第36話 全力を超えた先へ

 ――その光線には覚えがあった。


 見る者さえを呑み込んでしまうような漆黒の光の束が、山の木々を巻き込んで空へと伸びるのを見た瞬間、私は走り出していた。


 そうして駆けつけた先、木々の成れ果てだけが大地に連なる空虚な世界で、煌々こうこうとした赤を帯びた何か――恐らくは爪――をその目下の冒険者に振り上げた魔族が視界に入る。


 その姿を一目見て、私の冒険者としての本能が『無謀』だと直感してしまった。


 それが纏っている空気は明らかに別格だった。遠くからその余波に当たるだけで胃液が逆流しそうになるほどのデタラメな魔力量、幾度の死線を潜り抜ければ身に着けられるのかもわからないほどの圧倒的な覇気。十全な強化魔法がかかっている今の私ですら数度の打ち合いに耐えることはできないだろう。


 足が竦む。駆けつけたことを後悔した。今すぐ背中を向けて逃げ出したい。


 あの魔族の前に姿を見せれば生きて帰れる保証などどこにもない。


 自然と1歩、足が後ろへと下がってしまう。


 圧倒的な力を持つ魔族がいる、その情報を持ち帰るだけで充分な働きじゃないか? いや、むしろここで無駄死にをするくらいであればその方がいい。絶対いい。


 言い訳が次々に湧いては頭を満たしていく――違う。これは絶対に言い訳なんかじゃない。道理だ、正道だ。


 自分の命が惜しいからではなく全体の利益を考えればこその判断。目の前で殺されそうな冒険者がいたとしても、彼らはそれもまた覚悟の上でこの掃討戦に臨んでいるのだから、きっと私の行動を赦してくれる……。


 ポケットを探る。それはすぐに見つかった。


 琥珀色の飴玉――。それは今回の長時間に渡る掃討戦へと備えて、私の友人――ソフィアが自身の強化魔法の時間制限を打破するために編み出した帰り道専用の相乗香辛魔法マジカル・スパイス・シナジクスが込められたキャンディーだ。


 口に放り込み、噛み砕く。


 一瞬のうちにそこに込められた強化魔法が自身へと宿るのがわかった。それらは山の中で強化魔法の効果が切れてしまった後でも、無事に帰ってこれるようにとの願いと共に込められたもの。


 その魔法に込められた想いが、恐怖に冷え切った心へと温かく染みていく。この掃討戦で少しでも冒険者たちの役に立てるようにと、毎日毎日研究に没頭したその友人の顔が思い浮かぶ。


 無事に帰りたい。生きて帰るんだ……!


 その気持ちはより大きなものに成長していく。


 そして、私――アイサ・ゼーベルグは足を踏み出した。




 ――1。戦場へと向かって。




(生きて帰りたい……! でも逃げ帰りなんてするものか!!)


 ソフィアのマサラ・キャンディーは逃げ帰るために作られたわけじゃない。全力を尽くして戦ったあと無事に帰って、そしてためのものなんだ。


 それは決して逃げ帰った先で挫けるためのものじゃない。少なくともここで背中を見せ、殺されゆく冒険者たちを見捨てたならば私の冒険者としての信念は折れるだろう。再び剣を取って起き上がれるハズもない。


 だからこそ、踏み出す足は前へ。


「まだ、足りない……!」


 マサラ・キャンディーの強化魔法で、魔族との力量差が僅かばかり埋まるのを感じる。だが、それだけではあの魔族の力にはまだ届かない。


「――<筋力増強パワーエンハンス>、<斬撃速度上昇スイング・アップ>、<斬撃速度上昇・改スイング・アップ・プラス>」


 駆け出しながら、1日1回切りしか使えない大技・<風斬り>を使うため、全ての身体能力向上系の特殊技能スキルを発動する。


 腰に差した剣に手を添え、音を置き去りにせんばかりに木々の失われた森を魔族へと一直線に走る。


 そして高熱を帯びた魔族の爪が振り下ろされるその直前、私はその懐へと飛び込んだ。


 突然現れた私に、しかし魔族は目を見開くものの躊躇うことをしない。私もろとも目下の冒険者を屠ろうと、より勢いをつけて一撃を繰り出した。それを目前にして――。


(――ダメだ……! まだ、まだ足りてない……ッ!!)


