第四話『藤の社二』
和己が、少し古めかしい鍵を差し込んで捻る。カチリと軽い音が聞こえた。今でもこんな鍵を使っている場所があるのか、というのがタケルの感想だ。
閉ざされていた社の扉は、カラリと乾いた音をたてて開かれた。チラリと、石鳥居の辺りに佇むミコトの後ろ姿を盗み見る。こちらからは見えないが、腕を組み、目を閉じて、結界に揺らぎがないか、神経をとがらせているのだろう。彼女に少し申し訳なく思いながらも、自分もやるべき事に集中しようと、社に向き直った。
引き戸が開かれると、そこは三畳ほどの空間が広がっており、部屋の隅には文字が書かれた文書らしき紙束が重ねられている。
社に入って正面には、あまり数多く見ている訳では無いが、特に変わったところはない祭壇が備え付けられている。しかし、この社の中には、他の場所とは違うものがあった。
「これが、和己くんの言っていた、絵画……?」
「はい。このお社を建立するに至った由来縁起が描かれています」
絵画、というので、てっきり額に入れられた絵が飾ってあるのだろうと思っていたが、全く違った。社の中、正面入り口から見て右手側の壁一面に絵が描かれている。これはもう、壁画と言った方がよかった。
和己が灯り用の蝋燭に火をつけると、壁画の全体像が見えた。
絵の表面は、長い年月が経ち、劣化しているのだろう。微妙に残された彩色から、作られた当時は色鮮やかなものであったというのは想像できたが、蝋燭の灯りでは、物寂しい雰囲気しか感じ取れない。
説明してもらわないと何が描いてあるのかはわからないのだが、山や社、人々が描かれているのはわかった。恐らく山は先程タケル達が登ってきたこの山で間違いないだろうし、社もこの『藤の社』だろう。
だが、これだけだと何の変哲もない壁画である。和己は、これのどこが気に入ったのだろうか。その疑問をぶつけるように彼の顔を見つめたが、その疑問を感じ取ったのか感じ取っていないのか、ゆっくりと壁画の解説を始めた。
――まずはこちらの右側からご覧下さい。ここに、今とは社殿が全く違いますが、五百年前の藤宮神社が描かれています。記録では、戦火に巻き込まれて社殿は焼け落ちていますが、場所は変わっていません。そして、この横にあるのが『藤の社』のある山・藤城山です。ここの文字は、まぁ大体そういった事が書いてありますね。あ、記録上は五百年前ですが、それ以前から神社はあったみたいです。祭神は不明なんですがね。
次に、ああ、先程言った戦火で焼け落ちているところです。僕どうしてもこの絵だけは苦手で……。で、この戦火というのが、かの有名な石宮原の戦いに巻き込まれて……、え?知らない?ええと、倭国を統一した人物は知っていますよね?その、全国統一事業の火蓋が切って落とされた戦いですよ。それがこの地で始まったんです。
それで、この社殿は焼け落ちてしまいましたが、この戦いを起こした本人が、申し訳ないことをした、といって新たに豪華な社殿を作り直した、というのがこの絵ですね。見た目は今の社殿と同じでしょう?まぁ、その通り、今の社殿は当時のものなんですけどね。
さて、それでいよいよ『藤の社』のお話です。
戦火で焼け落ちた社殿を作り直したあと、全国統一事業の成功を祈願して、新しく社を作ろうという提案がなされました。そう、それがこの『藤の社』なんです。この絵を見ていただけるとわかると思うんですが、このお社も、実は当時建てられたものそのものなんですよ!すごいでしょう?
