第15話 二人の時間(1)

「令司! 待ってよ!」


 俺を呼ぶ声が背後から聞こえる.


「そんなに怒ることないでしょ? ミブロさんも悪気があったわけじゃないだろうし」


 悪気がなくて髪や胸を触る奴がいてたまるものか.


 そもそもこいつももう少し警戒心というものを持って頂きたいものだ.


「もう怒ってない. お前も少しは怒れよ. そして抵抗しろ」


「うん..なんかね..令司に見られてるって思うと何か抵抗しづらくて..」


 ....?


 防衛本能が働いたのか俺は,無意識に深雪との距離を取る.


「お前..そういう趣味あったのか?」


「え? 趣味?」


 今の言葉の意味がわからなかったのか,人差し指を顎に当て思考する深雪.


 そして何かを察したのか全力で俺の腕をガシッと掴み泣きついてくる.


「ち 違うよ! それは誤解! そういう意味じゃなくてね! 令司の前だったから抵抗だとかそういうはしたない行動は慎むべきなのかなぁって思っただけなの!」


 どうしても誤解を解いておきたいのか,いつもよりグイグイと腕を引っ張てくる.


 個人的に何の抵抗もせず胸を揉まれて,あのように色っぽい声を出すほうがはしたないと思うが..


「抵抗することのどこがはしたないんだよ..それに俺の前だから抵抗しないの意味がわかない. 俺がいなかったら抵抗してたのかよ..」


 何か触れてはいけないワードに食いついてしまったのか深雪の顔が赤く染まっていく.


「何顔赤くしてんだよ..」


 慌てふためく深雪..もしかしてこいつ,裏で人には言えないようなことをしているのではないか..様子を見るにそんな疑問を抱いてしまう.


 そして恥ずかしいのか赤く染まった顔を俺の腕で隠し,俺には聞き取れないくらいの声でボソボソと喋りだす.


「だって令司に助けて欲しかったんだもん..抵抗したら筋肉女と思われて令司のお嫁さんに..」


「深雪..聞こえない. もっとはっきり喋ってくれ」


 腕の中で唱えていた呪文を遮り,もっと大きな声で喋るよう促す.


 声が届いたのか深雪がゆっくりと顔を上げる....その顔には怒りと悲しさの二つがあるように感じた.


 どうやらまた不機嫌にさせてしまったようだ.


「バカ..もう教えない! 令司のバカバーカ! もう私グラビアアイドルやらなーい!」


「いやいや! それはやらなくていい..」


 今日のこいつ,本当にいつもより感情が不安定だな..環境が変わったせいで心の整理がついていないのか? 振り返ってみると深雪を色々なところに連れまわした挙句,最後にはセクハラもされる始末だ..可笑しくなってしまうのも無理はない.


 そして,俺のことをバカとか言いながらも何でこんなに楽しそうにしてるんだか..全く..


 俺はそんな深雪が可愛く,つい頭にポンと手を置き,さらさらとした白髪の前髪を軽く整えてあげる.


「明日二人でどこか買い物にでも行くか?」


  ....


 頭を触られたことに驚いたのかポカーンとしている.


 目を見開いたままの深雪の顔の前で手を振ってみるが反応がない..


「ん? 聞いてるか? ....死んだか..じゃあ明日一人で行くか」


 我に返る深雪.


「行く! 行きたい! やったー久しぶりのデートだね!」


 いつものように元気にはしゃぎ,笑顔を見せつけてくれる.


 明日の約束をし,歩き出す二人,隣を歩く深雪は嬉しそうに令司がポンと手を置いた場所に手を当て感触を思い出していた.



「あ..チビに用意してもらった部屋のこと何も聞いてねえ..」


 そういえば,ろくな話もせずに勢いでミブロ部屋から飛び出してきたからな..今後のことを聞きそびれてしまった..


「お部屋の鍵ならあるよ」


 そう言うとポケットをあさり始め鍵をポンと出す深雪.


「お前..どこから盗んできた?」


「盗んでないよぉー. さっきミブロさんに勝手にポケット入れられたのー!」


 ミブロ? あー..鍵をポケットに入れるならあのときしかないよな..普通に渡せよ..


 ちょっと待てよ..もしかして,俺が怒って部屋から出ることまでを想定して深雪のポケットに入れたのか? いや..さすがに考えすぎか.


「で その鍵ってどこで使うんだ? 宿だかアパートだかの場所は書いてないのか?」


 目を真ん丸くさせ,鍵を360度くるりくるりと回転させる.


「何か書いてあるよ. 令司君へ..このビルの部屋 だって」


「ここかよ..」


 深雪から鍵を見せてもらうと鍵のキーホルダーの部分にシールが貼ってあり,そこには文字が印字されていた.


「確かに書いてあるな..てかこのビルかよ..確かにD地区の中では一番安全だとは思うが..」


 このためだけにわざわざ作ったのかよあのチビ! 暇なのかバカなのかもうわからない..


「んじゃ..部屋行くか..」


「うん!」


 今日は振り回されすぎて色々と疲れたな..


