第九話『初仕事』
屋敷を出た時には真上にあった太陽は、もう山の陰に落ちていくところだった。気味悪いほどに朱くなっていた夕焼けが、段々と青みを帯びてきてやがて辺りを闇が支配する。夕焼けが見えると明日は晴れだ、というような話をどこかで聞いたことがあると、タケルはぼんやりと思い出していた。
タケルが初めての仕事として副長に指示された場所は、屋敷のある場所から離れること四時間、この国の
事前に神守衆が周辺を調べた情報では、周りの過疎化により、神への信仰が薄れたことにより、社周辺は荒れ果て、荒魂としてとまではいかなくとも、ケガレと呼ばれるような『神鎮め』が憑き物を落す必要がある程度になっている可能性があるということが分かっている。
『神鎮め』程度の仕事なら、『神殺し』レベルの人間が行く必要はないのだが、万が一神と戦闘になる事も考えられるし、初めての仕事であることも考慮して、竜吾を同行させると告げられた。
これには、タケルは安心したのだが、まだ入りたての、しかも戦闘技術はおろか、”始祖の血”を使った事もない人間を調査に向かわせるまでに、事態は深刻なのかと思うと底の見えない不安が襲ってきた。
現場には竜吾の運転する車で向かった。その道すがら、彼が知ってる限りの『闇』のもつ力について教えてくれた。
「『水』とか『火』みたいな五芒星が、自由自在に操る事ができるという話は聞きましたよね、でも彼らは特別な力を持つ者にしか、自由に対応したものを生み出すことは出来ません。『火』で例えるなら、普通の人はせいぜいライター程度で、特別な人が火踊りをする人みたいな感じですね。
ですが、七賢は誰でも自由に生み出す事が出来るんです。例えば私たちの同僚には『氷』の使い手がいますが、彼女は凍りついているものを自由に操ることは勿論、川の水海の水、水ならば何でも凍らせる事ができますし、彼女自身が氷そのものを生み出す事ができます。おそらく同じ七賢である『闇』でも同じ事が出来ると思います。
ただ、問題があるとすれば闇は氷などのように物質ではないので、なんの定義を持って闇とみなし、操る事が出来るのか。せめて、対極にあたる『光』についての報告書を読んでくればよかったのですが……」
それを思い出しながら、タケルは手のひらを見つめ、目の前に広がる闇へと手を伸ばし、そこにあるものを掴もう試みる。だが、掴めるはずもなく、ただ腕を宙に突き出し拳を握っただけだった。
麓に車を停めた二人は、山の中腹にある社を目指していた。山の中腹とは言っても、この山はさほど高くはないので、険しい山道を歩くことはなかったのだが、あまり外に出ないタケルにとっては中々堪えるものだった。竜吾はそれに気がついていたのか、気遣いながら先導して登って行く。
暫く整備された道を歩いていたのだが、竜吾が脇にそびえていた木々の間に逸れていった。タケルもそれについて脇に逸れる。そこは草が生い茂ってはいるが、人が手を入れた石畳が敷かれていた。もうだいぶ手入れされてないですねと竜吾が呟いた。
背の高い草が生えてあるのは石畳の脇だったが、根元には丸い石がたくさんあり玉砂利が敷かれていたようだ。だが、石畳の隙間からも草が生えている。
その入り口から見えるところに、全て丸太で作られている質素な見た目の鳥居が置かれている。それらを潜った先に問題の社が、意外なことにそこそこ豪勢ないでたちで存在していた。
こんな山の中にあるのだから、簡素な社を想像していたのだが、豪勢な、とまではいかないが、小さな神社規模の立派な社殿が建てられている。
タケルは思わず呆気に取られていたのだが、竜吾はその社殿を見た瞬間、顔から血の気が引いた。
「扉が開けられている……!」
竜吾は手前に置かれていた御賽銭箱の脇をすり抜け、開け放たれた引き戸の前に駆け込んで行く。
なぜ、叔父が真っ青になったのか、これは神に関することに疎いタケルでも瞬時に理解できた。偶に家の近くにある土地神が祀られている社にお祈りをする時があり、その時に龍太郎が説明してくれた。社の前には御賽銭箱が置かれており、そこまでが一般の人間が立ち入ることができる場所であると。
社の中に入ることができるのは、その社で神職につく者、人神として祀られている社では子孫のみである。その者たちは基本的に社の横にある入り口から入り、祭壇で祈りを捧げるため、手前にある引き戸から出入りすることは基本的にない。
