第28話 シスター・ウォー 3

 夕暮れ時のアインシュタッドは街並みが赤く哀しげな色に照らされている。無性に美しく思えるその街中を、私はふらりふらりとあてもなく歩いているつもりだったが、しかし気が付けば見慣れた赤看板を視界の上にとらえていた。


 どうやら私の足は無意識のうちにいつも歩き慣れている道を選択して、私の身体をこのお店の前へと運んでしまっていたようだ。その店のドアを開けると、これまた慣れ切った濃い油の香りをまとった空気とそして野太い声が入口の私を出迎える。


「いらっしゃい! ……って、アレぇ? レミュー様じゃないですかい!」


「トウゴさん、こんばんはですの」


 その声の持ち主の名前はトウゴ・アカサヤ――このお店、真っ赤な看板に『赤鞘あかさや中華料理店』と白抜きの文字(ヒヅキのおじいさまの故郷の文字らしく、私たちには読めないが)で書かれているチューカ料理店の2代目店主であり、ヒヅキのお父様だ。


「ああ、ヒヅキのヤツですね。ちょっとお待ちください……」


 特に用事があって訪れたわけではなかったが、こちらが引き留める間もなくトウゴさんはそそくさと厨房へ引っ込むと「ヒヅキーっ! レミュー様だぞっ!」とおそらくは2階の住居部分へと向かって大きな声を張り上げる。


 それからさほどの時間をおかずに厨房の入り口から少し大きめでダボっとした部屋着をまとったヒヅキが現れて、「や」と私に片手を挙げた。


「今日はどうしたんだ、レミュー?」


「いいえ、特別用事があって来たわけではありませんの。なんとなく歩いていたらここへ着いてしまって」


「なんとなく歩いていたら?」


「ええ、本当になんとなく。……これからディナータイムですわよね? 忙しくなる時間帯にごめんなさいですの。わたくし、もうこれで帰りますわ」


 そう言って身体を翻して再び入り口のドアを押し開けようとするが、しかしそんな私の腕をヒヅキは掴んで、こちらへと向き直らせた。


「なにか、あったんでしょ?」


「……」


 私は何も答えることができずただ足元に目線を落とす。それをヒヅキは覗き込むようにして、


「お前が落ち込んでるのくらい、わかるよ。どれだけ一緒にいると思ってるんだ」と、優しく微笑んだ。


「なぁレミュー。一緒にご飯を作ろう? あのイベントの時みたいにさ」


「い、いきなりなんですの……? ご飯……?」


「なにか悩んでいるときは料理するのがいいんだよ。ほら、行くぞ」


「あっ、ちょっと……!」


 しかし制止の声もどこ吹く風で、ヒヅキは掴んだ腕を離さず半ば強引に厨房へと私を連れて入ってしまう。


「ディナータイムはまだ少し先だから、その間に私たちの夕飯を作っちゃおう」


 そう言うとヒヅキは冷蔵魔具からいろいろと食材や調味料を次々と取り出し始める。ぶたひき肉、ねぎに豆腐。醤油ソイソース豆板醤トーバンジャン甜麺醤ティエンメンジャン……。


「って、また麻婆豆腐ですのっ!?」


「うん、その通り。というかレミューがちゃんと作れるのってまだそれくらいだろ?」


「まぁそうですけれど……」


「いいからいいから、さぁやろうよ。私は野菜と豆腐を切ってるから『合わせ』を作っておいて」


 そうやって各種調味料を押し付けられた私は普段のヒヅキらしからぬ強引さに少々面喰いながらも準備を始める。


「えっと、ボウルは……こちらですわね」


 このヒヅキのお店の厨房で料理するのは慣れたもので、勝手も大分知っていた。キッチン台の下の収納スペースから小さ目のガラスボウルを取り出すと、そこへ麻婆豆腐に必要な調味料を1つずつ足していく。


 それらはヒヅキのお祖父じい様が元居た世界で使われていた調味料のためこの世界に馴染みのある名前をしているわけではなかったが、ヒヅキに教えてもらいながら麻婆豆腐作りの練習をしているうちに私もすっかりと覚えてしまった。


