第四話『少年と』
「珍しいですねぇ、お祭りが始まるのはもう少し先なのに、何も無い日にお客さんが来るなんて」
少年がにこにこと笑いながら石畳を掃く。浅葱色の装束を身にまとい、慣れた手つきで箒を動かしている。どうやら、彼がこの場所を掃き清めているらしい。年齢は中学生くらいのように見えたが、今日は平日である。学校はどうしたのだろうかと考えたところで、自分たちも人のことは言えないと二人は顔を見合せて肩を竦めた。
「私たちここのお社に調べたいことがあって来たんだけど……」
掃除の邪魔にならないよう、少し離れた場所からミコトが話しかける。その瞬間、にこにことしていた少年の顔がもっと嬉しそうに弾けた。
「それはちょうど良かったです!ここのお社は僕の庭みたいなものなので、なーんでも聞いてください!」
両手で箒を握り絞めて、少し食い気味に言うその幼さが残る姿が可愛らしい。タケルは、もしも自分に弟がいるなら、こんな子がいいなぁと要らぬ想像をする。
彼はミコトの予想通りこの神社に奉仕する人間だった。名前は
「頼もしいなぁ。それじゃあ、このお社の由来を教えて貰ってもいいかな?」
「勿論ですよ!お任せ下さい!」
和己は目を輝かせて、しかし手は止めず、やや興奮気味に由来を話し始めた。
――どこから話しましょうか、まぁとりあえずここの神社の概略だけ軽くお話しますね。
この神社・藤宮神社では、戦の神様・
さて、このお社、通称・『藤の社』ですが、こちらにも戦の神様が祀られています。しかし、あまり有名ではない神様な上に、古い記録というものが何故か尽く破棄されていて、正式名称はわからなくなってしまいました。
ただ、唯一わかっているのは、ここに祀られていらっしゃるのが、本宮が造営された時に協力を惜しまなかった人物であるということだけです。ここの神様は、その言葉からとって『お藤さん』と呼ばれています。
「ここまでは神社に伝わっている僅かな口伝と資料のみの情報です。ですが、この情報はお姉さんとお兄さんが知りたかったものとは違うみたいですね」
和己が目じりを下げて少し困ったように笑う。そして、二人は正に「自分たちの知りたかった情報とは少し違う」と考えていたところだったので、まさか心の内を読まれてしまったのではないかと内心焦った。だが、彼にそんな力があるわけでもなく、二人がわかりやすいぐらい不安げな表情を浮かべていたことが、心を読まれた原因である。
「実は、学術的な調査は入ってはいませんが、お社の中に少しだけ文書や絵画が遺されているんです。ここの管理は僕が任されているので、お社を開けて立ち入ることは可能なんですが……」
突然和己が、中々衝撃的な内容を話始める。社を開けてもらって、中を調べられるというのはありがたい申し出なのだが、それ以前にここの管理を任されているという言葉に、二人は驚いて顔を見合わせる。
「神職の家の子って、こんなに小さい時から一つの社を任せられるの?」
「まさか。私の家のお社の管理は、最低でも成人していることが条件よ、和己くんのお家がちょっと特別なだけだと思う」
声を潜めて、もう一人の神職の家出身が答える。どうやら、彼の見た目は完全に中学生だというのに、家の仕事を手伝っているという事実には、何かしらの複雑な事情が絡んでいそうだ。複雑な家庭事情という最初に思い浮かぶ選択肢より先に、最近連続しているという、神職一家集団失踪事件の事が頭をよぎる。
しかし、そんな心配や声を潜めて話している内容は、彼には聞こえていないらしい。ブツブツと何事かを呟きながら、腕を組んで考え込んでいる。先程まではあまり気にとめていなかったが、こうやって見ると彼は中性的で整った顔立ちをしている。
珍しく他人の顔をマジマジと見てしまったタケルは、決まりが悪そうに、それとなく目線を逸らした。
和己があまりに長い間黙り込んでしまったので、心配になったミコトが「大丈夫?」と声をかける。その声で考え込んでいたらしい和己は、ハッと顔を上げる。
「あっ、ごめんなさい!考え込んでしまいました」
「それは大丈夫なんだけど、お社を開けるの難しそうだね」
