第五話『先祖を迎える日』

「消された十三人目か……」


 タケルは墨で消された箇所をそっと撫でる。ここには、一体誰の名が刻まれていたのだろうか。自分の祖先か、はたまた別の人間か。

 そこでふと、一覧に西園寺という名前が書かれていたのを思い出す。西園寺は、ミコトの家の名前である。彼女はなにも語らなかったため、関係のあるのか否かは今はわからない。後で聞けば、何かしらは答えてくれるだろうか。

 しばらく古文書を見つめた後、和己に返した。それを受け取ったあと、彼は愛おしそうに表紙を撫でる。タケルはそれを少しだけ不思議そうに眺めた。

 本当にこの少年はどこか不思議だ。見た目は自分よりも年下なのに、何故か年上の、それもかなり長い年月を生き抜いてきた人のように思えるのだ。まるで、この地で、人々の営みを見守ってきた神様のような……。


「どうかしましたか?」


 話しかけられて我に返る。いつの間にか古文書を片付けていた彼は、下からタケルの顔を覗き込むようにして、こちらを見つめている。慌てて取り繕うと、ふふふと声を出して楽しそうに、どこか慈愛深そうな顔で笑った。その顔が、またどこか神秘的に見えて、失礼だと思いながらも、じぃっと見つめてしまう。


「さて、そろそろ外に出ましょうか。ですが最後に見てもらいたいものがあるんです」


 そう言うと彼は、今度は悪戯好きの子供っぽい笑みを浮かべて、壁画を見ているように、とその方向を指し示した。その仕草で、先ほど壁画を見たときに、あんなに見てほしいと言っていたにも関わらず、少々地味すぎないかと考えたことを思い出す。

 この壁画のどこかに、少し見ただけではわからないような魅力があるのだろうか。そう考えて再び壁画を見つめるが、先ほど解説してもらいながら見たもの以上は何も見つからなかった。

 タケルが血眼になって探している間にも、和己は楽しそうに笑っている。


「この壁画の仕掛けは、灯りを消さないとわかりませんよ」


 そう言って彼は、手で仰いで火を消した。その瞬間、タケルは目を見開いた。

 社の中に、星空が広がっていた。

 正確には、社の中の壁画の部分にだけ星空が広がっている。例えるなら、蓄光タイプの壁紙が貼ってある壁紙のようなものなのだが、よく見ると壁画全体が星空になっているわけではなく、壁画のにあたる部分だけ光っている。

 一瞬、この古めかしい壁画は、そう見えるように作っているだけで、実は現代に作られたものではなかろうかと疑って、和己の顔を見たが、心の内を読んだように、ゆるゆると首を振って否定した。どうやら、この壁画が年代物であることは確定らしい。

 しかし、どうして?自分が聞いたことがないだけかもしれないが、少なくとも大昔に蓄光を用いた技術があったとは思えない。大体、昔読んだ伝記では、近代にこういった物質が発見されたと書いてあったはずだ。

 腕を組んで考え込んでしまったタケルを見て、また和己はいたずらっ子の顔をする。彼はこの社の管理人なのだから、この仕掛けの正体について知っているのは当然だ。もうお手上げなので、何か知っているのなら早いところ答えを教えてほしいというのがタケルの本音だ。


「正解を見せましょうか。タケルさん、こちらの壁をよく見てください」


 そう言って、壁画のある壁の真正面、つまり正面入り口から左手側にある壁を指し示した。壁画のある壁は、漆喰でできているが、こちらの壁は全て木の板を貼り合わせて作られている。

 そして、木造の壁をよく見ると、外の光が漏れてきているのが見えた。

 ハッとして和己の顔を見ると、まだいたずらっ子の顔で、しかし今度は慈愛も含んだ顔でこちらを見つめていた。


「そうなんです。こちらの壁から漏れ出した明かりが、この壁画にあたって星空を作り出しているんです。おまけに、不思議なことにちょうど空にあたる部分にだけ、光が当たるんです。ただ、この現象がこの社を建てた当時、もしくは後世に意図して作られたものなのか、それとも本当に偶然が重なって、劣化して空いた穴がたまたまこのような光景を生み出すようになってしまったのかは不明なままなんです」


 その説明を聞いた後に再び壁画を目にすると、なるほど、確かに日の光によって生み出された光景に間違いはなさそうだ。だが、この答えを聞いた後でも、社の中の星空は、変わらず幻想的だ。

