第一章 『再燃の灯火』
第一話 『日常』
「……最悪な一日だったな」
赤々と染まった空を背に、スーパーの買い物袋を下げた少年は小石を蹴りながら呟く。
小石はコロコロと転がり、側溝の穴へと落ちてしまったのを見て、青年はため息をつく。
彼の名前は、
短髪と呼ぶには少し長めの黒髪に、学ラン。どこにでもいるような一人の学生に見えるのだが、唯一ほかの一般の人間と違うところといえば、赤い瞳を持っていることだろうか。
見るものを魅了するほど鮮やかな赤色なのだが、当の本人の瞳は無気力な色で濁っている。
それもそのはず、彼にとって今日一日の出来事は最悪なものでしかなかったからだ。
タケルは学校というものを嫌っているのだが、今日ばかりは来てくれと先生に懇願され、いや半分脅すような言い方で電話をかけてきて、嫌々学校に行かざるをえなくなった。そのせいで、いまだに気分が晴れずにいる。
学校が嫌いな事には色々と理由があるのだが、例えばそう、この赤い瞳のせいだ。
とはいうものの、別にクラスメイトにからかわれた経験があるという訳でもない。というのも、真っ赤な瞳というのが珍しいだけで、赤味がかった瞳の持ち主というのは、この世にごまんといる。
ただ彼は、自分が嫌うものを人様に見せようという気が起きず、学校に行かないのだ。
その他にも、様々な理由で綺麗な赤いこの瞳を嫌っている。
終始気だるそうに歩いていたタケルだったが、周りの家々と比べて格段に違う、一軒の大きな木造の屋敷の前で立ち止まる。数秒眺めて、ため息をついたあと、門を開けて敷地の中に入って行く。
門から飛び石を伝い、広い庭を抜けたところに玄関があり、彼は鍵を開ける動作などはせず、ガラガラという大きな音をたてて扉を開けた。
「ただいま」
しかし家の中から返事はない。
返事は聞こえなかったのだが、タケルはこの家で一人暮らしで、ただ大声でただいまと言う習慣があるというわけではない。この家には、彼以外に二人の家族が住んでいるはずなのだが、玄関は開いているのに家の中に人の気配が全くしない。
「はぁ、また開けたまま出ていったな、不用心だな……」
タケルはまたため息をついた。この家で彼以外の住民はなぜか鍵をかけるという習慣がない。何度も言っているのに、と心の内でぼやく。
先程からタケルはため息をついてばかりなのだが、別に本当に呆れているわけではない。ただ何をするにも無気力な以上、一息一息ついてガス抜きをしないとすぐに息切れしてしまうのだ。
取り敢えず先程買ってきたスーパーの買い物袋の中身を冷蔵庫に仕舞った後、先祖を祀っている祭壇へと向かった。
タケルは、神だとか幽霊だとかそういった超常現象的な類のものは全く信じていない。
神頼みと言う言葉はあるが、神に頼んだところで何もやってはくれない、信じられるものは自分の力だけなのだ、というのがタケルの持論だ。それ故に、正直この祭壇に向かって祈りを捧げる行為も、あまり意味のあるものとは思えない。
ただ、まぁそう思うかもしれんが取り敢えず祈っておいてくれない?と、家族から言われているので、形式的に供物を捧げ、祈りを捧げているだけだ。
ただ、この祭壇には個人の写真はない。
本来ならば、この祭壇に祀られている先祖、それこそ写真の技術が発展する以前の先祖の写真を撮ることは不可能なのだが、ここに祀られているものとして写真は飾っておく。
実際、写真技術が発展した現代まで生きていた先祖はいるし、屋敷の大きさから考えても、近代の人でも写真を撮るくらいの資金はあったはず。それから考えれば、写真はあるはずなのだが、家族曰く写真は全てなくしてしまったようで、タケルも特に気に留めることはなかった。
「さて、晩飯でも作るか……」
形式的な祈りを捧げた後、祭壇の前から立ち上がりながらタケルは呟く。
そしてついでに、普段は触らないのだが、祭壇に備えられたお茶も下げてしまおうと湯呑みを取り上げた、その瞬間、タケルの手にビリッと電流のようなものが走った。
「痛っ……」
それに驚いたタケルは、湯呑みを畳の上に落としてしまった。ゴッという少し抑え気味の鈍い音をたてて湯飲みが転がる。中身はそれなりの量が入っていたので、お茶が畳の上に広がり、湖を作った。
「あっ、しまった……」
タケルは慌てて雑巾を取りに走り、零したお茶を拭き取る。それでも、結構な量が畳に染み込んでしまっている。
タケルは目に涙が浮かんでくるのを感じる。というのも彼は昔から思い通りに行かなかったり、少し失敗してしまったりして、感情が揺さぶられてしまうと、どうしても泣きたくなってしまうのだ。
もう18歳にもなるので治したい癖で困ってはいるのだが、生まれ持ってしまった以上どうすることも出来ないのでは、と諦めてしまっている自分もいる。
