第1部 第6話

 さらに翌日の月曜日。


 私は身体中傷だらけだったので学校を休みたかったけど、そういうわけにもいかなくて。ももちゃんや他のクラスメイトにすごく心配された。私は葉山君ほどボロボロではなかったけれど、葉山君は学校を休んでいた……ずるい。


 そして一応、何事もなく学校が終わって、家に帰って夜。


 久しぶりに戻ってきた日常を謳歌している私に思わぬ来客が来た。




「汐音ー、ちょっとー!」




 私がベッドでスマホを弄りながらゴロゴロしていると、階下から母親に呼ばれた。もうっ、ご飯も食べて汐音タイム(※自由時間の意)の始まりだったのに。




「はーい?」




 私は大声でちょっと不機嫌そうに返事をすると、部屋を出て階段を下りていく。




「お客さんよ、吉田さん」


「あっ……」




 吉田さん。つまり、こうちゃんのお母さん。階段を下りてその姿が見えたところで、思わず顔が引きつってしまった。




「どうも、こんばんはー……」




 前も言ったかもしれないけれど、私はこの人が苦手……。ちょっと引きつった笑顔のまま玄関に歩いていって挨拶をする。


 この人が私に用事ってどんなことだろう。今までにそんなこと、一度でもあったかな……。




「ずいぶん怪我してるわね。大丈夫?」


「あっ、はい、大丈夫です。ちょっと階段から転んで……」




 年頃の女の子が、顔に擦り傷作って絆創膏貼ってたり、膝を盛大に青くしてたりしたらそりゃ突っ込みも入るよね。それと、お母さんにも疑われたけど階段から落ちたって、言い訳のテンプレっぽくてすっごく嘘っぽい。でも嘘はついてません。本当に階段から転んで出来た怪我なんです。




「そうなのよー、この子ったら昔っからドジで、仕方ないわねー」




 お母さんは私のことを結局信じたのかは疑わしいけれど、場を和ませるためにかそんなことを言って笑う。私も便乗して作り笑いをするが、こうちゃんのお母さんは全く笑わなかった。


 こうちゃんのお母さんはいつもヒステリックだけど、今日はさらに余裕がなさそうに見える。




「えと、おばさん、私に何かご用ですか?」




 気まずい雰囲気が漂いそうだったので私は世間話を切り上げて本題に入ることにした。




「ええ、ちょっと聞きたいのだけど、あなた、浩平がどこに居るか知らない?」


「こうちゃんが、どこに居るか……?」




 一瞬混乱する。


 本物のこうちゃんは葉山君が連れて行ってしまったので、葉山君の組織に保護されているはず。でも多分、今おばさんが言っている『浩平』は本物じゃなくて偽物のことを言っているのだと思う。




「ごめんなさい、知らないです。こうちゃん、家に帰ってないんですか?」


「そうなの、昨日の夜から。連絡もなくてね。心配なの」




 こうちゃんが居なくなった。心当たりはなくもない。


 ひょっとしたらあのアドミを殺した……破壊したことと何か関係があるんじゃないだろうか。こういうこと言うのもなんだけど、こうちゃんには私以外の友達なんていないはず。そんなに泊りがけで長時間外出するなんて普通はないと思う……多分。




