第20話 壊れる心

「弟 一つ聞いてもいいか?」


「何だい?」


 俺は,ここ数週間,図書館に入り浸っている.

 図書館の主である弟は,とても物知りで本を読むのがだるくなったときやわからないことがあるたびに弟に質問をこうして投げかけている.

 弟は,普段 誰とも喋らないせいか,人と喋るのはあまり好きではないらしい.しかし,俺の質問には興味津々に耳を傾け,丁寧に答えてくれる.

 俺は,そのわかりやすい説明と物知りな事,そして,ミブロの様に面倒なことをいちいちしてこない弟を心の底から尊敬していた.

 要約すれば,俺にとっては,先生のようなものだ.


富裕層インヴェスターって何者なんだ? 投資家トウシカみたいなものなのか?」


 弟は,読んでいた本をパタンと閉じる.


「そうだね.大雑把に言ってしまえば兼投資家」


「兼?」


投資家トウシカはこれから成長するかもしれない,もしくは応援したい産業や研究分野,研究都市の地区そのものに対してお金を貸す者のことだ.そうやって貸すことによりその分野がもし成長して利益を上げることができたならば,投資家トウシカのもとにお金が入ってくる.だからそういう意味ではD地区には,ほとんどお金が入ってこない..期待されていないからね.今,D地区に入ってくるお金のほとんどは,他地区にバレないように裏ルートを使って送られてくる研究都市反対派のお金.まぁこれは投資というよりは寄付に近いかな?」


 そうか..忘れていたが,D地区が他地区に対して勝手に喧嘩売るって言ってるだけで,まだそのことは一部しか知らないのか.

 よくもまぁバレずに動けるよな..言い換えてしまえば,それだけ他地区の連中はD地区など眼中にはないということかもしれないが..


 弟は,手が寂しいのか本をジェンガ―のように積み重ねながら話を続ける.


「少し話がズレてしまったね..君が言ってた富裕層インヴェスターっていうのも投資をしている人たちだよ.ただ,富裕層インヴェスターは,投資だけでなく研究都市そのものの経営をしていると言ってもいい.例えば..戦闘機や生活用品の製造,電車トレイン等の交通インフラ,D地区を除く他地区間の貿易,資源の採掘などなど..数を挙げればキリがない.富裕層インヴェスターと呼ばれる人たちは,これらの全権利を持っている.もちろん研究都市とも深く繋がっている.だから,研究都市から何か要請があれば,すぐにお金を出して解決する.うーん..簡単に言えば,研究都市というものは研究者と富裕層インヴェスターが主体となって運営されているといっても過言ではない.D地区にはそのどちらもいないけどね..」


 富裕層インヴェスター..つまり研究都市の経済の根幹はこいつらが握っている.そして,曖昧な知識だけで結論づけるのは申し訳ないが,俺らにとって間違いなく黒だ.

 研究都市のありとあらゆる施設は富裕層インヴェスターが絡んでいる.

 つまり..


「ピーススクールもか..」


「飲み込みが早いね.ピーススクールは研究都市関係者のだいたいが関わってるけどね」


 俺は毎日のようにこうして弟から知恵を教えてもらっている.もらってばかりというのも申し訳ない気がするが,弟が言うには,「君と話しているだけで楽しいから構わないよ」らしい..

 そう言われてしまうと返す言葉もない.


 話の情報量が多くついスルーしてしまったが,今の話を聞いて思ったことが一つ..


「前から思ってたが..D地区ってもはや研究都市じゃないよな.研究者や富裕層インヴェスターもいなければ,得意な産業も持たない.都市感あるのは,このビルだけだし,研究なんか何もしてないよな..強いて言うなら他地区と喧嘩する方法の研究ぐらいか? ましてや他地区との貿易もないなんて完全にハブられてるだろ」


「全くその通り.今の言葉そのまま兄さんにも聞かせてあげたいよ.兄さんはきっと喜ぶ」


 何段にもジェンガ―のように積み重ねた本の一冊を取り,崩す弟.


「喜ぶ? 一応今のは皮肉のつもりで言ったんだが..」


「兄さんは今のこの状況を楽しんでるよ.これが僕の理想郷だ!ってね..僕がなぜ?って訊いたらなんて答えたと思う?」


 弟に回答を求められるが,あの天才のようでバカの思考などわかるはずもない.


