第1部 第5話

 そして翌日。土曜日。




「よう、遅かったな」




 あの廃墟の前で私と葉山君は待ち合わせていた。


 まるでデート……と思ってしまうほど頭の中お花畑ではないです。葉山君はこの陽気にも関わらず、何やら迷彩服の上に重厚なベストのようなものを着こんでいた。なんかポケットがたくさん付いてて色んなものが入ってそう……防弾チョッキ? まるで、軍人さんのような格好。翻って私はただのジャージの上下……動きやすい格好で来い、なんて急に言われても、これ以外になかったんです。


 葉山君の顔を見ると、顔に絆創膏を貼ってはいるものの、青あざは消えている。よかった。それほどひどい怪我じゃなかったんだ。




「じゃあ行くか。覚悟はできてるか?」


「はい……死んだって構いません」




 遺書も書いてきた。これは本当。




「そうじゃない」


「えっ?」


「俺を殺す覚悟だよ」


「…………」




 そっか、それは考えていなかった。私の決断のせいで、葉山君が死ぬ……死ぬか、死ぬよりひどい目に遭う。これからはそういうことも起こりかねないのだ。




「……覚悟しておきます」


「いいぞ、無自覚にひどいことをしてるよりそっちの方がずっと立派だぜ」




 それでも私はこうちゃんを救いたかった。元はと言えば、私がこうちゃんをここに連れてきたのが全ての発端なのだ。そのことに蓋をしたままこの先の人生で美味しくご飯が食べられるほど、私は無責任ではなかった。


 こうちゃんを救うためなら葉山君を犠牲にしてもいい? そういうことが起こってしまう覚悟は必要だけど、そんなことが起こっていい訳はない。私の命ならいくらでも捧げる。だけど二人には生きていて欲しい。




「ひょっとしたらお前、自分は死んでもいい、なんて思ってるかもしれないけどな、そんなの分からねえぞ」


「え?」




 葉山君はまた私の心を読んだかのように言う。


 この人にはどうしてかいつも見透かされてしまう。




「安全な場所での『死ぬ覚悟』なんて、実際に死にそうになったら吹っ飛んじまうからな」




 葉山君にそう言われて思い出した。


 私は、最初にあれと出会って目の前でこうちゃんが捕まったとき……まず最初に逃げたいと思ったことを。すんでのところで思いとどまったけれど、本当にそういう状況になったときに、私はこうちゃんのために……葉山君のために命を投げ出すことが出来るだろうか。




「まぁ……ちゃんと殺してくれるなら、そいつは比較的優しいアドミだけどな」




 葉山君は冗談っぽくそんなことを言う。


 この廃墟の二階に居るアドミは『ちゃんと殺してくれる』アドミに含まれるのだろうか……。いつまでも、いつまでも、生かされたまま身体を少しずつぽりぽりと齧られ続ける。私にはそれは地獄以外の何物でもないのだけれど。葉山君はもっと過酷な状況を知っているのだろうか。




「さて、じゃあ、行くか」




 そう言って葉山君は廃墟の扉を開けて中に入る。私も続いて中に入ると、葉山君の後ろを付いていきそのまま二階に上がる。それと同時に、アドミがこうちゃんを齧っている音が段々と大きくなって聞こえてくる。




ぱきぽりぽりぽりぱきぽりぽりぱきぽりぽりぱきぽりぽりぽりぽりぱきぽりぽり




「なんか、前より早くなってませんか…?」




 前はもっとスローに齧っている音が聞こえてきた。だけど今はもう、絶え間なくおぞましい音……アドミがこうちゃんを齧る音が聞こえてくる。


 思わず耳を塞ぎたくなる音だったけれど、私は会話をすることでその音からくる不快感を遠ざけた。




「ああ、ちょっとずつ食べる速度が速くなってる。最初のペースなら一人食い終わるまでに十年はかかりそうだったが、そんなことはなさそうだな」




 それでもまだ左手を齧ってる最中だったけどな、と葉山君は付け加える。早く食べ終えられることは幸せなことなのだろうか、それとも不幸なことなのだろうか。分からないけれど、早く助けないといけないことに変わりはない。


