第二話『新しい朝』

 翌朝、タケルは誰にも起こされず目が覚める。枕元の時計を確認すると、朝の七時、なかなかいい時間に起きられたのではなかろうか。ここ最近は、神守衆の本部に行くためや、静の特訓のために誰かしらに起こされる生活が続いていたので、平日に誰にも起こされないのは、随分と久しぶりな気がした。

 そろそろと部屋の外に足を踏み出す。昨日の約束通り、今日屋敷内にいるのは彼とミコトだけだ。竜吾はいつも通り出勤していき、龍太郎が帰ってくるのも夕方だ。あとは、人並みに身だしなみを整えて、夜桜を待つだけだ。

 お手洗いを済ませ、先に朝ご飯を食べてしまおうと居間に入る。


「遅いぞおぬし。日が昇ってから何時間経っておると思っとるんじゃ」


「あ、タケルおはよう。ご飯なら炊飯器の中に入ってるよ」


 出迎えたのは、食卓に座る夜桜とミコトだった。


「え?あ、お、おはようございます……?」


 頭が混乱したが、一応挨拶を返す。遅い、遅いってまだ七時だよな?と疑問を浮かべつつ、ミコトの言葉通り炊飯機の中にご飯が入っているのを確認して、茶碗によそう。ああ、もしかして遅いというのは、五百年生きていると自称する、見た目は幼子だが中身は老人の感覚でものを測っているのだろう。味噌汁を注ぎながら少し失礼なこと思い浮かべていると、それを察した夜桜が「おぬし、なにか失礼なことを考えておるな」と釘を刺す。

 とりあえず、用意されていた朝ご飯一式をそろえて食卓につく。今日ここまでそろえてもらったのだから、明日は自分が用意しないといけないなと考えたところで、ふと違和感を覚えて目の前に座る夜桜を見る。

 彼女は、美味しそうに朝ご飯を食べている。

 文章だけを見ると、何もおかしいことはない。だが、この状況下では異常なのだ。


「え、なんでごはんを食べてるんですか!?」


「は?儂が飯を食ったらいけないという法律はないぞ」


 夜桜は食事をすることは当然の行為だと主張する。

 彼女の言うとおり、食事をしてはいけないという法律はない。それがだったとしてもだ。だが、問題はそこではない。彼女は食事をしているのだ。

 普通、といってもタケルはまだ未知の世界に関する知識は駆け出しなのだが、霊体で食事をするというのは無理があるのではなかろうか。霊体という文字の通り、死亡扱いになっていないとしても、身体が実在しないことに変わりはない。その状態で、実態をもつ食品を体内に入れるという行為をとってしまうと、口に運んだ食品は。それにも関わらず、彼女はタケルたちと変わらない方法で食事をとっているのだ。

 そんな考えを巡らせていたのだが、タケルの視線に気づいた夜桜がこちらを見返してくる。


「なんじゃ、儂が飯を食っとるのがそんなにおかしいか?」


「いえ、おかしいとか、そういうわけではなくて……」


「まあよいわ、大方霊体のくせになんで飯が食えるのかとでも思っておるんじゃろ。それに関してはな、儂もよくわからん。それより、朝ご飯をさっさと食べてしまわんか」


 食べている本人にもわからないとなると、説明はつけられないのだろう。このまま思考を巡らせ続けても堂々巡りな気がしたので、夜桜の言う通り、おとなしく朝ご飯を食べることにした。その様子を、ミコトはおかしそうにくすくすと笑いながら見ていた。

 食事と後片付けを終えた後、食後のお茶を飲んでいると、昨日の話の続きを夜桜が切り出した。


「さて、昨日の続きじゃが、おぬしらはタケルの祖先について調べておるんじゃな?」


 二人は首肯する。あの後、夜桜から家に残っていてほしいと言われたことを、ミコトに報告して、ある程度持ちかけられた話を話していた。


「はっきりとは思い出せなくて申し訳ないんじゃが、儂には錦小路という名前に聞き覚えがあっての。それで、少しだけなら手伝えるのではなかろうかと思ってな」


「そ、それは本当ですか!?」


 ミコトが驚いて席から立ち上がる。タケルも驚いていたのだが、理解が追いつかなくて固まってしまった。昨日まであんなにどうしたらいいのか悩んでいたのに、こんなに簡単にヒントがもらえてしまっていいのだろうか。


