第九話『反撃開始』
太陽が真上に来る頃、前回訓練を行った神社の敷地内で、再びタケルとミコトは静と対峙していた。
前回は静とミコトの動きに気を取られてしまっていたタケルだったが、今回は違う。ただ眺めているだけでなく、自分も戦士の一人なのだという自覚があった。
夜桜に特訓をつけてもらう中で、戦いとは縁のない生活を送っていたタケルにも『殺気』というものがわかるようになっていた。しんと静まった空間の中で、揺らめく陽炎のようなものが静から伝わってくるのがわかった。
最初に静が言った「じゃあ今日の訓練を始めるわね」という言葉以降、誰一人として声を発していなかった。ただ緊張感の漂う中、にらみ合っているだけである。静が不意打ちをしてこないということはわかっているのだが、集中を切らすわけにはいかないので、タケルは冷や汗をかきながら、左手に下げた刀を握りしめた。
タケルがちらりとミコトを見ると、彼女もそれに気づいて小さく頷いた。
「いくわよ」
その二人の動作を見ていた静は掛け声と同時に、ミコトにとびかかった。今度は氷のナイフを投擲はしなかった。そのかわり、とびかかった瞬間にナイフを手の内に生み出し、ミコトの顔にまっすぐ振り下ろした。
前回だったらタケルは思わず声を上げてしまったかもしれないが、何度も特訓を繰り返してきたので、これしきのことでは全く動じなくなっていた。それと同時に、この程度の攻撃であれば、ミコトは余裕で避けられるという信頼もあった。
タケルの思惑通り、ミコトはナイフをギリギリで避けた。この一見危なげに見える動作というものも、計算の上でやっていることも知っていた。
ナイフを避けたミコトは、避けられたことによって、静がバランスを崩した一瞬を見逃さなかった。素早くナイフを握る手に蹴りを入れるとナイフを叩き落した。手から離れたナイフは、一瞬で砕け散った。それはミコトの『音』によるものだ。
しかし、その程度の抵抗で怯む相手ではない。すぐさま新たなナイフを作り出すと、反対の手で下から切り上げる。ミコトはそれを後ろに飛んで避ける。この程度の攻撃なら、避けることは造作もない。
「へえ、なかなか腕を上げたんじゃない?」
空いた手を腰に当て、ナイフくるくると回しながら、静は余裕そうに笑う。事実、前回はまだまだミコトの動作に無駄があったし、何より病み上がりのため、かなり動きが鈍かった。だが、今回は本調子に復帰しているというか、前回とは比べ物にならないほど動きが良い。
「そうですか、ありがとうございます」
ミコトが嬉しそうに笑う。その瞬間にも、彼女は反撃を開始した。足を踏み鳴らし、天を仰ぎ、美しく旋回する。
本来、彼女の舞闘というのは、舞を舞うことによって身体能力を強化していく戦い方だ。最初は動きが鈍かった機械が、温まることで調子が出てくるようなもの、と言ったところだろうか。そのため、彼女の舞が最高潮に達したとき、この武術本来の強さが発揮される。
しかし、逆に考えれば舞の最高潮にさえ持っていかなければ、この武術の本来の力は発揮されない。そのことを静は熟知している。彼女の舞を阻止することが、この場で最良の戦術だ。
幸いなことに、舞始めというのは非常に無防備である。ここで舞を阻止さえしてしまえば、静の独壇場だ。
だが、妙なことに気づく。先ほどからタケルの姿が見えないのだ。大方、まだ接近戦では敵わないことは十分理解しているだろうから、ミコトの舞をサポートするため、遠距離から狙ってくるつもりなのだろう。つまり、ミコトだけに注意を払うのではなく、周りの警戒もしなくてはならないのだが、その程度のことはこの仕事を始めたときからやっていることだ。今更特に気にすることはない。
ミコトに向けて足を踏み出す。その瞬間、首筋にヒヤリと冷たいものが当てられる。
「なに!?」
静は咄嗟にそれを掴むと、渾身の力で凍り付かせる。
「冷たぁ!!」
驚いた影は、凍りかけた右腕を押えて飛びずさる。タケルだ。驚いて右手に握りしめているものを見つめると、闇の力をまとった刀だった。いくら『氷』の力を使っていたとしても、彼女が握っているのは刃の部分だ。夢中で握ったときは気づかなかったが、手のひらにピリピリとした痛みを感じる。おそらく、刃を引けばもっと酷い切り傷になるだろう。
いつの間にこんな奇襲を仕掛けられるほどまでに……、と感心していたのもつかの間、静は重大なことを忘れていた。そう、ミコトの舞だ。タケルに気を取られている隙に、彼女の舞の精度はどんどん上がっていく。
視界の隅で、タケルが不敵な笑みを浮かべるのが見えた。
まずは後頭部に激しい痛み、思わず顔をしかめる間に右肩にも衝撃。握りしめていた刀を、痛みから落としてしまう。間髪入れずに脛に痛み、次の頭部への攻撃は防げたが、一度調子に乗った舞から繰り広げられる連撃は、そう簡単に防ぐことはできない。その次の蹴りは直撃した。
ミコトは初めての体験をした。一度流れにさえ乗ってしまえば、後は勝手に手足が動く。彼女には戦っているという自覚はない。ただ、舞を舞っているだけだ。それがどうしようもなく楽しくて、楽しくて、楽しくて、思わず口角が上がる。こんなに気分が高揚するのは初めてだ。ああ、このまま永遠に舞続けたい!こんなに夢中になれたのは初めて!
