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「……待って」
例の彼が何かを右手に持って掲げていた。それは……私が背負っているバッグに付けていたはずの、マスコットのぬいぐるみだった。
「これ……落としたでしょ……」
荒い息づかいの合間に、彼はそう言った。
「!」
とっさに私はバッグを背中から下ろす。確かにぬいぐるみがない。
そうか、この人……それを拾ってくれたんだ……
「あ、そうだったんですね……すみません……」
私は恐る恐る彼に近づく。
「はい」
彼がぬいぐるみを私の目の前に差し出した。
「ありがとう……ございます……」
私が受け取ると、彼は眼鏡を外し、ハンカチを取り出して顔の汗を拭く。
あれ……眼鏡がないと、この人、意外にイケてる……?
「もう……全然追いつけなくて参ったよ。君、速いよね」そう言って彼は笑顔になる。「僕も通学路で君を見かけるたび、追い抜いてやろうと頑張ってたんだけど……」
「でも、ここまで私についてこれる人は初めてです。あの……お名前聞いてもいいですか?」
「!?」彼は一瞬面くらったようだが、やがてはにかみながら告げる。
「
「
とたんに、彼――新鳥野さんの目が真ん丸になる。
「ちょっと待って、『いちいし』って、一つの石? それドイツ語でアインシュタインだよ! しかも
……。
ダメだ。やっぱこの人普通じゃない。ちょっとでもイケてるとか思ってしまった私がアホでした。
新鳥野さんは続ける。
「そうかぁ……君はフォトンだったのか。そりゃ追いつけないわけだ。確かにニュートリノもほぼ光速だけどさ、質量ゼロのフォトンよりは遅いからなぁ……」
「ニュートリノ?」
私は思わず聞き返す。それってこの人の名字……?
「ええっ? 知らないの?」新鳥野さんが呆れ顔になる。「素粒子の一つだよ。岐阜のカミオカンデがその検出で有名で、日本人が二人もノーベル賞貰ってんだよ?」
そう言われても……文系の私には全然わからない。
と、いけない。講義開始時刻だ。
「あ、私、講義行かなきゃ。新鳥野さん、ありがとうございました!」
私はぺこりと頭を下げると、教室に向かってそそくさと駆け出した。
「ああ、それじゃね」
背中越しに、彼の声が届いた。
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