第1部 第3話
そして話はようやく九月一日に戻ります。
私の教室の隣の席に、転校生がやってきました。普通、転校生と言えば周りに生徒が集まって質問責めにあってたりするものだけど……昼休みになっても、この人は自己紹介でやらかしたせいか、周りには誰もいない。転校生の……葉山君、だっけ? 彼は一人で自席でふんぞり返って漫画雑誌を読んでいた。あ、今日発売の週刊誌だ。
……今の私は色んな複雑な理由から、隣の席に来たこの転校生に構っている場合ではない、のだけれど。
『俺は、不思議なものを探してます。みんなの周りで何か不思議なことやおかしなものがあったら、どんな些細なことでもいいからすぐに俺に知らせて欲しい。よろしくお願いします』
……さっきこの人が言っていたその言葉が胸に引っかかっていた。夏休みの終わりから、私の身に起こり続けている不思議なことやおかしなこと。そして、夏休み明けにやってきたそういうものを探している転校生。これは偶然?
「えっと、葉山君? さっき言ってた……」
不思議なことやおかしなことってどういう意味? と、具体的に聞こうとしたとき。
「葉山―っ! お前、変な奴だなぁ!」
……空気の読めないテンション高い系男子が葉山君に突っ込んでいった。
「そりゃあ、あんな自己紹介したらそう思われるだろうよ」
葉山君は漫画雑誌を読んだまま視線を合わせずに絡んできた男子に答えた。あ、自覚してたんだね、葉山君。
「はは! お前ってオカルトマニアか何かなの?」
「全然違う」
「あ、違うのか?」
え、違うのか。
声には出さないけど横から心の中で突っ込みを入れて鹿井君とハモった。
「じゃあなんであんな自己紹介したんだよ?」
「………」
葉山君は漫画雑誌から目を離して首をひねると、少しだけ考える風な仕草を見せた後に。
「仕事だよ、仕事」
「は? 仕事? アルバイトか?」
「俺は不思議なものを探して集めてる組織に入っててさ、この高校に来たのは組織からの命令だよ。俺もサラリーマンだから上からの命令には逆らえねえんだ。本当はそんなもんに関わりたくもないんだけど」
「…………」
葉山君が真顔で面倒くさそうにそんなことを言うと、テンション高い系男子……ああもう、名前は鹿井かのい君だけど、鹿井君も真顔になる。ついでに横で聞いていた私も真顔になる。
「うはははは! お前、本当に面白いなあ!」
真顔になったのも束の間、鹿井君は葉山君の肩をばんばんと叩いて笑い始めた。え、これ面白い? 葉山君完全に中二病入ってない? 私は完全に引いた……もう十七歳にもなってこの発言は流石にちょっと……。
「だろ? こんなことのために転校とか最高に笑えるわ」
「あはは! ウケるわ! メシ食いに行こうぜ! 色々案内してやるよ!」
「しょうがねえな」
ご飯に誘われた葉山君はしぶしぶといった様子で立ち上がり、鹿井君と並んで教室の外へと歩いていく。
鹿井君は何故か葉山君のことを気に入ってしまったようで、横を歩いている葉山君と楽しそうに話しながら肩を組んで教室の外に行ってしまった。コミュ力高いなあ。……何はともあれ、転校生の葉山君が孤立しなかったことは良かったことだけど、今はそれどころではなくて。
「はぁ……」
分かったことが二つ、あります。
一つ、鹿井君は私が思ってたより器が大きそうだということ。
二つ、葉山君はただの中二病男子で、彼に相談するのは駄目そうだ、ということ。
……やっぱり、昨日の夜から考えていたけれど、まずは警察に相談するべきだ。私はそう決意した。
そして放課後。
「汐音―、やっと終わったねっ。帰ろ?」
「うん、帰ろっか」
私はいつものように友達のももちゃんに誘われて、一緒に下校することに。鞄に必要なものを手早く詰めると、そのまま一緒に教室の外へ。
ちなみにももちゃんはあだ名で、本名は沢口ももも。もももです。間違ってないよ。
「なんか変な人だったねえ、転校生君。顔は結構好みなんだけどなぁ」
「確かに顔は結構格好良いかもね」
うん、顔は整ってるし、雰囲気は大人びている。あれなら普通にしてさえいれば、それなりにモテてもおかしくない。
「知ってる? 葉山君さぁ、昼休みに一年生と三年生の教室でも同じこと言ったらしいよっ」
「え? 同じこと?」
「だからあの、不思議なものを探してる~って下りだよ」
「あー……」
なんていうか、本当に痛い人だぁ。その瞬間、一年生と三年生の教室が凍り付くのが想像できてしまって私まで恥ずかしくなってくる。昼休みって、鹿井君は止めなかったのかな。
「いやー、本当に面白い人が来たねっ。二学期は楽しそうだよ」
「見てる分にはね……」
隣の席の私は果たして見てるだけで済むのだろうか。巻き込まれなきゃいいけど。
二人でお話をしながら廊下を歩き、下駄箱で靴を履き替えて校庭に出る。
「ねっ、今日は帰りにミソド寄ってかない? 今百円セール中だよっ!」
「あー、ごめん、今日はちょっと大事な用事があって。また今度付き合うよ」
「えっ、なになにっ、男の子関係?」
ももちゃんは冗談っぽくそんなことを言い始める。
「違うよ、違う……違う?」
違うのだろうか。こうちゃんが関わってるから男性関係といえば男性関係な気もする……いや、恋愛関係じゃないからやっぱり違うと思うけど、一瞬口ごもってしまう。
「あーあー、朝から悩んでるって思ってたけどやっぱり男関係なんだねっ! もう、汐音ちゃんも夏休みに一皮むけちゃった感じかなっ?」
「いやいや、そういう良いものじゃないんだよ、本当に……」
あはは、と、力なく私が笑うと、ももちゃんは何かを察したようで、茶化すのをやめてくれた。
「そっかー、まぁ、色々ありそうだからね、汐音ちゃんも」
「うん、色々あるんだよ……」
色々、というか一つ大変なことがあるんだけど、詳しく説明することは出来ない。それじゃあ私は一人で行くことにするよ、と私とももちゃんは校門で別れて一人行動になる。
……さて、警察に行くと言ってもどこに行こうか。警察署……がいいのかもしれないけど、ちょっと遠いのでとりあえずは家の近くの交番に行こうかな。
私は自宅に向かうバスにいつものように乗りこむとこれからのことを考える。
うーん、なんて警察に説明するのがいいのかな。いきなり「廃墟に謎の物体がいて友達が捕まってるんです!」って言っても相手にされないような気がする。
うーん……ああもう、当たって砕けろだよ。なるようになる。引っ張ってでもあの廃墟に警察の人を連れて行こう。
私はバスから降りると、バス停近くにある交番に入る。
「あの、すいません、ちょっとお話したいことがあるんですけど」
交番の中では若い警察官が一人で机に座ってパソコンと向かいあっていた。私が交番の中に入ってカウンター越しに声を掛けると、その人が小走りに近寄ってきた。