 二階の部屋にたどり着くと、そこにはあの禍々しい物体が相も変わらず部屋の中央に鎮座していた。そして、その物体に捕えられているこうちゃん。




「う……あ、うう……」




 こうちゃんの痛々しいうめき声が聞こえてくる。こうちゃんに意識があるのかないのかは分からないけれど、まだ生きていることは分かって少しほっとする。


 葉山君は躊躇なく部屋の中に一歩を踏み出すと、懐からおもむろに銃を取り出してアドミに向け、間髪入れずに引き金を引いて三発の銃弾をアドミに打ち込む、タァン、タァン、タァンと、思っていたよりもシャープな音がしてアドミの身体(?)に穴が開く。


 え、ちょっと、ちょっと待って。私今、冷静に解説してたけど、今のって銃? あのアメリカの映画とかでよく出てくる銃? 日本では使うどころか持ってるだけでも犯罪になっちゃうあの銃?




「やっぱり効果ねえか」




 硝煙の匂い(初めて嗅ぎました)が漂うなか、葉山君は呟く。


 目の前のアドミに空いた三つの風穴は、どういう原理かあっという間にふさがってしまった。コピーを作ったりしてる時点で分かっていたけれど、このアドミには質量保存の法則なんてものは関係ないらしい。アドミは風穴を空けられても何事もなかったかのようにこうちゃんのことを齧り続けている。




「えっと……」




 いきなりモストデンジャラスな重火器を使い始めた葉山君にどんな言葉を掛ければいいのか迷っていると、何事もなかったかのように葉山君は銃をしまって話を続ける。




「それじゃあ予定通り燃やすしかねえな」




 葉山君はそう言って部屋の隅に置かれていた二リットルのペットボトルを持ってくる。中には透明な液体が入っているけれど、これは多分石油だろう。この一週間で用意しておいたということか。




「説明した通り、触手を全部ぶった切ってからあいつを燃やす。俺かお前か、狙われなかった方がやるんだ。ぶった切るのはもちろん俺がやる」




 葉山君はそう言って私にチャッカマンを渡すと、まるで鉈のように大きくて刀身が途中でくの字に曲がっている物々しいナイフをベストから取り出して言う。




「あー、それと、一つ言ってなかったことがあるんだが……」




 葉山君はペットボトルの蓋を開けながら、言いにくそうに続ける。




「どうやら捕まってるあいつには、意識がある。話しかければ答えも返す」


「えっ⁉ こうちゃんは今も苦しんでるんですか⁉」


「いや、なんというか……苦しんではない。むしろ……」


「っ!」




 葉山君が何かを言い終える前に私は駆け出していた。




「こうちゃん! 今助けてあげるから! もうちょっとだよ!」




 こうちゃんの横で私が叫び声をあげると、こうちゃんはゆっくりとさび付いたロボットのようにこちらを振り向いて呟いた。




「汐……音ちャ、ん……?」


「そうだよ、汐音だよ! こんなに時間かかってごめん! すぐ助けてあげるから!」




 言い終えたそのとき、こうちゃんの表情を見て私はぎょっとした。




「いイ……助ケてくれなく、テ、イいよ……」




 こうちゃんの顔には苦悶の色などなく……むしろ、恍惚の表情を浮かべていた。




「っ、こうちゃん……?」


「気持チ、いいん、だ……こコ、ずっと、いタい……」




ぱきぽりぽりぽりぱきぽりぽりぱきぽりぽりぱきぽりぽりぽりぽりぱきぽりぽり




 相変わらずこうちゃんの左手は齧られ続けている。その音が間近で聞こえている。それにも関わらずこうちゃんは痛がるどころか気持ちいいと言っている。


 このアドミがこうちゃんの脳内に何かそういう……麻薬のような物質を送り込んでいるのだろうか。




「な、なに言ってるの、こうちゃん……ダメだよ。おうちに帰らなきゃ……」


「だッ、テ、帰っタって、いいコ、となンて、なイから……」




 こうちゃんは恍惚とした表情のままそんな悲しいことを言う。


 私はこうちゃんのその言葉に何も言えなくなってしまう。『良いことなんてない』には、私とこうちゃんとの関係も多分含まれているのだから。




「っ……! そんな、そんなこと言わないでよ……」


「ぼク、ずっトこ、のまマで、いイ、よ……そっチは、辛いこ、とシか、ナいか、ラ……」




 こうちゃんは恍惚の表情を浮かべながら私の顔を見ないで言う。……私と視線が合っているのに、私のことを見ていないように見えた。




「だってこうちゃん、このままじゃ死んじゃうんだよ? 自分が食べられてるの分かってるでしょ……?」


「いいネ…こン、なニ、幸せナま、マ、死ねるナ、らいイね……」




 こうちゃんはそんな悲しいことを言う。お前があいつを呪ってるんだ、という葉山君の言葉を思い出す。こうちゃんのことをここまで追い詰めてしまったのはひょっとしたら私なのかもしれない……けれど。




