第37話 炊き出し班
――その日の山の様子はおかしいものだったらしい。
レミューさんが、第1陣から帰ってきた冒険者の人たちからそんな情報を仕入れてきてくれたのは、私たちが3回目の炊き出しの準備を始めて少し経った頃だった。
ヒヅキさんは人参の皮をピーラーで丁寧に剥きつつ、レミューさんに向けて「はぁ」と呆れたようなため息を吐く。
「いや、レミューも早く手伝いなよ。まったく。どこで何をしていたのかと思えば、仕込みをサボってフラついていたのか?」
「む~!! サボっていたと言われるのはさすがに
「本当かな……」
「む~~~っ!! 疑ってますのーっ!?」
「あはは……まあ2人ともそれくらいにして、ね?」と、私はまた長くなりそうな2人のやり取りを止めに入る。
口を尖らせるレミューさんだったが、割って入った私を見るなり「そういえば」と思い出したように声に出す。
「ソフィアさん。この服の評判もすごかったですわー! もうひと目で炊き出し班だと認識していただけますし、それに同じ女性の冒険者さまからも可愛いとご感想をいただけましたわ~っ!!」
「え、本当に? 嬉しいなぁ~……!」
レミューさんは服の裾を摘まむとその場でくるりと回る。その星柄の薄黄色の割烹着は明るい性格のレミューさんにピッタリと合っていた。
ちなみにこの場にいないアイサ以外の4人全員が同じ柄で色違いの割烹着に身を包んでいる。ヒヅキさんは水色でルーリは薄紫色、そして私が桃色だ。
第1陣目の炊き出しの時はそんな出で立ちに随分と注目を集めてしまって少し恥ずかしいくらいだったけど、それが結果的には良かったみたいだ。美味しいカレーも用意できたからか、ちょっと重い荷物を運ぶときなんかは『炊き出しの準備か? 手伝うぞ』と冒険者の人が気前よく手伝ってくれたりした。
「レミュー、山の様子がおかしいっていうのはなに?」と話を戻したのはルーリだった。
「なにかトラブル?」
「トラブル……というほどではありませんが、なんでもマラバリが大量に出現したんだそうですの」
レミューさんの言葉に私とルーリは思わず顔を見合わせた。レミューさんは言葉を続ける。
「第1陣の冒険者さまたちは3方向に分かれて山へと入っていたのですが、そのどちらの方面でもマラバリの大群に遭遇したらしいですわ。こんなことは今までありませんでしたのに……。今回はたまたまソフィアさんの強化魔法があったから大事にならなかったものの、無かったらと思うとゾッとしますわね……!!」
突然のマラバリの大量発生、それはつい最近セテニールでも起こったことだ。果たしてこの2つは関係しているのだろうか? 私とルーリがそんなことを考えているところで、
「それで、そのマラバリが大量発生した件についてはどうするんだ?」とヒヅキさんが訊ねる。
「第2陣目はもう山に入っていっちゃったみたいだけど、止めなくてもいいのか?」
「それも今回運営をお願いさせていただいている方々にお話を伺いに行きましたの。今戻ってきている第1陣目の冒険者の方々に目立った被害はなさそうなので継戦するとのことでしたわ」
「そっか……それでレリシアさんとは、会えた?」
「いえ……それがまだ帰っては来ていないらしく」
そこでレミューさんは少し表情を曇らせた。
「何事もないとよいのですが……」
「……そんなに心配することはないって!」
不安げなレミューさんに対して、ヒヅキさんが励ますように言葉を掛ける。
「何といってもレリシアさんは高等冒険者なんだから、大丈夫。きっと無事に帰ってくるさ! ソフィアさんの用意したマサラ・キャンディーだってあるわけだし」
「……そうですわよね。ええ、きっとそうですわ」
その励ましに、レミューさんはまだ心配そうにはしていたが、それでもいつも通りの元気な口調でそう返す。
レミューさんがレリシアさんに対して才能の面で引け目を感じていること、そして今回の炊き出し班としての参加を止められたことは本人から聞いていた。
レミューさんは結局自分の意志を取り下げることなく、こうして掃討戦への参加を決め、その結果としてレリシアさんとの間に今日まで会話がなかったらしい。レリシアさんが第1陣から帰ってきたら、ちゃんと自分の考えを直接伝えようとレミューさんはそう言っていただけに、気落ちしているようだ。
こうやってお姉さんの身を案じるレミューさんの様子を見る限りだと姉妹関係はそれほど悪いわけではなさそうだった。むしろ第1陣目に挑む冒険者たちに向かって激励を投げるレリシアさんを見て誇らしげな表情を浮かべていたくらいだ。
自慢のお姉さんが戦場からまだ帰ってこないというのは、どんなに信頼を寄せていたとしても不安な気持ちになるんだろう。私としてはカレーを作ること以外で役に立てることもないだろうから、どうかレリシアさんが無事で帰ってきてほしいと願うばかりだった。
そして3回目の炊き出しの下準備にレミューさんも加わってしばらくして、「それにしても」とレミューさんが再び口を開く。
