第二話 『非日常』

 「おお、美味しそうなミートパイです、タケルくん、いい感じに出来ましたね」


 竜吾がオーブンから出したばかりのミートパイを覗き込みながら言う。その後にタケルの顔を覗き込んでニコニコと笑った。

 タケルはあまり食べることは好きではないのだが、ミートパイだけは別である。

 他の食べ物はなぜかあまり味がせず、食べることが楽しくなくて、多くの量を食べることは出来ない。しかし、幼い頃に竜吾が心配して作ってくれたこのミートパイは、不思議と味がして、たくさん食べることが出来たのだ。

 そのせいもあって、タケルがこれが食べたいと言うと、彼はすぐにミートパイを作ってくれるのだ。

 そして高校に上がって以降、元々学校に行きたがらず、なにも言わなかったのだが、さすがに少し心配になったのか、せめて料理だけでも作れるように、ということで竜吾と料理を作ることが習慣になっている。

 その際に、ミートパイの作り方も教えて貰って、段々と彼の味に近いミートパイを作ることができるようになっていった。

 一方で竜吾は、副菜や汁物を料理していた。タケルは、匂いを嗅ぎながら、ほうれん草のおひたしと味噌汁だな、と想像しながらミートパイを皿に移し替えていた。

 ミートパイに和食というのも変な話なのだが、朝に一杯夜に一杯味噌汁を飲まないと気が済まないという竜吾により、この家では当たり前の光景になっている。


「もうそろそろ龍太郎が帰ってくるはずなんですけどねぇ、遅いです」


 二人は時計を見上げた。時刻は六時半を指していた。

 龍太郎というのは、竜吾の双子の弟である。太郎、とつくのは長男だと知った時に、弟なのになぜ『太郎』なのか、と聞いたのだが、確かになんででしょうね多分親が適当だったからかもしれません、と返されて終わってしまった。

 そんなわけがあるか、と内心つっこんだのだが、タケルは会ったことがないので真偽のほどは定かではない。

 龍太郎はいつも六時ぐらいには帰ってくるのだが、今日は少し遅いようだ。

 この三人がこの家に住んでいる全ての人間である。何故この三人が、田舎の本家の家のような大きな屋敷に住んでいるのか。

 勿論錦小路の家の本家の屋敷なのだが、当主であった先祖の人々が亡くなったり、なぜか当主として家にいることを拒否する分家がいたりで、その他様々な理由で現在この家を竜吾と龍太郎の二人で守っているとタケルは二人からきいていた。

 その親戚たちというのに、タケル自身は面識はない。

 そして、この家に置かれている先祖代々の祭壇を守っているのもこの二人だ。

 タケルには両親はいない。父親はわからないが、母親とは四歳の頃に死別している。しかし、母方にあたる親戚が見つからず、父の弟だという叔父の二人が彼を引き取ってこの家で暮らしている。

 そうこうしているうちに、晩御飯の準備は終わり、中々龍太郎も帰ってこないので先に食べ始めてしまいましょうか、と竜吾は言った。


 晩御飯を食べながら、二人は今日の出来事を話した。竜吾は近所の会社に勤務しているらしいのだが、そこの社員から聞いた世間話、タケルはというと学校に呼び出され、進路をどうするのかなどの話を聞かされた話をする。


「進路ねぇ、タケルくんは進学するのですか?進学しなくとも、私でも龍太郎にでも相談してくれたら就職口ぐらいは作れますけど、どうですか?」


 この話を聞く度に、タケルは眉間にシワを寄せる。将来の話など微塵も考えたくないのだ、というより、未来のことを思うと吐き気がしてくる。

 黙り込んでしまったタケルを見て、叔父は優しく笑う。父親というものがどんなものかはわからないが、もしここにいたらこの叔父のように柔らかく笑うのだろうか。彼はぼんやりと考える。

 のんびりでもいいので、夏までには決めてください、とだけ竜吾は言うと味噌汁を啜った。

 その時だった。


「おい!竜吾!いるか!!」


 玄関の戸が勢いよく開く音がして、何事だとタケルは驚いて箸を落とした。その真向かいに座っている竜吾は動じず、呑気に味噌汁をすすっている。

 廊下を激しく歩く音の後に居間の扉が勢いよく開かれて、力を入れすぎたのか引き戸がガタンと外れる音がした。突然の情報量の多さにタケルは混乱する。

 慌ただしく部屋に入ってきたのは、竜吾と全く同じ髪色目の色を持ち、違うところは彼より一回り小さい背丈(といっても竜吾が高身長なので、彼も平均よりは高い)で、肩まで伸びた髪の毛を首のところで一つ結びにしているところだ。