「はいはい、どうしたの?」
その人は感じ良く、朗らかな声でにこりと微笑みながら私に応対してくれた。良かった、警察官って結構怖い人多いイメージあったけど、この人は話しやすそう。
「はい、あの……」
言葉に詰まってしまう。
あれ、だから、話さなくちゃ。あのことを。あのこと……えっと。あれ? おかしい。なんだっけ、ほら。言わなくちゃ。
「ん? どうしたのかな?」
警察官さんは、口ごもっている私を安心させるように、にこやかに私に言う。この人はきっといい人なんだろう。
「えっと……あれ?」
なんだろう、この感じ。何か調べ物をしたくて検索サイトを開いたものの、何を検索するのか忘れてしまって指が動かなくなってしまう感じに似てる。
私は、何のために、交番に来たんだっけ。思い出せそうで思い出せない。
「何か言いにくいこと? 女の人に変わろうか?」
「違うんです! そういうんじゃなくて……」
違う。そういう案件じゃないんだけど。あれ、本当に思い出せない。交番に入る前までは覚えてた気がするのに。もどかしい。背中がぞわぞわする。
「あ、えっと……その、ご、ごめんなさい!」
私は目の前の警察官さんに背を向けて交番から逃げるように駆け出した。
まさか、何をしに交番に来たのか忘れてしまいました、なんて恥ずかしくてとてもじゃないけど言えない。しかもあんな気遣いが出来る優しそうな人に。
何か後ろから警官のお兄さんが私に言っていた気がするけど、私はそれを振り払って走り続けた。
「あれ……ほんと、何でだろ……」
交番から離れて、自分の家の近くまで走ってきた。それでも何で交番に行ったのかは思い出せない。
何だっけ、本当に大事な用事があって私は交番に行ったはず。それなのにどうしても思い出せない……。思い出そうとすればするほど、掴もうとすればするほど、するりと手の中から逃げていくような……。
まるで頭に霧がかかったような感じのまま、私は家路についた。
……その夜。布団の中で私はあの廃墟のことを思い出した。
なんで忘れてたんだろ……明日、明日こそは警察に言わなきゃ。
私は布団の中でそう決意した。
……このときの私は何故か気づいていなかった。
あれを忘れてしまうなんて、どう考えてもありえないことだということに。
……結論から言うと。
翌日も、翌々日も、翌々々日も私は警察にこの事実を伝えることが出来なかった。
行く直前までは覚えてる。だけど、交番に入ってそのことを伝えようとした瞬間に私は何を話すのか忘れてしまう。
交番という場所が悪いのかと思って(ていうか同じ交番にそんなに何回も行くのは私が不審者扱いされてしまいそうというのもあって)、昨日は警察署に直接行ってみたけれど、窓口で話すときに私は何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
そして、いつも決まって寝る前くらいに思い出すのだ。あの廃墟と謎の物体のことを。そして思い出した瞬間は「ちょっと度忘れしてたな」くらいにしか思わない。
……だけど三日も同じことを繰り返せば、ようやくそれがおかしいことに気づく。あのことをちょっと度忘れ? 絶対にありえない。
おかしい。どう考えてもおかしい。一体何が起こっているのだろう。
「はぁ……」
私は学校で昼休みに一人で頭を抱えていた。ももちゃんから学食に行こうと誘われたのも断って、机で一人考えていた。
こんなことをしている間にも、こうちゃんはどんどん……今は果たしてどうなってしまっているのか、想像するだけでも身震いがする。
「どうしよう……はぁ……」
「うるせえな、そのため息」
隣の席で飴……チェルシーを舐めながら漫画雑誌を読んでいた葉山君が、本に目を落としたまま私に呟いた。
葉山君に話しかけられるのはこれが初めてのことでびくっ、と反応してしまった。
葉山君が変人なのは知ってたから、ちょっと距離を置いてて自分から話しかけなかったんだけど……。
「いいじゃないですか。昼休みなんですから」
クラスは比較的ざわついている。私のため息だけ咎められるのはちょっとおかしい。
葉山君はくく、と私の発言を笑う。
「……私、何かおかしいこと言いました?」
「いや、なんで敬語なんだろうな、って思っただけだよ」
……そういえば。
私は自然と葉山君に敬語で対応していた。なんとなく大人っぽい葉山君に、つい敬語を使ってしまったのだろうか。
「お前、最近ため息ばっかりついてんな」
「色々あるんです……」
意外と私のことを観察している葉山君には驚いた。
「食うか? 残りやるよ」
そう言いながら葉山君は机の上に置いてあったチェルシーの袋ごと私に投げ渡した。
中身が空だった……というオチはない。三分の一くらいは中身が入っている。
「いいんですか?」
「ああ、全部やる」
別にチェルシーは好きでも嫌いでもなかったけれど、そう言われて中身を見ると残りは全部コーヒースカッチだった。
ええと……説明するのも面倒なんですけど、チェルシーにはヨーグルト、バター、コーヒーの三つの味の飴が入っていて、その、コーヒーだけは……苦いんです。
この人はこんな顔して苦いのは駄目なのか……と呆れていると、葉山君は話を続けた。
「ま、普通の高校生なら色々あるよな、そりゃ。人間関係とか進路とか部活動とか」
まるで自分が普通の高校生ではないような、一段上から高校生を眺めているかのような目線で葉山君は話した。
「そういう普通の悩みだったら、まだ良かったんですけど」
「普通じゃない悩みか。誰かに相談すりゃいいじゃねえか。お前、友達いるだろ?」
……今、初めて葉山君と話しているわけだけど、こうして話していても葉山君はとても変人には思えない。というか、普通の高校生よりもずっと落ち着いていてやっぱり大人びている印象がある。あんな発言をした人(しかも他の教室でも!)とはとても思えなかった。
……ちょっと偉そうだけどね。
「言えないんです」
「それって、人には言えないような悩みってことか?」
「そうじゃないですけど」
葉山君は思ったよりも踏み込んで聞いてくる。
私の心中には「なんで初めて話すあなたに話さなくちゃいけないんですか」とか「言いたくても言えないから困ってるんです」とか、そういう苛ついた感情が渦巻いていて、突き放すようにそう答える。
葉山君は目を伏せた私の顔をしばらくじっと見つめてから。
「ひょっとして、その悩み……物理的に他人に言えないとか?」
私の心を読んだかのようにそう言い放った。
「え⁉」
私は驚いて、思わず伏せていた目を葉山君の顔に向けてしまう。
葉山君はぴたりと当てて見せた。
私の身に今起きていることを。
「お前だったか……まさか、隣の席のやつだとは思わなかった」
「え、あ、なんで、知って」
混乱する。なんでこの人がそのことを知って――?