「兄さんはこう答えたよ..他地区のバカどもからの干渉が一切ないこの環境,誰からの権力にも縛られず,みんなのびのびと自由に暮らせる.これを理想郷と言わずなんて呼ぶ?って..」


「確かに言いそうだな..」


「でしょ?」


 そうだ..ミブロの言う通りだ.

 俺たちは,誰からも干渉されず,権力に縛られずに自由に暮らしたい.

 もし,このまま研究都市を放っておけば数十年後には,完全に世界を掌握する.

 これは未来のための戦いでもある.



 時刻は17時.

 

「そろそろ帰る」


「今日は早いんだね.お疲れ様」


 今日は,いつもより2時間ほど早く帰る.

 

 早く帰る必要もない気がするが,朝,深雪に言っちゃったからな..

 

 弟と別れ,エレベーターに向かう途中,図書館の料理本コーナーに目が留まる.


「一応借りとくか..あいつ料理の勉強してるっぽいし」


 俺は一冊の料理本を手に取り,とある本棚の隙間に隠されたタブレットを取り出し,手続きをする.


 ここ連日,図書館に来まくってるせいか,弟からここに隠しておくから勝手に使ってくれとのこと.

 まぁさすがにあの本の山の中にタブレット隠しておくのは何か違うよな..だからと言って,本棚の隙間に隠すのを肯定しているわけではないが..


 手続きを終わらせ,料理本を片手にエレベーターに乗り,部屋へと足を進める.


「ただい..ま..」


 部屋のドアを開ける..しかし,深雪の気配はおろか電気すら点いていない.

 そのまま靴を脱ぎ,部屋に上がり,料理本をテーブルに置く.


「深雪いるか?」


 しかし,返事はなく,寝室,お風呂,トイレにもいない.

 かくれんぼでもしているのか? あいつならやっても不思議ではない.

 台所を見ると何やら料理をした跡があり,そこにはまだ洗われていないボウルや泡立て器が置いてあり,クリームが付着していた.

 何を作っていたのか気になり,冷蔵庫を開けてみるとそこにはケーキが冷やされていた.


 随分と手の込んだもん作ってるな..今は売店に足りなかった食材でも買いに行ってんのか?


 俺はそう思い,冷蔵庫を閉め,ソファで借りてきた本を読む.

 本を読んでいると時間が経つのがあっという間に感じる.

 でも,自分にとって未知で新しい知識が頭の中に入ってくる感じは嫌いではない. 



 時刻は18時.


「さすがに遅すぎる..まさかこのビル内で迷子にでもなってんのか?」


 いや..そんなはずはない.このビル内のことなら,探検大好きな深雪の方が詳しいはずだ.

  

 急に心配になり,落ち着いていられないのか部屋中を歩き回る.

 ふと,テーブルに置いてあった深雪の手帳に目が留まる.

 開いてみるとそこには..


「令司のお誕生日プレゼント候補リスト..」


 そうか..今日は俺の誕生日だったのか..だからケーキ..

 いや..待て..

 何かが引っかかる..

 このリストに書いてあるものは,おそらくこのビルの売店には売ってない..あそこは食品メインのはずだ.

 そして,深雪のあの朝の様子..

 

 この結論に至った時にはもう居ても立っても居られなかった.


 深雪は間違いなく,このビルの外に居る.

 そして,まだ帰ってきていない..


「あのバカ野郎..」


 このときの俺は最悪の事態しか考えることができなかった.

 そのせいか冷静な判断ができず,部屋を全速力で飛び出し,エレベーターの一階ボタンを連打していた.

 

 どうする..どうする..もし..深雪が..どうするどうするどうするどうするどうするどうする.


「令司!」


「え?」

 

 後ろを振り向くが誰もいない..

 今..一瞬,深雪の声が聞こえたような..

 どうやら頭が回らなくなっていたせいか幻聴まで聞こえてしまったらしい..

 だが..今ので少し冷静になれた.


 落ち着け..冷静になれ..一人で捜しても間違いなく時間の無駄だ.こういうときはまずミブロに報告だ..落ち着け..

