第三章『月夜に散る桜』

第一話『魂迎えの日』

 倭国では、毎年七月になると先祖の魂を家に迎え入れる『魂迎え』の行事が執り行われる。魂を家に迎え入れる行事ではあるが、実際には家の祭壇に先祖霊は祀られているので迎え入れる必要はないのだが、外国から伝わってきた文化が混ざり合ううちに、関係のない行事がすっかり馴染んでしまったようなのだ。これがこの国と特徴ではあるのだが、なんとも不思議なものである。

 そういった理由で、今年も『魂迎え』の準備を進めているタケルなのだが、少し違うところがあった。一つは、今年は厳密には家族ではない人間がいることと、もう一つは初めてはっきりと先祖について興味を持ったことだ。

 『魂迎え』をするためには、玄関を掃き清めるところから始まる。夏真っ盛りのこの時期に落ち葉こそ落ちていないものの、しばらく掃き掃除をサボっていたものだから、細かい塵や砂が堆積していた。今日はあまり暑くない日だが、それでもうっすらと汗をかきながら、それらを門の外に掃き出しつつ、タケルは少し考え事をしていた。

 先祖のことについて調べたいと宣誓したのはいいものの、どうやって調べるかについて皆目見当もつかず、開始早々に行き詰ってしまったのだ。まず初めに、ミコトに「自分だったらどうやって先祖について調べるか」と質問したのだが、彼女の家は由緒正しき神職の家であったし、祖先について隠していることがなかったために、家族のもの、特にお年寄りに聞けば一発でわかるという全く参考にならない答えしか返ってこなかった。タケルの家では親類と呼べるものが、竜吾と龍太郎という叔父二人だけである上に、前者は何かを隠しており、後者はそのせいか全くと言っていいほど情報を持っていない。

 そういうわけで、開始早々に手詰まりを感じているのだ。もし自分の祖先が何かしらの功績を持っているのであれば、書籍や文献を当たればいいのだが、功績を持っているという話は聞かないし、そもそもどうやって調べたらよいのかという話である。

 正直こんなに大きな屋敷を持っているのだから、この地域に関することが書かれている文書を当たれば、何かしらのヒントくらいは掴めそうなのだが、その文書がどこに置いてあるかもわからない。これは完全に手詰まり。


「せっかくやる気を出したのに、これだとやる気なくなっちゃうなあ」


「なんと、無気力なお主がなんのやる気を出したんじゃ」


 タケルは空に向かって独り言を言ったつもりが、なぜか返事が返ってきて、驚いて腰を抜かして、尻もちをついてしまった。ぎょっとして声の聞こえた方向を見ると、またも楽しそうに笑う夜桜の姿があった。


「い、いつからそこに」


「いつからと言われてものう、あの社の一件以降儂は行く当てもないからなぁ。半分居候みたいな形でこの屋敷におるんじゃが、その様子だと気づいておらんかったな」


 タケルはいつの間に自分のそばに来たのだということを問いたかったのだが、そのように捉えなかったのかはぐらかされたのか、夜桜の口からは彼女が居候をしているということしか聞き出せなかった。まあ、過大解釈すれば、霊体のような状態である彼女にとって、この屋敷内という領域で自分はどこにでもいるということだろうか。

 彼がそんな考えを巡らせながら、立ち上がってズボンについた砂を払っている間にも、夜桜はなにに対してやる気を出したのかということを聞きたがっているようだった。その期待に応えるべく、先日の宣言の内容を手短に語ってみせた。勿論、近くに竜吾がいないことを確認してからなのだが。


「ほう、なるほどのぅ。妙に先日やる気を出しておると思ったら、そういう事情も絡んでおったのか」


 彼女の言う先日とは、恐らく庭先で稽古をつけてもらった時のことを言っているのだろう。確かにあの時は、なるべき早く静からの課題に合格するためにやる気を出していたが、その試練が終わった後というのは、ひたすら無気力な生活を送っていた。思い出せば、夜桜と会っているのはやる気を出しているときだけのような気がするのだが、その後の生活を見ているときに、こいつはこの状態の時が素なのだろうと判断されてもおかしくはない。

 また、家族間で秘密にされていることを、彼女に簡単に喋ったのには理由がある。それは、竜吾が彼女の存在を認知していないからである。

 最初に出会ったのは、タケルと竜吾なのだが、彼女があの社から離れて屋敷に来て以来、何度も竜吾の前に姿を現したり、声もかけたりしているそうなのだが、何故か彼は全く反応しないらしい。最初は無視されているのではないかと考え、明らかに誰でも顔をしかめるような邪魔をしたこともあるらしいが、それにすら全く反応しなかったようだ。

