第31話 五本の桜

「消す? 記憶を?」


 記憶を消した方法などもはや聞くまでもない.恐らく,これがこの桜粉雪の能力だ.

 だとしたら,どうして記憶を?


「記憶を消したのは,私の一方的な自己満足.まだ,幼かった深雪には,必要のない記憶..私がそう思ったから消した.酷い話ですよね..結果として,深雪を苦しめることになるとも知らずに」


 このとき,俺の脳裏に深雪のあの笑顔がよぎる.


 ったく..

 

「粉雪さん,あいつはバカだ.その程度のことじゃ苦しまない.どうせ,私には記憶力ないから,とか言って笑ってるよきっと」


 俺は,おばさんが亡くなったときの深雪の顔を思い出す.


「それに..あいつが本当に苦しむのは多分,大切な人が自分の前からいなくなってしまったとき.だから,そんな難しいことを考える必要はないと思う」


 自分でも恥ずかしいことを言っているという自覚はある.ただ,知ってほしい..深雪は,他の有象無象とは違って,そんなくだらないことで恨んだり,苦しんだりする奴ではない.本当に純粋な子なんだと.


 粉雪の頬が緩むのを感じる.


「ふふ..人の可愛い妹をバカ呼ばわりとは,いい度胸してますね.でも..ありがとう.お優しい令司様なら深雪のことを安心して任せられるわね.深雪のことをお願いね」


 その粉雪の俺へと向けられる視線は,まるで本当の姉妹..家族に向けられる優しく温かいものだった.


 粉雪が手の届く距離に置いてあったお茶の入った急須を手に取り,湯呑にお茶をゆっくりと注ぐ.湯呑からゆらゆらと出てくる湯気.


「こんなものしか出せませんが..」


 目の前に淹れたばかりの熱そうなお茶と茶菓子が置かれる.


「ありがとう..ございます」


 慣れないお礼をして,ゆっくりと口へと運びお茶をすする.

 そして,喉にお茶を通すのを確認したかのように粉雪が口を開ける.


「私が深雪から消した記憶は,村以前の記憶.つまり研究都市にいた頃の記憶.理由は,あの子に,ただ幸せに..闇とは無縁の世界で暮らしてほしかったから..」


 俺は,湯呑を手に持ちながら,黙って耳を傾ける.


「私たち五姉妹の「桜」は,研究都市C地区で,原初の「桜」である母から産まれました.上から,霧葉キリハ,粉雪,霧花,霧菜キリナ,深雪.このときはまだ,明確に「桜」の子供ができるロジックがわかっていなかったため,「桜」に自由などなく研究施設で毎日過ごす日々でした」


 ロジック..愛し合うもの同士じゃないと子供ができないっていうあれか..


「私たち「桜」は,幼少期から常に洗脳教育を受けてきました.超能力者に対する実験をまじかで見せられ..研究都市こそ正義であり,我々は,世の平和のために社会貢献をしている..と.思い出すだけで吐き気がしますよね.そんな日常の中,私は,何とか自我を保ち続けた.そう..人をおもちゃのように扱うのは間違っていると.

 だから私は決心した.幼かったため,まだ洗脳教育を受けていない霧菜キリナと深雪だけでも救いたいと..」


 怒りや悲しみなどの感情を全く感じさせずに冷静に話しを進める粉雪.

 俺は,そんな粉雪だからこそ,洗脳されずに自我を保てたんだろうと感心する.


「でも..失敗してしまった.薄々感じられていると思いますが,霧菜を助けることはできなかった.三人の姉と言っても,私もまだ子供..幼い二人を抱えて逃げるには無理がありました.だから,私は潔く霧菜のことは諦めたの..

 もちろん,可愛い妹を簡単に諦められるわけがない.だから,私は,そんな自分の心を殺すために自分自身を洗脳したの.深雪以外は,姉妹じゃないってね.もちろん,今でもその洗脳は解けていませんし,深雪以外は,正直目障りとしか思っていません.最低..ですよね.昔とある人から言われたんですよ..それは,逃げただけってね」


 現実を知ってしまったから,頼れる人がいなかったから,妹を本当に愛していたから,そして,冷静に判断できる思考の持ち主だからこその行動.

 一見,最低な人間かと思うかもしれない.ただ..俺はそうは思わない.研究都市という巨大機関を前によく一人抱えて逃げえてこられたと思うし,姉妹という関係に線引きをすることによって自分の高望みを抑える.非常に合理的だ.

 それでも粉雪を最低と揶揄する人は少なくないはずだ.ただ,粉雪自身の気持ちはどうなる? 誰にも相談できず,一人で苦しみ続ける.そして,彼女が悩んだ末に辿り着いたのは,己の洗脳.

 逃げて何が悪い..俺は,そんな粉雪を誇りに思うし,こう声を掛けてやりたい..


「頑張ったんですね..お疲れ様です」


 何ともありきたりでつまらない言葉に目を見開く粉雪.

 そして,ゆっくりと肩の力を落とすと同時に柔らかい笑顔で..


「令司様には,敵いませんね.あの子,深雪に男を見る目があるようで安心したわ.あんなに私にベタベタしてたあの子がねぇ,ふふ..」


 そんな冗談を交えながら,嬉しそうに笑う.