「ねえ、何か知ってるの? 知ってるなら何でもいいから教えて? ねえ、お願いよ」




 私の考え込む表情を見て何かに感づいたのか、こうちゃんのお母さんが私に突っ込んで質問をかぶせてくる。




「……ごめんなさい」




 でも、本当に知らないものは知らない。本物のこうちゃんがどこに居るのかは知っているけれど、偽物のこうちゃんがどうなったのかは……分からない。見当もつかなかった。




「そう……。あの子、どうしたのかしら。最近はずいぶん明るくなって嬉しかったんだけど。やっぱりまだまだ私が一緒にいてあげなくちゃダメね。あの子はまだ子供だから」


「…………」




 そういうのが良くないんだと思います、とは言えなかった。表情から察するに、私のお母さんも私と同じことを考えていたのかもしれないけれど、何も言えていない。




「ごめんなさいね。何か分かったら教えてちょうだい」


「はい」




 そう言っておばさんはわが家を後にした。




「あんた、こうちゃんと最近遊んでたわよね。何か心当たりないの?」


「分かんない……」




 それだけ言って私は階段を上がって自分の部屋に戻る。


 嫌な予感がする。私はベッドの上のスマホを拾い上げて、葉山君に電話をする。




『もしもし?』




 三コールくらいで葉山君が電話に出る。




「葉山君? 今大丈夫ですか? ちょっと急ぎで伝えたいことが」


『偽物のこうちゃんが消えたことか?』




 私の言葉に被せて葉山君がそんなことを言いだした。




「……っ! 知ってたんですか」


『ああ。知ってた』


「今どこに居るかも知ってるんですか?」


『……知ってると言えば知ってる』


「それって……」


『ただ、今、色々と調べなきゃいけねえことがあって忙しい。明日学校に行って話するわ』




 そう言うと、葉山君は通話を一方的に切った。


 ああもう、聞きたいことはまだあったのに……。


 私は言いようのない不安を胸に、また今日の夜を過ごさなければならなくなったようだった。








 そして翌日の学校。


 葉山君は朝から学校に来ていなかった。もー! 私が! どれだけ! あなたと! お話したいと! 思ってるのかも! 知らないで!


 私がLINEで葉山君に激おこ(死語)のメッセを送ると、葉山君からは一時間後に「寝てた」という返信が来た。本当に怒っていいですか?


 そうして午前中は葉山君の姿は影も形もなくて。




「よう」




 ……昼休みも半ばになってようやく葉山君が登校してきて。私の気も知らずのんきに声を掛けてくると、私はつい葉山君に怒鳴ってしまった。




「おーそーいーでーすー!」


「何怒ってんだよ」


「はあ? 私がどれだけあなたを待ってたと思ってるんですか!」


「知らん」


「知らんて!」




 知ってください! ていうかLINE送ったでしょ⁉




「仲いいな、お前ら! いつの間にそんな仲良くなったんだ?」




 鹿井君に微笑ましそうな目で見られる。


 いえ、そういうんじゃないんだけど……でも、否定すると余計になんか、こう……仲良い感じになりそうだったので、私はぐっと我慢する。ほら、あの「べっ、別に仲良くなんかないわよ! こんなバカと!」みたいな感じは勘弁してほしいです。




「なんか四条、ぐぬぬ……って感じの顔になってんぞ?」




 誰のせいですか。








「こうちゃんの話をする前に、話さなきゃいけないことがある」




 放課後。私たちは最上階……屋上に続く踊り場で話をしていた。


 私はすぐにでも葉山君から話を聞きたかったのだけれど、葉山君が「時間がかかるから」ということで放課後まで待たされた。




「色々とまずいことになった。まず……俺たちは大きな勘違いしてた」


「勘違いって、何がですか?」


「これを見てくれ」




 そう言って葉山君はポケットから一枚の写真を取り出して私に手渡した。




「これって、あの廃墟ですか?」




 その写真には、例のあの廃墟が写っていた。……ただし、二階建てではなくて三階建てになっている。それに、心なしか壁面が新しくなっているような……。




「おととい撮った写真だ」


「……え?」




 え? だって、あの廃墟は三日前に葉山君が崩壊させたはずなのに。三日前に、です。




「俺があの廃墟をぶっ壊してから、組織であの廃墟をドローンでずっと見張ってるんだが、いきなり大きくなって直ったらしい」




 ……葉山君が何を言っているのか分からなかった。理解不能の現象が起きている。直った? 建物が? 自動的に?




「思えば、最初からおかしかったんだよな、あの建物。ガスはともかくとして、電気メーターも水道メーターもなかったし、電線もなければ電球が付いてた跡すらなかった」


「あ……」




 そういえば、トイレもなければ水場もなくて、私もおかしいとは思っていたのを思い出す。




「えっと、それってつまり……」


「あのピンク色のローパーがアドミだったんじゃない」




 葉山君は一呼吸置いて。






「この廃墟それ自体がアドミだったんだ」




 そんなことを呟いた。




「……そんなこと、あり得るんですか?」




 建物全体がアドミ……? ちょっとピンとこない話だった。




「あり得る話だ。今までには部屋型のアドミだっていた。……それで、まだ調査中だけど、こいつはぶっ壊すと大きくなって頑丈になるらしい」




 葉山君がこの建物を壊したせいで、二階建てから三階建てになって、強度も上がってしまった、ということになるのだろうか。


 壊せば壊すほどに大きくなって頑丈になる……そんなの、どうすればいいのだろう。




「……それは分かりましたけど、偽物のこうちゃんはどうなったんですか?」




 廃墟の話は驚いたけれど、その話と偽物のこうちゃんの話は繋がらない気がした。




「おとといの昼……この写真を撮ったとき、この廃墟の中は空っぽだった。誰も居なかったし、何もなかった。だけど夕方に、二人の人間が吸い寄せられるようにこの廃墟にやってきた。一人は、お前もよく知ってるこうちゃんの偽物だ。もう一人は誰だか分からんけど若い女だった。それぞれ別々にやってきた」