 結局,俺と深雪に会わせたかった人って誰だったんだ? まぁ今更考えてもしょうがないか..



「朝ですよおー」


 深雪の声が聞こえる..目を少し開けると外はまだ完全に日が昇りきっていない,時計を見ると朝の5時だった.


「おやすみ..」


「うんおやすみー. じゃなくて! 今日はお出かけの日でしょ!」


 朝からギャーギャーと騒がしい..変な物でも食ったのか?


「今何時だと思ってんだよ..どこの店もまだ開いてないだろ」


「何事も余裕を持って行動することが大切でしょ? だからね..って令司! 寝ちゃだめー!」



 目を覚ますと目の前に深雪の顔がある.


 うん..いつもの光景だ,自分のベッドがあるのだからそっちで寝て欲しいものだが..


 時計の針を見ると12時を回っていた.


 こいつあの後 結局寝たのかよ..あんなに張り切ってたのに.


「深雪~起きろ~. 深雪~」


 駄目だ.全く起きる気配がない..少し呼び方変えてみる作戦でいこう.


「しらが」


 反応なし.


「チビ」


 反応なし.


「みゆ..」


 反応あり..目をゆっくり開く深雪.


 俺の声がうるさくて起きただけかもしれんが,みゆが正解だったっぽいぞ.


「おはよう深雪」


「今ね..なんか..とても懐かしい感じがしたの」


 夢でも見ていたのだろうか? 深雪の様子がいつもと少し違う.


「寝ぼけてないで準備するぞ. もう昼だし」


 昼という単語を聞き逃さなかった深雪,時計を見るや否や深雪が眠りから完全に目を覚ます.


「うそ! 12時!? 令司~どうして起こしてくれなかったの~」


「俺も今起きたところ. お前こそ何で寝てんだよ,あと自分のベッドで寝ろ」


「だって令司が早く起きてくれなかったんだもん! それに令司の寝顔を隣で見てたら私も眠くなっちゃって..」


 つまりあの後,俺の布団に潜り込んで寝顔観察されてたわけ?


「お前なぁ..」


「こんな話どうでもいいから早く行こ! もう夜になっちゃうよー」


 そう言うと深雪が着替えの準備を始める.


 その様子をマジマジと見ていると深雪が恥ずかしそうな顔で振り返ってくる.


「令司..あっち向いてて..どうしてもって言うなら見ててもいいけど..」


「いや..見ても面白くないしいい. あっち向いてるから早くしてくれ」


 俺は深雪に言われたとおり背を向け,着替えが終わるのを待つ.


 ..背後から感じる怒りの視線とオーラ,また何かやらかしてしまったか? 理由はわからんが俺が怒らせてしまったことに間違いはないだろう. こういうときは早めに謝るのが吉.


「深雪ごめん..」


 壁に向かって視線を向けかつ深雪に背を向けたまま謝罪をする.


「どうせ適当に謝ってるんでしょ?」


 こいつ..こういうときはやけに鋭いな.


 自分で言うのもなんだが俺も相手の考えを見抜くという点においては鋭い. ここで適当と言ってしまえば深雪を不機嫌にしてしまうのは容易に想像がつく.


 つまり,ここで出すべき最良の答えは..


「あれだろ? お前の着替え姿を面白くないと言ってしまったことだろ? 訂正する. お前の着替え姿は誰よりも面白い..俺が保障する」


 これだ! 個人的にこれはベストアンサーな気がするが..深雪の返答がないな.


 返事がないということは,異論がないという意味でもとれる.


 つまり..


「もういいか? そっち向くぞー」


 返事がなかったため振り向くと,すでに深雪の着替えは終わっていて,D地区から支給されたであろう可愛らしいワンピースを着ていた.


 ただ,一つ気になることがある..


 どうして深雪がベッドの上に立って枕を両手で持ち上げているんだ? まるで俺の方にその枕という名の砲丸を投げる準備をしているかのごとく.


 その顔は..怒ってますね..どうやら不正解だったらしい.


「えっと..何してるんだ..? 筋トレでも始めたのか?」


 令司の何気ない発言が引き金となったのか,深雪の顔がりんごのように赤くなっていく.


「す..すまん..」


「もういいもん..」


 今のしょうもない謝罪が効いたのか呆れられたのかはわからないが,持ち上げていた枕を離し,ベッドから無言で降りていく.


 そんな落ち込んだ深雪の姿を見ているのが不思議と苦しい..


「ったく..」


 俺はベッドから立ち上がり,深雪の手を握る.


「行くぞ..あと..」


 恥ずかしいのか不思議と深雪の目を見ることができない.


「そのワンピース..深雪に似合ってると思う..」


 自分でも顔に熱を帯びているのがわかる..普段こういうことを言わないからだろうか,俺は本当に心の中で思っていたことを口に出す..これで機嫌が良くなってくれるといいのだが..


「ありがと..」


 気恥ずかしそうに答える深雪はまるで桜のように美しく,見惚れてしまっていたのは言うまでもない.

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