「ああ、分かるよ。分かってる。お前かお前の知り合いか知らねえけど、誰か近しい人間に何かおかしなことが起こってるんだろ?」
「あ……」
不思議なものを探している。葉山君の言ったことが私の頭の中で鳴り響く。
「そんで、そのことを誰かに話そうとしても、忘れちまって話せないんだろ?」
「――っ!」
私は涙目になって、こくこくと大きく頷く。
「詳しく話してみろ。俺になら話せるから。もっとも……」
葉山君は一度言葉を切ってから続きを言った。
「俺はきっとその問題を、説明も出来なければ解決も出来ねえけどな」
そうして私と葉山君はもっと静かな場所、屋上の入り口の踊り場に移動すると……私は、夏休みの終わりから私とこうちゃんの身に起こったこと、廃墟とあの謎の物体について出来る限り詳しく話した。
また話すときに何を話すか忘れてしまうんじゃないか……という心配は杞憂だった。葉山君の言う通り、私は知っていることの限りを葉山君には話すことが出来た。
「なるほど。まず間違いない。それは俺が探してたもんだ」
「それ、って、なんですか。あの廃墟の物体は一体なんなんですか?」
葉山君は私の質問に答えるべきかどうか迷ってから、言葉を続ける。
「そういう存在の総称として『アドミ』と呼ばれてる。それ以外には説明のしようがない」
「あどみ?」
「そう。アドミ。人間の想像を超えていて、物理法則を無視した理解不能の超越存在」
「物理法則を無視って……」
私は思わず苦笑しそうになってしまったが、今、私とこうちゃんの身に起こっていることを鑑みれば、それが荒唐無稽な話とは言い切れなかった。
「わりぃけど、俺が説明できるのはそれだけだから。何しろアドミは色んなのがいるからな。お前が遭遇したアドミは、そういうやつなんだな、としか言えない」
「え、その、アドミのことを人に話そうとすると忘れちゃう理由は?」
「ああ、そのことを忘れてた。アドミのことは、一次接触者と二次接触者にしか話せない。それ以外のやつに言おうとすると、その瞬間記憶がなくなる。それもアドミの特徴だな」
「……一次接触者と二次接触者?」
「アドミに直接何かされたやつが一次接触者。アドミを目撃したけど何もされてないやつが二次接触者。悪いけど、何で他人に言えなくなっちまうかは俺にも分からないし、誰にも分からない」
なるほど……つまりこうちゃんは一次接触者で、私は二次接触者ということになるらしい。
「さて、話を整理すると」
葉山君は考え込んでいる私を余所に話し始めた。
「お前が目撃したアドミは廃墟に潜んでいて、そこにやって来た誰かを捕えてぽりぽり齧ると。ついでに捕えたやつの完全なコピーを作り出して、そのコピーが本人と同じように生活を続ける……と。そういうことだな」
「……多分、そうです」
「分かった。じゃあ、行くか」
葉山君は座っていた段差から立ち上がって、無造作に言い放った。
「え? 行くって、どこにですか?」
「後でその廃墟にも案内してもらうが、まずはそのコピーの方に会いたい。アポ取ってくれ」
え、ちょ、ちょっと待って。話が早すぎる。なんなのこの人。
「ちょっと待って。これから五時間目の授業ですよ⁉」
「知らん。早くアポ取ってくれ」
「待って待って、意味分からないです! 学校終わってからでもよくないですか⁉」
「意味分からないのは俺の方だよ。お前、何言ってんだ? どう考えても授業よりそっちの方が大事だろ」
「え……っと」
そう、言われてしまうと何も言い返せない。確かに、私は律義に学校に来てたけど、それどころじゃなかったかも……。
「だから、早くアポ取ってくれよ。そいつニートなんだろ?」
「ニ、ニートじゃないですっ、求職中です……」
求職中の人もニートに含まれるのだろうか。私にはよく分からなかったけれど、とりあえずスマホを取り出してLINEのアプリを起動する……けれど。
「あー……ごめんなさい。直接会ってもらうのはちょっと……」
「あ? 何でだよ」
冷静に考えたら、こうちゃん(偽物)に葉山君を紹介するのはまずかった。
「なんていうか、その人は精神的に不安定なところがあって……その、私が男の子を紹介するなんてことをしたら、ちょっとまずい、っていうか……」
そもそも、なんて言って葉山君をこうちゃん(偽物)に紹介すればいいのか分からない。しかもいきなり家に訪ねていって。どんな理由をつければいいの?
