紅奇譚 神殺しの物語

第八話『母との記憶』

　徽章が出来上がったので取りに来て欲しい、という伝言を竜吾が伝えに来た翌日、タケルは龍太郎と共に、『神守衆』本部へと向かって行った。ただ、前回と違うのはこんこんと眠り続けていた少女・ミコトが同行しているということだった。

　彼女は、龍太郎が家に連れて帰ってきた二日後に目を覚ました。目覚めた瞬間は記憶が混乱していたのか、ずっと誰かの名を呼んでいたようだったのだが、タケルにはわからなかった。だが、竜吾は何を言いたいのかがわかったのか、ええ大丈夫です、だからとにかく今は休んで回復してくださいと説き伏せて、彼女は再び眠りについたのだった。その翌日からめざましい回復を見せ、今朝にはほぼ全快になっていた。

　まだ寝ていたほうがいいのでは、と聞いたのだが、体を動かしたいし心配かけてるだろうから本部へと顔を出したいと言って二人についてきたのだった。

　タケルは足取り軽く歩いていくミコトと、それを気遣いながら歩く龍太郎の後ろ姿を見ていた。ミコトは長い黒髪をうなじのあたりで一まとめにしていた。

　そして、目を覚ました時に気付いたのだが、彼女もタケルと同じような赤い瞳を持っていた。それがずっと気になっていたのだが、失礼になるかもしれないと思い、聞けずじまいになっている。

　また、叔父二人は身元を何かしらで知っていたようだったのだが、それも失礼かと思い聞いてはいなかった。タケルは同じ年頃の女の子とあまり話をしたことがなく、どう話したらいいのかがわからず、ここまで簡単な挨拶しかできていない。

　そんな事を考えているうちに、屋敷へと到着する。再び履物を脱ぎ、靴箱へと収めると、大広間へと歩いて行った。

　大広間では前回とあまり変わらない様子だったが、景虎だけは竜吾と机の上に置かれた紙を眺めながら腕を組み、難しい顔をして何やら考え事をしているようだった。

「あれ、ミコトさんも一緒に来たんですか？」

　竜吾の方が先に気付いたようで話しかけてくる。それで大広間に人が来たことに気が付いた景虎は、こちらを向いて優しく微笑みかける。

「おはようございます」

　挨拶をすると彼女も「おはよう」と挨拶を返した後、少し待っててくれと言いながら広間の奥にある襖から廊下へと姿を消した。

「一人残しとくのも不安だしな、本人も来たいって言ってたからいいだろ」

　それを聞いて、あなたはそれでも大丈夫でしょうけどミコトさんは女の子なんですよ、体力も体のつくりも違いますと、呆れ顔をしてどうやら珍しくイラついているらしい。当の本人はというと空返事をしているだけで、話を聞いている気配がない。

「徽章、何色になると思う？」

　突然ミコトに話しかけられて、タケルは文字通り飛び上がってしまう。それが少し恥ずかしくて、耳が赤くなるのを感じた。変な勘違いをされていないといいのだけど、と内心心配になる。

「何色なんでしょう……”始祖の血”とやらの力はあるとは言われたんですが……」

　そう答えると、彼女はなぜか愉快そうに笑った。

「同じような年齢なのに、敬語なんて使わなくていいんだよ。”始祖の血”の力があるんなら、『仁』か『礼』のどちらかだね。『仁』になったら一緒に仕事に行って欲しいなぁ……」

　最初の方は明るい調子で励ますようにいっていたのだが、言葉の最後の方には哀しげに尻すぼみな声になり、俯いてしまっていた。詳しく説明はしてもらっていないのだが、恐らく怪我をした前回の仕事の事を言っているのだろうと推測する。

　だが、一番困ったのは敬語を使わなくていいと言われたことだ。

　彼が敬語を使い続けるのには少し理由がある。最初に叔父二人に引き取られた時、常に側にいたのが竜吾で、その敬語がうつってしまったのだ。

　しかも、敬語を使っていることに対して、叔父二人から指摘されることなく、同級生とも話す機会もなく現在に至るため、他人に話しかける時に敬語を使うのが癖のようになってしまい、なかなか直そうにも直せないままになっている。

　そのせいか、敬語を使わずに話しかけるとなった時に、普通の言葉はどのようなものだったかと、要らぬ悩みを抱えることになってしまっている。

　この言葉でおかしくないだろうかと、注意深く言葉を選んで口に出してみる。

「で、でも、俺じゃなくても他に行ってくれる人がいるんじゃない……？」

「残念ながらそれがいないんだよ、タケルくん」

　いつの間にか広間に戻ってきた景虎が会話に割り込んできた。四人の視線が彼女に注がれる。

　タケルが、わかりやすいくらいなぜ、という顔で景虎の顔を見つめていると、続きを話し始めた。

「今この組織の総数は二千人といったところだ。それを四地方に分けているからそれぞれ五百づつ。この本部にはその中で『義』と『智』が合わせて四百人、『信』が五十、『礼』が三十、『徳』と『仁』は二十しかいない。これも他の地方になると、『義』と『智』の割合はぐっと減るから『神殺し』をしている人間はずっと少ない。でも今まではこれで足りてたんだ。だが、最近はそれじゃ間に合わない、そういま連発しているあの事件のせいだ」