 正直,まだ気になる点はあるし,何よりどうして深雪と離れ離れにならなければいけなかったのかが不可解ではある.しかし,この粉雪の笑顔を見ているとそんな暗い話をする気にはなれない.


「粉雪さん,一ついいですか?」


「はい」


「霧花とは会ったんですか?」


 深雪以外のことを姉妹と思っていない粉雪,彼女が霧花と会ったのかは純粋に気になっていた.


「もちろん会いました..」


 その粉雪の顔はどこか懐かしい思い出を思い返しているようだった.


「私が最後に霧花を見たときは,小っちゃくて,とても可愛かったのに..時間が経つのは早いですよね.随分と立派で良いお姉ちゃんになっていましたよ.少し気まづい感じもしましたが..」


 とても可愛かったか..

 何だかんだ,妹の話になると本当どこか嬉しそうだよな..多分,自分では気付いていないんだろうけど.


「霧花はどうなんだ? さっき言ってた洗脳教育とやらの話.今も洗脳されてる感じなのか?」


「私が霧花と話をした限りでは,そのようなものは一切感じられませんでした.洗脳どころか研究都市にどう殴りかかろうか考えているようでしたし..これもミブロのおかげですかね」


 ミブロのおかげか..そういえば霧花と弟が言ってたな.ミブロに救われたとかなんとか..まぁ興味ないからどうでも良いけど.


「仮に霧花の洗脳が解けていなかったら,「桜」がD地区にいるって報告されて,私はすでに研究都市送りになっているでしょうし..」


「残りの「桜」は,あれか? 完全に研究都市サイドって解釈で良いんだよな?」


「その解釈で間違っていないと思います.研究都市反対派は,私と霧花.そして,研究都市擁護派は,霧葉キリハ霧菜キリナ.ただ実際,霧花の立ち位置は,研究都市側から見れば擁護派に入るので,反対派だとバレれば,霧花の自由はほぼなくなるでしょうね..」


「なるほど,霧花がスパイだとバレれば,深雪や粉雪と同じように,D地区以外での研究都市での自由はなくなる.逆に言えば,その霧葉キリハ霧菜キリナって奴らのように研究都市に従順に従っていれば,自由と安全は確保されると」


 粉雪が鼻で笑う.


「私たち「桜」に自由などというものはありません.擁護派の霧葉キリハ霧菜キリナ,そして,表向き擁護派の霧花には,監視者という側近が常に見張っていますからね.果たして本当にそれが自由と言えるのかどうか..」


 監視者..一度,マリーから聞いたことがある.「桜」が研究都市に対して不利益な行動を取らないかを常に監視するための研究都市との仲介役.


 だとしたら..


「霧花,あいつ大丈夫か? さすがに霧花の監視者にD地区との提携やらなんやら色々バレてそうだがな..」


「私もそれが気になってミブロに聞いたところ,霧花が上手く懐柔したらしいですよ.その監視者を..」


「マジですか..」


 霧花といい,ミブロといい,こっちのリーダー諸君,怖すぎるだろ..一体,何されたんだよ.

 監視者っていうのも楽な業務じゃないんだな,可哀そうに..


「はい..」


 粉雪も妹の霧花の思わぬ成長ぶりに呆れているようだった.


「令司様,最後に私の方から一つよろしいでしょうか?」


「何でしょうか?」


霧菜キリナについてです」


 改まって何を言い出すのかと思えば,妹の話.


「その人がどうかしたんですか?」


「気をつけてください.霧菜は,私と同じ限界醒覚オーバーの一人.あの子は,限界醒覚オーバーの中でも突出した能力の持ち主で私でも勝てるかどうか..少なくとも私が知る限りでは,最強の超能力者です.そして..さらに危険なのは霧菜の二人の監視者.その内の一人は,限界醒覚オーバーの一人で研究都市では,カラスと呼ばれています.二人目が,研究都市でとある学校の学長を務めるマリア.これは,信じ難いですが,魔法のような力を使うとか.. 会うことはないと思いますが,一応,警告だけしておこうと思ったので..」


 最強の超能力者には,最強の監視者ってか? しかも二人.


「わかりました.頭の隅に置いておきます」


「他に何か気になることはありますか? 私のことは遠慮せずに何でも聞いてください.令司様になら何を喋っても後悔はないと思うので.お好きなだけどうぞ」


「それじゃあ..」


 そんな粉雪に甘えて質問をしようと思ったときだった..

 勢いよく,急に開かれる襖.襖を開けたのは,俺をここまで案内してくれた店員だった.

 しかし,先程とは様子がどこか違い,息を切らし,何かに焦り,興奮しているようだった.


「どうしたのですか? そんなに息を切らして.お客さんが来ているのですよ」

 

 冷静に応じる粉雪とその言葉を聞き,呼吸を整える店員.


「令司様! 粉雪様!」


「深雪さんの居場所がわかりました!!」


 その言葉を聞くと同時に俺は,D地区の大通りを駆け抜けていた.

 ひらすらに前を向き,全速力で走る.

 向かう先は,あのD地区のビル.

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