この人がこうちゃんに会いたいって言うから連れてきました~、って、そんなこと出来るわけない。こうちゃんは芸能人か何か?
「……よく分からんけど、そいつはお前の彼氏ってことか?」
「違います違います! 彼氏とかじゃないです!」
私は手を振って慌てて否定して。
「ただ……四月だったかな、その、こうちゃんに告白されて……。でも私、こうちゃんは幼馴染としか見れなかったから断っちゃって……」
「……ふーん」
「私がこうちゃんの告白を断ったあと、こうちゃんは精神的に不安定になっちゃって。元々暗かったんだけど、最近はいつも以上に暗いし、仕事も辞めちゃって……だから、私が男の子を連れてったりしたらどうなっちゃうのか」
私は証拠を見せるようにこうちゃんと私のLINEのやり取りを葉山君に見せる。
いやそれはもう、人に見せられるようなものじゃないんだけど……かいつまんで内容を少しだけ説明すると「死にたい。でも今死んだら汐音ちゃんが自分のせいだって思っちゃうよね。それだけのために死ねない」とか「今の僕じゃ汐音ちゃんを幸せに出来ないのは分かってる。こんな僕でごめんね」とか「汐音ちゃんと離れたくない。やだやだやだやだ(原文ママ)とか。……本当はもっとひどいのもあるんだけど、人に言えるレベルなのはこのくらいです。
「距離を置きたいとは思ってるんですけど……私に会えなくなったら死ぬって言ってて、だから距離も置けなくて」
葉山君は苦笑しながら私のLINEのやり取りをスワイプして一通り眺めたあと、スマホを返してくれながら言う。
「完全にメンヘラじゃねえか……こわ。まぁでも、別にいいだろ。今のそいつは本物じゃないんだから」
葉山君は耳をほじりながらそんなことを呟いた。
「偽物だとしても、記憶とか人格はそのままなんだから、いきなり包丁持って暴れ出したりしたら困ると思います……」
葉山君は、うーん、と腕を組んで考えたあと。
「確かにそれは困るな」
真顔でそう言った。
妥協案として、私がこうちゃん(偽物)に会って、葉山君にはその様子をこっそり近くから眺めてもらうことにした。近くとは具体的には私の家の庭です。スマホを私の制服の胸ポケットに入れておいて葉山君と通話状態にしておけば、会話内容も分かるってな寸法です。
私がこうちゃん(偽物)にLINEを送って家に今こうちゃん(偽物)がいて、これから会えることを確認していた間、葉山君はスマホを取り出して何かしていた。
「よし、行くか。タクシー呼んでおいた」
「…………」
なんなの、この人の行動力。
その後、私は先生に早退することを告げると(葉山君は特にそういうことをしていませんでしたけど)、時間差で二人で校門の横で待ち合わせてタクシーに乗り込んだ。
流石に二人同時に早退して二人で一緒に校門を出るのはまずいし恥ずかしい。いや、二人いなくなった時点で何か噂されてるかも……。
きっと葉山君はそういうことに無頓着なんだろうな。
「おい、そいつの家、どこだよ」
「あ、はい……」
私は乗り込んだタクシーの運転手に住所を告げる。
「……そういえば、今まで勢いでここまで来ちゃって聞いてなかったんですけど」
「んー?」
葉山君はスマホを弄りながら延びした返事をする。
「葉山君って、どういう人なんですか? 何が目的でその……アドミ?を探してるんですか?」
「…………」
葉山君はスマホを弄る手を止めて腕を組んで考えてから。
「この間、鹿井の奴に説明したとき、お前も聞いてなかったか?」
「鹿井君って……え? あのとき言ってた中二病っぽいあれですか⁉」
確か……なんだっけ、不思議なものを探して集めてる組織に入ってる、だっけ?
「そうだよ。我ながら口に出してみたら傑作だったわ」
はは、と乾いた笑いを見せる。
「え、ちょっと待って。それってそんな軽々しく言っちゃってよかったんです⁉」
「ダメだな」
「えええ……」
なんなのこの人……。
「でも、お前信じなかっただろ?」
「それはそうですけど……」
「ならいいんじゃねえの。言ったって誰も信じねえだろ」
うーん……いいのだろうか。
確かに、あんな不思議で不気味なものが存在しているのなら、それを集めたり管理している組織があってもおかしくはない……けど。
「あ、それじゃあ、一年生と三年生の教室でも何か面白いこと言ってたって聞きましたけど、それは」
「全然、面白くねえわ……」
葉山君は思い出したくない昔の古傷……思い出をえぐられたときのように顔を引きつらせていた。
「え、じゃあなんでそんな変人みたいなことしてたんですか?」
「変人って言うな。なるべく目立って色んなやつの耳に俺の話が伝わる様にしたかったんだよ」
ああ、なるほど……。葉山君は変人じゃなくて、単にその、アドミを探すための活動をしてたというのが分かった。
今まで変人だと思っていた人が意外と普通の人の一面を持っていたことが分かって、なんとなく嬉しくなった。
いえ、葉山君は多分、普通じゃないですけどね……。
それを私は、これから嫌というほど知るのだった。
十五分ほど車が走って、私の家にたどり着く。私の両親は共働きなので、昼間は家に誰もいません。
「ここがお前の家か。じゃあ、俺はそこの庭から見てるからよろしくな」
葉山君は私の家を一瞥すると、門を開けて庭の角に隠れた。
「さて、と……」
私はその様子を確認すると、はす向かいのこうちゃんの家のインターホンを鳴らす。
お母さん出ないください……と、私が祈りをささげていると、どたどたと階段を下りてくる音がして、こうちゃん(偽物)が玄関から顔を出した。
「こんにちは。今日は早いね?」
顔を出したその人は、にこりと爽やかに微笑んで私に話しかける。これが本物のこうちゃんだったら元気になってくれたことにすごく喜んだはずだけれど、今のこの笑顔には嫌悪感しかなかった。
「う、うん、今日は学校行事の準備で、普通の生徒は午前で終わりなの」
それっぽい嘘をついてしまった。……あんまり嘘をつくのになれていないので、声色が上ずってしまったけれど、この人はあんまり疑っていなさそうだった。
「それで、今日はどうしたの? 急に会いたいって、僕に何か用?」
「用ってほどのことはないんだけど……その、元気かな、って」
