第40話 ノーブレス・オブリージュ

「ですから、わたくしが使だと申しているのですわ――ッ!!」


「お前が……?」


「ええ! このわたくし、レミュー・バロナ・ラングロッシェこそ、貴方のお探しの魔術師で間違いありませんのっ!!!」


「レミューさん!! 何を言って――っ!?!?」


 私はその言葉の意味するところをすぐに悟り、レミューさんへと手を伸ばす。だが、その手は届かない。


「わっ!?」と、声が出る。肩を突然後ろに引かれて転びそうになったのだ。しかし、私の身体はパスッという軽やかな音と共に受け止められる。


「ごめんね」


 背中側から聞こえたのはヒヅキさんの声だった。ヒヅキさんは続けて、「ねぇ、ソフィアさん。『ノーブレス・オブリージュ』って言葉を知っている?」と訊いた。


「えっ……? の、のーぶれす……?」


 ヒヅキさんの身体に背中を預けながら、私は聞こえた言葉をそのまま繰り返す。聞き覚えのない単語だった。


「『貴族の義務』って意味らしいんだ。どうかレミュー止めないであげて、ソフィアさん。あいつは今、それを果たそうとしているんだよ」


「貴族の……義務……?」


 問い返す私の言葉に、ヒヅキさんは優しげな笑みと共に首肯した。


「レミューって人間はさ、自分の目の前で誰かが傷つくとかそういうのが本当にダメなヤツなんだ。でもだからって目を瞑って見ないフリはしない、自分が前に出るんだ。『わたくしたちは日々領民たちに支えられて生きているから、いざという時には率先して盾にならなくちゃいけない』って言ってさ。弱いクセして何言ってんだって思うかもしれないけどさ、でもレミューはそれが自分の義務だって考えてる。だから――ごめんね?」


「えっ——」


「――<静寂サイレント Lv1プライマル>」


 いつの間にかこちらを振り向いていたレミューさんが私に向けて魔術を放った。


「――ッ!? ――――っ、――――ッ!!」


 詠唱が行われたかと思うと、私の声が出なくなった。いや、声だけではない。私をボンヤリと纏う空間がクッションになったかのように、私から発せられるすべての音が吸収されるようにして外へと響かない。


「――ごちゃごちゃと、話はもう終わったか? 」


「ええ。つつがなく。お待ちいただき感謝申し上げますわ」と、レミューさんは目の前の魔族に対して慇懃いんぎんなお辞儀で応えた。


「それでお前があの――『ラングロッシェ家の落ちこぼれ』と名高い娘の方か」


「……ッ!! ふんっ!! そんなのデタラメですわよ!!」


「フッ、その瘦せっぽちな魔力量でか? むしろお前の後ろにいるそっちの黒髪のガキが身に宿す魔力の方がよっぽど多いようだぞ? そんなお前がこれほどの強化魔法を扱えるとは思えんがな……」


 相手の魔族の疑わし気な視線を、しかしレミューさんは真っ向から受け止めて返す。


「わたくしの強化魔法は特別製ですの。術者が直接的に詠唱を行って被強化対象にかけるわけではなく、料理を媒介にしてそれを食べた人に対して効果を発動する物質への干渉系術式ですのよ! 魔術の作用が目に見える様式ではなかったからこそ『落ちこぼれ』などと陰口も叩かれましたが、しかしわたくしが本当に『落ちこぼれ』かどうかは、今日の成果を見た貴方ならわかるでしょう?」


「……確かに干渉系術式を極めた人間はその分だけ直接系術式が不得手であることが多い。干渉系術式には技術さえあればよく、本人の魔力量はそれほど多くなくても問題ないという点を加味すれば……なるほど筋は通っているように聞こえるが……」


 レミューさんの真偽を織り交ぜた言葉を、魔族は納得気に受け止めていた。


 ダメだ、疑え。そうじゃない、レミューさんじゃない! その言葉を疑え! 強化魔法を使うことができるのは私なんだから……!!


「――――っ、――――ッ!!」


「――っ! ごめん、ごめんね! 動かないで、ソフィアさん……!」


 レミューさんの後ろでもがく私を、ヒヅキさんは必死で押し止める。なんでこんなことを! このままじゃレミューさんが殺されてしまう……ッ!!