 もしこれが、誰かが意図的にやったものであれば、その人物は計算高い人間で、おまけに遊び心があるというか、ロマンチストだったのか。

 もしこれが、経年劣化による奇跡だとしたら、初めてこれを目にした人間は、神の悪戯とでも考えたのだろうか。

 どちらにせよ、初めて見る不思議な光景に、タケルは心を奪われていたのであった。




 ※※※※※※※※※※※※※※※※


「消された十三人目と、西園寺家ねぇ」


 社から出てきたタケルは、中で見たものをとりあえず報告する。説明に時間がかかりそうだったので、中で見た幻想的な光景の下りだけは省略した。これは、あとで夜桜も含めてゆっくり話すつもりだ。


「西園寺ってなかなか聞かない名字だから、ミコト……の家に関係あるのかなと思ったんだけど」


 呼び捨てに慣れていないタケルは、未だに名前を呼ぶときに尻すぼみになる。だからと言って敬称をつけると、じろりと睨まれるのでどうにか我慢している。


「うーん、聞いたことあるようなないような。というか、自分の家が神社なのに、他の場所の社の建立に携わったとは思えないしなぁ。ごめん、自分の家の歴史、人のことは言えないくらい詳しくないからわからないや」


 ミコトは困ったように眉尻を下げて笑う。やはり西園寺イコールミコトの祖先というのは、短絡的な考えだったようだ。

 二人で困ったように考えているところへ、施錠を終えた和己がパタパタと草履の音をたてながら走ってきた。


「すみません、ミコトさん。結界に異常はありませんでしたか?」


「大丈夫だよ。結界にも異常ナシ!こちらこそありがとう」


 ミコトは親指を立ててグッドサインをして、屈託なく笑う。それを見た和己も安心したように微笑んだ。

 二人は和己にお礼を言うと、彼は困っている人がいたら助けるのは当然ですから!と言って胸を張る。その仕草がなんとも子供らしく愛らしく見えて、顔がほころんだ。もし弟がいたらこんな感じなのだろうか。

 何度かお礼を言いながら、石鳥居をくぐり抜けて帰路につこうとしたところで、「あ、そうだ!」と和己が声を上げた。


「お二人ともよかったら、今週末のお祭りに来ませんか?」


「お祭り?」


「あ、もしかして魂迎えのお祭り?」


 お祭りと言われてピンとこないタケルに、ミコトが答えるとどうやら正解だったようで、和己はそうです!と返事した。

 そういえばと思い出すと、今朝本宮で働いていた人たちは、皆忙しそうに歩き回っていて、とても声をかけられるような状況ではなかった。それが魂迎えのお祭りの準備のために歩き回っていたとすると、なるほど、忙しそうに見えた理由に納得がいく。


「でも、魂迎えのお祭りにしては少し早いんじゃないの?」


「そうなんです。藤宮神社は、毎年他の神社よりも早くにお祭りをするんです。なんでも少し変わった理由があるらしいのですが、これは成人しないと教えてもらえないので、僕はまだ知らないんです」


 ミコトは一人、だからかと納得していた。どうやら彼女は、ここの神社の祭りが早いことは知っていたようだ。

 今週末か、と何か用事が入っていたかを思い出そうとするが、特に何もなかったはずだ。先ほどの話の通り、一般家庭で行う魂迎えの行事も早くて来週に始まるもので、タケルの家も来週行う予定になっている。つまり、今週末はなにもない。


「……行ってみようかな」


 タケルに返答に、和己の顔から満面の笑みがこぼれる。


「本当ですか!?」


「うん、そういえば俺、神社の魂迎えの行事って見たことがない気がするからさ」


「え、そうなの!?もったいないな、ここは私の実家じゃないから細かいところは違うかもだけど、すごくきれいなんだよ?」


 驚いたミコトも食いついてくる。彼女は毎年この行事を見て育ってきているはずだから、見たことないという人間が珍しいのだろう。他の神社のは見たことがないから、後学のために見ておこうかなというと、神職の少年はもちろん!と本当に嬉しそうな顔をして笑った。


「お二人がいらっしゃるのでしたら、僭越ながら案内役を仕りましょう」


 聞き間違いだろうか、年下の少年が急に難しい言葉を使ったように聞こえた。タケルは首を傾げたが、それに気づいたのか気づいていないのか、ミコトは「大丈夫なの?」と心配していた。


「お祭り当日って忙しいじゃない?私の家でも人手が足りなくて、臨時のアルバイトを雇ってるんだけどいいの?」


「大丈夫ですよ、僕は」


 何を基準に大丈夫だと言っているのかはわからないが、彼の笑顔は不思議と納得させるような何かがあった。その言葉に甘えて、和己に当日の案内をお願いすることにした。


「ではそろそろ下山しましょうか」


 そう言うと、片手に箒を持って二人を先導して石鳥居をくぐった。二人もそれに続く。

 その様子を、木陰から赤い瞳をもつ少女が眺めていることに、誰も気づかない。

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