個人的な聖域 |1-2| 牧原征爾
「というか……、そもそもどういう仕組みなの?」
俺は当時の自信に満ちたKの面影がなくなってしまったことに微かな動揺を覚えて、あえて話題を変えるように仕向けた。
「本を読むと、それがVR―808を通して映像化されるんだよ」
「むかし話題になった、仮想空間で立体的なアートを描くみたいな話?」
「まあ、それに近いかもしれない。ただ、その立体的なものを自動的に動画として描いてくれるわけだけど」
彼によると、本を読むことでVR―808へ取り込まれた文字情報が、視覚情報となって再出力されて眼鏡のレンズ上に投影されるのだという。
本の文字情報を読み取っているのは、実際のところは眼鏡のレンズであって、人ではないとのこと。レンズがスキャンニングの機能を有しており、レンズの裏側に投影された映像のみを眼鏡を着用している人は見ることになる。
「二次元で描かれた絵本の世界を立体化した迫力のある映像で子供たち見させてあげることをコンセプトにして開発されたんだけど……、実は一度お蔵入りした製品なんだよね」
思わせぶりな言い方をしたKは、こちらが興味を惹かれているか確かめるように一瞥を送った。
「……子供には刺激が強すぎるって話になってね。だから外部のモニターへ立体映像を平面的に出力できる機能が搭載されることになったわけ」
そのとき、玄関の方から扉の開閉音がした気がした。妻が帰宅したのだろうと俺は思ったが、Kはそれに気付くことなく話を続けた。
「さらにその後の開発の話になるけど、AIによる文字情報の判別と解釈の機能も追加したら、絵本だけじゃなくて文章も立体化……というよりも映像化していけるっていう発見があってね。そこから子供のみならず大人に対しても爆発的なヒット商品になったわけ。それ以降はネットにある通りの成り行きだよ。小説家たちがひたすらボコボコに批判されている。」
Kは自分の言葉のせいで現実に引き戻されてしまったようで、唐突に陰りのある表情に戻った。
「人工知能が描く絵ってさ、すごく、こういびつで悪夢的というか……」
「薬物依存した人間が描いたみたいな絵だっていうんだろ?もう、あんなのひと昔まえの話だよ。当時の技術力の限界が悪夢的な世界観しか提示できなかったというだけの話で、今では安物のCG映画なんかよりよっぽどクオリティの高い立体映像が生成されるし、360度、どこを見回しても映像として地続きなんだ」
そのように説明するKの声は再び若干の熱を帯び始めた。糾弾される側の物書きですら、そのデバイスの持つ魅力には抗えないといった本音が見え隠れしているようだった。
「どこを見回しても立体的だとさ、いわゆるオープンワールドのゲームみたいになってしまわないの?つまり空間内をどこにでも好きな場所に行けたりするみたいな」と俺が尋ねると「空間内をくまなく見回すことは出来るけど、物語は強制的に進んでいってしまうから、読者……、というよりも視聴者が何事かを選択できる自由は実のところないんだ。映画と一緒だよね。ただ没入感の違いはケタ違いだけど」
室内のモニターに出力されている映像には、段ボールで囲まれた狭く仄暗い空間の中にいつの間にか女を連れ込んでいる様子が映っていた。
連れ込んだというよりもアリジゴクのように獲物が巣穴に落ちてくるのを待ち構えていた結果、ついにそのときがやってきたといった決定的な瞬間をとらえているかのような緊迫感があった。
そのとき「あら、お客様?」と妻が不意の来客に臆するわけでもなく、リビングへと手荷物を携えてのこのこと入ってきた。
幼稚園に娘を迎えに行った帰りに買い出しも済ませてきたようで、エコバッグの中には今夜の献立を予感させる食材で満たされていた。娘もはしゃぎながら室内へ入ってくる。
突然の叫び声がモニターのスピーカーから響いた。それは砂男によってとらえられた獲物の断末魔だった。
その様子をしばらく無言で眺めていた妻は、買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞いもせず「……ごゆっくり」と静かに言い残して、娘の手を引きながら自室へ引っ込んでしまった。
『スローターハウス5』の序盤に登場するメアリが示した拒絶的な反応のように、Kが招かれざる客であることは彼女のどことなく含みのある素っ気ない態度からして明白だった。そういうものだ。
Kはそんなことにはお構いなしで、「ぼくの作品の中でも、この『砂男』に関しては、実のところVR―808が登場してからもあまりお叱りを受けていない。
なんせみんなが批判したくなるような内容はさっきの場面ぐらいだし、映像化されてもここまで見続けるのにはそれなりの忍耐力が必要だからね」と言って自嘲気味な笑い方をした。
それから俺たちは酒を酌み交わしつつ彼の他の作品を立て続けに数本観ながら、酔った勢いでVR―808や世間の批判に対して「字も読めないくせに、にわかの批評家気取りどもが」と毒づいたりして、それをきっかけとするやり方で、旧交を温めるようにささやかな宴を楽しんだが、いつの間にか夜も更けてきたところで「そろそろ、鑑賞会もお開きにしますか」ということになった。
そのころ俺が泥酔した頭で考えていたのは、「たしかに映像化されたKの作品は批判されても仕方がないかもしれない」ということだったが、本人には伝えずに玄関先まで彼の帰宅を見送ってやった。
「君と話したら、なんだか気分が少し軽くなった」と玄関のたたきで靴紐を結ぶのに苦戦しつつKは言った。「有名になるとは、馬鹿に見つかることって言った人がいるだろう。そういうことだと思うよ」
「ありがとう、もう少し戦ってみる」そのように言って腰かけていた上がり框から立ち上がると「それにしても君の奥さんは気が利く人だねえ、大事にしなよ」と言って帰っていった。どうやら、Kは俺の妻が自室に引きこもったことを、気遣いとして理解していたようだった。
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個人的な聖域 |1-2| 牧原征爾
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