 剣を抜こうとして、剣士としての本能が迫りくる濃密な死を予感する。どれだけ強化を重ねてもなお埋まらないその差に再び絶望が顔を覗かせる。が、しかし。


(負けるもんか、死ぬもんか……ッ!!!)


 奥歯をガチリと噛み合わせ、呼吸を止める。下は向かない、上を見る。凶悪な魔族の視線を真正面から受け止める。


(乗り越えるんだ――ッ!!)


 覚悟と共に1歩、深く足を踏み出す。踵へ目一杯に力を込めて、その死の気配を踏み潰すように。頭の内側で脳が溶けるように熱くなる。同時に視座が一段上がり、身体の奥底から潜在能力が引きずり出されるのがわかった。


「――<限界突破オーバー・リミット>ッ!!」


 死線の先に果たした成長スキルを叫ぶ。さらに重ねられた強化に身体が熱を持ち、今にも湯気が立ち上りそうなほどだった。そして迫りくる燃えるような赤の爪に向けて私は腰を切り、鞘に納められた剣を抜き放つ。


「――ぃっけェェェエェッ!!! ――<嵐断あらしだち>ッ!!!」


 ゴウッ!! と、暴風さえを断ち斬るだろうその抜刀の一太刀ひとたちが灼熱の爪と合わさり、その余波に空気が弾ける。それは決して頑強な爪と鉄の剣が交わる音ではなかった。


 片や音速を遥かに上回った斬撃は圧縮された空気を打ち出し、片や煉獄の炎もかくやというほどに熱せられた紅の魔爪はそれが触れる空気を歪めて押し消している。


「――りゃぁぁぁあぁあぁぁッ!!!」


「――グググ、ガァッ!?!?」


 驚きに見開かれた目を魔族が向けた。『自身の繰り出したこの一撃と競り合うなんてあり得ない』、そんな感情が瞳に透けて見える。しかし事実、互いの技と技はまるで反発し合う磁石を合わせようとするように拮抗していた。そして――。


「「ッ!?」」


 互いの技の交わる中心点から、爆発的な風が吹き荒れた。


「うわっ!?!?」


 その勢いに私は吹き飛ばされて、後方数メートルまで宙に舞った。何とか体勢を整えて着地する。そしてそれは魔族にしても同じなようだった。


 慌てて辺りを見渡せば、やはりその勢いで付近にいたはずの冒険者たちの身体も遠くに転がされていた。特殊技能スキルが衝突した余波によってか、全員意識は失っているようだったが、しかし大きな怪我はなさそうだ。私はすぐに意識を目の前の敵へと戻し、身構える。


 魔族はしかし「空気の膨張か……」と舌打ちをするだけで、再びすぐに襲ってくる様子はない。


「……フンッ! お前もまた高等冒険者か?」


「いや、私は初等冒険者だけど……」


 そう答えてから、しまったと思った。何も素直に事実を教えてやる必要なんて何もなかったのだ。むしろ極力素性を隠して、こちらの実力を勘違いさせなくてはならなかったはず!


 初等冒険者などとバレてしまっては相手に警戒もされないだろう。ゆえにここに私以外の応援がくるまでの耐久戦をし辛くなってしまう。


 ちくしょうバカアイサめっ! そう自分の愚かさを呪っていたものの、私の答えを聞いた魔族の様子がおかしいことに気が付く。


「……俺の最高威力の特殊技能スキルを初等冒険者ごときが防いだ、だと……?」


 独りちるようにそう言って自身の長い爪を見やる魔族の表情は険しいものだ。どうやら先ほどの一撃を防がれたことがよっぽど精神的にいるらしい。そうならば、私も身体を張った甲斐があったというものだ。


