第29話 シスター・ウォー 4

「――でもさ、って、私は思うよ」


「え……っ?」


 私は驚きヒヅキへと顔を向ける。


「毎年やらなくてはならない大規模魔獣掃討戦があり、そこはとても危険な場所だ。でもそこでしかできないことがあるって、レミューはそう思ったんだろ?」


 ヒヅキはそのまま銀のお玉を握って、シャアシャアと音を立ててひき肉を鍋に躍らせる。


「『全ての真の勇気は良心から生まれる。人が勇敢であるためには自分の良心に従うことが大切なのだ』」


「へっ? それって、どういう……?」


「ウチの父さんがよく言ってる言葉なんだ。多分父さんもおじいちゃんから聞かされた言葉なんだと思う。だからこれが本当はどういった意味が込められていたものなのか、私も真に理解してるわけじゃない。でも私なりの解釈として、これはきっと『自分の中の良いと考えることを貫け』ってことなんだって思った」


 ヒヅキはそう前置きをすると、「ん」と私へと再び手に持ったお玉の柄の方を差し出した。私はそれを受け取る。


 ヒヅキは私の目を真っすぐに見つめて続ける。


「私はレミューが炊き出しをやろうって言い出したのが、冒険者の人たちが少しでも掃討戦に前向きに臨めるように、待機中に心安らげるようにと思ってのことだって知ってる。それはレミューの中の良心に従ったうえでの行動だ。ならきっと、レミューの心の中にあるのは『勇敢さ』じゃないかな」


「勇敢さ……?」


「そう、勇敢さ。真の勇気。そこには自分を、そして他人を守る力が有るとか無いとか、そんなことは関係ないんだ。それは決して誰にでも持てるものじゃない。私はそんな勇敢さを持って行動を起こしたレミューだからこそ、掃討戦がどんなに危険な場所だったとしても側について一緒に行ってやりたいと思ってる」


 その言葉に視界が滲む。それは凍ってしまった心が解け出したかのように、自然にあふれ出したものだった。


 ――私、そんな高尚な理由があってがんばってきたわけじゃないのに。それでもヒヅキは私の内側の奥深くに埋められて自分自身でも見つけられなくなっていた、私の行いが独り善がりじゃないという確かな証拠を見出してくれた。


「それにきっと、ソフィアさんたちだってまったく同じとまではいかないだろうけど、私に似た想いでレミューの誘いを受けたんだって思うよ」


「えっ……?」


「ソフィアさんたちだって掃討戦が危険なことくらい充分わかっているはずだよ。それを推して参加を決めたのは、きっとレミューがやろうとしていることに対して大きな意義を感じて、あるいは私と同じようにレミューの勇敢さについて行こうと思ったからだよ。だからさ、そんな私たちに対して今さら危険だからと言われたところで『それがどうした』ってことなんだ。そんなことは重々承知の上、私たちはレミューがやりたいと思い立ったそれを、今や私たちの意志でやり遂げたいと考えてる」


「それじゃあ……わたくし、わたくしは……!!」


「レミューは私たちを巻き込んだんじゃない。私たちに1つの道を示しただけだ。そこに責任を持つ必要はないし、ましてや負い目なんて感じるなよ――っと、ホラ。よそ見が過ぎるぞ、レミュー?」


「――えっ!? あっ……」


 握っていた中華鍋の中のひき肉はもう充分に炒まり、先ほどのようなうす暗いような赤黒さはスッと引いていて、迷いなき透明さを持った赤澄みの油が浮かび上がっている。


「ここから一気に仕上げだよ。手順はわかるよな、レミュー?」


「え、ええ……! お任せくださいですのっ!!」


 中華鍋を中熱のまま、冷蔵魔具で保管されていたチキンスープをひき肉がヒタヒタに浸かる程度に注ぎ込んで軽く沸騰させる。それから酒・醤油・塩・こしょうを加えて味を見る――申し分ない。


