第四話『南蛮屋敷』
何処までも続いているような澄み渡った青空の下、タケルは竜吾に連れられて、彼の職場への道を歩いていた。
いつも通り朝食を摂って家を出たのだが、昨晩から話してくれた内容以上の話はまだしてくれていない。少し不安げに、自分の一歩前を歩く竜吾の横顔を見上げたが、その視線に気づいて微笑んでくれただけだった。
職場というので住宅街を抜けて、街中に入っていくのではと考えていたのだが、街に行くどころか、同じ住宅街を抜けるにしても、どんどん人気のないところに入って行く。
最初は家々がたくさん並んでいたのだが、やがて空き地が目立つようになり、とうとう周りに木々が現れ始め、林へと変わっていく。どこまで歩いていくつもりなのだろうかとタケルが思い始めた時だった、ようやく竜吾は歩みを止めた。
「ここです」
そう言って、林の中を指差す。そこには建物らしきものは見当たらなかったが、鳥居が一つ立っているのだけが確認できる。
木製の、色は塗られておらず丸太をそのまま使って作ったもので、割と古い時代に作られたもののようだ。しかも、作られてからかなりの年月が経っているので、ところどころ苔むており、表面が剥げかけているようだ。
だが、その鳥居には見覚えがあった。いや正確には、聞き覚えがあっただ。昔聞いたとある噂話を思い出す。
南蛮屋敷、確かそう言われていたはずだ。小学生の時、同級生が話していたという記憶がある。といっても、自分が同級生と会話をしていて聞いたものではない。噂話をしている同級生たちの話が、耳に入ったという程度のものだ。
町のはずれには南蛮屋敷という、大昔にこの国に来た外国の人々が暮らしていたとかいう屋敷があるようだった、というのからこの噂は始まる。そして、その屋敷の入り口には古びた鳥居があるという話だ。
しかし、そもそもその存在があるというのものから定かなものではないのだが、その後に続く噂は小学生らしい、その屋敷にかつて住んでいた外国の人々の幽霊が出るというものだ。
タケルは幼い頃から、幽霊などという存在は信じていなかったし、まず南蛮屋敷というものが使われていた時代というのは、学校で教わった歴史では五百年も前の時代にやってきた外国人が使用していたという話である。そんな時代の建物が今も残っているなど到底思えない。
そんな昔の噂話に出てきた屋敷と思わしきものが、伝説などではなく存在しているかもしれないと思うと驚いたのだが、そんな噂話があったと口にした時に「ああ、なんかそんな噂あるようですね」と返ってきた竜吾の言葉にもっと驚かされた。その言い方は、本当にその屋敷が実在するとでも言いたいのか。
タケルが呆気にとられている間に、鳥居の方に竜吾が歩いていく。
慌ててそれを追いかけて鳥居を潜ると突然目の前に大きな建物が現れた。三度驚いたタケルは今潜ってきた鳥居を振り返る。先ほど鳥居の目の前にいた時は建物などは見えなかった筈だ。
向き直って建物を見上げたが、あまりの大きさに圧巻された。こんな大きさの建物が外から見えないはずがないのだが、何度思い返しても鳥居の向こうに建物があるようには見えない。
おまけに五百年前の建物だというが、二階建ての木造建築だ。そんな建物ではなかったことは十分理解しているのだが、まるで時代劇に出てくる殿様が住んでいるような大きな屋敷のようだ、というのがタケルの感想だ。
口を開けたまま建物を見上げていると、一か所だけ西洋風の玄関が取りつけてある場所で、ポーチに上がった竜吾が手招きをしている。
タケルは慌ててそちらに上がっていく。外開きの扉を開けると、玄関の見た目に反して中は至って普通の和風の玄関だった。
和風の家屋なのだから靴を脱ぐのは当たり前なのだが、三和土には一足も靴が置かれていない。それで靴はどうするのかと思ったのだが、上がってすぐの場所に靴箱があり、竜吾は慣れた動作で靴を入れている。覗き込むと、その靴箱には既にいくつかもの靴が入っている。
「この場所には結界が張られていますからね、招かれざるものはここに入ることも見ることもできません」
竜吾はそれとなく言って、微笑む。おそらくそれが、先ほどどこにあんな建物があったのだ、と思ったタケルに対する答えだ。まだ少し疑問は残るが、ある程度納得できてなるほどと呟く。
それを見た後に、竜吾は屋敷の中へと歩き出した。それを慌てて追いかける。
大昔の建物だからかなりガタがきていて、床が壊れていたり、壁に穴が空いたりしているのだろうかと思ったのだが、案外そうでもないようだった。
先ほども言ったが、本当に時代劇に登場するような大きな屋敷だ。あっちを曲がったり、こっちを曲がったり、もし一人で目的の部屋まで行けと言われたら、絶対迷子になるな、と内心考える。
