第十話『父親二』
「はいはい、そこまでだ、あんまり大暴れして可愛い後輩を泣かせないでもらえるか?」
聞き覚えのある声に、タケルはゆっくりと目を開ける。目の前には氷のナイフを振りかざした静と、その腕を掴む竜太郎が立っていた。
「冗談よ、冗談。なに、邪魔しないから訓練の様子を見せてくれって約束忘れたの?」
そう言って静は、氷のナイフを消滅させた。それを見た龍太郎は腕を掴んでいた手を放す。解放された彼女は、腰を抜かしているミコトの元に歩いていくと、ごめんねと言いながら、彼女を引っ張って立たせた。ミコトはまだ、開いた口が塞がらないといったように、唖然としている。
何が起こっているのか頭の整理のつかないタケルを、龍太郎が引っ張って起こす。冗談?冗談と言ったのか、あの怒りが、殺気が。
静が本気で殺しに来ていたわけではなかったという安堵と、それでもあの怒りは恐ろしかったという恐怖で、タケルは引きつった笑いしか浮かべられなかった。人間感情に困ったときは、とりあえず笑ってみようとするものだ。
「龍太郎さん?どうしてここに……?」
今日ここの神社まで送ってきたのは竜吾だ。おまけに龍太郎は昨日夜勤だったはず、まさか退勤後にわざわざここまで来たのだろうか。二人は怪我人たちを立たせると、社の入り口にある石段に腰掛けさせた。
「うーん、まあ心配だったからな。俺の可愛い甥っ子が暴力女に泣かされてたらたまったもんじゃないし」
「何が暴力女よ、この過保護、叔父馬鹿っていうのはこういうことね。もうちょっと冒険させてみても、罰は当たらないわよ」
静は口で龍太郎に口答えしながら、手はミコトの全身にできた擦り傷を、どこからか取り出した救急セットで応急処置を始める。龍太郎も、タケルの腕が凍傷になっていないか確認して、念のため布で覆って温め始めた。
タケルの不安げに見つめる視線に気づいたのか、目を見てニッと歯を見せて笑い、大丈夫だ、と言った。
二人の処置が終わると、まず最初に静が頭を下げた。
「ごめんなさい、元々軽く怖がらせる程度に本気を出すつもりだったのだけど、つい我を忘れて熱くなってしまったわ、謝ります」
「まあ、俺が止めに入っていなかったら、どこまでいくのかも見てみたかったけいてててて、ごめんって、ごめんって!」
龍太郎の茶々に、静が頬をつねる。そのやり取りを見ていると、少し気持ちが落ち着いた。タケルとミコトが顔を見合わせてくすくすと笑うと、憔悴しきった彼女の顔に少し笑みが戻った。
「大丈夫です、自分たちにまだ足りないものがあるってわかりましたから。もっと訓練を積んで強くならなくちゃ」
そう言うミコトの顔は、愁いを帯びていた。おそらく彼女は自分の家族の身を案じているのだろう。自分がもっと強ければ、そして手遅れかもしれなくても、仇を倒さなければ気が済まない。
タケルがそんな想像を巡らせていると、再びミコトが口を開いた。
「それに、タケルの父親についても教えてもらわなくちゃいけないし、ね?」
最後の言葉は、タケルの目を見て同意を求めるように言った。勿論彼も、頷いて肯定する。
その言葉を聞いた静は、少し困ったように笑った。
「まあ、あそこまでやられちゃったらね。私は約束は守る女よ、いいでしょう合格点よ」
「はい、だからもっと強くなって出直し……、えっ?」
二人は目を丸くする。その表情が面白かったのか、静は口元に手を当てて肩を震わせ、龍太郎はお腹を抱え、声を出して爆笑した。
「今なんて……」
「ええ、合格って言ったの。個人で戦う分にはまだ不安が残るけど、二人一組で戦うのならば申し分ない連携よ、だから合格」
タケルは開いた口が塞がらない。しかし、徐々にその言葉の意味が伝わってくる。試験のようなものは今までいくつも受けてきたが、合格出来てこんなに嬉しい気持ちになったのは初めてだ。嬉しさのあまり、思わずミコトの顔を見ると、彼女も嬉しそうに笑っている。やったね、と声をかけられると同時に、ハイタッチをする。
そこまでしたところで、タケルの中に疑問が浮かんだ。
「あの、父さんのことを教えてもらえるのは嬉しいんですけど、龍太郎さんの前で言ってよかったんですか?」
それをぶつけると、龍太郎は困ったように頭を掻く。そして助けを求めるように静の顔を見たのだが、知らないわよ自分の過ちくらい自分で償いなさいな、と言って突き放した。
数分の後、決心したようで、ようやく口を開いた。
「言い訳が少し長くなってしまうが、いいか?」
タケルが神妙な顔つきで頷くと、叔父はふうと一息ついて話始める。
「まず兄貴、お前の父さんについて今まで話してこなかったのは、義姉さん、お前の母さんの遺言があったからだ。理由はまあ、余計に悲しませたくないだとか、余計な心配をさせないようにってことだった。だが、それもある程度の年齢までいって、物事を理解できるようになれば話してほしいと言っていたんだ。だから本当なら高校生になる頃に話すつもりでいたんだが、竜吾が反対した。言い訳に聞こえるかもしれんが、俺は話べきだって言ったからな。でも、あいつが絶対にそれを許さなかった」
今までタケルを見つめていた視線が、フッと逸れる。真実のほどは定かではないが、少なくとも竜吾の意見に反対したというのは本当だろう。今まで何年も一緒に過ごしてきた兄弟だということもあって、容姿以外は何かとそっくりな二人なのだが、実は根本的なところでは正反対の性格をしていることを彼は知っている。
二人はタケルを不安にさせないように、目につく場所での口論は避けていたのだが、同じ屋根の下で生活する以上、全てを避けることは不可能だった。そのため、二人の意見が真っ二つに分かれて、口論をしているところを何度か目撃したことがあった。
「……竜吾さんは、何をそんなに隠したがっているのでしょうか」
ミコトが誰に聞くまでもなく呟く。それを聞いた龍太郎の顔が苦痛に歪む。驚いたタケルが声をかけようとすると、今度は静が口を開いた。
「実はね、同じ兄弟だけど、タケルくんのお父さんの死に関する全てのことは、竜吾が秘密裏に片づけてしまっているの。兄さんは死んだ、だなんて言っているけれど、誰もその遺体を目撃していないの」
タケルは驚きのあまり絶句する。目線をずらして叔父の顔を見ると、苦い顔で首肯する。
遺体が目撃されていない、というのは納得ができた。というのも、彼の母親が亡くなって遺骨をお墓に納めるときに、父親がこの墓に入っていない、という話を参列者がしていたのを聞いたことがあるからだ。遺体がないのに、どうやって遺骨を墓に納めようというのだ。
また、それだけではなく、遺骨どころか墓碑や家の祭壇に祀られている祖先の名前を記した文書に、名前が刻まれていないのを確認している。名前を刻むのは亡くなった人だけ、つまり裏を返せば、父親はまだ死んでいないという扱いになっているのだ。
そのことを何も知らなかったミコトに説明すると、不満そうな顔をしたが何も言わなかった。おそらく彼女以上にタケルの方が混乱しているだろう、と判断したからだ。
「情けない話だが、これが事実だ。俺は家族のくせに、なぜ竜吾が兄貴を死んだことにしているのか全く知らない。知らされていないって言い訳するなんて、薄情な弟だよな」
龍太郎はそう言って、自嘲気味に笑った。
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