第35話 C地区

 朝日が昇り始め,その太陽の光が穏やかな海に反射してキラキラとしている.

 遠方の水平線に広がるビル群を眺める令司,弟,リアの三人.


「そろそろだね」


「あと,二十分くらいで着くね」


 不安そうな表情をするリアと余裕の表情を浮かべる弟.


「みなさん,おはようございます.朝,お早いんですね」


 その落ち着いたトーンの挨拶の方へを向けると,いつもの赤い振袖を身にまとった粉雪の姿があった.そして,相変わらず,その粉雪の右眼は閉じたままだった.


「粉雪さんこそお早いですね」


 俺は,ありきたりでつまらない朝の挨拶をする.

 ふと,粉雪の左手に目が留まる.その手には,茶色のふさふさしたものが握られていた.


「何持ってるんですか?」


 粉雪は,俺の質問の意図を察したのか,左手に持っていたものを自分の頭へと乗せる。


「カツラです.ミブロから頂きました」


 この瞬間,白髪をした粉雪から茶髪の粉雪へと変貌を遂げる.


「粉ちゃん意外と似合う~」


 その粉雪のギャップにはしゃぐリア.

 よくよく見てみると,不思議と違和感はなかった.むしろ,しっくりくると言うべきだろうか.


「飛ばされるのだけには気を付けないとね.風でカツラが飛ばされて,大事になったら,さすがに兄さんに合わせる顔がないしね」


 その弟の言葉を聞き,改めて,この粉雪が「桜」なのだということ.そして,これから本当にC地区に行くのだという現実を思い知る.


「そうですね.気を付けます」


 カツラを押さえながら,答える粉雪.

 その滅多にお目にかからないであろう茶髪の粉雪の姿を見ていると..


「何をボーっとしてる,君もだよ令司.はいこれ,兄さんからの差し入れ」


 弟の手にはサングラスが握られていた.


「サングラスかよ..俺だけ,ちょっと変装雑すぎないか?」


 「桜」の粉雪だけでなく,ピーススクール脱走者の俺も念のため変装する必要はある. 俺は,黙ってサングラスを手に取って自分にかける.


「なかなか似合ってるじゃないか」


「キャハハハ!!」


 褒めてくれる弟と腹を抱えて笑うリア.


「おいリア,そんなに可笑しいか?」


 あまりファッションに興味があるわけではないが,そこまで笑われるとさすがの俺も気になってしまう.


「いやぁ,ごめんごめん.何か面白くって.うぷぷ」


 謝罪しながらも涙目になりながら,まだ若干バカにしたような目で俺を見ながら笑ってくる. 


「そんなに笑われると掛けたくなくなってくるんだが..」


「令司様.心配しなくとも十分お似合いですよ」


 その透き通った声の粉雪に励まされただけで,不思議とリアの意見などまるでどうでも良くなってきた.


「そうこうしているうちにビルが良く見えるようになってきたね」


 そう言った弟の視線の先にあるC地区のビル群が少しずつと近づいてきていた.



「みんなお疲れ様.ここがC地区よ」


 霧花の言葉の先には,巨大な建物とビル群が広がっていた.D地区とは比較にならないほどの発展具合だ.


「ごめんなさいね.本当なら私も深雪ちゃんを助けに行きたいんだけど,一応,海軍のリーダ―だから,あまり下手な動きはできないの.本当にごめんなさい」


 立場上,助けに行くことのできない自分を悔いる霧花.


「霧花がいなかったら,こんなに早くC地区には来れなかっただろうし,深雪の居場所だってわからなかった.感謝してもしきれない」


「そうだよ! 霧花さんがいなかったら私たち何もできなかったんだし,もっと私たちに頭下げさせるくらいの勢いじゃないと!」


 すかさず,霧花にフォローを入れる俺とリア.


「二人ともありがと.そうよね,ネガティブにしてたら良くないわよね」


 目をキョロキョロさせ,会話の終わりを察する弟.


「最後に確認する.僕たちの目的は,地下都市アンダーシティにいるであろう深雪さんの奪取だ.深雪さんがそこにいないとわかれば,その時点で本任務は終了とする.良いね?」


 頷く令司とリア.隣にいる粉雪もそれを黙って聞く.

 

「そして,帰りもまた海軍のみなさんに協力してもらうことになる.そのときはまたよろしくお願いします」


 霧花に一礼をする弟に,こくんと頷く霧花.


「それじゃあ,出発しようか.地下都市アンダーシティへ」


 弟の言葉を聞き,俺とリアは黙って弟へとついて行く.