南蛮屋敷とはいうが、やはり五百年前の建物は昔のままではないようだ。いま建っている建物は、何年か前に建て替えられたのだろうかとそんな事を考えながら歩いていると、目の前から歩いてくる人影があった。その人は二人を見つけると、よぉと片手を上げた。
「やっと来たな寝坊助、こっからは俺が案内しようか」
「別に寝坊したわけではないですからね、よろしく頼むよ、龍太郎」
そう言って、龍太郎に引き渡されたあと、竜吾は自分の仕事をしてきますねと言って元来た道を戻り始める。竜吾は基本的に誰にでも敬語なのだが、偶に相手が龍太郎限定で言葉が崩れる。
竜吾に背中が見えなくなってから、二人は歩き出す。
「ああ見えて竜吾は実戦担当なんだ、実は俺より強いぞ」
道すがら龍太郎はそう説明してくれた。自慢げに、そして誇らしげに笑いながら。時々彼らは、互いにこういう表情を見せるのだが、一人っ子のタケルにとっては少し羨ましく、あこがれのように思う。
しかし、彼より大人しい見た目の竜吾が実戦担当だとは驚かされた。絶対龍太郎の方が運動神経がよさそうなのに、とそんなことを呑気に考えているうちに、一つの大広間らしき襖の前に着いた。
「さあ着いたぞ、ここでお前が知りたかったこと全てを話してやろう」
そう言って襖が開け放なった。
開けられた襖の向こう側には、多くの人間がいた。
座卓の上に書類を広げて文字や数字を書き付けている者、和綴じの本を開いて何やら調べているらしき者、その周りの壁や襖にも地図のようなものがたくさん貼り付けてある。その地図の周辺にも、印をつける者やその前で話し考え込んでいる者がいる。
二人はその人々の間を抜けて、時代劇で将軍が座っているような一段上がっている場所に着く。仕事をしている人の間を通り過ぎるとき、周りにいる人は誰も二人の方を振り返らない。
段が上がっている場所には、腰ぐらいまである高さで、天板が五角形の食卓のような大きさの机が置いてあり、上には一枚の紙が広げてある。その横に一人の人物が立っている。
その人物は机に置かれた紙をじっと見つめていたが、二人が近づいてくるのを目の端で見つけると、こちらを向いて上品そうに微笑んだ、ように見えた。
「やぁ!君がタケルくんだね!」
と言って、上品な微笑みから一変し、これ以上ないと言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、タケルの手を取り激しく上下に揺さぶった。再びタケルは唖然とする。第一印象から変化する速さは、今まで出会った人の中で断トツで早い。
タケルはその人物を、失礼だとは思いつつまじまじと見つめる。口調だけ聞くと男性のように思えたのだが、妙齢の女性だった。
黒髪で腰まである髪を高いポニーテールにし、光の加減によって赤く見える黒い瞳をしていた。スーツのような服装をしていたが、その上に美しい桃色に桜の花が映える着物を羽織るという、なんとも不思議な服装をしている。そして何より印象的だったのは、左目の下に遺された深い傷痕だった。
呆気にとられていたタケルを見つめて、彼女はまた楽しそうにニコニコと笑った。
「……そこら辺にしといてください、
龍太郎が少し呆れたように頭を抱えながら言うと、ああすまない私したことが!と言って手を離し、一息置いて、改めて自己紹介をしてくれた。
「初めまして、私は、あー……、そうだね景虎という。ここの副長をしている者だよ」
何故か自分の名前を言うのに躊躇してから、握手のために手を差し出してきた。女性なのに『景虎』という男性的な名前のせいだろうか。
聞き返すのは失礼だろうと判断して、その手を握り返す。先ほどのセリフから、必要はないと思うが念のためと自己紹介をする。
「お名前聞いていらっしゃるかもしれませんが、錦小路タケルです」
景虎は楽しそうに頷いた。先ほど考えたように、まず女性が男の人の名前をしていることに驚いているのだが、それ以上にこの時世に戦国武将のような名前を持つ人がいることに驚いた。
……ここに来てから驚きっぱなしだな、今日は疲れそうだと密かに考えた。
「副長ってことは、ここは何かの組織なんですか?」
先程の自己紹介で感じた疑問を、辺りを見渡しながら投げかける。
叔父二人の職場とだけ聞いてきたため、会社のようなものを想像していたのだが、自分の中にあるイメージの会社とは全く違うものだったからだ。パソコンのようなものはおろか、電子機器が全く見当たらない。
神様相手の仕事の職場なのだから、なんとなくそういった機器が見当たらないのは普通なのかもしれない、と勝手に納得する。
景虎は、なんといえばよいものか、と少し考えた後に答えてくれた。
「正式名称、というものは存在しないのだが、強いて言うなら人々は私達の事をこう呼ぶ、
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