 そのため、彼女が竜吾にこの秘密をばらそうとしても、無駄骨に終わると考えたため、簡単に口を開いたのだ。逆に弟のほうは、しっかりと彼女の姿が見えているようだ。しかも、神守衆本部で路頭に迷っていた彼女に、うちに来たら?と声をかけたのが彼だ。結果的にタケルたちの家だったとはいえ、知らない霊体に声をかけて勧誘する叔父もどうかと思うし、知らない人間についてきてしまう霊体も考え物だと、タケルは密かに頭を抱えた。


「先祖のことについて調べたいか。まあ、儂に伝手がないわけではないんじゃが。うーん……」


 タケルはちょっとした愚痴感覚で漏らしたつもりが、どうやら彼女は真剣に考えてくれているようだ。伝手、というものがなにか気になる。まさか彼女が霊体なのをいいことに、先祖の霊を呼び出すのではなかろうか。霊が帰ってくる季節ではあるが、少し怖くなってタケルは鳥肌が立つのを感じた。


「ああ、そういえば、おぬし、名字はなんじゃ?」


「あれ、言ってませんでしたっけ。錦小路、ですよ」

 

 そんなことないよな、と思いながらタケルは答える。名字なら、初めて出会った社で名乗った記憶がある。何より『錦小路』と聞いて、なぜか嬉しそうに笑っていた彼女の顔が、目に焼き付いているのだ。

 合計二回も名乗ったというのに、未だに疑わし気な顔をしている夜桜に、門のところに表札かかってますよ、と言うとゆらゆらと表札を確認しに行った。


「む、本当じゃな、錦小路……にしき……」


 ほら見ろと言いかけそうになるタケルだったが、表札を眺めていた夜桜の顔が一瞬で青ざめるのが見えた。どうしたんだろうと訝し気になるタケルの元に、夜桜が急いで戻ってくる。彼女は足を使っていないので、駆けてくるのではなく、すぅと流れるようにして戻ってきた。


「おぬし、明日時間はあるか」


「明日?いや、特にはなにもなかったと思いますけど」


「ああ、それならいいんじゃ。明日、多分このことはあのおなごと共に調べておるのじゃろ?彼女と一緒に屋敷の中におってくれ、いいな?」


「わ、わかりました。でもどうして急に……」


 タケルの返事だけを聞いて、夜桜の姿が跡形もなく消えてしまう。彼女は姿を見せたり消したり自在にできると言っていたので、おそらく自らの意思で消えたのだろうが、理由がわからない。困惑していると、正解が向こう側からやってきた。


「あら、タケルくん。玄関のお掃除、僕がやるので大丈夫ですよ」


 門の向こうからやってきたのは竜吾だった。そういえば、彼は朝から『魂迎え』の買い出しに行ってくると言って出ていっていたのだ。夜桜は、表札を確認しに行ったときに、彼が帰ってくる姿を見つけたか、気配を察知したのだろう。見えていないはずなので消える必要はないのだろうが、念には念を入れよということだろう。ぼぅっとしてしまったタケルの顔を、彼は怪訝そうにのぞき込む。


「顔色が悪いですけど、どこか気分が悪いんですか?」


「え?いえ、おかえりなさい……」


 少しばかり覇気のない返事だったが、彼の無気力さ加減からしてみれば、このくらい大差ないものだろう。しかし、何故か竜吾はタケルの額に手を当てて、熱を測りだした。そんなに顔色が悪いのだろうかと、冷や汗をかく。


「熱は、ないですね。もしかしたら、外で熱にやられているのかもしれません。中に入って休憩しましょう」

 

 そう言って彼は玄関の中に姿を消した。

 実際先ほどまで夜桜と話していたことが、実は聞かれていたのではないかという焦りから、タケルの顔は少々青ざめていた。だが、竜吾は暑さのせいだと納得してくれたようで、一安心した。

 だからといって、休憩しましょうと言った彼の言葉は無視できない。というのも、昔水分補給を怠って遊びまわっていた時に、案の定脱水症状で倒れてしまい、それ以降、叔父は水分補給と休憩にはうるさいのだ。このまま掃除を続けると、恐らく雷が落ちるだろう。

 タケルは箒を物置小屋に片付けて、家の中に入った。

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