これがこのお社が建てられた経緯なんですが、一つだけ疑問が残っているんです。先程も言った、ここに祀られているのは誰かです。実は、僅かに残された記録で、建立された当時に祀られたかみさまと、今祀られている神様は別である、というのは残っているのですが、それが誰なのかはわからないままなんです。
一通り由来を話し終えた和己は、どこか満足そうな顔だ。しかし、その一方でタケルは、自分の生まれた国の歴史をよく知らないことがバレた上に、あろうことか年下に教えてもらう羽目になった事を恥じていた。帰ったら、教科書を出してきて復習しようと、こっそりここに祀られている神様に誓った。
「ああ、そういえば、僕、お二人が何を調べにここに来たのか聞いていませんでしたね。由来聞いただけでは、疑問の答えになっているかわかりませんし」
壁画を見つめていた和己は、タケルに顔を向ける。うっすら微笑む顔は、蝋燭の灯りで、ちろちろ揺れて見える。
「ええと、俺の先祖のことについて調べていて、とある人に聞いたら、この社に来たら何かわかるって言ってたから来たんだけど……」
なるほど、と呟いて、タケルの苗字は何かと尋ねる。「錦小路だよ」と答えたが、その苗字に聞き覚えはなかったのか、腕を組んで考え込んでしまった。
「ごめんなさい、その苗字には聞き覚えがないですね。新しい社殿やこのお社の建立に携わった人の名前は残っているんですが、聞き覚えは……あ」
「……どうかした?」
和己は何かを思い出したようだったが、相変わらず腕を組んで、唸りながら首を傾げた。
「そういえば、一人だけ、いました。ここのお社の建立に携わった人間で、名前が残っていない人が」
その瞬間、タケルの指先に電流が走ったような気がした。別に何かに触れた訳では無い。思わず一瞬だけ手のひらを見つめたが、すぐにその事を忘れて、和己に話しかける。
「その記録が残っている史料って、見ることはできる?」
「もちろん!確かここに置いてあったはずなので、ちょっとだけ待っててください」
そう言って、積んである紙束の表紙を一つ一つ確認して、史料を探し始めた。これだけあるのだから自分も探した方がいいのだろうかと思って、紙束の一つに近づいたタケルだったが、表紙の草書体な読めるはずもなく、まず、いくら無造作に積んであるとはいえ、貴重な史料と思われるものに、一般人が触るのはよくないのではないかと考えて、探すのは諦めた。
何もすることがなくて、ぼんやりと和己の横顔を見ていると、今日初めてあったはずなのに、どこかで見たような顔だ、という気持ちになる。
まさかどこかで会ったことがあるのか?と思い、自分の短い半生を振り返っては見たものの、そもそも他人と深く関わらずに生きてきたタケルには、自分より年下の人間と会う機会などほとんどなかったため、該当するような人間も思い浮かばなかった。
そうやってタケルが考え事をしている間も、和己はあっちの紙束をめくり、こっちの紙束を動かし、と少々慌ただしく動いていた。だが、決してものをぞんざいに扱うことはしていない。
やがて、「ありました!」という声と共に、一冊の古文書を引っ張り出してきた。
「本当に!?ごめん、一人で探させちゃって」
「いいんですよ、ここの紙束、触るのちょっと怖いですもんね、破いちゃいそうで」
そう言って少し苦笑する和己には、前科があるのだろうか。そんな事を思い浮かべたが、ちょっと失礼だよなと思って、すぐにその想像は頭の中から消した。
「これ、なんて書いてあるの?ふじ……みや……」
「『藤宮神社ノ社由来縁起写』です」
タケルが読むのに詰まる中、和己は草書体の文字をすらすらと読み上げた。自分より年下なのに、この文字が読めるのは凄いなぁ……というのはタケルの心の中の感想である。そんなことをぼんやりと考えている間にも、和己は和綴じされているページをめくって、該当する文が書かれている場所を探し出した。
「このページですね。分かりやすく訳すと、『この藤の社を建てるに当たって、藤原氏、以下十三名の寄付を受けた』と書いてあります」
そう言って、ページの一部を指さした。タケルが覗き込むと、そこにはいくつかの名前が書いてあり、こちらも同じく草書体だったが、辛うじてタケルでも解読できそうだ。和己が史料を差し出したので、それをゆっくりと受け取る。
「ええと、服部に北大路、武田、福原、篠田、山内……」
タケルは指折り数えながら、名前を読み上げる。
「西園寺、深見、岡田、立花、桐山、竹中……、あれ?」
見間違いだろうかと思って、もう一度読み上げながら数え直す。だが、何度数えても名前は十二しか載っていない。
まさか藤原氏も含めて十三名なのか?とも考えたが、そんなはずは無い。以下十三名と書いてあるのだから、部下と思わしき人物名が、十三あるのが普通だ。
「この他の史料にも、建立に携わった人間は、藤原氏と以下十三名と表記されているにも関わらず、やはり十二名しか名前が書いていないんです」
和己が少しだけ悲しそうな顔をして呟く。タケルは史料から目線を上げて、和己の顔を見た。
「おまけに、たまたま見つけ出した史料は、割と最近作られた文書で、そもそも十三人目の名前が載っていないんです」
そう言って彼は、もう一冊の、タケルが手にしているものより古い史料の一ページを指し示した。
「その文書の原本では」
タケルはゆっくりと、そのページを覗き込む。
「十三人目の名前を、誰かが消しているんです」
ページの端の方、そこは、文字が墨で真っ黒に塗りつぶされていた。
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