「……ッつ!!」


 ピシリッ! と身体から嫌な音が発せられる。あらゆる身体強化をかけて放つ代わりに身体への負担の大きい<風斬り>を、さらに特殊技能<限界突破>を合わせることで昇華させた全力を超えた先の剣技・<嵐断ち>。やはりそのリバウンドは<風斬り>以上のようだった。身体中の筋肉が悲鳴を上げているのがわかる。


 しかし、それを相手に悟らせるわけにはいかない。恐らく剣をまともに振れるのは数度が限度だろう。だが、それでも生きて帰るためには時間を稼がなければならない。


 魔族はしばらく何やら思案顔で顎に手をやっていたが、考えが固まったのかこちらへと視線を向ける。来るか、と身構えるも魔族はその場から動こうとはしない。


「――お前、掃討班の第2陣目だな」


「……はっ?」


「とぼけずともそれくらい見ればわかる。鎧に傷もなく、服に汚れもない」


 決してとぼけたわけではなく、予想外の問いかけに戸惑っただけだったが別に否定することでもない。沈黙を貫く。


「お前に第1陣目と同じ強化魔法がかけられているということは、つまり掃討班の第1陣、第2陣は共通してその強化魔法がかけられていると言えるわけだ。つまりどちらにもその強化魔法の使い手はいないと推測できる」


「……どういうこと?」


「簡単なことだ。第1陣に混じっていれば第2陣へと強化魔法をかける猶予はないし、逆もまた然り。第2陣に混ざってしまえば次に代わって戦線に出ることになる第1陣へとかけることができない」


「だからそれが……どうしたっていうのさ」


「つまりこのデタラメな強化魔法の使い手は――今ベースキャンプにいるということだろう?」


 ニヤリと笑うその魔族の表情に、ゾクリと怖気が走る。こいつ、まさか――。


「――危険な芽は早々に摘みに行かなくてはな……ッ!!」


「なっ――!!」


 バサリッ!! と魔族は背中の黒い翼を大きく広げて羽ばたかせたかと思うと、瞬時に宙へと舞った。


「クソッ!! 待てッ!!!」


 しかしその言葉で留められるハズもない。その姿は太陽目掛けて舞い上がると、ベースキャンプの方角へと飛び去って行く。


「マズい、マズい……ッ!!」


 慌てて元来た道を戻ろうときびすを返すが――。


「グッ――!?!?」


 四肢に激痛が走る。身体が上手く動かず、その場にうつ伏せに倒れてしまう。


「ちくしょう……ッ!!」


 先ほどの技の影響は思った以上に深刻なようだった。立ち上がる気力も湧かなくなるほどの痛みが身体を襲う。


 だが、それを押してでも駆けつけなければならない。あの魔族を相手に、ルーリと戦線から帰って来たばかりで疲れ果てた第1陣目の冒険者たちだけで敵うとはとても思えない。


「――うっ……!」


 その時、少し離れたところから呻くような声が聞こえる。そして冒険者たちの中の、長い金髪が印象的な女剣士が腕をつっかえにするようにして身体を起こした。その姿には見覚えがある。


「レ、レリシアさん……?」


 それは掃討班の第1陣が山へと入る際にアルフリード伯爵の娘として、伯爵に代わって冒険者たちに激励を飛ばしていた女性だった。そしてアルフリード伯爵の娘ということはつまりレミューさんのお姉さんということなのが、正直あまり似ていない。


「――私としたことが……少し意識を失っていたみたいね……」


「大丈夫ですか……? 傷とか……」


「ええ、何とか。あなたは……――! いえ、今はそれよりもあの魔族!! そうよ、あの魔族はッ!?」 


「お、落ち着いてください……! 今ここにはいません」


「こ、ここにはいないって、倒した……わけではないってことよね?」


「はい。ヤツはベースキャンプへと向かいました」


「――ッ!!」


 レリシアさんはそれだけで事態を悟ったのか、大きく目を見開く。私はそれに首だけを縦に動かして答える。


「友達が――ソフィアが危ないんですッ!!」

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