第七話『秘密の特訓』
額から滝のように流れ出す汗を手で拭いながら、タケルは縁側に腰をかけた。そこに置いてあった手拭いを手に取り、身体中の汗を拭き取る。
そしてそのまま、コップを手に取り、氷の入った麦茶を口に含んで、一気に全てを飲み干す。冷やされた液体が喉から胃に落ちて行くのを感じ、身体に元気が戻ってくるのをじっと待っていた。
残された氷をしばらく見つめていたが、やがて目線を上にあげた。この先には、昔ながらの家屋特有の広い庭が広がっている。
そこには、無言で向き合っている夜桜とミコトがいた。
「来い」
夜桜がそう呼びかけると同時に、ミコトは目にもとまらぬ速さで飛びかかった。
ミコトが右の拳で夜桜を容赦なく殴りつけようとする、しかしそれを彼女は素手だけで受け流した。
その後もミコトの攻撃は連続する、右を外せば左の拳、それも受け流されれば右の蹴り、かわされた直後の左の蹴り、絶え間なく続く攻撃を、夜桜はただ受け流し、かわし、かといって自分から攻撃をすることはなかった。
タケルは、ミコトは一体なんの武術を会得しているのだろうかと疑問に思っていた。
どう見ても柔道ではないし、空手かと思えば少し違うような気もする、この国の武術ではないのかもしれない。
しかし、一瞬だけ、彼女の動きは武闘というよりも
やがて二人の動きが止まる。ミコトは大量の汗を流し、肩で息をしていた。
夜桜の方は何ともないような涼しい顔をしていたのだが、ミコトのその様子に気づいて、よし休憩とするか、と声をかけた。
二人は揃って縁側に戻ってくる。それを見たタケルは慌ててミコトのコップに麦茶を注ぎ、手渡した。
「ありがとう」
そう言って受け取ったミコトは、手で顔を扇ぎながら麦茶を一気に飲み干した。そして縁側に腰かけ、大きく一息をついた。
「ミコト……と言ったかのぅ、おぬし中々よい筋をしておるの」
「そうですか、ありがとうございます」
腕を組んで楽しそうに告げた夜桜のその言葉に、ミコトは微笑んで返したが、その微笑みの中に少し陰りがあった。
夜桜はそれを見逃さなかった。
「しかし、なぜじゃ、そんなに浮かない顔をしておるのは」
そう言われると、ミコトはコップを手にしたまま俯いてしまった。
黙っていた時間はほんの数秒だったのだが、タケルにはその沈黙がとても長い時間に感じられた。
ミコトは心を決めたのか、ふぅ、と一息を吐くと、心象を語り始めた。
「夜桜さんは、私の実家、西園寺家について知っていますか」
タケルは一瞬だけ夜桜の顔を盗み見る。
夜桜は思ってもいなかった質問に少しだけ驚いた表情をみせたが、すぐに真顔に戻った。
「ああ、西園寺家とは
ミコトは頷く。
しかし、タケルには天鈿女命と言われても、神である事は理解出来たが、何の神であるかについては全くわからなかった。
それを察したのか、ミコトはその事について解説を話し始めた。
「天鈿女命、というのは、大昔、まだこの国が産まれたばかりの頃に、
タケルはその話は何となく聞き覚えがある事を思い出した。
だが、この話を聞いたとすれば、神の存在を隠していた叔父からではなく母親からである。
そんな話を母親がしていた事があっただろうか、と一瞬疑問に思ったが、そんなことは後で考えようと、頭から振り払った。
ミコトは話を続けた。
「天鈿女命を祭神としている家だから、西園寺家では、どんな形でもいい、芸能に関わることが必須だった。けれど私は」
「芸能に才がなく、武術の方が得意だった、ってところじゃな」
ミコトの言葉を引き継いで夜桜が続けた。
一瞬驚いて、目を見開いて夜桜の顔を見たようだったが、当たりだったようで、はい、と小声で呟いて再び下を向いてしまった。
そんなミコトに、どう声をかけるべきかタケルが悩んでいる横で、夜桜も何を言うべきか悩んでいるようだった。
しかしそれは一瞬で、夜桜は、儂はそんな事ないと思うぞ、と声を発するとともに再び庭の真ん中の方へと移動していった。
何をする気だろうとタケルは夜桜を眺める。それはミコトも同様だったようで、顔を上げてじっと夜桜を見つめていた。