だから彼女は、静の反撃に気づけなかった。
地面に転がって右腕を押えていたタケルは、ミコトの動きが止まるのを目撃した。何が起こっているのかわからない。普通、彼女の舞というのは徐々に動きが緩くなっていくものなのだが、今は急ブレーキをかけたように停止した。こんな止まり方をすれば、体に大きな負担がかかると言っていたのは彼女自身だ。それに、動きを止めた彼女の様子がおかしい。
静に与えられたダメージの影響か、痛みでかすむ視界でミコトの姿をしっかりととらえる。そして、なぜ彼女が動きを止めたのか、理解した。
彼女は全身を負傷していた。
なぜ?あの舞というのは攻撃だけでなく、無意識化に攻撃を受ける前にかわすこともできる。いわば、一種の無敵状態ということになる。そのため、一度最高潮にさえ達してしまえば、負傷することなどありえない。その答えを考え付くより先に、視界に正解が映った。
静の様子もおかしい、いや、正確には背中を見ただけで感じられる雰囲気が異様なのだ。初対面の時から、感情の激しい人だとは思ってはいたが、それはあくまで第三者の受ける印象であり、彼女の本質は名前の通りもっと静かな人だというのが、タケルが持っている印象だ。しかし、今の彼女からそんな静けさは全く感じられない。今彼女を支配しているのは、彼女の『氷』とは対極に位置する怒りの炎だ。
「まあまあよくも、なめてくれたものね」
穏やかに笑っていた彼女からは、想像もつかないような憤怒の表情。その怒りはミコトに向けられたものか、タケルに向けられたものか、はたまた不甲斐ない彼女自身に対する怒りか。
そこでようやく、どうやってミコトに怪我を負わせたかが判明する。彼女は氷の鎧をまとっていた。しかし、ただの氷なら『音』の攻撃さえ当てれば砕け散る。あの連撃の中、彼女の鎧が攻撃を耐え続けた理由。
それは、彼女が己の体を媒体として鎧を作っていたのだ。
基本的に”始祖の血”の力、特に実態を持たないものは、生身の人間に影響を及ぼすことは不可能だ。タケルの『闇』の力では、神に対抗することは出来ても、人間にかすり傷一つ負わせることさえできない。それを理解していたため、先ほどは『闇』の力で刃を保護し、静に切りかかったのだ。
しかし、それを逆手に取れば、己の体を防具にしてしまえば”始祖の血”の力では、それを破ることは不可能になる。たった一瞬でそれを判断した静は、表皮の水分を氷に変換し、突破不可能な鎧を身にまとったのだ。
見た目にはっきりとした変化は見られないのだが、よく見ると皮膚が凍り付いていることがわかる。その固い皮膚が防具であり、彼女の武器となっていた。突破不可能な鎧が、気づかずに攻撃し続ける無防備なミコトの肌を傷つけていったのだ。
その傷の影響か、ミコトは膝から崩れ落ちる。意識はあるようなのだが、思わぬ反撃に呆然としている。
ゆっくりと静が振り向く。次はお前だと言わんばかりの表情だ。
今回の作戦は、ミコトと連携して静へ対抗するといったものだった。しかし、相棒が戦闘不能になってしまえば、もう反撃は不可能だ。大人しく彼女の怒りの制裁でも受けようと、タケルはゆっくりと目を閉じた。
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