「しかし、わからんな……なぜ自ら名乗り出る?」


「それが私の義務であり誇りであるから、ですわ」と、なおも重ねられた魔族の問いに、レミューさんは間髪入れずに答える。


「貴方は術士が見つからなければ、見つかるまでその暴禍ぼうかの嵐を止めませんでしょう? 傷つけられる民があるならばその盾になるというのは貴族であれば当然のこと! それ以外の答えが必要ですのっ!?」


「……フンッ! 相変わらず貴族というヤツの思考はわからん。だが、そうだな。アルフリードのクソ野郎も同じことを言いそうだ」


 その魔族はクツクツと愉快そうに笑い声を立てた。さながら、懐かしいものでも見るような目をレミューさんへと向ける。


「ヒヅキ。ソフィアさんを、頼めますわね?」


 レミューさんは魔族へと油断なく目を向けたままそう口にする。こちらを振り向くことはない。その言葉だけで、2人の間に通じ合うものがあるかのようだった。


 レミューさんは、信じているのだ。ヒヅキさんなら自分の想いを汲み取って行動に移してくれると。


「――却下だ」


「……へっ?」


「だから、却下だって」、ヒヅキさんは淡々とそう口にする。


 その明確な『拒否』の言葉に、


「な、なな――なんでですのーッ!?!?」とレミューさんが愕然がくぜんとした顔でこちらを振り向いた。


 なんだか……2人は全然通じ合ってなかったみたいだった。チグハグなその会話に、私もつい状況を忘れて呆けてしまう。


「ここは明らかに『――わかった』って神妙に言う場面ですわ!! 当然のように『却下だ』ってなにを考えてますのっ!? ヒヅキあなた、この状況をわかっていますのっ!?」


「わかってるさ」


「全然、ぜんっぜんわかってませんのっ!! わたくしはこれから命を懸けた戦いに臨みますの! そうやって時間を稼いでいる間に、無理やりにでもソフィアさんを逃がさなければならないっていうことがわかっていませんの!! ソフィアさんは絶対に自分じゃ逃げようとしないことくらいヒヅキだってわかるでしょう!!」


「だから、わかってるって! 全部わかってる。お前がそうやって自分1人を犠牲にして他のみんなを助けようとしていることは!」


「それなら――っ」


「馬鹿レミュー!」


 叱るような声が、レミューさんの言葉を途中で切った。


「なんでお前1人で戦うつもりでいるんだよ! こんなの、最初からに決まってるだろ!!」


「――!! ……ヒヅキ、あなた……一緒に戦うということが、どういうことかわかっていますの……?」


「……わかってるさ。でも、最初に言っただろ? レミューの行く先がどんなに危険な場所だったとしても、私は一緒についていくって」


「…………っ」


「それに、私はレミューより強いだろ? 昔からケンカして負けたことがない」


「……相変わらず一言、余計ですわよ。ヒヅキ…………」


 グッ! と、レミューさんはその両の拳を握りしめる。翡翠ひすいの瞳が揺れる。しかし涙は確固たる意志で止められるようにして頬の上を伝い落ちることはしない。


「……本当に、本当にそれでいいんですのね、ヒヅキ……」


「……うん」


 それは……ダメだ。それはダメだ!!


「――!! ――――ッ!!」


 私は必死で首を振る。横に振る。ヒヅキさんに抱えられるようにして、起き上がらせてもらえないこの身体を、それでもなお起こそうともがいて、もがいて、もがく。


「――<泡の縛鎖バブル・ソルチェイン Lv1プライマル>」


 しかし、レミューさんが再び私に向けて魔法を詠唱するともはや私は起き上がることができなくなってしまう。無数の泡で作られた鎖が、私の手足を縛って身動きを取ることができない。


「ごめんね」

「ごめんなさいですの」


 2人はそう言い残すと私を背にして前を向く。ヒヅキさんが立ち上がってレミューさんの横へと並ぶ。


「ルーリさんっ!! 私たちが戦い始めたら――後ろのソフィアさんをよろしくお願いいたしますのっ!! 一緒に、どうか逃げてくださいなっ!!」


「――っ!!!」


 その言葉を聞いて、地面へと押し付けられているルーリがその目を見開いた。そのアクアマリンの瞳を哀しげに揺らして、俯き――そして頷いた。全てを悟り、その口を歪ませて肩を震わせる。


 レミューさんとヒヅキさんは、死ぬ気なんだ。


 自分たちの命と引き換えに、私たちを救おうとしているんだ……!


「なぜ俺がコイツらを逃がしてやらなきゃならない? ひとまとめにして殺す。決まっているだろう?」


 魔族は表情を一切変えずにそう口にする。しかし、それに対してレミューさんは「ふふんっ!」と髪をかき上げ、


「貴方、わたくしたちをナメていますわね?」


 そう言って2人は、どちらともなく互いの手を取った。


 ――気がつけば、空は黄昏色に染まっていた。


 赤い陽光がレミューさんとヒヅキさんに向かって差している。その足元から伸びる影は長い。


 ゆっくりと、レミューさんが繋がれていない右手を前に掲げる。その瞳は魔族へと固定された。

 

 レミューさんは深く息を吸い込む。風に運ばれてくる夜の空気で身体の内側を冷ますようにして、集中力を高めていく。そして極限まで研ぎ澄まされた意識を解き放つように目を見開いた。


「――<囲メ結界・泡ノ大槍アーク・ラス・バブルグランサ Lv1プライマル>ッ!!!」


 詠唱の直後、空中で幾百のガラスが砕け散ったのかと見紛うほどの輝きが私たちを中心に大きく広がった。

 