「え?ああ、いえ。お社を開ける分には問題ないんです、鍵は僕が持ってますし、中に誰を入れるかの判断も管理者である僕が責任を持てばいいんです。ただ、問題が一個だけあって」
そう言って和己は、二人に近くに寄るよう手招きをする。二人は疑問に思いながらも、和己に近づく。彼の身長は少し低めだったので、身をかがめるようにして、内緒話をするように耳を顔に近づけた。
「突然こんな事をお聞きしますが、先程お二人は何を見てましたか?」
二人はギョッとして顔を見合わせ、直後に石鳥居に視線を移す。そこは、先程まで変わった身なりの少女が立っていた場所だ。
彼女はミコトが近づくと、煙のように消えてしまった。その時点で人ならざるものであることはわかっていたのだが、それ以上の事はなにもわからない。元は人間だった霊体なのか、それとも人外なのか。
口を閉じたまま何も喋らない二人を見て、何を見ていたのかと問いかけていた和己だったが、彼には二人が何を見ていたのかがわかっていた。
「言わなくても大丈夫です。女の子、ですよね?近づいた途端、ふっと消えてしまいましたよね?」
ミコトは無言で頷く事しか出来なかった。それを見た和己は、ふぅと息をついて、石鳥居を眺めながら話し始めた。
「実は、社を開けてもいいのか悩んでいる原因というのが彼女なんです。どうも鳥居からこちら側には入ってこられないみたいなので、多分大丈夫なんですが、万が一社を開けることによって、何かしら結界に不具合が生じないとも言い切れないので」
タケルはいまいちわかっていないようで、首を傾げているが、何が言いたいのか理解出来たミコトは、「そっかぁ……」と元気の無い返事をした。
「こっちもみたいのは山々だけど、無理に頼む訳にはいかないし」
「お役に立てず申し訳ないです。僕、この社の中の絵がとても好きなんですよ、だから用がなくても、これだけは見てもらいたかったなぁ。せめてもう一人、神職の人がいたらよかったんですけど」
和己の言葉を聞いて、なにか思いついたようで、ミコトが「あっ」と声を上げる。
「もう一人?いるよ、ここに!」
「えっ、何処にですか!?」
「ここ!私!この周辺の結界に不具合が起こらないか見ていればいいんでしょ?それなら出来るよ!」
破顔して、しきりに自分の胸をバンバン叩いてミコトがアピールする。その突然の提案に、残された男二人はポカンとすることしか出来なかった。
「あれ、神職の家では結界を張ることは基本中の基本だし、祀ってある神様で大きく方法が変わるわけでもなかったはずだけど」
「え、あ、いえ、それは問題ないんですが、神職の方でしたか。ちなみに、どちらの神社でしょうか……?」
我に返った和己は、慌てて取り繕う。そういえば、自分もミコトの家の神社の名前を聞いたことがなかったなということを思い出した。
ミコトから告げられた神社の名前を、タケルは知らなかった。だが、さすがは同じ神に仕える人間というところだろうか、和己は「ああ、あの神社ですか」と合点がいったようだった。また、その直後に、お悔やみを言うことも忘れなかった。
「ミコトさんのご実家なら行ったことがありますし、確か結界のつくりもあまり変わらなかったと思います。ですが、いいんですか?」
「うん。まぁ、正直に言うと私も中を見たいんだけど、今はなるべく早く情報が欲しいから、贅沢も言ってられないからね。その代わり、タケル、ちゃんと中を見てくるのよ」
そう言ってミコトは、ビシッという音が聞こえそうなほど、勢いよくタケルを指さした。
タケルは、自分が行くよりミコトが行った方がいいのではないかと思ったが、それを告げたところで、タケルの先祖を調べているのだから適役はアンタしかいないし、そもそも結界の不具合の問題でミコトが残されるのだ。結界どうこうの問題は、素人のタケルにはどうにも出来ないので、結局彼が見に行くしかないのだ。
また、最近タケルが自分を卑下するような言い方をすると、「次に自分の友達を悪く言ったら殴る」と少々物騒なことを言われてしまったのだ。
もうこうなってしまったら、腹を括って大人しく社を見に行くしかない。
「うん、わかった」
タケルは力強く頷いた。
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