「まさか……偽物のこうちゃんは、あのローパーに捕まったんですか⁉」




 どうしよう。どうすればいいんだろう。助けるべきなのか、放置しておくべきなのか。また、こうちゃんの偽物の偽物が作られてしまったら――。




「違う。廃墟は空っぽだったって言っただろ」




 早合点をした私にたいして葉山君がぴしゃりという。




「正確に言うと、この二人が入るまで廃墟は空っぽだった……入ってからもう一度調査したら、あのピンク色のローパーがいた。二階と三階に一匹ずつ、だ」


「…………!」




 それってつまり、つまり……!




「常識的に考えると、その二人がローパーに変化した、と考えるべきだろうな」




 常識的……一体何が常識なのかよく分からなくなってきたけれど、こうちゃんの偽物があの化物に変化した、ということはつまり。




「あの化物が作り出す偽物は、自分のスペア、ってことですか?」


「多分、そういうことなんだろうな。あのローパーが破壊されるか建物が大きくなったとき、呼び寄せられて新たなローパーになる。そういう仕組みなんじゃねえの」


「そんなの……どうやって対処するんですか……」




 もうどうしようもない。あの建物は壊せないし、中のピンクのあれを壊しても壊してもスペアの人間が代わりにあれになってしまう。スペアが居なくなるまであのピンク色のあれを破壊し続ければいいのだろうか。そもそもスペアの偽人間は、一体あと何人いるんだろう……。




「何か勘違いしてるな」


「え?」


「俺たちは、アドミを破壊するための組織じゃない。アドミを管理するための組織だ。だから対処なんてする必要はそもそもねえ」


「でも、放っておいたらどんどん人が食べられて偽物に……」




 しかも、これからは今までの二倍のペースで、です。




「そうだな、あの廃墟は人が絶対に入れないように封鎖、封印することになる。ていうか今もそうしてる。それからじっくり、あのアドミの生態について調査するんじゃねえの。それで終わり」




 まぁ、それは俺の仕事じゃないけどな、と葉山君は付け加える。


 そういえば、元からそういう話だった。私は勘違いしていたけど、最初にあの廃墟に行ったときも葉山君はそんなことを言っていた。


 でも、何かもやもやする。あんなものが私の住んでいる身近にあって、それを放っておくなんて。




「アドミなんてそんなもんだ。今までどうにか出来た例なんてほとんどない」


「…………」




 私たちの想像を超えていて、物理法則を無視した理解不能の超越存在。葉山君はアドミに対してそう言っていた。


 そもそも、そんなものをどうにかしようだなんてことが傲慢なのかもしれない。




「あとそれとな、お前の友達の本物のこうちゃんな。昨日、目を覚ました」


「え⁉ こうちゃんが⁉」




 本物のこうちゃんについては、生きてはいるけれどもずっと意識が混濁していてまともにコミュニケーションが取れない状態だと葉山君から聞いていたけれど。




「ああ。刺さってた触手も簡単な外科手術で排除出来たし、意識もはっきりしてる。あんまりアドミに喰われてたときのことは覚えてねえけど……まぁ、心の傷が残るよりいいんじゃねえの」


「よかったぁ……」




 私は思わず涙ぐんでしまう。葉山君もこうちゃんも無事。今思えば考えなしにずいぶんと危ない橋を渡った気がするけれど、これ以上ない結果に終わって本当によかった。




「左手の小指と中指はないままだけど、日常生活に支障はない。俺もちょっと話したけど、ネガティブオーラ半端ねえな、あいつ」


「うーん、そうなんですよ……」




 人の性格はそんなに簡単に変わるものじゃない。だけど、作り物の明るさよりは本物の暗さの方がまだマシだと思う。




「あいつの実家への連絡とか誤魔化しは組織に任せておけ。お前も、病院教えるから見舞いに行ってやれよ」


「はい」




 葉山君はそう言って私にこうちゃんの入院先の病院名と部屋番号を教えてくれた。


 こうちゃんに会ったら何を話そう。


 葉山君に言われたことを思い出す。私のせいでこうちゃんは前に進めないのだ、と。その言葉に完全に納得したわけじゃないけれど、きっと、葉山君の言葉には正しい部分もある。私はこうちゃんを突き放さなければならない。