「ソフィアさん、『マサラ・キャンディー』なんてよく思いつきましたわね。先ほど話を聞いている限りだと、そのおかげで助かったとお話する冒険者の方も多かったですわ」
「ホント? それならよかったな! ちゃんとした物を作るのにずいぶんと苦労しちゃったから……」
マサラ・キャンディー、それは食べた者に私が作るカレーと同等な強化魔法を付与することのできる琥珀色をした飴だ。
作り方を解説するなら簡単で、相乗香辛魔法で強化魔法が付与される激甘カレーを作った後、それを煮詰めてジャム状にする。そしてその周りを砂糖でコーティングすれば完成だ。
「実は、ヒントになったのはレミューさんたちからの贈り物だったんだよね」
「わたくしたちの……?」
「うん。ルーリにお菓子をいっぱい送ってくれたでしょ? その中のキャンディーを見て思いつけたんだ」
実際のところ、レミューさんが送ってくれたお菓子の中にあったキャンディーは大半がスティック状のものだったが、しかしそれが前世の世界で個入りで包装されている飴玉を連想させてくれた。結果として、万が一掃討戦で強化魔法が切れた時の保険をポケットサイズで用意するためのアイディアとなったのだ。
「ただやっぱりサイズ的に小さいものだから、使えるスパイスの量に限りがあったんだよね。全部で4種類だけだから」
「それでも皆さま助かったと仰っていますわ。わたくしとしても感謝の気持ちでいっぱいです!」
「え? どうしてレミューさんが……?」
「どうしても何も、わたくしたちラングロッシェ家が依頼を出して集まっていただいている冒険者さまたちですから。彼らの安全のために最善の努力を尽くしてくださったソフィアさんに、ラングロッシェ一族のわたくしがお礼を言うのは当然ですわっ!!」
レミューさんはそう言うと満面の笑みを私に向ける。
「本当にありがとうございますわっ!!」
「そっか……うん、どういたしまして!」
心からの感謝の気持ちに、私も笑顔で頷いた。相変わらずの優しいレミューさんの姿に、私はきっとそんな彼女の一生懸命さに報いたい一心で今日まで炊き出しのカレーやマサラ・キャンディーの開発を頑張ってこれたんだと改めて感じる。
それからしばらく、トントントンと野菜を刻む音と小麦粉を炒めているフライパンの音だけが聞こえる時間が過ぎて。
「――さて、大体野菜は切り終わったかな。向こうのチームも……」と、私は少し背伸びをするようにして小麦粉を炒めてもらっている班を覗く。
すると、フライパンを握る班員の女性は指で
「うん、小麦粉も炒め終わっているみたい! 後はじっくり煮込むだけかな」
今回、炊き出し班としてこの野外調理スペースで活動をしているのは私たち4人だけではない。調理に皿洗い、カレーの提供をするためのサポートとしてさらに10人ほどのスタッフがお手伝いしてくれているのだ。
1回目の炊き出しはさすがに戸惑うところもあったものの、その反省を踏まえて2回目、3回目と回数を積むにつれみんな少しずつ慣れてきて、作業効率もグンとアップしている。前よりも順調に進んでいく炊き出しの準備に、私が1人頬を緩めている時に――それは起こった。
「――ッ!?!?」
真っ先にその異変を感じ取ったのはやはりルーリだった。ルーリは急にバッ! と振り返り、山――冒険者たちが入って行った麓よりも上、峰へとその視線を向ける。
「? どうしたの、ルーリ?」
「……何か、さっき…………! 違う――今ッ!!」
「さっき? 今? ルーリ、いったいなんの――」
――しかしその問いは背に身体に直接叩きつけられるような轟音によって、途切れる。
「――ぃっ!?」
果たしてそれは隕石でも落ちたんじゃないだろうかというほどに、空気を激しく揺らす衝撃を伴った音だった。いや、実際音だけではない。何かが空から落ちてきて、地面へと衝突したのだ。その証拠に、今私は大きく揺らされた大地に転がされて尻もちを着いている。
「――な、なんなの……!?」
「ソフィア! 大丈夫……!?」
「あ、ルーリ……!」
ルーリが私の前に屈んで、心配そうな瞳でこちらを覗き込んでいた。
「うん……わ、私は大丈夫! 他の人たちは!?」
何が起こったのかまるでわからないけど、何かとんでもないことが起きている気がする。急ぎ辺りを見渡す。
「い、痛いですわーっ!!」
「いつつ……!」
レミューさんもヒヅキさんも、他のみんなも私と同じようにへたり込んでしまっているだけで、大きな怪我はなさそうだった。調理場も無事だ。ちょうど加熱魔具を使ってはいないタイミングだったから、万が一何かがひっくり返っていても火傷などの心配はないはず。
「でもいったい何が……?」
私とルーリは立ち上がり、そして目の前の光景を見て――愕然とした。
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