 

 俺は胸に手を当て,深呼吸をして心を落ち着かせる.


「よし..」


 エレベータのボタンを最上階にセットし,ミブロのいる部屋に向かう.

 この前,設定してもらった自分の虹彩を認証デバイスにかざし,ロックが解除される.


 部屋に入ると,ミブロとマリーの二人がソファに座り何やら話し合っていた.


「お! 令司君.こんな夜にどうしたんだい? そんなに汗をかい..」

 

 俺はミブロの言葉を遮って,今一番伝えなければならないことを報告する.


「深雪が帰ってこない..俺の推測だが,一人でビルの外に出た」


 俺はミブロに訴えかけるように話し,その俺の今にも崩れてしまいそうな顔を察したのか,すぐに行動に移す.


「マリー,今すぐ監視室に行って,このビル内とD地区全域の監視カメラをチェックしてくれ.至急だ」


「承知致しました」


 そう言ってマリーは,手慣れた感じでその監視室に向かう.


「令司君,5分ほど待っていてくれないか? 今からD地区全域の人たちの視覚を共有する」


 視覚を共有? 何だの事だがさっぱりだったが今の俺は,ただ立っていることしかできなかった.

 やがて,ミブロがソファに座ったまま動かなくなってしまう.

 こんな状況にも関わらず,ただソファでボーっと座っていたならば,今すぐにでもミブロの胸倉を掴んでいただろう.

 しかし,おそらく違う.


「能力者だったのかお前..」


 ミブロは紅く光る両目を大きく開き,ただ一点を見つめていた.


「隠しているつもりはなかったんだ..言うタイミングなかなかなくてね.僕の能力はさっきも言った通りだ.このD地区全域の人たちの視覚を借りて深雪君を検索する.まぁ千里眼や人間監視カメラのようなものだと思ってもらっていい.ただこの能力にも弱点があってね..僕より能力限界容量キャパシティが高い者の視覚は取れないんだ..だから,多分僕より高いであろう君や深雪君の視覚は取れない..本当にすまない..」

 

 そうか..もしも深雪の視覚が取れるなら深雪の居場所がわかったということか.

 自分の実力不足でそれができないと感じているのか.あのミブロが初めて本心から謝ってきたように感じた.


 ミブロから大量の汗が流れている.


 こいつ..大丈夫なのか?

 ミブロの能力限界容量キャパシティが何%あるのかはわからないが,D地区全域の人の視覚を借りるとなると,それなりの体力と演算力が必要になる.

 

 それでも,ミブロは汗を流し,歯を食いしばり,頭を手で押さえながら検索を続ける.

 俺はそんなミブロの姿をどう言葉で表現していいのかわからなかった.

 ただ..俺の目には,その姿がカッコよく,本当にただの仲間想いのリーダーの姿が映っていた.


 ミブロの言っていた5分が経過したが,ミブロはまだ検索を続けている.

 顔には血管が浮かび上がってきていた.

 もう結果もわかっている.

 俺はそんなミブロの姿を見ていられず..


「ミブロもう大丈夫だ..お前が無理をしたら,色々と支障が出るだろ..」


 その言葉が届いたのか,身体の限界が来たのかは不明だが,ミブロの体から力が抜かれていく.


「す..すま..ない」

 

 かなり限界が来ていたのだろう.ミブロは自分の頭を押さえながら苦しそうにしている. 

 

「いや..ありがとう..」


 こうなったら一人で捜すしかない..

 違う..深雪を捜していなければ頭がおかしくなってしまいそうだった.


「令司君..僕も..すぐに捜すのを手伝う..から..」


「あぁ」


 俺はビルから飛び出す.

 ひたすらに血眼になってD地区を走り回った.

 


「マリー..どう..だった?」

 

 監視室から戻ってきたマリーと頭痛が治らず苦しそうにするミブロ.


「はい.深雪さんは確かにビルの外に居たことが確認されました.最後に深雪さんが映っていたのは17時過ぎで,よく見えませんが,この大通りに繋がっている小道に若干ですが深雪さんの姿が..それと仮面を付けた三人も..」


 マリーから渡されたタブレットで,その画像を見ると確かにそこには,深雪君の姿があった.