「聞き覚えがあるっていったいどういう……」


「うむ、いや聞き覚えがあるだけで詳しくはまだ思い出せていないんじゃが、知り合いに錦小路という名前をもつものが確かおったな、という程度じゃ」


「知り合い……、一体どういった種類?仕事仲間?近所の人?」


「仕事仲間かの?近所の人というか、同じ職種じゃったから近くに住んでおったというような……」


 ミコトが何かをきっかけに思い出せないか問いかけ続けるが、なかなかこれといった答えが出ないようだった。仕事仲間、と言ったところで、タケルも口を開いた。


「もし仕事仲間だったとして、夜桜はなんの仕事をしていたんですか?」


 すると、彼女はなぜか一瞬きょとんとした顔を浮かべた。その表情に、タケルは嫌な予感がした。


「まさか……」


「ううむ、そのまさかじゃ。どうも儂が五百年前になんの仕事をしておったのか、何の家に生まれたかが思い出せん」


 だろうな、と思ったタケルは頭を抱える。自分の名前を忘れるくらいなのだから、かつて自分がなにをしていたのかも覚えているはずがなかった。いやあすまん、すまん、と謝る夜桜の横で、何かを思いついたミコトが、あっと声を上げる。


「この間!タケルに刀渡してましたよね!?五百年前で刀ってなったら、武士の家、とかじゃないんですか?あの刀も、結構よさそうな刀でしたし」


 その言葉で、夜桜もなにかしら思い出せたようで、ああ!と声を上げた。


「そうじゃな!確かに武家と関わりがあることは確かじゃ!あの刀は家族の誰かから受け継いだ刀じゃったし、守り刀もほれ、ここに……あれ」


 帯のあたりをまさぐっていた夜桜の動きが止まる。


「な、ない……」


「ええっ、守り刀ですよね!?」


「む、まあ、もしかしたら霊体じゃと必要がないから置いてきてしまったのかもしれん……」


「置いてきたって、一体どこに……」


 横であたふたとしているミコトの手が、空中をさまよっている。だが、まず守り刀というものは、肌身離さず身につけているものではないのだろうか。もしそれを、本当に落とした訳ではなく、言葉の通り、どこかに置いてきてしまっているのなら、


「夜桜が、守り刀を置いていても大丈夫だと判断している場所……?」


 タケルの呟きに、ハッとしたのか少女は顔をこちらに向ける。どうやら何かしら思い出せたようだった。


「そうじゃ、藤の社じゃ!」


「藤の……社?」


 聞き覚えの無い言葉に、二人は言葉を繰り返す。社というくらいなのだから、何かしら神社に関係する場所なのだろう。

 神社に置いているとなれば、安心できる場所という条件は満たしている。だが、神社に置かれているとなると、それは奉納された品ではなかろうか。そうなってくると、基本的には持ち出しは不可能である。いや、もしかした

 ら夜桜なら何かしらの方法を使って持ち出してきそうなものなのだが、しかし、どうやって?

 二人で首を傾げていると、夜桜は解説を始めた。


「藤の社というのは、まぁその名の通り神社じゃ。ただ、普通の神社と違うのが、藤の花の名前を冠していることと、奥の院とでも言うのかの、そういった扱いをされている社じゃ。恐らくそこに、儂の探しておる守り刀があるはずじゃ。それに……」


「それに……?」


 一度口を噤んだのを、ミコトが催促する。


「うむ、それに、おぬし達に行かせようとしていた場所も、ここなのじゃ」


 その返答に、二人は顔を見合わせる。タケルはともかく、ミコトですら聞き覚えのなかった社に、一体何があるのだというのだろう。

 だが、今一番気になっているのはそこではない。彼女が刀を置いているというその社とはどのような場所なのだろうか。

 二人のその顔を見て、謎に塗れた少女は不敵に笑った。

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