「な――――っ!?」


 魔族が息を吞む音が聞こえる。私もまた、きっと同じ思いだった。


 空中に現れたそれらは決してガラス片などではない。クリスタルのように光り輝く無数の泡の槍が、レミューさんたちと魔族を外側から囲い込むように出現したのだ。


「あり得ん……ッ!! これは、アルフリードの持つ最大の技の1つ……ッ!! Lv1とはいえお前程度の魔力量で賄える魔術では決してない……ッ!!!」


「……ええ、その通りですわっ!! これは私の魔力量だけでは決して発現させることのできない魔術ですの」


 レミューさんは肩で息をしながら、チラリと横を見る。それに対してやはりこちらも疲れた表情を浮かべていたヒヅキさんが笑って返した。


「まさか、その手は……ッ!?」


「ええ、そのまさかですわ。ヒヅキは生まれつき人よりも身体に溜めておける魔力量が多いみたいですのよ」


「――でも、私は魔法が使えない」


 レミューさんの言葉を継ぐようにヒヅキさんは言う。


「習ってないし、習うつもりもないからね。だからこそ、私は繋いだこの手を通じてレミューに魔力を渡す!!」


「そしてヒヅキから渡された魔力を、技術を持つわたくしが使う!!」


「「つまり2人なら1人前ってこと!!」ですのッ!!!」


 魔力を運ぶその繋ぎ合わせた手を空へとかざして、2人が叫ぶ。


「「――<斉射ランサ>ーッ!!」」


 それを合図に空中に出現した泡の大槍が風を切るように、魔族を目掛けて次々と降り注いだ。


「フンッ!! だが、侮るな――ッ!!」


 しかしその圧倒的な基礎能力を以って、魔族は迫りくるそれら泡の槍をその場から動くことなく次々と落としては避け、その魔爪を用いて引き裂いてはこれを散らした。


 槍は無限にあるかと思われたが、しかし、空中にそびえるその武器が反射する夕焼けの赤い輝きは確実にその光を薄れさせていっていた。


 ――だが、その攻防の均衡を崩す強者が魔族の足元に1人。


「フンヌッ!!!」


 自分を目掛けて飛んでくる槍の相手をするために崩れかけた魔族の体勢を、今なお踏みつけにされていたルーリが決定的なものとする。地面に倒れ臥していたその身体を、腕をつっぱり一息に起こして魔族の身体を瞬間的に宙へと打ち上げた。


「そこですわーーッ!!」


 思わずに足場を崩されて無防備になったその魔族を串刺しにせんと、たちまちに泡の大槍が前から横から後ろから、一切の容赦なく飛び掛かる。


「甘いッ!!!」


 しかしそれらの大槍を、魔族は宙で身体を回転させて放った攻撃で容易く打ち払ってしまった。


「甘い……? いいえ、わたくしたちにとってはこれで充分ですのッ!!!」


 1つの小さな影が、レミューさんたちの横を抜けて私の目の前へとやってくる。


 ――ルーリだ。ボロボロになって、しかしそれでも魔族の拘束から逃れたルーリが私の目の前で屈む。そして鎖に縛られて手足の自由の利かない私の身体を掬い上げるようにして抱えると、2人へと振り返った。


「――ごめん。ごめん、なさい……」


「謝らないでくださいな。ルーリさん」


「元気でね。ルーリちゃん」


 私はもう、何もできなかった。声を封じられ、身動きもとれず、この2人に何をしてあげることもできずに、ただ涙した。


「ソフィアさん……あなたはですの。この戦いはきっと、新しい何かの始まりですわ。あなたの力はこれからきっと必要になる」


 レミューさんは笑っていた。いや、今も正面を向いたまま槍を射出し続けるその表情を見ることはできない。でも確かに笑っていた。


「生きて、そしてこの領地を――王国をよろしくお願いいたしますわ……!!」


 ダッ! とルーリがこの場から離れるように大きく、大きく跳躍する。その後ろに何もかもを置き去りにして。


 槍が放たれては次々と水泡へ還って消える。ルーリに抱えられながらただただその光景が目に焼き付いた。そしてとうとう、最後の槍が散る。


 それが現実だという実感が湧かない。まるで映像をコマ送りにして観ているような錯覚におちいった。世界は暮れてゆく。


 赤い大地には肩を落とすことなく、前を見続ける2人が佇んでいる。

 

 真っ暗な夜の闇が、端から空を侵食していくのが見える。白い月を背後に、魔族がゆらりと足を踏み出して2人への距離を詰めていく。


 視界の端にキラリと、山裾から星々が駆けるような輝きを見た。


「……落ちこぼれと言ったことは詫びよう」


 夕日が山陰へと沈む。魔族の黒い魔爪が高く掲げられる。それは満月の光を反射させて、妖しげな光を放っていた。


 魔族を目前にして見上げた2人の表情はわからない。


 繋がれた2人の手が離れることはなかった。むしろそれは指を絡ませて、決して互いを離しはしないというように一層強く握られる。


 そして魔爪は、無慈悲に、振り下ろされた。

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