 焦げ付かない間に手早くヒヅキが切った豆腐とネギを順次投入して、再び中華鍋をかき回す。


 ――ああ、私は先ほどまで確かに深く落ち込んでいたはずなのに、いつの間にか視界に広がるのはこの純粋な赤が広がる中華鍋の世界のみ。


 様々な調味料を、食材を加えるたびに変化の訪れるその世界の中で私はあまりにも自由で、世界の外側の多くの様々な物事は遠ざかる。そしてそれを可能にしてくれたのは、今もきっと後ろから私の手際を温かく見守ってくれている親友の存在だ。


 その心強さに私はますます深く、料理の世界へと没頭する。


 加熱魔具の設定を弱熱に下げてから、水で溶いた片栗粉を少量ずつ中華鍋に加えていき、ちょうど良いとろみ具合になったところで一気に強熱設定へ。シャワシャワと再び賑やかな音を立てるあんが焦げ付かないようにお玉で混ぜ合わせながら最後にじっくりと熱を通して、ごま油を大さじ1杯回し入れる。


 白の器に出来上がったそれを掬い入れて、仕上げに花椒ホアジャオをミルで砕いたものを上からかけて――。


「できましたわっ!! アカサヤチューカ料理店特製、『シセン風麻婆豆腐』の完成ですのっ!!」


 白の器を鮮やかに染め上げるその麻婆豆腐はさながら活火山のごとく、生命の躍動を感じさせるような赤色をまばゆく輝かせ、そして静謐せいひつさに支配されていた心の底を賑やかに刺激するような力強い香りを放っていた。


「さぁヒヅキ! ご賞味くださいですわっ!」


「うん、お疲れ様。それじゃあいただきます」


 差し出した器を受け取ったヒヅキは食器棚からスプーンを持ってくると、さっそくひと掬い、それを息を送って冷ましてからパクリと口に含んだ。


「ど、どうですの……!?」


「うん――美味しいよ」


 その感想にホッと安堵に胸をなでおろす、のも束の間。


「まぁ、ひき肉がちょっと焦げちゃってたみたいだけどね」


「そ、それは大目に見てくださいですのっ!!」と、容赦ないヒヅキのダメ出しに私はそう言って頬を膨らませた。


 シリアスな話の中で少しかき混ぜる手を止めてしまっていたのだからそこは許してほしい、というか、こういう時くらい褒めて終わるくらいでちょうどいいんじゃないかと思わなくもない。


「だからお店じゃまだまだ出せないなぁ。60点!」


「あ、あなたは一言も二言も多すぎますのっ!!」


 気配りができるのかデリカシーがないのかわからないヒヅキへとそうツッコんで、私は自分がいつもの明るい自分へと回帰していくのを感じる。


 それから調子を取り戻して私とヒヅキで、店内の隅っこの客席に座って2人分の麻婆豆腐を食べ終わると、ヒヅキが「そうだ」と思い出したように手を打った。


「ちょっと待ってて」と言い残してヒヅキは厨房の裏口に設置されている階段を上っていく。


 恐らくは自分の部屋へと何かを取りに行ったのだろうと私は考えたが、やはりそのようだった。私はそれまでの間に2人分の食器を厨房へと下げて、軽く水洗いをしてから水に浸けおくと再び席に戻る。


「お待たせ」


 そう言って戻ってきたヒヅキは両手に抱えるほどの木箱を抱いて持っていた。


「それはいったい何なんですの?」と私が聞くと、それを空いたテーブルへと置いたヒヅキはただ一言「開けてみなよ」と私を促す。


 私はそれ以上問い返すようなことはせず、素直に言葉に従って木箱の上蓋をパカリと開いた。

 

 中には……布? 生地? 星柄の黄色い生地が顔を見せていた。これはいったい? と思って木箱の中に手を入れてその何かを取り出して目の前で広げる。そうすることでその柔らかな生地はその形を明らかにする。それは袖を持ち、首元と腰元に赤いリボンを持った衣服であった。

 

「とても可愛らしいですわ……!」


 それは貴族として普段着やら社交界での装いを決めるためやらで数多あまたの衣服を見てきた私をして見慣れないデザインで、布地が覆うのは身体の前面のみ、後ろ側にはリボンしか回らないという、恐らく重ね着を前提とした斬新なものだ。縫製もしっかりとしているし、いったいどこの呉服店で作られたものだろうかととても気になった。