 その三人の後ろ姿を心配そうに見送る霧花に近づく粉雪.


「霧花ありがとね..」


 粉雪は,霧花にそう言い残すと三人の後を追った.

 茫然とする霧花.


「初めてかも..私を見ながら,名前で呼んでくれたの」


 霧花は,粉雪との余韻に浸りながらも四人の背中を黙って見送るのであった.



 堂々とC地区のビル街を歩く四人.

 レールの上を走る電車トレイン,街中に動き回る移動式ゴミ箱ロボット,空を飛ぶ数機のドローンなど初めて見る物ばかりで弟は,目をキラキラとさせていた.


「やっぱこのグラサン邪魔だな」


 サングラスのせいで俺の視界は若干うす暗く,どうも俺は,それが好きにはなれなかった.


「令司,絶対に取っちゃダメだからね」


 隣りを歩くリアの小声.


「わかってるよ」


「文句一つ言わない粉ちゃんを見習わないと」


 前を歩く茶髪の粉雪を見るリア.


「粉ちゃんに限らず,「桜」ってみんな可愛いよね~深雪ちゃんも霧花さんも.羨ましいよ.令司だって深雪ちゃんに魅惑された身だし,そう思うでしょ?」

 

「お前な..別に俺は,魅惑されたわけじゃない.純粋に一緒にいたいと思っただけだ」


 ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込むリア.


「そんなこと言って~どうせお目当ては深雪ちゃんのあんな姿やこんな姿が目当てなんでしょ~」


 何を言っても無駄だと感じた俺は,黙りを決め込む.

 そして,独り言のように続けるリア.


「うんうん! わかるよ.深雪ちゃんのダメなところなんて見つからないもん.料理上手で優しくて可愛い,おまけにあのグラマラスな体型.さすがの私も深雪ちゃんには嫉妬しちゃうもんね」


「そうだな」


 適当に返事をする令司.

 前を歩く弟が今の話を聞いていたのか,後ろを振り向く.


「君たち,あまり大声で「桜」の話をするのは控えてくれ.偶然,関係者にでもすれ違って話を聞かれたら,面倒なことになるのは目に見えてるんだから」


 お叱りを受ける二人.

 と言っても俺は,ほぼ何も喋っていないのだが.


 少し歩くと,数十キロ先に他のビル群と比較して頭一つ抜けている,およそ700m級の建物がズラリとそびえ立つビル群が見えてきた.


「あれだよ」


 その遠くにある巨大ビル群を指さす弟.


「あそこに見えるのが,研究都市C地区中央に位置する研究特区スマートシティだよ」

 

「そうか.あれが..」


 最悪の場合,あそこに深雪がいる.そうなれば,次,いつ深雪に会えるかはわからない.でも,深雪の安全は保障されるか..


 俺は,そんな複雑な気持ちを抱えながらも前に一歩足を進める.

 

 D地区や俺ら反研究都市派から見るとC地区は,ラスボスそのものだ.

 と言っても,研究都市反対派が勝手に敵だと決めつけているだけであって,このC地区の治安,経済,幸福度,教育等は,D地区を含めた他地区をはるかに陵駕している.

 実際のところ,俺が超能力者ではなく,深雪とも一切関係のない人だったら,C地区に住みたいと願うだろう.そう..この研究都市の闇さえ知らなければ.


 ふと,街を歩く制服姿の数人の学生の姿が目に入る.そして,その同じ制服を着た学生がとある学校の校門に入っていく.

 その校門に書いてある学校名を見る.


 超能力研究開発 西 中等教育校..まだピーススクールと同じようなことをやっているのか? だが,あのときとはどこか雰囲気が違う.


「リアあそこって..」


 隣を歩くリアに聞く.


「超能力研究開発 西 中等教育校.研究開発って書いてあるけど,実際は,超能力の正しい使い方とか超能力との向き合い方とか教えてるらしいよ」


 令司の不安そうな顔を察するリア.


「大丈夫だよ.聞いた話だと,ピーススクールとは違って,実験とかもしてないし,なんならほら! 自由に登校もしてる.監禁されてるわけじゃないよ.それにもうピーススクールなんてないんだから,心配する必要はないと思うよ」


「そうだな..」


 リアの言う通りだ.もうピーススクールなどという負の遺産はどこにもない.実際,あそこにいる学生も自由に登校している.心配するだけ無駄だったか.


 令司は,ぼんやりと昔のピーススクール時代の思い出を振り返りながら,登校する学生の笑顔を安心した表情で見る.


「本当になくなったんだな.ピーススクールは」

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