第30話 三本目の桜
ミブロから渡されたメモ用紙を見ながら歩いていると川沿いに出る.大通りと比較して,人が少ないせいか水の流れる音が辺りに響き渡り,俺の腐った心を癒してくれる.そんな自然の音を楽しみながら,川に沿って歩く.
「ここか..」
俺は,メモに描かれた地図を確認し,足を止める.人通りの少ない,この川沿いに位置する着物屋.落ち着ける場所ではあるが,営業する場所としては,あまり良い立地とは言えない.そんなことを考えながら,着物屋に足を運ぶ.
「いっらしゃいませ~」
店内に響く店員の声.着物屋ということもあってか,ずらりと並べられる数々の着物.見た感じ,女性用の物が多い.店員も着物を上手く着こなしており,普段,来ないであろう男の客を警戒しているのか,突き刺さるような営業スマイルをこちらに向けてくる.
ここで合ってるんだよな..?
再びメモを確認するが,間違いはない.周囲を見渡すが,目に入ってくるのは,展示されている着物と店員の突き刺さる視線.あの嫌でも目立つ特徴的な白髪の女など周囲にはいない.
聞いてみるか..
俺は,恐る恐る店員の前に立つ.
「あの..粉雪さんってご存知ですかね?」
終始,営業スマイルだった店員だが,「粉雪」というワードを聞いた途端,表情が一変する.それは,まるで俺が研究都市に対して向ける目と同じ.冷たく,殺気を含んだ目で俺を睨んでくる.
「あなたは何者ですか?」
なるほど..おそらくだが,この店員は,桜粉雪の護衛兼店員と言ったところか? 名乗ってなかった俺の責任ではあるが,完全に敵だと思われてるなこれ.
「申し訳ない,名乗るのが遅れた.今日,ミブロからここに来るよう言われて来た,令司だ」
事前に俺がここに来る情報が伝わっていたのか,店員の顔が少しずつ和らいでいく.
「そうでしたか..ミブロから渡されたメモはお持ちでしょうか?」
メモ?
俺は,ポケットに突っ込んでいた地図の描かれたメモを取り出す.
渡された物と言えばこれしかないが..
これで良いのか? と思いつつも,そのメモを店員に渡す.
「確かに..ミブロの字ですね」
えぇ..そのノートの切れ端を破ったようなメモ,入場券の役割果たしてたのかよ..先に言えよ,あいつ.
申し訳なさそうにする店員が俺の方を真っ直ぐに向き,深々と頭を下げる.
「令司様.先程は,あのような失礼な態度を取ってしまい申し訳ございませんでした.これも粉雪様をお守りするための行動だとご理解して頂ければ幸いでございます」
「いや,頭を下げるのはこっちの方だ.あんたは,立派に護衛を果たしただけ,名乗らなかった俺が悪い.すまなかった」
俺も店員に見習い,頭を深く下げる.
そんな俺の謝る姿が意外だったのか,店員が笑う.
「ふふ..お優しい方なんですね.惚れちゃいました」
「今のどこに惚れる要素があったんだよ..まぁ,惚れられても困るが」
「わかってますよ! 令司様には,すでに心に決めた方がいるんですもんね! いやぁ,深雪さんもやりますよね.こんな優良物件,中々いませんよ」
おい..何で今さっき会ったばかりの奴が俺の心情を知ってんだよ.流出源は..まぁなんとなく予想付くが,さすがに何でもかんでも話広げすぎだろ.俺のプライバシーをもう少し考えてくれよ.
「それでは,二階の方に上がりましょうか.そちらに粉雪様はいらっしゃるので」
「わかった」
店員の後を追い,階段を上っていく.二階に上がると,畳が二階全体に敷き詰められており,一階とは別の空間がそこに広がっていた.
店員がとある
「粉雪様.令司様がいらっしゃいました」
「ありがとう,通してちょうだい」
襖の向こう側から聞こえてくる女性の声.店員が襖に手を掛け,向こう側の世界が少しずつ見えてくる.
「失礼します」
俺は,その襖の向こう側の世界に一歩踏み入れる.店員は,俺が部屋に入ったのを確認して,襖を静かに,ゆっくりと閉める.二人だけとなる空間.
「令司様,いつかお会いしたいと思っておりました.すでに私のことはご存知だと思いますが,改めて.
両手を重ね,正座をするその女性は,白色の桜の花柄がいくつも入った赤色の振袖を身にまとっていた.深雪や霧花よりも身長は高く,髪もマリー並みの短髪,そして,右眼を負傷しているのか右目のまぶたは閉じたままだ.
深雪,霧花に続く三人目の「桜」..桜粉雪.その見慣れているようで見慣れない白髪に本当に「桜」なんだと改めて実感させられる.
「えっと..よろしくお願いします」
何..この緊張感.深雪と霧花とは,まるで雰囲気が違う.深雪と霧花を可愛いで表すなら,目の前にいるこの粉雪は美しい,とでも言うべきか.
「今日,令司様を呼んだのは,私たち「桜」について知ってもらうためです」
何を言うのかと思えば,まさかのお勉強.だが,そんなことをさせるためにあのミブロがわざわざ俺らを会わせる意味がわからない.
「申し訳ないが,ただのお勉強というなら帰らせてもらう.ぶっちゃけ「桜」のことならミブロや弟にでも聞けばわかることだろ.それに,半年前,俺と深雪の名前を聞いて会うのを拒んだらしいがそれには何か意味でもあったのか」
初対面相手にここまで言うのは,自分でもどうかと思うが,たかだか勉強如きで俺とこの「桜」を会わせるのは,あまりに理由が弱すぎる.
左目を閉じる粉雪.そして,数秒の時間を置き,観念したのか左目のみを開く.
「さすがに無理がありましたね.ごめんなさい,別に隠すつもりはなかったの..」
俺は,その透き通るような声に耳を傾ける.
「結論から申し上げますと..深雪は,私にとっては特別な妹なんです.もちろん私たち五人の「桜」は,みんな同じ母のお腹から生まれた実の姉妹.でも..深雪は特別,一番大切な妹.本音を言うと,私は,深雪以外の姉妹のことは正直どうでも良いと思ってます.だから,ミブロから深雪がD地区に来たって聞いたときは,たくさん泣きましたよ.もうこの世にはいないと思っていましたから.同時に深雪の彼氏である令司様のお顔を一度拝見したいと思うようになりました」
俺に会いたかった理由はそれか.
だとしたら..
「だったら,どうして深雪と会わなかった? 会う時間ならいつでもあっただろうし,それにミブロがその会う機会を与えてくれただろ.あと深雪と俺はそういう関係じゃない」
「そうですね..深雪がとある村で育てられ,その村で令司様と出会われたことはミブロから聞きました.では,それ以前の深雪の過去のことはご存知ですか?」
深雪の過去? そういえば聞いたことがない.おばさんから聞いた話だと深雪が路頭に迷っていたところをおばさんが保護したとか.
「いや,知らない」
粉雪が手をギュッと握りしめる.
「全部私が悪いんです..実は,深雪には,過去の記憶がありません.いえ..この言い方はやめましょう.深雪の記憶を消したのは紛れもなく,この私なのです.だから,私には,深雪に会う資格はない..」
粉雪から告げられる衝撃の言葉.
俺は,深雪のことを知っているようで何も知らなかった.誰よりも深雪を愛していた粉雪がなぜ記憶を消すに至ったのか.
この真相を知るのはもう少し先の話になる.
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