個人的な聖域 |2-1| 牧原征爾
それから九日後にKは自ら命を絶った。VR―808に関連する炎上騒動の渦中にある人物のうちの一人が自死を遂げてしまった事実は、マスコミを大いににぎわせ、SNS上でもKの名がワード検索で急上昇ランキングに登場するなど世間の耳目を一気に集めた。どのような経緯でリークしたのか、遺書が残されていた事実も報じられ、彼の作品をめぐる執拗な糾弾と数々の脅迫めいた批判に対してKが耐えかねていたことが綴られていたことも分かっている。
テレビの報道系番組やネットニュースもこぞってこのセンセーショナルなKの死を報じ始め、しばらくの間「作品に対する炎上騒動を苦にしての自殺」、「他人の聖域に土足で踏み込むべきではない」「作家Kの死は読者による殺人である」といった見出しがあらゆるメディア媒体に躍った。
俺は事件の直前にKと接触していた人物の一人として、警察から任意の事情聴取を受けることになったが、自殺の動機が遺書やKの陥っていた状況的にも明らかなためか、特別に厳しい疑惑の目を向けられるということもなく、通り一遍の内容を尋ねられただけですぐに解放された。
その警察とのやり取りの中で分かったのは、ここ数カ月の間、Kがどうやら特定の人物から「パクりやがって!」と迫られ執拗な嫌がらせを受けていたという事実で、こちらが提供した情報量よりも警察側からもたらされた内容の方がむしろ多い結果となった。
「Kは最後に、もう少し戦ってみると言っていました」
「……それは、つまりしつこくつきまとってくる相手に屈しないという、Kさんなりの決意表明だったのかもしれませんね」と担当者は俺に同情を寄せるような静かな声で言いながら、こちらに向けていた視線を外すと、手元にあった資料に目を落とした。
友人の死からさらに一か月後、俺は依然として気持ちの整理がつかないまま、Kをめぐるネットニュースをぼんやりと眺めたりしていたが、そのタイミングで「Kを偲ぶ会」というものが発足されたとの知らせをSNS上のダイレクトメールから受け取った。差出人はKの文筆業におけるライバル的な存在として世間では認知されていて、同時に会の発起人でもあるYで、彼を通してなぜかKの細君が故人の遺品の整理を俺に任せたい旨の依頼をしてきたのだった。
どうして俺なのだろうかという疑問に対しては「君はKとは作家仲間という以前に、彼と本当の意味で友達だったんだろう?」とYはやや朴訥とした学生のような青臭い回答をよこした。「それに奥さんとも直接的な知り合いだって聞いたぜ?頼りにされているんだろう」そのように言われて、俺は学生時代に〈2B〉という『ハムレット』由来の珍妙なあだ名で呼ばれていた、Kの妻のことを思い出していた。
その申し出があった翌日に俺は重い腰を上げて「この度は……」とK宅を弔問することにした。自殺によって夫を亡くした人間に会いに行くというのは、けっして気が進むものではなかったが、この依頼を引き延ばしてしまっては、訪ねる機会を逸してしまう気がしたのと、Kに対するせめてもの供養のつもりだった。
「わざわざお越し頂いてしまって……、お手数おかけして申し訳ないです」と過去に2Bと呼ばれていたKの細君は出てくるなり深々とお辞儀をした。喪中であるにもかかわらず、未亡人となった彼女は悲しみに暮れているというよりも、恐縮しきりの様子で「おや?」という違和感があった。
世間が野次馬根性を丸出しでKの死を消費する一方、配偶者として向き合う夫の死……、その心的な負担が如何ほどのものか想像すらできかなかったが、彼女にはKの死を受け止めること以外にも警察やマスコミへの実務的な対応もあり、その間断のない忙しさの中でじきに憔悴しきってしまい、これ以上世間を騒がせたくない気持ちも相まって、検視後に引き渡されたKの遺体に関しては身内だけで葬儀を執り行ったのだと言う。
ただ話の続きを聞いていると、その結果として個別の弔問客の対応に追われることになってしまったようで、そのことがひどく億劫らしいのだった。徐々に通夜がなかったことを非難されている感覚もしてきて、「皆さんへの対応が、なんだか少し怖くなってしまって……」ということが本当のところらしかった。世の中には、こんなに弱り切った人間に対しても我を通そうとする人がいるのかという思いがして彼女が不憫だった。
「Kは、なにかあったらあなたに連絡してほしいと言っていたのです」とこちらから尋ねたわけではなかったが、彼女は弱々しい声で俺が招かれた理由をそう明かしてくれた。お焼香を済ませ、遺品整理という名目上の訪問でもあったので、さっそくKの書斎へと通された俺は、しかしそこに彼の所有物らしきものがほとんど見当たらないことに驚かされた。
「それでは、わたしはしばらく向こうにいますので」と言って未亡人は書斎の扉を閉めて出て行ってしまった。
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個人的な聖域 |2-1| 牧原征爾
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