第八話『赤い瞳の少女』
人ごみの中を、一直線に『日の社』に向かって駆け抜ける。"始祖の血"の社が並んでいた場所から離れるにつれて、人間の数が増えている。それは急ぎ足で逃げ惑う人だったり、おろおろと立ちすくむことしかできなかったりする人間たちだ。
一般の参拝客を誘導するために、別の場所で仕事をしていた神職の人間たちもいつの間にか飛んできていて、さかんに「落ち着いてください」と声をかけていたが、さすがは有名なお祭りであるが故だろうか、あまりにも人間が多くて指示が通っていない。
タケルたちも、最初の方こそまっすぐ伸びる石畳の上を走っていたが、人の波でやがて身動きがとれなくなった。それをみた和己が脇の林の中に飛び込み、「こちらです!」と先導した。この家の子というのもあって、彼は敷地内の抜け道をよく知っている。比較的走りやすい道も、ほとんど獣道のような場所も。
最終的に木々を掻きわけて進むような道に飛び込み、ようやく何もない場所に飛び出せたと思ったら、そこは件の『日の社』の横側だった。
「
和己が社に向かって名前を叫ぶ。博己というのが彼の弟の名前だろう。
社の近くにはほとんど人影がない。あるのは半狂乱になった中年の女性と、それを抑え込もうとする中年の男性だけだ。
女性はしきりに名前を叫びながら社に向かって手を伸ばし、男性は女性を説得しようと声をかけながらも、時々社の中に注意を向けている。その行動だけで彼らが博己という名の息子を心配する親だということがわかった。
彼らに向かって和己も駆けていく。
「父さん、母さん、博己はどうしたんですか!?」
その様子に気づいた母親の顔が和己に向けられる。注意が別の場所に向いたことで力が弱まったのか、妻を抑え込む手を夫は少し緩める。その手を逃れるように、母親は和己に抱き着いた。
「ああよかった、和己は無事なのね」
「はい、和己は無事です。それより、博己はどこにいるんですか」
「それが、まだ社の中なのだ」
父親が社を指さす。
『日の社』というのはこれまた随分と立派な社なのだが、見た目に特に特別な変化があるようには見えない。小さな神社の社殿のようなもの、といったところだろうか。お祭りのために取り付けられた提灯が、不気味に揺れている。
それを見た和己がゆっくりと社に近づこうとするが、残り一メートル程度を残したところで唐突に止まってしまう。こちらから何が起こったのか、と聞く前に本人が振り向いて告げた。
「誰ですか、こんな強力な結界を張ったのは」
それを聞いたミコトが血相を変えて社に近づく。彼女も和己同様、一定の距離以上は近づけない。振り向いた顔には困惑の色が浮かんでいる。
その様子を見て息子が客人を連れていることにようやく気付いた父親が、彼らは誰なんだね、と質問する。
ミコトが先ほどと同じ様な名乗りを上げると、夫婦は納得してくれたが、なぜか父親だけ苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「とりあえず博己さんの安否だけ確認しましょう。彼はどこにいるのか、姿が見える場所はありますか」
父親は厳しい顔つきになると、こちらです、と言って社の正面に案内した。それに続くようにミコト、タケル、母親を支えながら和己が足を踏み出す。
社の正面は、扉が開け放たれており、中の様子をみることができた。
その中には、胡坐をかいて座る小さな少年と、その周りをゆっくりと歩き回る小さな少女の姿があった。
ハッとしてタケルがミコトの顔を見ると、彼女もこちらを向いていた。二人にはあの少女に見覚えがあった。
先日、鳥居の前に佇んでいた、あの真紅の瞳をもつ少女。
ちらりと和己の顔を見れば、彼の顔にも困惑の色が浮かんでいる。彼もまた、少女の姿を目撃したことがあるのだろう。
少年はこちらに背中を向けているため表情はわからないが、かすかに肩が震えているところをみると、今自分が置かれている状況を理解しているようだ。可哀そうに、あんなところに一人でいれば心細いだろうに、彼は必死に恐怖と戦っているのだ。
「藤宮さん、こうなった経緯を教えてください」
ミコトが少女の動きから目を逸らさずに問う。彼女は質問をしながらも、どうにか結界を破る術がないか模索している。
父親少し震える声で答える。
「今日は息子、博己がこの『日の社』の管理人となるための儀式がありましたので、その準備をしておりました。そのときにあの少女が裏口におりまして、小さい子で一人だったので、てっきり迷子かと思って社務所に連れていこうとしたのですが、ちょうど手の空いているものがおらず、しばらく社の中にいてもらおうと招き入れたんです。そしたら、そしたら……」
「儀式が始まった途端、おぬしら全員はじき出され、一般の参拝客も何かよくわからない恐怖に襲われて逃げ出した、というところじゃな」
突然降ってきた声に思わず振り向くと、腕を組んで難しい顔をしている夜桜が立っていた。
いつの間に、と言おうとするタケルを遮って、夜桜はグイっと父親に詰め寄った。
「あれは明らかに悪しきものじゃ、おぬしらとんでもないものを引き込んでくれたな。あやつらは招かれさえすればどんな結界にも入り込んでしまう、自分がやってしまったことをわかっておるだろうな」
宙に浮き、顔に詰め寄る不思議な少女を前にして、父親は困惑するどころか素直にその指摘を聞き入れ、申し訳ありません!と頭を下げた。
夜桜と彼には認識があったのだろうか。その光景は勿論和己には見えず、母親にも見えていないようなので、二人はただ何が起こっているのか不安げに見つめることしかできない。
「招き入れられる前であれば、境内から追い出すことはできるんじゃがな。あそこまで入りこまれてしまうと、一体どうするか」
「あ、あの、博己は、息子は大丈夫なんでしょうか」
「ああ、今のところはな。あの子は強いな、こんな状況下でも集中は途切れておらん。しかし、疲れが出てきておるから時間との戦いじゃな」
夜桜の声には、若干怒りが含まれている。そういえば彼女は、この神社に対していくらかの信頼を持っているようで、なぜか守り刀もこの神社に置いているようなのだ。安心できる場所、と考えていたのにそこの神官が、安全性を揺るがすような行為をしたのが許せないのだろうか。
彼女は数秒社を見て考えた後に、再び神官に向き合った。
「おぬし、一瞬でいい。あの結界を破れるか」
「い、一瞬なら。でも、結界の種類がわからなくて……」
「種類?それならお前のもう一人の息子がさっき特定してただろう、『こんな強力な結界』ってな」
「わ、分かりました」
神官が首肯するのを確認して、その後に自分の言葉を和己に通訳するように言った。
「『藤の社』を守る少年、おぬしの弟を守るために父親に力を貸してやってはくれぬか」
少年は、一瞬も躊躇わず頷いた。
「やります。桜のかみさま、どうか見守っていてください」
その言葉に、夜桜はなぜか一瞬苦しそうな顔を浮かべたが、すぐに挑むような顔つきになると、神守衆の二人に向き直った。
「よいか、二人とも。これから儂に続いて社に飛び込め。儂があの少女の気を引きつけるから、少年の保護を最優先に行え、いいな」
そう言って夜桜は、懐から一振りの刀を取り出し、タケルに手渡した。
桜の花の螺鈿細工が施された、漆塗りの鞘。鯉口を切れば、ふっくらとした刃を持つ短刀が現れた。
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