 

 だから、「それ、ソフィアさんから届いたものだよ。自作なんだって」とヒヅキの言葉を聞いて、私は「えぇっ!?」と大きな声で驚いてしまう。


「保護者のロウネさんに教えてもらいながら縫ったんだってさ。すごいよね、とっても綺麗な仕上がりだ」


「本当にですわ……ソフィアさん、こんな才能まであったんですのね……」


「手紙が一緒に入ってたよ。なんでもこの衣服はエプロンらしい」


「エプロンっ!? こんなに可愛いらしいのにエプロンなのでございますのっ!?」


「そう書いてたよ。油跳ねとかの汚れが下の衣服につかないようにするための、『割烹着かっぽうぎ』とかいう名前の前世のソフィアさんの国で使われていたエプロンなんだって」


 改めてその衣服をまじまじと見る。確かにそう言われれば料理に最適化されたデザインにも見えた。袖は手首まで覆うものではなく腕が動かしやすそうだ。


 こんな奇抜なデザインを思いつけるソフィアさんの想像力に恐々と脱帽していたところだったが、しかし着想に元となるものがあったということならそれも頷けた。


「それでさそのエプロンなんだけど、ちゃんと5人分あるんだって。私とレミュー、ソフィアさん、ルーリちゃん、アイサさん、全員分」


「そ、そうなんですの? それはとても大変だったことだと思いますわ……! さっそく感謝のお手紙をしたためないと……!」


「待て待て。まだソフィアさんからの手紙も読んでないだろう? ホラ」


 そう言って差し出された白い封筒をヒヅキの手から受け取る。それはとても厚みがあって、中に何枚も便箋が入っているのが見なくともわかるものだった。


「手紙には『みんなで力を合わせて、精一杯がんばろうね!』って書いてあった。レミューがどんなに全員分の責任を持とうと気張ろうとしたってそうはいかないみたいだぞ? ソフィアさんたちは、初めからレミュー1人に戦わせるつもりなんてないようだから」


「――っ!!」


 封筒の中からそっと便箋を出して広げ、そこに書かれた文字を目で追った。その内にいつの間にか目頭は熱くなってホロホロと涙が溢れる。それでも便箋を追う目、次の1枚をめくる手は止まらない。

 

 『すごいカレーのアイディアが浮かんだんだっ! みんなを強化魔法で目一杯サポートするからね!!』

 

 『もし何かあったとしても、私が守る。私は強いから大丈夫。私にお任せ』

 

 『あーあ。私もせっかくだからエプロン着けたかったなぁ……。でもみんなの作ったご飯を食べて、私も自分の役割を精一杯果たすから!』

 

 ソフィアさん、ルーリちゃん、そしてアイサさん。みんなの言葉の1つ1つが温かく胸を打つ。

 

 ――私は決して無力なんかじゃない。多くの頼りになる友達がこんなにも沢山いるんだから。

 

 そして全てを読み終わった後、ヒヅキから無言で差し出されたハンカチを受け取って後ろを向く。ゴシゴシ目元を拭く。チーンする。

 

「コラ! 人のハンカチで鼻をかむな!」


「とっても嬉しいですわっ!! それでこれどうやって着ればいいんですのっ!?」


「お前、人の話をだなぁ……」


 呆れた顔をするヒヅキだったが、しかし諦めたようにため息を吐くと、手紙に付いていたと思しきエプロンの着け方を見ながら私に後ろを向かせる。作られたリボンの輪に頭を通し、されるがままに袖を通して、腰元のリボンを後ろで結んでもらう。


 黄色の衣装に身を包んで、これを手ずから作ってくれたソフィアさんへと思いを馳せる。同じく手紙をくれたルーリちゃん、アイサさんのことを想う。

 

 そして私の良き理解者であるヒヅキの顔を振り返った。


 確かに私は1人だったら無力なのかもしれない。でもすでに不安はなかった。


 なぜなら今の私には、心強い大切な仲間たちがいるのだから――。

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