第3話

覚えてるのはピリピリしてる食卓の風景、テレビを見ながらは禁止されていたから静かな食卓。母はパートで疲れていていつも買ってきたお弁当。

会話なんて全然思い出せない。

嫌な記憶。でもそれが私の普通。


母はパートで働き詰めで台所が洗い物の山になってた。時々あまりにも酷い状態で私が片付けたりしたこともあったけど、基本的に兄たちも私も母を手伝わなかったし、思いやりをもつこともなかった。

家族の誰もが自分のことだけ。自分さえ良ければいい。

思いやり、助け合い、そんな言葉がまったく感じられない家庭。


事業が失敗したあたりから本格的に父と母は冷戦状態になっていた。

寝室は別だし、会話もほぼない状態。

今思えばそんな殺伐とした関係みせられるより離婚した方が良かったのに。と思うが子供のために離婚しなかったらしい。

父と母は私が中2のとき離婚し、父が家を出て行った。

私は父が出て行くとき手紙を書いたが渡せなかった。1人泣いたのを覚えてる。


父とはその後私が高2のときにまた暮らすことになるが、これが惨憺たるものだった。

母が故郷に帰ることになり私は慣れ親しんだ環境から離れるのが嫌で父と暮らすことを選んだのだ。


父との暮らしは出だしから散々だった。門限をすぎたからと怒鳴られ外に追い出された。それはまだいいが、なにかにつけ支配的で威圧的。

子供を自分の言うことを聞く道具か何かだと思ってるのだろうか。

父からも暴力をうけた。

はじめての暴力は小学生のとき、口答えしたら麦茶つくるプラスチックのボトルをなげつけられました。

二回目はまた口答えしたら庭に引きずり出され体をたおされ、腹を何度も足蹴り、そして暴言。屈辱感、恐怖感、悲しみ、怒り、助けはなかった。

三回目はまた口答えしたら目つきが変わったのでトイレに逃げ込んだら、扉が壊れるような感じで叩かれ、開けないと殺すって言われ開けたらシャツのボタンが弾けるぐらい胸グラ掴まれて今度やったら殺すからなって脅迫された。すごい怖くてこのままじゃ殺されるって思い、夜中包丁もって部屋の前までいったけど恐くて思いとどまった悲しい過去。

四回目は私が遅刻が多くて父親が呼び出された次の朝、いきなり寝てる私の髪の毛掴んで階段引きずり下ろされたこと。

凄く辛い思い出です。


その後私は単位が足りなくなり母のいるところに行くことになり、父とは離れました。

引越し準備のため久しぶりに元いた家に戻ったらゴミ屋敷になってて、それみたとき父も孤独で病んでいたんだなと思いました。




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