　景虎は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

　その話を聞いて、タケルは連日報道している事件を思い出す。この国各地で頻発しているという、神職に勤めている人間が次々と行方不明になり、参拝に訪れた人々も忽然と消えてしまう事件。タケルの住む地方でも、知っているだけで四件は起こっているようだった。

「その調査に向かわせた『神殺し』も、行方不明になっているんだ」

　景虎は苦痛に顔を歪め、拳を握りしめた。

　本当なら自分が調査に赴き、原因を探して仲間を救出なり、最悪な状況でもせめて家には帰してあげたいと考えているのだが、残っている組織の人々からあなたが行ってなにかあれば『神守衆』はどうなるんですかと止められた。本部で行方不明の人々を待ち、遠くからの報告を受けることしかできず、自分の無力さに心底腸が煮えくり返っているのだ。

　これまで滅多に見せることはなかった彼女の激しい感情に、それまで作業に没頭していた人間も、思わず手を止めて副長の顔を見る。

「……戻ってこられたのは、私が最初なんです」

　タケルの横にいたミコトが俯いたまま、呟く。タケルはハッとして彼女を見た。なぜ本部へと行かせて欲しいと言っていたのか、ようやく理解ができたのだ。

　何か声をかけるべきかと思ったが、なんと声をかけてよいかわからず、彼も俯いてしまう。

「それ故に、今ここに残っている『神殺し』は私と竜吾、ミコト、そしてタケルくん、君だけなんだ」

　タケルは驚いて副長の顔を見た。

　少しだけ柔らかい顔つきに戻った彼女は、右手に何かを持っており、それをタケルに差し出している。よく見ると持っているものは、薄青の紐を石に通した徽章、薄青の色は小仁を示し、『神殺し』である事を証明する色だ。

「そんな、どうして……！俺にはできません！」

　自分に何かしらに力があることは理解していたが、実際にそれを突き付けられるとたやすくは受け入れられない。タケルは懇願するような顔で副長の顔を見る。

「いいや、君ならできる。君の中にある『闇』の力っていうのはそういう力なんだ」

　副長は拒絶するタケルの手に無理やり徽章を握らせ、その手を両手で包み込む。その手があまりに冷たくて、彼は驚いた。

　驚いて顔を見つめると、遠くからでは薄暗くてわからなかったのだが、あまり顔色が良くなく、目元にはクマが浮かんでいる。

　彼女は、過労と心労でもう何日もよく眠れていない、行方知れずになった仲間のことを思うと、寝ている時間さえも惜しくなってくる。

　彼女の顔は、まだ会って数日のはずなのに、何故か懐かしくて、唐突になにかの記憶が頭に思い浮かんだ。

　明るい陽の光が差し込み、爽やかな風がカーテンを揺らす。いつも顔色が悪かった母親だったが、その日は気分が良かったようで、上半身を病室のベッドの上に起こし、風に弄ばれる長い黒髪を耳にかけながら、読書をしている。そうだ、今の景虎の顔というのが、記憶の中にある母親の顔色とよく似ているのだ。

　その様子を、どちらかは忘れてしまったが、叔父に手を引かれ、病室の入り口からその光景を眺めている。

　彼がまだ、神様を信じていた頃だ。目に映る日の光に照らされた母親の姿があまりに美しくて、神様が願いを聞き届けて、お母さんを救ってくれようとしているんだと、タケルは嬉しくなって、いつのまにかにっこりと笑っていた。

　その様子に気づいたのか、母親は本を閉じてタケルに手を振る。叔父の手を離し、母親に駆け寄る。

　―お母さん、今日は調子いいの？

　―ええ、きっとタケルが毎日お祈りしてくれているおかげね

　そう言って母親は、タケルの頭を撫でた。彼女からはいつも消毒液なのか何かしらの薬の匂いなのかわからないのだが、不思議な匂いが香っていた。タケルにとっては母の匂いというものはその匂いであり、普通の人なら少し不快に思うかもしれないが、彼はこの匂いが好きだった。

　―タケル

　―なぁに？

　―いつまでも、いつまでも他人を思いやれる優しい気持ちを持って、優しい人間に育っておくれ

　それは、母親がよく言っていた言葉だった。

　母親は、タケルが優しい心の持ち主で、他人を思いやり、他人のために涙を流せる人間だという事を知っている。昔読み聞かせた絵本で、最後に主人公が悲劇で死んでしまうのだが、読み終えた後タケルはその主人公のために怒り、涙を流していた。

　しかし、彼女の死後、他人との関わりを避けていたために、自分のためにしか涙を流さないようになってしまっていた。他人のことを想うなどもう何年もやっていない。その証拠に、彼は連日の事件になにも感じることなく日常を送っている。

　タケルには、何故今唐突にこんな事を思い出すのかと疑問に感じた。しかし、すぐに理解する。それは、本当の自分を鎧の中に閉じ込め、それを脱ぐ機会を失ってしまったタケルに対し、母親が与えてくれた機会なのだと。

　そしてそれが、母親の死の真相に繋がるかもしれないということも。他人を思いやれる、優しい人間でいてほしい、それが母親の望んだことなら。

　夢の中から目覚めるように、現実世界に引き戻される。目の前には、黙ったまま微動だにしないタケルを心配する景虎の顔があった。

　手を包み込んでいた景虎の手の上に、タケルは手を重ねた。

「わかりました、俺はやります。どうしたらいいか、教えてください」