普段から……特に四月以降、私がこうちゃんのことを拒絶してしまってからは、大体二週間に一度くらいは様子を窺っていたので、今日急に訪ねていってもそんなに不自然ではないと思う。
「また遊びのお誘いかと思ったよ。何しろ僕、暇だからね! 今度はどこ行こうか。前はカラオケだったから、今度は何か運動系がいいかなぁ」
「あはは、遊ぶのはまた今度ね……」
こうちゃん(偽物)の高いテンションにちょっとうろたえてしまい、逆に私のテンションは下がる。こんな自虐ジョークを言うこうちゃんは想像できなかった。
「最近はどう? 就職活動は上手くいってる?」
葉山君がどういう情報を聞きたいのかは特に言っていなかったので、当たり障りのない会話をする。
「うーん、ぼちぼちってところかな。選ばなければいくらでも就職先はあるんだけどさ、なかなかいい条件のところって難しいよね」
「そうなんだ。でもこうちゃんは優秀だから大丈夫だよ」
「ありがと。今までは本当、汐音ちゃんには迷惑かけてたけどさ、これからは心を入れ替えて頑張るよ。それで立派な男になれたら、もう一度、汐音ちゃんに伝えたいことがあるんだ」
「あ、あはは……」
その伝えたいことが何かっていうのは想像できたけれども。
私は苦笑するしかなかった。これは、偽物に言われたからというわけではなく、もし本物のこうちゃんに言われていたとしても、どうしてもこうちゃんのことを男性としてみることは出来ない。昔からの友達としてしか見れなかったから。
そうして、しばらくの間、当たり障りのない雑談をして。
私はこうちゃんと別れて、自分の家の玄関から敷地内に入った。
「よ」
敷地に入ったところで、庭の壁に背を預けていた葉山君と目が合い、挨拶をされる。
「えっと、あれでよかったですか?」
私は葉山君に近づいて声を掛ける。
「ああ、上出来だ」
何故か上から目線の葉山君にちょっとイラッとするけれど、突っ込まずに話を続ける。
「何か分かりましたか?」
「何も分からないということが分かった」
まるで禅問答のようなことを言う葉山君に再度イラッとしたけれど、葉山君は私の言葉を待たずに話をつづけた。
「普通の人間と何にも変わらねえってことが分かったよ。もっと何か……おかしな特徴があるのかと思ったけど。まぁ、詳しく調べてみなきゃ分からないこともあるだろうが」
葉山君は手に持っている機械……えっと、なんだろう、デジカメ? を見ながら話をする。
ひょっとして今の様子を撮影していたのだろうか。
「それにしてもお前さ、あいつとよく遊びに行ったりしてんのか?」
「え? あ、はい。何かおかしいですか?」
「フッた相手なのに? 実はまだ脈ありだったりすんのか?」
「勘違いしないでください。脈ありなんて、そんなことは全くないです……。でもこうちゃんは家庭環境も複雑だし、メンタルは弱いし、引き籠って家から出ないし、優しくしてあげなきゃどうなっちゃうか分かりませんから」
私が支えてあげなくちゃ、こうちゃんは死んでしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなくちゃならなかった。
葉山君は私の言葉を聞くとため息をついて。
「そのこうちゃんってやつ、呪われてんなあ」
「呪われてるだなんて、家庭環境は色々ありますけど、ちょっと心が弱いだけですよ……」
「違う違う」
葉山君は首をゆっくりと横に振りながら。
「お前に呪われてるんだよ」
えっ?
「さぁて、それじゃあ、本丸の廃墟に行くか。案内してくれよ」
葉山君はとまどっている私を余所に歩き始めた。
「あっ……はい」
私は慌てて葉山君の横に並んで、二人で廃墟に向かって歩き始めた。
私は葉山君の隣で案内をしながら歩く。廃墟までは歩いて十五分くらい。
私と葉山君は黙々と廃墟まで歩を進めている……が、私の心の中はもやもやしたままだった。
『お前に呪われてるんだよ』
その言葉が頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。
「あの……」
「ん?」
「さっきの、どういう意味ですか? こうちゃんが私に呪われてる、って」
聞くかどうか迷っていたが、結局私は聞くことにした。耳を塞ぎたくなるようなことを言われる予感はあったけれども……。
「分からねえな」
「え?」
「俺にはよく分からねえな、フッた相手に優しくするなんて残酷なことするやつの気持ちは。相手を傷つけたあとも善人でいたいのかねえ」
葉山君はまるで人ごとのように話し始めた。実際人ごとだけれども。
「でも、恋愛関係になれなくたって友達関係でいられる間柄って、普通にいるじゃないですか」
「そりゃ、お互いが大人できっちり感情を整理できるならそういうのもあるだろうよ。だけど、そのこうちゃんがそういう人間じゃないってのはお前も分かってんだろ?」
「それ、は……」
確かに、こうちゃんには私の「友達でいたい」っていう気持ちが通じていないのは分かっていた。分かっていたけど……。
「結局お前、自分が嫌な人間になりたくないだけじゃねえの? だからあいつに優しくしてるんだろ?」
違う。と、言いたかったけれど、何故か私は反論が出来なかった。
……違う? 本当に? 私は、こうちゃんを傷つけたくなかった。だけどそれは、人を傷つけると自分が傷つくからじゃないのか。
「お前がそいつにいつまでも優しくしてるから、こうちゃんってやつはお前に対してありもしない希望を持ち続けて前に進めないんじゃねえの? 優しい優しいお前とこれからどうにかなるかも、まだチャンスはあるかも、ってな。これが呪いじゃなくてなんだ?」
葉山君は私に言い聞かせるように続ける。
「本当は少しずつ心の傷を癒していかなきゃいけねえのにな。お前は無自覚にそいつの傷をえぐり続けてるんじゃねえの」
「で、でも、私が離れたら、死ぬ、って言ってるんですよ、あの人……。そんなの、優しくするしか……」
私は自分の心の深い部分を刺されたことに本当は気付いているのに気付かないフリをして、反論をする。
「はは、死ぬて。私と別れるならリストカットするよ、って脅すメンヘラ女か?」
葉山君は私の深刻な悩みを笑い飛ばすように言った。
「笑いごとじゃ……!」