「お前、ひょっとしたら俺に、あいつとはもう会わない方がいい、って言われたと思ってるかもしれないけど、そうじゃねえからな」


「え?」


「いるよな、極端なことしかしないやつって。俺が言いたかったのは、適切な距離感を見つけろってこと。程度の問題だよ。全ての毒は薬になるし、全ての薬は毒にもなる」


「……はい」




 そっか。私はゼロか百かでしか考えていなかった。でも、選択肢はそれだけじゃないんだ。塩は取りすぎるのは毒だけど、身体になくてはならないものだ。多分、何でもそうなんだろう。水だって飲みすぎれば致死量を超える。ただ量……程度の問題なのだ。




「それと、あいつは組織にスカウトされると思う」


「え、葉山君の組織に?」


「ああ、正気を保ってて五体満足な一次接触者は貴重だからな」


「恐ろしいことを言いますね……」




 葉山君の組織に。うーん、あんまり喜べない。




「反対か?」


「だって、葉山君の組織は人を平気で殴る上司とかいるし……」




 ブラック企業。しかも多分、ろ、労働基準局?とか動いてくれなさそう。


 私の言葉を聞いて葉山君は苦笑する。




「あれは俺だけだから大丈夫だ」


「そんなに嫌われてるんですか」


「そういうわけじゃねえけど……」




 葉山君は言いにくそうにそんなことを呟く。




「それに、死ぬことだってある危険な仕事ですし」


「その分給料はいいぞ」


「銃とか使う職場ですし」


「慣れると結構面白い」


「多分決断力とか自信とか全然ないですよ」


「成長を期待する」


「全っ然想像できないです。こうちゃんが葉山君みたいに格好良く仕事してる姿」


「お前、俺のことそういう風に思ってたのか」


「あっ、えっと……」




 つい、私は流れでそんなことを。勢いで変なことを言ってしまったのが恥ずかしくて、私は顔を赤くして俯く。




「……まぁ、今日でお前とはお別れなんだけどな」


「え?」




 私はうつむいていた顔を上げて葉山君の顔を見る。




「もうアドミは見つけたから、ここに用はない」


「そう、ですか」




 そっか。葉山君はあくまでアドミを探すために仕事でここに来たんだ。


 いわば、出張?みたいなものだと思う。だから仕事が終われば元の場所に帰っていくのは当たり前のこと。


 理屈は分かるけれど、やっぱり寂しくもある。色々厳しいことも言われたけど、葉山君とは仲良くなれたと思うから。前にも言ったけれど、こんなに自分の本心を簡単にさらけ出せた相手は今までに居なかった。




「なんだよ、俺に惚れてたのか?」


「惚れてませんー」




 くすっ、と笑って私はそう言う。惚れてはいないと思う……まだ、多分。




「はは、じゃあな、四条」


「あっ」


「どうした?」


「名前、呼んでくれなかったから覚えられてないのかと思ってました」


「馬鹿、一応覚えてたよ」




 そう言って葉山君は私に背を向ける。




「また会えますか?」




 私は葉山君の背中に話しかける。




「さあ。ただ、会えない方がお前にとっては幸せなんじゃねえの」


「ふふ、そうかもしれませんね」




 葉山君に会うということは、またアドミに関わってしまうということ。確かにあんなに怖い目に遭うのはもう勘弁して、って感じだけれど。


 それでも。また会えたらな、って思います。




「じゃあな。こうちゃんとは上手くやれよ」


「ふふ、どうでしょうね。さようなら」




 葉山君は私に背を向けたまま手を振って階段を下りていく。その背中を見ながら想いを馳せる。


 ああ、葉山君と出会ってからのこの十日間は、随分と濃い十日間だったな。


 悩んで、傷つけられて、泣いて、笑って、死にそうになって、人生で一番濃くて充実していた十日間だったかもしれない。


自分の理解を超えた存在がいることを知って。それを制御しようとしている人たちがいることも知った。


 さようなら、葉山君。光陰は流れても、私はあなたのことをきっと一生忘れません。

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