第4章 大規模魔獣掃討戦
第31話 ベースキャンプ
そこは小ぶりなホテルの1室ほどのスペースがあり、ダイニングテーブルやソファベッド、簡単な料理なら作れそうなキッチンにユニットバスまでもが付いている何とも居心地の良い空間だった。
最初はそんな部屋の1つ1つの機能に驚き楽しんでいたものだったが、しかし慣れとは恐ろしいものだ。たったの3時間ほどで私たちはそんな特別な場所でゆるりと過ごせるようになってしまい、それぞれソファベッドに身体を沈めて小刻みな揺れを楽しんでいた。
安楽椅子とはもしかしたらこのように気持ちが良いものかもしれないと思いながら、その穏やかな揺れに身体を任せて
「――まもなく到着でございます」
それからどれくらいになるだろう、この小ぶりな部屋の前方から掛けられた声に私はハッとしてソファベッドから起き上がった。
するとそれに合わせて、いつの間にか私の胸の上で寝息を立てていたルーリがコロリンと転がってソファベッドの上から落ちる。ゴチンという音がした。
「ご、ごめんルーリ。大丈夫?」
「むむむ……なに……?」
まだ寝起きで意識がハッキリとしないのだろう、ボーっとした表情で目をしばたかせながらルーリがキョロキョロと辺りを見渡している。
「ソフィア様。もう10分ほどで現地に着きますよ」
再び部屋の前方から声が掛かる。歳のいった男性の声だ。
私もまだ寝惚け頭から完全に抜け切れていない。部屋の天井を見て、未だ隣のソファベッドで豪快な寝息を立てるアイサを見てようやく自分が今いる場所が呑み込める。
同時に、前方からの声が誰の発したものなのか遅まきながら合点がいった。
「は、はーい! ありがとうございます! すぐ出れるように準備します!」
「ええ。どうぞよろしくお願いいたします」
――10分、本当にもうすぐだ。
私は後頭部に手をやって寝ぐせが付いていないか確認する。大丈夫そうだ。一応簡単に手櫛で整える。
それから隣で「ふぐぅ~」と寝息を立てるアイサの肩を両手で揺する。
「アイサ~! 起きて~!! もう着くんだって~!!」
「ん~? ん~お母さん……? なに、ご飯できたの……?」
「私はアイサのお母さんじゃない~! ご飯でもないよ~! 起きろ~!!」
それからしばらく寝惚けたアイサと格闘して、ようやく起こし切ると(目覚めたアイサが赤面して
そうこうしているうちに10分が経ったのだろう、手前に身体が引っ張られる感覚を覚える。緩やかな動作で部屋が減速しているのだとわかった。そして最後にゴトンッ! と少しの揺り返しが収まったところでこの馬車はとうとうその動きを停止する。
――このホテルの1室のような空間は4匹の馬が引く車の上にある。
大規模魔獣掃討戦ベースキャンプへの出立に際して、当日の交通手段についてをレミューさんへ手紙で聞いたら、『集合日当日はラングロッシェ家の手配した馬車をセテニール町役場まで向かわせますので、それにお乗りになっておいでくださいな!!』とだけ返事に書いてあった。
その通りに待っていたところに乗合馬車の倍近くある横幅の豪華な馬車がやってきたのだから、それは大層驚いたものだった。しかしそのおかげさまで朝の8時出発で半日近く馬車に揺られる旅路ではあったがまったく身体に疲れはない。寝ていたのだから当然といえば当然なのだが。
馬車が止まってからしばらく待っていると外側に人が回る気配があり、それからカチャリという解錠の音が聞こえてドアが横にゆっくりとスライドして開いた。
外に立っていたのは仕立ての良い黒の
「ソフィア様、アイサ様、ルーリ様。長旅お疲れさまでございました。『大規模魔獣掃討戦ベースキャンプ』に到着でございます」、老紳士はそう言って
「い、いえいえ! こちらこそ!! ここまで送っていただいてありがとうございました!!」
私たちもそのお辞儀に応えるようにペコリと腰を折って、そうして何時間ぶりかの大地を踏みしめる。馬車の上のフワフワした心地が抜けず、おかしな気分だ。
そして私はさっそく辺りを見渡した。
「ここが、ベースキャンプ……!」
そこは広大な野営地だった。遮蔽物などがほとんどなく、とても見通しがよい。地面が土の陸上競技場のようだった。いや、まだ数は少ないもののすでに到着している冒険者たちが各々テントを張っていることから、キャンプ場の方が近いかもしれない。