「死なねえよ。普通にフラれたくらいじゃ大抵のやつは死なねえ。そんなことで人が死ぬなら成人出来る若者は二割を切るだろ」
「で、も……」
「それにいいじゃねえか、別に死んだって。そんな自分の命を人質にして女に関係を求めるようなクソ野郎は死んだ方がいいだろ」
「そんな……無理ですよ。そんなの……だって、もし私のせいで死んじゃったら……」
「私、傷ついちゃうって?」
私はきっと一生立ち直れないと思う、と言いかけたときに、葉山君が私の心を代弁するかのように言った。
私はその歯に衣着せぬ言葉に思わず泣きそうになってしまう。
「悪い悪い。お前らの関係なんてどうでもいいんだけど、つい口を挟みすぎたわ」
私のその様子を見たからなのか、単に会話の流れだったのかは分からないが葉山君はそう言うと最後に。
「……どうでもいいんだ。俺は人の善意を利用するやつも、自分の悪行に無頓着なやつも死ぬほど嫌いだからな」
吐き捨てるように言った。
ああ、この人は。
私と違って、人に嫌われることを厭わないんだな。
ずきずきと痛む心で、それだけを感じた。
それ以降は特に会話もなく。
私と葉山君はあの廃墟に着いた。
「ここか……なるほど、雰囲気あるな」
葉山君は廃墟を一望すると、デジカメで廃墟の写真を撮った。
三回目であっても、もうここには来たくなかった……けれど、今は一人じゃないから、この前よりは少しは安心できる……空気は気まずいけれども。
「この廃墟の中の二階にいます」
私の言ったことを聞いているのか居ないのか、まずは葉山君は廃墟の周囲を隈なく調べていた。
「おかしな建物だな……」
葉山君はぐるりと回りながら廃墟の壁を触ったり、周りの地面を見たりしながらそんなことを呟いた。私も中を見て、おかしいな、ってこの前思ったけど、似たようなことを思ってるのだろうか。
「よし、入るか」
一通り、廃墟の周辺を見回った葉山君は、ようやく正面の扉から中に入る。私も続いて廃墟の中に入ると、葉山君は振り向いて私に言う。
「お前も来るのか?」
「え? あ……」
……当然のように私も付いていく気でいたけれど。よく考えればここまで案内したのだから、もう私は付いていく必要はなかった。
何しろ二階のあれには私はもう二度と会いたくもないし、二人の間の空気はあんまり良くないし、付いていく理由はない……けれど。
「……行きます」
それでも、今こうちゃんがどうなっているのかを私は確かめたかった。一人で来る勇気はなかった負い目もあって、なおさら。
「まぁ、どっちでもいいけどよ」
葉山君は興味もなさそうに呟くと、埃っぽい廃墟の中を見回して、写真を撮り始める。
「その、こうちゃんとやらが捕まってるのは二階、って言ってたよな」
「はい。あっちです」
先ほどまでとは比べ物にならない緊張感。葉山君も私も声を潜めて会話をし、私は二階に続く部屋の横の通路を指さす。
この間と同じように、ぱり……ぽり……という小さな音が耳を澄ませると聞こえてくる。今日は二人で来ているため雑音をコントロールできないので音を感じ取りにくいけれど、間違いなく居る。
二人で足音を殺して通路から階段を上がっていく。
「あれか……」
二階に上がった葉山君が、そっと部屋をのぞき込むと、やはりそこには相も変わらず例の物体が鎮座していたようで、葉山君の声にも緊迫感が滲んでいる。
私も続いて葉山君の横からあの物体をのぞき込む。
相変わらずあのピンク色のゴムのような謎の物体……アドミ? は、何か汚らしい布が散乱している部屋の中央で、こうちゃんのことを無数の触手で捕えて左手を齧っていた。
「まるでローパーだな」
「ろーぱー?」
後で知ったけれど、ローパーというのは昔のゲームに出てきたモンスターで、大きな円錐の身体に触手がいくつも生えている怪物のことを指すみたいです。
「……確か、この前は左手を齧られてたって言ってたよな」
「はい」
「まだ左手齧られてるな。ずいぶんとお食事はゆっくりなようで。育ちがいいのかね」
ぱり、ぽり、という咀嚼音に混じって、こうちゃんが時折、うう……とか、ああ……とかうめき声を漏らす。
……こうちゃんは夏休みの終わりから、絶え間なく、ずっと、あれに身体を少しずつかじられながら苦痛を与えられているのだろうか。私は今まで放置してしまっていたことに今更ながら罪悪感を覚える。
「確か捕まったのは八月二十三日、って言ってたよな」
「……そうです」
「もう十日以上か。水を一滴も飲まなきゃ、生きていられるはずないんだがな」
「それってつまり、こうちゃんはあれに生かされてるってことですか?」
「ああ、よく見ると腕に触手が刺さってる。あそこから何か栄養とか水分とか、生命維持に必要なものを身体の中に送り込まれてるのかもな……」
捕えた獲物を、殺さずに生かしたまま、少しずつ少しずつ噛り付く。考えるだけでおぞましい。もし自分が同じ目に遭ったとしたら……。
「なんで、そんなひどいことを……」
「さぁ……活きの良い餌の方が好きなんじゃねえの」
葉山君がこんなときに冗談のようなことを言い始める。正直言って全く笑えなかったけれど、少しでもそういうことを言う余裕を見せてくれるのは頼もしかった。
「冗談はともかく、アドミの行動理念なんて考えるだけ無駄だ。もっと訳分からんやつもたくさんいる」
「…………」
アドミっていうのはあの生物のことを指すのではなくて、ああいう謎の生き物?の総称なのだということを再確認する。あれより理解不能なものが、この世にたくさんいるなんて、考えるだけで恐ろしい。
「ちなみにお前……この街の最近の行方不明者の数とか、知ってるか?」
「え? そんなの、知ってるはずないじゃないですか」
葉山君は唐突におかしな話を始めた。
「主に子供を中心に、近年たくさん居なくなってるなんて噂はないんだな?」
「ないですけど、それってどういう……」
葉山君は恐る恐る部屋に一歩侵入すると、床に散乱している汚らしい布を一枚、拾い上げてゆっくり戻ってきた。
ちなみにその間、アドミは葉山君には一切反応を示さなかった。
「やっぱりこれは……衣服だな。この部屋のやつ、全部……」
「え?」
私は言われてみてアドミのいる部屋を見渡す。
部屋に散乱している無数の布切れ。これが、全部衣服……?
