個人的な聖域
牧原 征爾
個人的な聖域 |1-1| 牧原征爾
友人のKが我が家を訪ねてきたのは、あの出来事の九日前にあたる土曜日のことだった。久しぶりの再会に俺は懐かしくも気恥ずかしいような気持ちに浸っていたが、彼の方はと言うと陰鬱な表情でひどくやつれているように見受けられた。
そして開口一番「もう、疲れちゃったよ、例のデバイスのせいで」とこうちらの同情を買おうとしてか、声を絞り出すようにして語り始めた。「例のデバイス?」と俺が尋ねると、「おい、ウソだろ……」とKは二の句が継げずに目を丸くした。
彼の話によると、最近、いわゆる「作家」と呼ばれる人々に対する世間の風当たりが相当に厳しくなってきており、それがあるデバイスの開発に端を発しているのだという。
何を今さらという気分で調べてみると、たしかにネット界隈では倫理観に欠けた変態集団といった批判とも揶揄とも取れない炎上騒動が今なお続いているようだし、「子供たちの読む教科書にそういった人間たちの書いた作品を載せるべきではない」という、ある主婦のネット上での書き込みが注目を集め、出版社に対して抗議すると共に掲載の取り止めを要求する署名運動が展開されているとのことだった。
さらに、そこから話は膨らみ、子供たちを学校へ行かせることそのものの意義を問い直す事態にまで発展していて、大きな社会問題の様相を呈してきていた。
この事態を受けて「作家たちの個人的な聖域は犯された」、とある大家の小説家は言ったとされている。そのような内容がSNSを中心に広まった。
そのソースとなった画像は件の作家がテレビのインタビューに答えている一場面らしきもので、籐製の背丈の低いアームチェアに深く腰掛けながらパイプをくゆらせる和装の老作家と共に、同台詞がテロップとして下部に映し出されていた。
ネット上に出回っている映像に収められたインタビューをキャプチャーしたと思しきその画像は、編集ソフトによって字幕部分が改ざんされている可能性を指摘されてはいたが、またたく間にSNS上に拡散され大炎上へと発展したようだった。
「こんなものを描いておいて、何が聖域だ」、「色狂いによる有害図書の出版は即刻差し止め!このようなことを書く作家は自ら断筆宣言をしろ!」といった容赦のないものだった。
そんな喧々囂々たる世間の作家への批判騒動を目の当たりにして、俺はすっかり怖くなっていた。二度と自分のことは検索するまいと自戒の念を込めて禁忌としていたエゴサーチを試みて、しかし胸を撫で下ろすことになった。
俺は世間を騒がせてやり玉にあげられるほどの有名作家でもなんでもなかったわけだ。
「むしろ君の読者は理解があって羨ましいよ、僕の方はまったく手におえない状況になっているんだから」と俺が安堵しているのを横目にKは言った。実際、彼に向けられた批判の数々は辛辣で、あまつさえ罵詈雑言に満ちていた。
人格の否定に始まり、しまいには脅迫まがいの内容へとエスカレートしていくなど、読んでいるこちらが怯む過激さだった。
名の通った作家ともなると、世間からのバッシングが俺なんかの比でないなあと妙に感心してしまう。友人Kがやつれて顔色がさえないのもうなずける話だった。
「実は、僕もいちおう買ってみたんだ。自分の作品がどんなふうに見えるのか確かめようと思って」とKは〈例のデバイス〉と呼ばれるものをおもむろに鞄から取り出した。
パステルカラーで彩られトンボの眼を模した厚い丸型フレームの眼鏡で、テンプル部分にVR―808と小さく印字されていた。眼鏡の柄にはお手製と思しき黒いゴム製のバンドが取り付けられてある。
「子供用だから、これがないと着けられなくて……」とKは何か言い訳がましく語りながらバンドを弱々しい手つきで引き延ばして、頭から被るように装着した。
『ロリータ』のスー・リオンがしていた赤くてファンシーなサングラスを思わせるその眼鏡型デバイスを着用したKのたたずまいは、ひどく滑稽に見えた。
しかし、眼鏡の奥からこちらを覗く彼の目付きはどこまでも奥深い静謐さを湛えていて、そのためかただならぬ悲壮感が漂っていた。
年甲斐もなくおどけた恰好をした〈おっさん〉がそこに居るはずなのに、俺は彼のことを笑ってやることが出来なかった。
「そもそもは、子供の絵本とか童話の挿絵なんかを3Dへと映像化するために開発されたものなんだ。
だから、幼稚園とか保育園での利用を想定した可愛らしいデザインになってる」そのように説明しながら、「ちょっと、それ借りていい?」と言うと、彼は眼鏡デバイス内に映っている映像を、我が家のリビングにある液晶モニター側にも出力してくれた。
「使う人によって映像化に引っ張ってくるデータが違うんだけど、その差分を埋めるように人気作品なんかはクラウド上に補正版がアップされている。
色々なヴァージョンがあって作品に対する解釈の違いも相まって一日中観てられるよ」
モニターには彼の代表作とされる、『砂男』が映像化されていた。
砂に魅了された男が、ふとした出来心で某県にある砂漠地帯へと赴き、直感的に「好ましい」と感じた恥丘を彷彿とさせられる流線形の美しい砂丘の頂上部分に、一週間近くかけて穴を掘ったすえ、その中に段ボールを敷き詰めて潜ってみると、そのあまりの心地よさに心身ともに魅了されてしまい、抜け出すことが出来ずに人間アリジゴクと化してしまう……、その倒錯した快楽は社畜化した現代人の抱える病巣を見事に風刺しており、「穴」に潜るという退嬰的な安寧を求める主人公の根源的な「野生の思考」を描くことは、バブル時代の浮かれた世相に蔓延する幼児性の発露を痛烈に批判している等々……、絶賛ともいえる数々の批評に迎えられることになり、八十年代後期のKはその作品によって一躍時代の寵児とみなされることになった。
俺は懐古趣味に浸る気分で彼の小説と当時のことを思い出していたが、肝心の眼鏡デバイスによって生成された『砂男』の立体映像は、主人公が砂の中に潜伏する話のためか、一畳にも満たない段ボールに囲まれた小さな空間と、外界を眺めるために切り取られた十センチ角の覗き穴の先に広がるテレビの砂嵐と大差のない風景が見えるばかりだった。
こんな映像をKは一日中観ていられるというのだろうか、と俺は訝しく思い、どこか病的なものを感じていた。
「……まあ思考実験的というか観念的な色合いが強い作品ではあることは認めるよ。あまり映像的な見栄えや面白みはないかもしれないことは、僕だってあらかじめわかっていたわけだけれど。ウスバカゲロウのように変態して羽ばたく見せ場はないさ」とKはこちらの反応がかんばしくないことを察知したのか、言い訳がましく言った。
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個人的な聖域 |1-1| 牧原征爾
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