「やめて。お願いだからやめてよこうちゃん! 私はこうちゃんに死んでほしくないの! だってこうちゃんは私の命の恩人だから! 私だってあの頃、死にたいと思ってたよ? でもこうちゃんのおかげで私は今、生きていられるの! 今の私はこうちゃんが作ってくれたの! だから私、こうちゃんの力になりたい! 私やっぱり、こうちゃんのことを男の人としては見れないし、やり方はひょっとしたら間違っていたのかもしれないけど……でも、それでもこうちゃんに生きてて欲しいし、幸せになって欲しいの! だってこうちゃんは私の大事な友達だから! 絶対に、絶対に私は助け」




 ぶちぶちぶちぶちっ!




 と、私がこうちゃんと話してるときに。


葉山君がいつの間にかこうちゃんの左手を引き抜いて、手にしていた大仰なナイフでこうちゃんを絡め取っていた触手を一気に切り裂いた。




「な、何するんですかー! 人が大事な話してたのにー!」


「なげーーーーんだよ、馬鹿野郎! 意味ねえ話しやがって!」




 意味ないって! 確かにこうちゃんが何を言っても助けるつもりではありましたけれど!




「ああ、う…」




 うめき声をあげながら触手の支えを失ったこうちゃんが床に倒れこむ。私と葉山君は急いでまだ触手が絡まっているこうちゃんの身体を引きずって、入り口の方に出来るだけ寄せる。そして二人で出来るだけ距離を取ってアドミの様子を窺う。


 私と葉山君に緊張が走る。さあ、これからどうなるのだろう。することはそんなに難しくはない、だけどこんな極限状態で私はまともに動くことが出来るのだろうか。


 命が掛かった場面で動く訓練などしたことはないし、実際に自分がそんな状況に遭ったこともない。この平和な国で普通に生きていれば当然のことだと思う。


 色々な不安が頭を過ぎっているとき、アドミが動きだした。


 アドミのちぎられた触手の先端が一気に伸びて……葉山君の身体に一斉に向かっていく。




「こっちか……!」




 葉山君は身体を横に向けて左半身を前にしてナイフを持っている右腕をかばう。そして、左手や胴体に絡まる触手を次々とナイフで切っていく。




「何してる! 早くやれ!」




 葉山君は自分に巻き付く触手を切りながら叫ぶ。


 切っても切っても、アドミの触手は次々に再生して葉山君を絡めとろうと伸びていく。どうやらこの物体は二人以上の相手を同時に狙うことはないらしい。触手は葉山君だけを狙って私には目もくれない。


 私は緊張しながら走って、先ほどの二リットルのペットボトルを両手で持つ。蓋は既に葉山君が先ほど開けていたのを確認していたので、そのまま走ってその中の液体をアドミの頭頂部から注ぐ。少しだけ粘性のあるサラサラした液体がアドミの全身を覆いつくし、燃やし尽くすのに十分な量の石油を注いだところで、私はポケットの中からチャッカマンを取り出す。




「あ、あれ、点かない!」




 チャッカマンの点火スイッチを押そうとするも、何かが引っかかって着火出来ない! ああもう、どうして⁉




「馬鹿、安全装置だよ……!」




 葉山君の右腕からナイフが落ちる。


見ると葉山君は既に両腕ともアドミに絡めとられていて、なんとか引きずられないように足で踏ん張っているような状態だった。少しずつ、少しずつ、葉山君がアドミの方に引き寄せられていく。


 ……悠長に葉山君を観察している時間はない。安全装置……! 私はチャッカマンなんてあんまり触ったこともなかったので、構造がよく分かってなかった。私の世間知らずさは葉山君の痛い誤算かもしれない。


だけれども、まだ十分間に合っているはず。私はチャッカマンの横のスイッチを横に滑らせると、火が付くことを確認して改めてアドミの身体に火を灯す……!