それが開けられるのは、神に感謝を捧げる祭、新嘗祭の時で、あくまで神様の出入り口という扱いだ。また、それ以外で祭壇を直接見ることは禁忌とされている。
そして、この社は人々の手が離れてしまっている。そんな状況下だと、引き戸が開かれているとなると、物盗りが入ってしまっている可能性がある。
タケルも竜吾を追いかけて引き戸の前に立った。社の中は月明かりも届かず、何も見えない。竜吾は口の中で何かの呪文のようなものを唱えると、タケルの手を引き社の奥へと入っていく。
この入り口から入ってしまっていいのかとタケルは身を強張らせたが、先程竜吾が唱えた呪文は、勝手に入った事による罰のようなものを防ぐ呪文で、二人の身に何か起こることはない、とあとで教えてくれた。
祭壇には燭台が二つ置かれていて、祈りのために使われていたのであろう蝋燭が立てられている。明かりもなく、何も見えないはずなのだが、タケルにはそこに燭台があると、なぜかはっきりと認識できた。それに気がついて、竜吾に教えると、よく気付きましたね、と言って彼は手探りで祭壇に置かれているはずの燐寸箱を探し当てた。
竜吾にはまだ燭台が見えていなかったのか、燐寸箱をタケルに手渡した。少し疑問に思ったが、箱から燐寸を一本取り出して擦った。その刹那、タケルの中心だけ明るくなった。そして、燭台二本ともに灯りを灯す。ぼんやりとではあるが、先程よりは少し広い範囲が明るくなった。
灯りの灯った燭台を一本持ち上げ、竜吾は辺りを照らした。燐寸の燃え滓を捨てながら、照らされた社の中を観察した。
社の中は普通の家屋の和室のような感じだったのだが、あまり広さはなく祭壇が置かれていることが圧倒的に違っていた。タケルはなんとなく、自分の家の祭壇の置かれている部屋を思い浮かべた。社と家と違うものだが、雰囲気だけは同じものだ。
やがて、辺り一周を見終わった竜吾は祭壇の方に向き直り、祭壇の一番上に置かれている箱を照らす。この箱というのが、家でいえば御先祖様が納められている家のようなものであり、社でいえばここに祀られた神様の家でもあった。その箱の中には、御神体や亡くなった御先祖様の名前の書かれた札が納められている。
その箱を見た瞬間、悲鳴にも近い衝撃を受けた竜吾の口から言葉が漏れた。
「そんな……!」
それとほぼ同時だった。社の外から凄まじい衝撃音が聞こえた。爆発音なのか、何かが勢いよくぶつかった音なのか、皆目見当がつかない。
二人は同時に振り向いたが、動き出したのは竜吾が先だった。それを見た瞬間にタケルも動き出したが、君はここにいてくださいと燭台を押し付けられ、外に飛び出した竜吾の背中を見つめることしかできなかった。
竜吾は石畳の上に立つと、足元に置かれていた何かを蹴り上げ、手に握った。それは、彼が仕事をする時にいつも使っている槍だった。ここに来るときは持っていなかったはずなのだが、どこから取り出したのだろうか。
基本的に人間は神様を傷つけられない。”始祖の血”の力を使えば、傷つけずとも対処することが可能なのだが、竜吾にはそれが
タケルは後ろの箱を目の横で再び確認した。この箱は基本的に開けることは無い。開ける機会といえば、何らかの祭りで開けるくらいと、家の祭壇でいえば亡くなった後に名前の書かれた札を入れる時ぐらいだ。しかし、その箱の蓋が中で何かが爆発したように壊れている。箱の内側だけ、真っ黒に燃えて焦げてしまっている。
竜吾は槍を構えたまま、辺りの気配を探る。先程の衝撃音は、とても生身の人間が奏でることができないものだ。その証拠に、社の辺りを囲っていた木々の一部が、雷でも落ちたように焼け焦げ、真っ二つになっている。そして、その犯人はすぐにわかった。それはこの社の周りを木々の隙間を縫うように、移動し続けている。
その気配には気づいていないタケルは不安げに竜吾を見つめていた。燭台を押し付けられた時に見えた叔父の顔は今まで見たことがない顔をしていた。普段の優しく笑いかけてくれる表情からは全く想像もできないほどの、険しい表情だったのだ。ああ見えて俺より強いんだぞと笑っていたもう一人の叔父の顔が浮かぶ。いくらそう言われても、目の前の叔父一人の力でこの危機が退けられるとは到底思えない。そう感じたまさにその瞬間だった。タケルの目でもハッキリ
「竜吾さん!!」
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