そのベースキャンプを囲むのが山と森。明日以降に冒険者たちが入っていく山々がその空間を半分囲むようにそり立っていて、私たちがたった今馬車で入ってきた背面側は森になっている。
私たちが馬車のトランクスペースに入れていた荷物を取り出し終わると、馬車はベースキャンプの一角へと向かっていく。行き先に木組みの小屋があるのが見えるので、きっとそこで馬を休ませるのだろう。
「さて、私たちはこれからどこに向かえばいいんだろうね……」
「……さぁ?」
ルーリが欠伸をしながらそう返した。出発が朝早かったから、まだ寝足りないのかもしれない。
誰かに聞こうかと周りを見渡すも、広大な敷地に見合わず人の数が圧倒的に少ない。
それもそのはずで、今日は大規模掃討戦の開始日の前日なのだ。
冒険者たちは開始日当日の午前中にベースキャンプへと集合すればよいことになっているから、その姿はまだまばらにしか見ることができない。私たち炊き出し班は準備などがあり、当日に到着するのでは遅いため現地へと前乗りしなくてはならなかったのだ。
空を見上げれば太陽はもうずいぶんと西へと傾いてオレンジ色へと染まりつつあった。さて、どうしようかと思った矢先、
「――ソ~フィ~ア~さ~~~んっ!!!」と、こちらに向かって伸び伸びした声が投げかけられる。
そちらに顔を向ければ、大きく手を振りながらこちらに駆け寄ってくる1人の女の子の姿があった。動きやすそうな青いワンピースに身を包み、特徴的なウェーブのかかった金髪を揺らしながら走るその子は見間違うはずもない。
「レミューさんっ!!」
「はいっ! レミューでございますわぁ~っ!! お久しぶりですのっ! ソフィアさん、ルーリちゃん、アイサさん!」
レミューさんは私たちの前で急ブレーキをかけて止まると、私と初めてお話した時と同様に両手で私たち3人の手を代わる代わるに取っては上下に振った。
「あれ? ヒヅキさんはまだ来ていないの?」
「いえ、ヒヅキなら先ほどから炊き出し班の待機スペースでテントを組み立てていますわ! ヒヅキもみなさんとお会いできるのを楽しみにしていましたから、さっそく向かいましょう!」
そうして私たちはレミューさん先導の元で炊き出し班の待機スペースだというベースキャンプの一角へと連れて行ってもらう。
その途中に加熱魔具と流し台のある屋根付きのスペースを見つける。野外調理場と呼ばれているらしく、どうやら私たちはここでカレーを作ることになるらしかった。
そしてそこからすぐ、その野外調理場の裏手と言ってもいい場所に私たちの待機スペースはあった。そこは大きな2本の木に挟まれた場所で、テントがすでに2つ並んでいた。
いや、テントというには形が崩れすぎている。それはまるで霧吹きをかけるのを忘れたままオーブンに入れられたシュークリームのシュー生地のように無惨に
「――こらっ!」
「きゃうんっ!?」
突然、べしっ! という音とともに背後からレミューさんの頭へと手刀が落とされる。驚き振り返ればジト目でレミューさんを見やるヒヅキさんがそこには立っていた。
「キョロキョロと落ち着かなそうにしているかと思えば急に消えるんだから……私1人じゃ大型のテントは張れないんだぞっ!」
「うぅ~痛いですわぁ……!」
「そんなに強くぶってないのに、大げさなヤツ」
それからのギャーギャーと賑やかなやり取りを見るに、どうやらレミューさんは私たちの乗った馬車がベースキャンプの入り口に見えた後、テント張りを放って迎えに駆け出してしまったようだった。
言い返すレミューさんにツッコみを入れるヒヅキさん。そんなとても懐かしいやり取りに私たちが微笑ましそうにしているのを気づいたヒヅキさんは、我に返って照れ臭そうに頬を掻いた。
「久しぶりだね、みんな」
「うん、久しぶり! ヒヅキさん!」
自然と声は上向きに発せられた。ローレフ旅行をしていた時のような楽しい気分がよみがえり、心が軽くなるのを感じる。
馬車の中ではうたた寝をしてしまっていたけれど、やっぱりこれから始まることに少なからず緊張していたのだろう。レミューさんとヒヅキさんの相変わらずの掛け合いを見て、硬くなっていた気持ちがすっかりと
私たち5人は協力してテントを張りながら、会えなかった1か月の空白を埋めるかのようにお喋りに花を咲かせるのだった。
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