「やった……!」




 ガソリンに火をつけた時のように、爆発することはない。けれども炎はすごい勢いでアドミの全身を覆っていき、アドミの身体全体が眩いばかりの炎に包まれる。


 燃える。燃える。アドミの身体の表面が赤く染まって、やがては黒い炭へと姿を変える。葉山君を捕えていた触手も、根本が炭になったことで葉山君の身体から剥がれ落ちて、葉山君の身体も自由になる。


 焦げ臭い匂いと煙が立ち込めて、真っ黒な炭と化したアドミは完全に沈黙する。部屋の天井を黒い煙が覆っているけれど、普通に会話する分には問題ないくらいの煙の量だ。




「よ、よかったぁ……」




 不安だったけれども上手くいったことで胸をなでおろす。私は緊張感の糸が切れて、ぺたりと床に座り込んでしまう。




「おい、何してるんだ。早く逃げるぞ」


「ちょっと待ってくださいよぉ……」




 このとき、私は精神的な疲労、というものを初めて体験した。私がやったことなんて大した運動量ではなかった。だけれども、全部終わって緊張の糸が切れたらものすごい疲労感と脱力感に襲われて立つことが出来なくなった。実際にあるんだ、こんなこと……。


 それにしても葉山君は焦りすぎです。少しくらい休ませてくれたっていいじゃない。




「馬鹿、あいつがまた動き出したらどうする気だ」


「もう、あんなに真っ黒な炭になってるのに動くはずないですよ」




 と、私が、まだ燻っている炎と煙を吐き出し続けているあの物体に目をやったとき。真っ黒なその物体から、触手が再生していくのが見えた。




 あっ。




 と、思ったときにはもう遅かった。


 その物体から再び猛烈な勢いで無数の触手が放たれる。


 その触手は、倒れこんでいるこうちゃん目掛けて一直線に向かっていく。




「くっそ……!」




 だけど、触手に絡めとられたのはこうちゃんではなかった。


 葉山君がすんでのところでこうちゃんの前に立ちふさがり、代わりに触手の餌食となったのだ。


 アドミは見る見るうちにその身体を再生させ、黒い体表を元々のピンク色へと変えていく。


 ああ、またやってしまった。


 また、私のせいで葉山君が傷つく。しかも今度は致命的だった。


 今、葉山君はナイフを持っていない。あの触手から逃れる術が全くない。なら、私がやるしかない。私は駆け出して、床に落ちているナイフを拾おうとした、とき。




「やめろ!」




 他でもない、葉山君自身に止められてしまった。私は驚いて葉山君の方を見ると、葉山君はどんどんとその身体を触手に絡めとられながら私に言う。




「そいつのこと連れて、逃げろ……早く」


「ダメです。葉山君を見捨ててなんていけません」




 例えこうちゃんが助かったって、葉山君が囚われてしまったら同じことの繰り返しだ。……多分、今度は救うチャンスだってなくなってしまう。




「そういう話じゃねえ。俺には、もしこうなったときのために用意してたものがある……ただ、お前らが近くに居たら使えねえ……」




 私には、葉山君のその言葉が真実なのか判断できなかった。つまり、本当にそんな奥の手みたいな都合の良いものがあるのか、それとも私を逃がすための優しくて哀しい嘘なのか。もしも後者だとしたら、私はこのことを一生後悔することになる。だから、安易に葉山君の言葉を信じて……自分に都合の良い方を信じて逃げ出すのだけは嫌だった。




「早くしろ!」




 迷っている私に葉山君が怒鳴る。




「……分かりました」




 私は逡巡の後、頷く。


 葉山君は私に対して嘘をついたことは多分一度もないし、約束は必ず守ろうとしてくれている。いつだって葉山君は誠実でいてくれた。だから今回も嘘はついていないと信じる。葉山君のために、私は逃げる。




「一分だけ待つ。一分以内に建物から出て出来るだけ離れろ」


「……生きて帰ってきてくださいね?」


「ああ。殺せるなら殺して欲しいもんだけどな」




 葉山君は相変わらずのシニカル振りを見せて笑うと、私も笑顔で返す。これが最後かもしれないから、笑ってお別れしよう……なんて思ったわけじゃない。いつものように余裕の葉山君が見れて思わず笑ってしまっただけだった。