その瞬間、夜桜は右腕をしなやかに伸ばした。指先まで綺麗に伸ばし、精神を行き渡らせたその腕を上へ持ち上げ、何かを掴み取るように、指を小指から折り畳み、拳を胸の前におく。
それが夜桜の舞の始まりだった。
決して早くはない、緩やかな動きではあったがそれは確かに舞であった。よく言うところの踊り子、というよりは、能に近いもの、しかし、それは人間がみて娯楽として楽しむ舞ではなく、神前で踊る、神聖さを感じる舞だった。
それに加え、夜桜の纏っている衣装、あちこちに桜の花びらが施されていることもあり、その姿はまるで、桜の開花を心から喜ぶ精霊の美しき舞のようであった。
タケルは、もう桜は散ってしまったはずなのに、花びらが桜吹雪として庭で舞っているような錯覚を覚えた。
やがて、ゆるりと夜桜の舞が止まる。
本来なら敬意を払って拍手をしなくてはいけないのだが、タケルとミコトはそれどころではなかった。
夜桜の美しい舞に圧倒され、言葉も出なかった。
「……なんか呆気にとられておるようじゃが、ミコト、おぬしが憧れておった舞というのはこういうものであろ?」
話しかけられて、ようやくミコトは我に返る。
そして、先程までの美しい舞で頭の中は、ぼんやりとしていたのだが、はい、という返事とともに頷いた。
「じゃがな、舞、というものは神に捧げるためだけの神聖なものだけではないのじゃぞ。おぬしは、舞いながら戦う方法というものを知っておるか」
夜桜のその言葉をタケルは理解出来なかったが、ミコトは何かに気づいたらしく、息を飲んで言葉の続きを待っていた。
「舞闘、とでも言うのかのぅ。舞を舞うことによって敵を翻弄し、しなやかな動きで迎撃する。それにおぬしの『音』の力も付け加えれば、それはそれは美しい舞になるであろうな」
そう言われたミコトの顔には陰りは見られなかった。
タケルはぼんやりと先程のミコトの動きを思い出した。そして気がついた。
あの時、タケルが舞のようだ、と思った瞬間、あの一瞬だけ涼しい顔をしていた夜桜の顔が、歪んだのだった。
夜桜が少し満足気に微笑んでいたところで、タケルはかねてからの疑問を聞いてみた。
「あの、ミコトの『音』って結局どんな力なの?」
その質問にミコトは一瞬何と答えたらいいのかを悩んだ。
というのも、西園寺家としての『音』の使い手としては未熟である上に、先日の静のように実演するのが難しい力であったからだ。
しかし、ミコトのそんな心配をよそに、夜桜の方から説明を始めてくれた。
「『音』というものは何とも実演が難しいからのぅ、結論から言ってしまえば、歌や楽器に近いもの、になるかの」
そう言った夜桜は、同意を求めるようにミコトの顔を見た。
その説明に偽りはなかったので、ミコトも頷いた。
しかしそうは言われても、タケルはいまいち納得出来ないでいた。
「じゃあ、あの時静さんの氷を触らずに割っていたのは?」
「あれはね、超音波みたいなのを出しているみたいなんだけど、普通の人の耳にはその音は届かないからわからないよね。私も見ず知らずのうちに身についてたから言葉にするのは難しいんだけど」
タケルの疑問に答えてはくれたのだが、力を使うミコト本人ですらよくわかっていないようだった。
それを見かねた夜桜が口を挟んだ。
「まぁ、今はわからんでも、そのうちわかるようになるもんじゃよ。"始祖の血"の力とは自然の力、自分の内から湧き上がる力に身を委ねよ、さすれば自ずと何が正解かわかるようになる」
そう答える夜桜の目はどこか遠くを見つめているようだった。その夜桜を二人はぼんやりと見つめていた。
夜桜の言葉の意味はよくわからなかったが、いつかわかる時が来るのだろうかと、その言葉を心の奥にしまい込んだ。
「さて、ミコトよ、おぬしは少し気を張り過ぎじゃ、少し休んでおれ」
その言葉にミコトは反論したげだったが、少し何かを考えて俯いてしまった。
夜桜はタケルの方に向き直った。
「そろそろ休まったじゃろ、続きを始めるぞ」
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