 竜吾と同じでジャケットだけ脱いだスーツ姿だったのだが、そのワイシャツの右肩から右の脇腹にかけて真っ赤に染まっていた。そして何故か小脇に人間を抱えていた。

 タケルには何が起こっているのか全く理解できなかった。


「龍太郎、なんですか騒がしい、人攫ってきたらだめって教わりませんでした?」


 竜吾が呆れた顔でようやく味噌汁を置いた。

 状況が理解出来ず、頭が混乱しているタケルだったが、頭の中で(いや、そういう問題じゃないと思う……)とつっこむのに精一杯だ。


「馬鹿竜吾!そんなこと言ってる場合か!」


 そう言って大声を出す龍太郎だが、脇に抱えてた人間はゆっくりと床に仰向けに寝かせた。

 龍太郎が抱えていたのは、タケルと同じくらいの年齢の女の子だ。長い黒髪で見えづらかったが、どうやら頭から血を流しているようで、意識も失っているようだ。


「やっぱり人攫ってますね、オマケに女の子、怪我までさせて!」


 今度は少し強めに竜吾が返す。片方は冷静だが言っていることが支離滅裂、片方は熱くはなっているが行動は常識の範囲内(だと思いたい)だ。タケルはハラハラしながらやりとりを見守るしかできない。

 あまりに話の通じない竜吾に、龍太郎は眉間に皺を寄せて、


「ちげーよばーか!!で怪我したんだよ!」


 と強めの口調で言い返す。それを聞いた瞬間に、竜吾は我に返り、彼もまた眉間に皺を寄せる。そして大きめのため息をついて、椅子から立ち上がった。

 床に寝かせれた女の子を抱えると、話しかける隙もなく早足で奥の部屋へと行ってしまった。

 何一つついていけなくて、置いてけぼりをくらっていたタケルだったが、龍太郎についていた血の量を思い出して、困ったように頭を搔く彼に駆け寄った。当の本人はあんなにひねくれてはなかったんだけどな、となにかぼやいている。


「龍太郎さんも怪我してるんじゃないですか……!?」


「んあ?ちげーよ、これはあいつの血がついただけだよ」


 彼の心配を余所にそう言って、顎で竜吾が入っていった部屋を顎で指した。どうやら彼自身が怪我をしているわけではないらしい。

 でも……とまごつくタケルをよそ目に、おっ美味そうなミートパイじゃんと言いながら、テーブルに盛られたミートパイを手で摘んで食べてしまった。

 龍太郎はうまいうまいと舌鼓を打つ。


「あっ、せめて手を洗ってくださいよ!」


 とタケルは言ったが、へーきへーきと言いながらそのまま食卓に座って食事を始めてしまった。しかも、彼の分のご飯をよそってきていないので、竜吾の分だ。

 いつもと違うことが起こっているのに、普段通りに振る舞う龍太郎に、タケルはなぜこうやって平然としていられるのだろうかと、不信感が拭えない。

 そもそも叔父二人がなんの仕事をしているのかは詳細には知らない。しかし、以前にも時々怪我をして帰ってくることがあったので、そういう肉体労働系の仕事なのだろうと勝手に解釈していたのだが、怪我をした女の子を連れて帰ってくるのはさすがに何をしているのかと疑わざるを得ない。

 というより、怪我をしているのなら家に連れてくるべきではないし、病院に連れていくべきだ。おまけに、女の子を男だらけの家に連れ込む時点でかなり不味いような気がするし、この人がなにを考えているのか全く理解できない。

 生まれてからこの方、ずっとこの家族とは暮らしてきて、家族がどのような人間であるかは理解していたつもりなのだが、こればっかりは行動の真意はいくら考えても、正解と思えるような答えに辿り着けなかった。

 龍太郎は、いつまでも黙ったまま座らないタケルを、手を止めてじっと見つめている。


「龍太郎さん……どうしてあの子を家に連れてきたんですか……?」


 またどうせはぐらかされるんだろうなぁと思いつつ、この状況を目の当たりにしてしまった以上、何かしら教えてくれるのではないかと、淡い期待を抱いてタケルは龍太郎に問いかけた。

 昔から彼らは仕事の話をしたがらない。というよりも、二人はいつも何かしら大きな嘘をついていることも、実はとっくの昔に気づいている。

 すると彼は、いつものようになんでもないというように振る舞う素振りは見せず、腕を組み、うーんと唸り声を漏らす。どうやら、なにか悩んでいるようだった。

 予想外の反応にタケルは少し驚いたのだが、何かを言うか言うまいか悩んでいる様子であったので、龍太郎が答えを出すまで待つことにした。


 そしてかれこれ五分ほど悩んだだろうか、意を決したように「よし」というと、椅子から腰を浮かせて、座り直した。どうやら腹を括ったようだった。


「もうさすがに隠しきれないだろうしな、竜吾が戻って来次第、俺たちがなんの仕事をしているのか話してやろう」

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