「こうちゃん⁉ 起きてる⁉」


「ああ……うう……あ……」




 駄目だ。意識が混濁している……まともに歩ける状態じゃない。


 私はこうちゃんの身体をどうにか背中に抱えて歩き始める。重い……。こうちゃんは小柄なので、身長は私とそんなに変わらないはずだけど、男子の身体ってこんなに重いんだ……。


 葉山君は一分以内に外に出ろ、と言っていた。普通に歩いても三十秒あればこの建物から脱出することは十分可能だと思う。だけど、こうちゃんを背負っていたらどうだろうか。しかも階段を降りなければならない。私は自分が運動音痴だということをよく知っている。


 私は片手でこうちゃんの腕を持って身体を支えながら、もう片方の手で手すりを掴んで一歩一歩、階段を下りていく。残り七段、六段、五段……あっ!


 残り五段まで来たところで、階段から足を踏み外してしまう。こうちゃんと一緒に私は一気に階段の下まで転げ落ちる。




「いた……っ」




 太もも、膝、腕、脇腹がずきずきと痛む。だけど、そんなことを気にしている場合じゃない。太ももが痛くて体がよろけるけれど、私はこうちゃんの腕を掴んで、文字通り引きずりながら歩く。考えようによっては、一気に階段の下まで行けてラッキー……と言えなくもない。もうこうちゃんを背中に抱えている余裕もない。両手でこうちゃんの腕を掴んで、歩く。あとちょっと。私は入り口のドアを開けて、廃墟の外に出る。新鮮な空気を懐かしんでいる余裕もない。出来るだけ遠くへ。もう一分は経過していると思うけど、何も起こらない。葉山君が待ってくれているのか、奥の手なんて本当はなかったのかも分からない。


 ……廃墟から二十メートルは離れただろうか。


私が廃墟の方を何気なく振り返ったときにそれは起こった。




 凄まじい爆発音。




 至近距離で花火が爆発したかのような爆発音とともに、ものすごい衝撃波と風圧が廃墟の方から発生して私とこうちゃんは冗談抜きに二メートルくらい吹っ飛ばされて尻もちを着く。


 そして、起き上がって目を開いたとき……周囲はとんでもない量の砂ぼこりに包まれていて、私は思わず目を瞑って咳き込んでしまう。そして、しばらくしてその砂ぼこりが晴れると、そこに廃墟はなかった。


 廃墟が文字通り影も形もなくなっていた。崩落して、瓦礫の山になっていた。


 嘘じゃなかった。葉山君には奥の手があった。私たちが廃墟の中に居たら使えないというのも納得だった。だけどこれは……これはあまりにも……。




「は、葉山君!」




 私は片足を引きずりながら崩落した廃墟に近寄る。まだ爆発物が残っていたら? まだアドミが生きていたら? 地面が崩落したら? 多分、廃墟の中は危険だらけだったと思うけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。


 私は瓦礫の山をどうにか乗り越えながら葉山君とアドミが居た場所に来るけれども、そこには崩れた建物の残骸しかなくて。誰かが生きているなんて到底思えなかった。


 どうして? どうして葉山君はこんなことを。


 こんな自爆みたいなことをしてまでアドミを殺す必要なんてない。自分も死んじゃったらどうしようもないじゃない……。それなら助けを待った方がまだマシだと思う。


 葉山君は、自分が少しずつ齧られていくのが嫌だったのだろうか。それとも、偽物を作られるほうが嫌だったのだろうか。そんなことになるくらいなら死を選ぶ。そんな悲しい選択肢を選んだのだろうか。


 ぼろぼろと、涙が零れる。自分のせいで人が死ぬなんて、私には背負いきれないほどの十字架だった。




「葉山君嫌だよ……どうして死んじゃったの……」


「勝手に……殺すな……」




 瓦礫の下から声がした。




「は、葉山君⁉ 生きてるんですか⁉」


「死体が返事するんなら、死んでるかもな……」




 私は、声がする下の瓦礫を一つ一つ丁寧にどけていく。幸い、私がどけられないほどの大きくて重い破片はなかった。


 瓦礫の下から葉山君の脚が見えてきて。私は続けて瓦礫をどけていく。素手だったので、手の皮が剥けたり尖ったコンクリート片が刺さったりしたけれど、痛みは何故か全然感じなかった。