濡れた畳をそのままにしてしまうとカビてしまうと家族に教えられていたので、本当なら干さなくてはならないのだが、もう日没後、今から干すのは不可能である。
仕方ない、ドライヤーで乾かすか……と思いながら、零れそうな涙を拭い、タケルは湯呑みを手に取る。
「あっ、タケルくんどうしたんです?」
ちょうどその時、部屋に一人の男が入ってきた。
薄い茶髪に、少し赤みがかった瞳をしている高身長の男。眼鏡をかけていて、スーツを着ているのだが、ジャケットは脱いでいて、ワイシャツの腕をまくりながら部屋に入ってきた。
いつの間に帰ってきたのだろうか、玄関が開く音はしなかった。
タケルが困ったように彼の顔を見つめ、男も持っている空の湯呑みと、床に置かれた雑巾を見た。
「あらら、こぼしちゃいましたか、けがはないですか?」
彼はタケルに歩み寄って、座っている横にしゃがみ込んで、持っていた湯呑みを取り上げ、心配そうに顔を覗き込んだ。
おずおずと頷いたタケルを見ると、安心したように微笑んだ。そして畳の上に置かれた雑巾を捲り、どれぐらい濡れているのか確認した。
「うん、これくらいなら大丈夫ですね、少しドライヤーをかけたら乾きます」
男は立ち上がり、タケルの手をとって廊下に出る。手を引かれたタケルはゆっくりと立ち上がり、一緒に部屋を出て居間へと向かう。
「
「いいんですよ、君にも怪我はないようだし、乾かすのも
居間についたら、竜吾は真っ直ぐ流し場に向かって、湯呑みを洗い始める。
「でも珍しいですね、君が湯呑みをひっくり返すなんて」
竜吾はそう言い、タケルは小さく頷いた。
というのも、タケルは小さい時から大人しい子供であり、慎重深い性格であったため、何事にも細心の注意を払っていたので、何かを故意に倒したり落としたりすることは殆どなかったからである。
「ええと、こんな時期におかしいんですけど静電気みたいなのが触った瞬間に……」
竜吾の横に立っているタケルが泣きそうなのをこらえながら答える。その瞬間、何故か竜吾の瞳が陰ったように見えたが、すぐ笑顔に戻り、そんなこともあるんですねぇとだけ言う。瞳が陰ったことにはタケルは気づかなかった。
「タケルくん、テレビ、つけて貰えますか?」
竜吾がそう言うと、タケルは頷いてテレビをつけた。
夕方のこの時間はどこの番組をつけてもニュース番組が放送されている。正直なところ、タケルにとっては自分の身に降り掛かってくることではないし、世間になど微塵も興味が無いので、ニュースなどどうでもよかったのだが、この時間ばかりはこれを見る他に暇つぶしはないので、仕方なくソファーに座ってテレビを見始める。
当のテレビはというと、最近連続して起こっている怪奇事件について特集していた。
連続しているこの怪奇事件とは、この国で信仰されている宗教、正確には宗教と呼んでいいのかわからないのだが、神道の神様を祀る社の敷地内に入った人物が次々と行方不明になっている事件である。
行方不明になっているのは、その神社の宮司家族をはじめとして、近所の住民、観光客などと様々だが、一番困るのは宮司一家が丸ごと消えてしまうことだ。
宮司一家が消えてしまえばその神社を管理する人がいなくなる。今のところは、行方不明者が出た神社は封鎖されているのが、ずっとそのままだというわけにはいかないはずだ。
一部の変わった人間からは神が人間をさらっているなどと、信仰心の欠片もないことを言って騒いでいる。ありえない話ではないのだが、神はそんなことはしない。彼らにとって人間というものは、興味の対象ではないとどこかのえらい研究者が言っていた。
しかし、実は監視カメラの映像を見ると、行方不明になっている人物は煙のように消えてしまっている。これを、神の仕業だと言わずして何と言おうか、というのが世間の意見だ。
そんな証拠の出てきている事件な以上、警察も手の施しようがなく、施設内に誰もいない時には敷地内及び建物内には立ち入ることを禁止するといった対策しか、現在はとられていない。
「物騒ですねぇ、君に限ってはないとは思いますが、人のいない時に神社に行ってはダメですよ」
竜吾がそう注意を促した。前述の通り、タケルは神の類を全く信じていない。そのため、そう行った施設に立ち入ることは殆どないのだ。
人間の仕業だろう、監視カメラの映像に関しても、そういった技術の持ち主が加工したのでは?というのがタケルの意見だった。
しかし、なにも言わなければ竜吾が心配するのでわかりました、とだけ返事をする。
「さて、晩御飯を作りますよ、タケルくん手伝ってください」
流し場から声がかかる。タケルは返事をして、ソファーから立ち上がった。
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