 まずは豆板醤トーバンジャン。ソラマメを潰して唐辛子とごま油でえたペースト状のものを発酵させた辛さと酸味が光る調味料、それを適量大さじで掬ってボウルへと入れる。


 次に甜麺醤ティエンメンジャン。小麦を発酵させて作った甘味噌で、こちらも適量を取る。


 そして豆豉醤トーチジャン。黒豆とニンニクをすりつぶして塩をまぶし発酵させてできた塩辛いそれもまた、ボウルの中へと投入する。


 最後にパウダー状の唐辛子も適量入れて、しっかりと混ぜ合わせた。


 ペースト状のそれら調味料は互いの存在の中立点へと色を寄せて、赤黒い色へと変質して怪しげで刺激的な匂いを放ち始める。これで『合わせ』の完成だ。


「それじゃあ炒める作業に入ろうか」と、手早く豆腐もネギも切り終わったヒヅキがそう言って中華鍋を加熱魔具へと設置した。


「じゃあレミュー、お願いね」


「わ、わたくしが炒めるんですの?」


「そりゃあねぇ。料理って炒める作業が一番楽しいと思わない? やっぱり何か悩みがある時には何かに熱を通すに限るよ」


「どうしてわたくしに悩みがあるって……?」


「落ち込んでるのが一目でわかるくらいお前と一緒にいるんだから、悩みがあるのだってわかるに決まってるさ」


 ヒヅキは油をキッチン台において、加熱魔具の前を私へ明け渡す。


 私はそれに素直に従って油を手に取りフライパンへと敷く。豚ひき肉を入れて魔具の熱量を『中』にする。すぐにシュワシュワという音を立てて油から泡が立つ。


「――私には自分1人さえまともに守る力もありませんの」


 肉の脂が小さく跳ねる音だけのキッチンに、ポツリと私の心の内側がこぼれた。


「掃討戦はベースキャンプで過ごしていたって気を緩めることはできない、それくらい知っていましたのに……それなのにわたくしはそこで何かわたくしにできることはないかと考えてしまった――いえ、考えるだけならまだ良かったのに」


 中華鍋の中のひき肉が焦げ付かないように、銀製のお玉で切るようにして肉をほぐす。ほぐしながらも言葉はこぼれ出る。


「わたくしは無責任にヒヅキやソフィアさんたちをも巻き込んで、そんな場所へと赴こうとしているんですわ。何が起こるともわからないそんな危険な場所に」


 ひき肉へと大分熱が通って薄茶色になる。そこへ先ほど作った『合わせ』を落とすと、ジュワッ! という音が大きく響いて複雑で刺激的な香りが厨房内に広がった。ひき肉とよく混ぜ合わせ、その中華鍋を鈍く沈むような赤色で満たしていく。


「わたくしは……わかりませんの。わたくしがやろうとしていたことはただの自己満足で、それは正しくない行いだったのでしょうか? わたくしは、今からでも止めるべきなのでしょうか?」


「――確かに、危険な事なのかもしれない」

 

 今まで私の姿を後ろから見守るようにして、私の言葉をただ静かに受け止めるだけだったヒヅキが、私の独白のような問いへと返した。


「ソフィアさんは料理――カレーに魔法を宿すことができるとはいえ、私たちと同い年で普通の魔法は使えないただの女の子だ。そして私にいたっては何の魔法も使えない、少し料理に心得があるだけの年相応の人間だよ」


「……そうですわよね。そしてあなたたちを守るだけの力はわたくしには無い。それが事実ですの」


「そうだな。だから、やっぱり掃討戦のベースキャンプになる場所が比較的安全なところだとしても、私たちにとっては危険な場所であることに変わりはないと思う」


「……ええ、わかっていますわ。そうですわよね……わかっていますわ」


 改めてヒヅキの口から現実を突きつけられる。それが無性に辛くて、心が痛んだ。手から力が抜けて、握っていた銀のお玉がスルリと滑り落ちていってしまった。あっと思う間もなく、それは中華鍋の中心点へ滑るように転がっていって――。


「――でもさ、って、私は思うよ」


 しかし赤色の海に落ちゆく銀のお玉を、後ろから身を乗り出したヒヅキは事もなげに指でひょいと摘まみ上げると、そう言った。

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