「それって、それって……」
息が荒くなる。考えればある意味当然かもしれない事実から、私は目を背けていた。
「喰えなかった部分を捨てたんだろ。こいつは同じようにもう何人も人を喰ってて、代わりに偽物を送り出してるんだろうな」
だから行方不明扱いにもならない。
と、葉山君は付け加えた。
改めて、この部屋に散乱している布切れ……衣服を眺める。少なく見積もっても三十人分以上はあるだろう。よく見ると子供服が多く、葉山君が子供を中心にと言った意味が分かった。
それは、この街にいる三十人以上の人間が誰も知らぬ間に……本人も知らぬ間に、偽物と入れ替わっていることを表している。
ぞっとする。
人間が、何人も何人も人知れずここで無機質な化物に食べられていて。
誰一人その事実に気付くことはなく、一生を終えていく。
私といつも会話している目の前の人が本物だという保証が今、消え去った。
「さて、それじゃあ帰るか」
「えっ?」
私が思案していると、葉山君は唐突にそんなことを言い始めた。
「え? ちょ、ちょっと待ってください、早くないですか?」
「なんでだ。俺の仕事はアドミを発見するまでで、後はもう俺の仕事じゃない」
「俺の仕事じゃないって……じゃあこれからあれはどうなるんですか?」
「他の担当があれを出来ることなら捕獲して、調査して、誰にも触れられないように封印する……もっとも、そんなに順当に行くことは稀だけどな」
途中でトラブルが起こることばっかりみたいだ、と葉山君は付け加える。
「……彼は、こうちゃんはどうなるんですか?」
「さあ。多分、どういう風にあいつが人間を喰っていくのか観察すると思う。それで、食べ終わったら次に何かを喰わせてコピーが作られる過程を……」
「ちょ、ちょっと待ってください。人ですよ? 人間がちょっとずつ食べられてるんですよ?」
葉山君はため息をついた。何を言ってるんだこいつは、とでも言うように。
「そういう当たり前の倫理観があの組織にあるなんて期待しない方がいい」
「ダメ、そんなのダメです」
「ダメって俺に言われてもな。ていうか、最初に言っただろ。俺は説明も出来なければ解決も出来ない、って」
「言ってましたけど……そんなの許さないです。絶対ダメ!」
「なんで俺がお前の言うこと聞かなきゃならねえんだ?」
「だって……」
こうちゃんが、あのまま途方もなく長い時間をかけて苦しんだまま、あの物体に食べられる様子を観察され続けるなんて、そんなの……。
「お前が言いたいことは分かるよ。あいつのことを気にしてるんだろ?」
「当たり前です……」
「それは別にいいじゃねえか。どっからどう見ても本物の代わりが居るんだから」
「いや、いいわけ……」
「この間テレビ見てたらさ、面白い番組やってたんだよ」
「は?」
葉山君は唐突にそんな話をし始めた。
「世の中に蔓延る偽ブランド品、みたいな特集だったかな」
「はぁ……」
何を話したいのかよく分からなかったが、とりあえず私は生返事をする。
「まぁ、贋作についての番組だったんだよ。世の中にはこんなに精巧な贋作が出回ってるんです、みたいな」
「…………」
「でさ、その番組の中でタレントが自分が持ってるブランド品を鑑定してもらうコーナーがあったのな」
なんとなく話が繋がってきた気がする……けど。
「んで、鑑定士に自分のブランドもののバッグを調べてもらったら、案の定偽物だった、ってのがあってさ。ふざけるな、許せない、本物だって信じてたのに、みたいに怒ってたんだよ」
「…………」
「意味わかんねえよな。自分でも本物か偽物か区別もつかねえのに、本物であることに拘ってるんだよ、そいつ。それだって立派なバッグじゃんよ」
「え、待って待って、言いたいことは分かりましたけど、こうちゃんは人間ですよ⁉」
長い話だったけれど。ブランドのバッグと人間のこうちゃんを同一に扱うなんて、組織だけじゃなくて、この人も倫理観壊れているんじゃないだろうか……。
「まぁ、冗談は抜きにして……むしろ前より性格良くなってるならいいんじゃねえの? お前最近、あいつに散々悩まされてたんだろ? 今はまだ頑張って対応できてるかもしれねえけど、この先も本当に大丈夫か? 疲れ切ったらそのうち関係が破綻したりお前まで病んだり、最悪の結末になりかねないんじゃねえの」
「……っ」
それは、悪魔のささやきだった。
最近、夏休みくらいからこうちゃんの相手をするのにもううんざりしてきていて。もう全部放り投げられれば、なんて思うこともたまにあったし、ひどい言葉を投げかけそうになったときもあった。
今のこうちゃん……偽物のこうちゃんなら、すっきりと簡単に距離を置ける気がする。爽やかに、後腐れなく、ただの友達関係に戻ってくれるんじゃないだろうか。いや、それだけじゃなくて、きっと自分のお母さんとも上手くやってくれる気がする。そうして、いつしかこうちゃんも自立して、あの家から出て行って、もう私と会うこともあまりなくなって……こうちゃんのことは良い思い出になるのかもしれない。
……そんな、自分に限りなく都合の良い未来を一瞬想像してしまった自分が嫌になって。
「いいわけない!」
私は叫んだ。
私は、あのアドミが傍にいることも忘れて声を荒げてしまう。
偽物のこうちゃんがいくら明るくて優しくていい人で完璧な人格者だったとしても。