「あー……いてて」




 葉山君の身体が半分ほど見えたところで、葉山君は自力で瓦礫をどけて、上半身を起こして言う。思っていたより葉山君の顔にも身体にも大きな傷はない。身体中埃で塗れていて、迷彩服はボロボロになっていたりして、ところどころ擦り傷や切り傷も見えるし、多分捻挫とか打撲は身体中にあるかもしれない。だけど、もう一生治らないような不可逆的な傷はないように思える。これって奇跡なんじゃないでしょうか。




「よ……かったぁ……葉山君、よかったぁ……」




 私は思わず葉山君の上半身に抱き着いて大泣きしてしまう。


 あろうことか私は、こうちゃんが助かったことよりも葉山君が生きていたことの方が嬉しくて。そんなこと、認めたくはないけれど……。




「おい、やめろ馬鹿、死なねえって言っただろ? このために耐衝撃ベスト着こんでたんだし……」




 死なないんだよ、俺は。と葉山君は言って私の後頭部を優しく何度もぽんぽんと叩いてくれた。もう、それだったらヘルメットも被ってくれればいいのに……。




「それにしても、あいつは破壊できたみたいだな」




 葉山君は同じく崩落に巻き込まれたアドミが居た場所を眺める。その場所にアドミの姿はなくて、おそらくは瓦礫に押しつぶされてしまったものと思われる。




「意外とあっけなかったな……まぁ、こういうこともあるか」




 葉山君は抱き着いている私のことを無理やり引きはがしながら言う。もうっ、もう少しだけ感動の余韻に浸らせてくれてもいいのに……。




「爆弾なんて用意してたんですね……葉山君の組織は何でもありですね」




 銃も驚いたけれど、まさかこれほどの威力の爆弾まで用意できるなんて、葉山君の組織は一体どういう組織なんだろう。




「いや、爆弾……ダイナマイトは手作り」


「……は?」


「流石に普通のビルに爆発物は保管してねえよ。色々引っかかるだろ。アホか?」


「あ、あほっていうか……ダイナマイトって手作りできるんですか⁉」




 アホはあなたの方です、って言いたくなったけれど、ダイナマイトを手作りできる人はアホではないかもしれない。いや、手作りしちゃう人はやっぱりアホかもしれない。




「ああ、硫酸と硝酸さえ手に入れられれば小学生だって作れる。グリセリンと珪藻土は簡単に手に入るし……」




 葉山君はその後も雷管だとか起爆装置の電子回路がどうとか言ってたけれど、よく私には意味が分からなかった。




「え、ひょっとして硫酸と硝酸って……」


「この前、学校の理科室からかっぱらってきた」


「えええ……」




 この人はだから昨日学校に来てたんですか……。そしてそれから一日でダイナマイトを作っちゃったんですか……。




「まぁ、楽しい科学実験の話はどうでもいいんだが」




 葉山君は未だに倒れているこうちゃんの方を見て言う。




「さて、これからだよな。あいつを助けたはいいけど、このままだとあいつが二人になっちまう」


「えーっと、どうしましょうか……」




 葉山君と私はずっと向こうで気を失って倒れているこうちゃんのことを眺めて言う。助けることばかり考えていたけれど、助けた後のことまで気が回っていなかった。




「まぁ……とりあえず、本物の方のあいつは組織でしばらく預からせてもらう。色々調べなきゃいけないこともあるだろうしな。左手の小指と中指の半分はなくなっちまってたけど、それだけで済んでるなら御の字だ」


「分かりました」




 葉山君の組織……アドミニストレーターズだっけ? が、信用できるのかは怪しかったけれど、そのくらいは仕方のないことだと思う。


 第一、私には二人になってしまったこうちゃんをどうすればいいのか全く思いつかない。




「あと、偽物の方も入念に調べる必要があるだろうな。けど……」


「けど?」


「とりあえず今日は家に帰るか」


「はいっ」




 その後、家に帰った私は、身体中、色んな場所を怪我してしまったことについてお母さんに問い詰められた。階段から落ちた、って説明したけれども信用してもらえなかった。本当のことなのに。


 その日の夜、お風呂は色んなところが染みるし、身体中がずきずきと痛んでいたけれど。


 人生で一番、達成感に包まれて眠れた夜だった。


 そして翌日、葉山君に呼び出されて奢ってもらった百匹屋のクイーンパフェは。世界で一番美味しかった。……実際、値段も目が飛び出るほど高かったですけどね? 奢られる側でよかった。

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