菜は60近い清掃員のおばちゃんと話し込んでいた。
「それがね、その清掃員、誰にも雇われてなかったのよ」
「はぁ?」
「制服も、首にかけてる入構許可証も本物にしか見えなかったんだけど、事件の後勝手に来なくなったんで上に文句を言ったら、『そんな人は雇ってない』って」
「えぇ? じゃあ、そいつはワザワザ潜り込んでタダ働きしてたってことですか?」
「そうねぇ、ただ、気味の悪い話もあってね?」
「何ですか?」
「その幽霊清掃員に以前どこかで会ったような気がするって言う社員がすごくたくさんいるのよ」
「それは気持ち悪いですね」
「なんか、今日、1人、新しい人が入って来たけど、その人のことも疑っちゃうわ」
「それは無理もないですよ」
それぞれの刑事の得た情報は、世間話を装って古論(ころん)に伝えられ、古論から本部待機の刑事長に情報が伝えられた。
「とにかく、少なくとも殺人ツアーをプロデュースしたのは幽霊清掃員で決まりですね」
古論が言うと、刑事長が、
「なぁ、古論さん、その幽霊清掃員の昨日作成していただいた似顔絵なんだが、ある人物の面影がないか?」
「似顔絵ですか? ……さぁ? さっぱりです」
「そうか。なぁ、古論さん。俺たちが小さな子供の頃は、あの湖で泳げたよな?」
「あぁー、そう言えば! 今では考えられませんけど」
「俺たち、5体の遺体のことを『5段重ね』って言ってるが、『5重の死体』とも言えないか?」
「そうですが、どうしたんですか、刑事長? さっきから話があっちこっち飛びすぎですよ」
「飛んでるようで繋がっているんだよ。『5重の死体』はイントネーションを変えると、『50の死体』にならないか?」
「50の死体? ああ! そもそも、あの湖で泳げなくなったのは、上流にある製薬工場が誤ってとんでもない毒物を排水して、そのとき湖で泳いでいた人の大半が死傷した大事故があってからでしたね! そのときの死者が確かちょうど50人」
「そして、死体の名字に入っている数字を上から順番に並べてみた。『14235』。五は名字の五木のときなど『いつ』と読むよな? それでこう読んでみた。『一緒に散逸』」
「『一緒に散逸』? 確かにそうとも読めますが、何と一緒に何が散逸したっていうんです?」
「もし急に、親が亡くなったら、子供たちが散り散りに引き取られるってこともあるよな?」
「あの事故で両親を亡くして、そうなった子供たちがいるって言うんですか?」
「あの別荘の持ち主の名前はな、『本間太郎』だ」
古論はもう一度似顔絵を見た。
「『ほんまか太郎』!」
「そう」
刑事長は吉本新喜劇の「ほんわかぱっぱ」のメロディーで歌い出した。
「♪ほんまか、ほんまか、ほんまか、ほんまか、ほんまか太郎」
「あの目立ちたがりの中学生!」
「その後、見ねえと思ったら、そういう事情で遠くの親戚に引き取られていた。兄弟散り散りにな」
「でも、だからって、今回の事件に関われるわけが……」
「本間太郎は、あの会社の会長だ」
ここは、件の会社の所轄署である平松署の会議室。
この場を借りて、改めて各々からの報告を聞き終わったところであった。事件が解決に向かっているというのに空気が重い。
「じゃあ、後は密室の謎が解ければ、ほぼほぼストーリーは出来上がりってことか?」
「それなんですけど、たぶん解けました」
鬼津が手を上げる。
「刑事長、あの別荘の簡易水洗の便器をどかしてみましたか?」
「いや、動かしてみても居ない……あっ!」
「そう、普通、簡易水洗の便器をどければ、普通の便器がありますが、もし、それがなくて簡易水洗の便器と同じくらいの大きな穴だったら?」
「外の方は?」
「まぁ、普通、金属製の蓋を開けて、バキュームカーで中の汚物を吸い出すわけですが、蓋の周りは四角くコンクリートをうってありますよね? その四角いコンクリートも蓋のように抜けるとしたら?」
「そして、中はトンネルになってるって訳か? 今すぐ、巡査か誰かに行ってもらって、確かめてもらおう!」
歌踊署(かようしょ)から、連絡があるまで、皆落ち着きなくダンスの基本ステップなど踏んでいた。
刑事長のスマホが鳴った。急いで刑事長が出た。
「もしもし、刑事長のスマホでよろしいでしょうか?」
「ああ、徳さんか。で、どうだった?」
「ええ、鬼津刑事の推理通り、簡易水洗の便器をどけると大きな穴でした。外の方も、コンクリートごと抜けるようになっていて、重いけど1人でも動かせる重さでした。そして、中は人がくぐれるくらいのトンネルになっていました」
「ありがとう、徳さん。本当に助かった」
刑事長は皆の方を向いた。
「スピーカーモードで会話していたけど聞こえたか?」
「ばっちりです」
鬼津が嬉しそうに答えた。
「でも、私たちってナメられてるんでしょうか?」
そう言った川村婦警に視線が集まる。
「だって、そんな大がかりな仕掛けを放っておくなんて」
「いや、そうとも限らない」
黒部が言った。
「下手に戻そうとすれば、その現場を押さえられるリスクがある。そのリスクと我々が気付かない可能性を天秤にかけたとすれば、悪い賭けじゃない」
「となると、いよいよ残されたのは、本間太郎の動機だけだな」
刑事長が苦しそうに言った。
「そうですね。さっぱり分からない」
古論も苦しそうだ。
「しょうもない動機って可能性はないんですか? 中坊の頃から目立ちたがり屋だったんでしょう?」
段菜が言った。
「いや」
「それはないな」
刑事長と古論が目を合わせながら言った。
「とにかく今日の潜入捜査、ご苦労さん! 明日は歌踊署に戻って、本間太郎に関して調べまくるぞ!」
「はい、分かりました! それは、ともかく、みんな慣れない仕事で気疲れしたし、刑事長と古論さんが重くて、俺たち歌いも踊りもしてないから、カラオケ行きましょう!」
「はぁ? ちょっと待て! お前ら!」
「大丈夫! 割り勘ですから!」
「レッツゴー!」
明日の悲劇を誰も知らない。
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