それは、昔、私のことを救ってくれた、私が尊敬してたこうちゃんじゃない。
「そうか。すまねえがお前の意見は聞いてない」
「っ……、何にも知らないくせに……!」
「お前こそ、あのアドミのこと何も知らねえだろ。あれがこれから人間社会にどれほど悪影響を与えるか、何にも分からねえだろ?」
だから調べなくちゃならない、管理しなくちゃならない、それが俺たちの仕事で、義務なんだ、と葉山君は言うけれど。
「もういいです。どうにかしてくれるなんて期待した私が馬鹿でした!」
「おい、待てよ、何する気だよ」
葉山君を無視して部屋の中に入ろうとした私の肩が葉山君に掴まれる。
「こうちゃんを助ける!」
「馬鹿、どうやってだよ」
掴まれた肩を強引に振りほどいて私は部屋の中に入る。
「知らない! けど絶対助けるの!」
「ふざけんな、お前に何が出来るんだよ! 何にも知らねえガキのくせに!」
部屋の中に押し入った私のことを、葉山君が後ろから羽交い絞めにする。
やっぱり男の子の力には勝てなくて、私は抑えられたままじたばたと暴れることしかできなくて、声を荒げる。
「あなただって知らないでしょ⁉ 私が昔、こうちゃんからどれだけ優しさを貰ったのか!」
私は昔、内向的で誰とも仲良くできずに学校でいじめられていた。そのとき、唯一仲良くしてくれていじめから守ってくれたこうちゃんが、どれだけ私の心を救ってくれたのか。
あのとき、こうちゃんが居てくれたから、今、私はここにいる。
「あ、あなたは……何にも知らないで私がこうちゃんを呪ってるなんて言うけど……私はこうちゃんに優しさを返さなくちゃいけないの!」
あのときこうちゃんがくれた優しさを、今返さないでいつ返せばいいのか。
いきなり声を荒げた私に葉山君は驚いているようで、私のことを羽交い絞めにしたまま言葉を失っている。
「私は変わってしまって、こうちゃんも変わってしまって、あの頃の私たちはもう居ないのかもしれないけれど……私は絶対にこうちゃんに恩返しをするんです!」
どんなにこうちゃんが変わってしまったとしても、あのときのこうちゃんの無償の優しさは本物だから。本物だと信じているから。
そうだ。だから私はこうちゃんのことを助けたかったんだ。今更ながらに思い出した。
偽物が良い人だとか、そんなことは関係ないんだ。私は、こうちゃんを救いたいだけだ。
「……どうしても助けたいのか」
「当たり前です!」
葉山君が私を羽交い絞めする力が、少し緩んだ気がした。
「分かったよ……」
葉山君は仕方なさそうにそう私の耳元で呟くと、羽交い絞めしていた私の身体を離した。
「えっ?」
私は驚いて葉山君の方を振り向くと、葉山君はなんだか何かを諦めたような表情をしていた。私を止めることを諦めた……というのはそうなんだろうけれども、私の心からの叫びを聞いて諦めたというよりは、何かもっと……違う理由で私を止めることをやめたような気がした。
「あ、えっと……じゃあ、こうちゃんを助けてくれるんですか?」
「悪いが約束はできない」
「それって……」
「だけど努力はする。だけど、さっきも言ったけどアドミは理解不能の存在だ。どうやったって助けられないことは、ある」
「……はい」
それでも、少なくとも私が助けようとするよりは遥かに可能性が高いのは目に見えていた。
「あと、悪いけど今すぐは無理だ。色々あいつのことを調べないと。そうだな……十日、時間をくれ」
「十日……」
十日。目の前であれに絡めとられているこうちゃんを見る。
あと十日もこうちゃんのことを苦しめたまま放置しなければならないのは心苦しい。それに、十日後もこうちゃんが生きている保証はないんじゃないだろうか……。
「不安なのは分かる。けどこれは俺からの最低限の条件だ。飲めないなら断るしかない」
「……分かりました」
私は葉山君の言葉に頷いた。きっと葉山君は、しようと思えば私の戯言なんて無視して全部自分の思い通りにすることが出来る。それなのに私の我儘を聞いてくれた。なら私も譲歩しなければならないと思った。
「お前、俺の言うこと信じるのか? 適当にその場しのぎを言ってお前をこの場だけ納得させてるだけかも、って思わねえのか?」
「多分、人を騙そうとしてる人はそういうこと言わないと思います」
「なるほど」
「それに多分、葉山君はふざけた人ですけど、誠実な人だと思うから」
「あ?」
「だってさっきから、本当なら言わなくていいことも素直に教えてくれてます。きっと、根は真面目なんでしょうね」
「…………」
葉山君はなんだか照れているようで、私から目を逸らして喉の辺りを指先で優しく引っ掻いている。
「あ、でも、正直だけど口は悪いし、かーなーりー、傷つけられましたけどね?」
そんな葉山君の可愛い一面を見て、私もなんだか恥ずかしくなってきて、ついそんな軽口を叩いてしまった。
「一言余計だよ……全く」
葉山君は目を逸らしたまま呟いた。
「あと、そんな生意気なことを言うならお前から個人的に報酬を貰うことにする」
「報酬?」
「ああ……」
葉山君はもったいぶって溜めを作ると。
「百匹屋のクイーンパフェ、驕れよ」
ずいぶんと可愛らしい報酬を出した。
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