 

 三人の仮面の男..何者かはわからないが最悪の事態がミブロの脳裏によぎる.


「ありがとう..マリー.君は..もう休んでもいいよ..」


 顔色一つ変えないマリー.


「わかりました.状況が状況ですので明日は早めに深雪さんの探索に協力します」


「うん.助かるよ..」


「それでは失礼します..」


 何事もなかったかのように帰宅してしまう.


「はは..マリー君は相変わらずだな..こんなときでも..冷静なんて..やるじゃないか」


 タブレットに映し出されている画像を凝視する.


「令司君を追わなきゃ..」


 タブレットを抱え,頭を抱えながらも,部屋から出る.



 時刻は19時過ぎ.


 かれこれ30分以上は走り続けている.

 脳がマヒしているのか息切れしても,まるで疲れを感じない.

 ただ深雪のことだけを考え,探し続けていた.


「はぁ..はぁ..」

 

 一旦,立ち止まり,周囲を見渡すといつものように店が並び今日も人が疎らながらも賑わっていた.

 子供の泣く声,笑う声.カップルのいちゃつく声,営業をしている声,今の俺にとってはもはや雑音にもなっていない.

 聞こえるのは自分の心臓と息を切らす音のみだ.

 しばらく周囲を眺めていると,どこからか雑音が無理やり入ってくる.


「令司君! 令司君!」


 この声..ミブロか?


「やっと..追いついた..」


 こちらに息切れをしながら歩いてくるミブロ.

 まだ,さっきのダメージが残っているのか..と思っていると..


「これを見てくれ..」


 ミブロからタブレットを渡され,その画面を見るとなんと深雪が若干だが映っていた.

 そして,謎の仮面の三人組..


「深雪..どこだここは!」


 俺はミブロの肩を押さえ,場所を聞く.


 早く行かなきゃ深雪が..


「令司君..落ち着きたまえ..」


 どこかでネジを落としてしまったのだろう..このときの俺はもう誰にも止めることができなかった..


「いいから教えろ!! 早く!!」


 その圧力に押し負けたのか,ミブロは指を指して,だいたいの場所を伝える.

 今いる場所からは,数十メートルしかなく,あっという間にその深雪が居たであろう小道に到着する.


「深雪..」


 小道に入るが人の気配もない.

 小道の先に進んでいくと一つの街灯があり,ウザイほどにチカチカと点滅していた.

 歩いていると,何かを踏む感触が足元に伝わり,下を見ると小物を入れるための紙袋が落ちていた.

 普段,こんなゴミを拾う習慣などないが,不思議とその紙袋に手が吸い込まれていく.

 紙袋を見るとペンで何か書かれている..


 [令司へ 17歳のお誕生日おめでとう!! 深雪より]


 俺は無言でその紙袋の中を開けると中には雪の結晶の形をしたペンダントが入っていた.

 

「おい..嘘だろ? ....深雪!! いるんだろ!! 深雪!! 出てこいよ!! 深雪!! 頼むから! 出てきてくれ..頼む..深雪..」

 

 目からどう止めていいのか わからない大粒の涙が出てくる.

 俺はそのペンダントをギュッと握りしめ,前かがみになりながら吐くような姿で感情に身を任せ大声で一人泣きわめく.

 

「いやだ..いやだ..俺を一人にしないでくれ! 深雪! いやだ..もう..俺から何も取らないでくれよ! 俺が何をしたって言うんだよ! 頼むから深雪を..深雪を..返してくれ..」


 抑えることができず爆発する感情.


「令司君!」


 後から追ってきたミブロが俺のもとに来る.


「お願いします..深雪を..返してください..お願いしますお願いしますお願いします..」


 ミブロは,泣きわめく令司の横に落ちていた紙袋を手に取り,状況を把握する.

 そして,ミブロは腰を落とし,令司の背中をさする.


「令司..落ち着け.落ち着くんだ.深雪君は間違いなく生きている.君は強い.大丈夫だ..大丈夫」


 初めてミブロから呼び捨てにされたことにこのときの俺は気付くことができなかった.

 ただ,その背中をさする手と安心できる温かい言葉は,まるで本当の母親のようだった.

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