第24話 ロウネお悩み相談窓口 2 ~リッツィの場合~

 ランチタイムの過ぎた晴れた休日の午後、町の西端の川沿いにある小さなカフェテリアのテラスから一望できる、その水面みなもに浮かんだ2匹の鴨をぼんやりと眺める。


(あれは親子かしらぁ……?)


 2羽とも成長した外見だが、1匹が少し動くとその後ろをもう1匹が追いかけるようにしてくっついていく。そんな仲睦まじい姿を見て頬を緩ませていると、


「姉さん、お待たせしました」、そう言ってチョコレートムースとアイスコーヒーを載せたトレイを持ったリーちゃん――このセテニールの町長を務めるリッツィ・アルベルン――が私の手前の席の椅子を引いて腰掛ける。


 私を姉と呼ぶ彼女だが、しかし実の妹というわけではない。リーちゃんの家と私の家はこのセテニールのご近所同士で、彼女が赤子の頃から姉妹同然に育ったのだ。「お姉ちゃん」と私の後を追いかける雛鳥のようなリーちゃんをずいぶんと可愛がっていたからか、この年齢になっても私たちの姉妹関係は続いていた。


「ずいぶんと悩んだわねぇ」


「……ごめんなさい姉さん。ベイクドチーズケーキとすごく悩んでしまって。でも今日は口に広がる甘さを堪能たんのうしたくって、結局チョコレート系のスイーツにしてみました」


 リーちゃんはそう言うと、表情を少し疲れたようにして微笑んだ。お化粧で上手く隠されてはいるものの目の下にうっすらと黒いくまの見えるその顔に、私は少し心配になってしまう。


「最近もやっぱり忙しいのかしらぁ? ちゃんと身体を休められている?」


「こうやって休日に姉さんとお出かけできるくらいには、なんとか」


 まだまだ私に比べれば若いとはいえ、ここしばらくの激務は相当身体に堪えているらしい。普段なら弱音を言わないリーちゃんのそんな受け答えに、今日は目一杯話を聞いてあげようと私は心に決める。何気ない話の流れでその肩に載っているであろう悩みを促すと、


「この前の『領地会議』で行われた行政区画整理の話がありまして……セテニールを中心とした『小都市連合』を形成するという話で決着してしまったんです」と、リーちゃん自身誰かに聞いてもらいたいと思っていたのだろう、ポツリポツリと語り始めた。


 『領地会議』――それは確か年に1度ラングロッシェ家の領地に属する都市町村の長が集まって行われる会議で、主にそれぞれの長同士の親交を深めることと互いの経済的状況を把握することを目的としたものだ。場合によっては経済援助などの話が出ることがあるとは聞いたことがあるけれど、『小都市連合』――つまり都市町村をまとめて1組織にするような大きな決定がなされる場ではないはず。


 いったいどうしてそんな言葉が出るに至ったのだろう、そう首を傾げているとリーちゃんが話を先に進め始めた。


「ここ数ヶ月のセテニールの生み出した経済的利益とそれに伴う町の発展は目を見張るものがありました。今までの1年分の公共工事や整備を始めとする仕事が数週間で果たされてしまい、その余剰工数で生み出された1次生産物や2次生産物の量も町内で飽和ほうわするほどの量となっています。それらを周辺地域に卸すことでこの町の個人が得られるようになった資産量は例年の数倍。町民たちはその資金で開墾かいこんや設備への投資を行い、また大きな買い物をする人々も多く、今までにないほどセテニール経済は活発化しています」


「そうねぇ。これまでよりも多くの仕事をこれまでより早く終わらせられるから、自由に使える時間もお金も増えて嬉しいなんていう声を最近よく聞くものぉ」


 リーちゃんは頷き、ストローに口をつけてアイスコーヒーで喉を潤すと言葉を続ける。


「ただ問題も出てきているんです。簡単に言えば今のままではセテニール内に仕事が足りない――そうして持ち上がったのが『セテニールの余剰生産人口を周辺の町村に派遣して領地の全体益の向上を目指す』という方針です」


 それはリーちゃんから話される内容を聞く限りにおいてはそれほど悪くないことに思えた。


 現状でセテニールは小さな町という扱いではあるものの、元々の人口や町の運営状況を見ると、周りの同程度からより小規模の町村と比べて頭1つ飛び出る成果を収めている。そこにきてさらに昨今の増益と余剰生産人口だ、地域内で働き手が不足している町村へ派遣できればそれは良い経済振興しんこうとなるだろうしセテニール内で暇を飽かしてしまう人たちの働き口ともなる。 


「その方針には私も反対はしていません。むしろ賛成ですらあります。しかしながら大変だったのは今回の領地会議には各市町村の長のみでならず、領主たるラングロッシェ家の方もいらっしゃっていて、その場で方針とその運用を提案、そして即決をされてしまったことです。本来なら小都市連合とするために各町村との綿密な調整をしていくのが王道なのですが、まさに鶴の一声というやつですよ」


 つまりは長い時間をかけて荒波立てずに小都市連合を形成することになる各町村がセテニールを中心にまとまるための『ルール』を決めていくための時間を、領主であるラングロッシェ家は絶対的な発言力をもって省いてしまったというのだ。


「結果として法案・条例などの策定については私に一任されることとなり、各町村はそれを受け入れる努力するようにとお達しされました。おかげさまで各町村による慣習を守るための、あるいは利益追求のための反対は無く、とてもスムーズに物事は進んでいます。ですが……」


 そこで一息、「はぁ……」と深いため息を吐いて、リーちゃんは先を続けた。


「私の仕事は盛り沢山です……! 日々のセテニール運営の業務の傍らに行うには少々厳し過ぎます……」


 そう言って回されたリーちゃんの肩からは、コキコキと凝り固まった筋肉の解される音が聞こえた。


「本当、大変ねぇ……」


「正気や生身ではやっていられませんね。本当に、ソフィアさんのカレーには助けられていますよ。あの強化魔法が無ければ今頃は忙殺されているでしょう」


「皮肉なものねぇ。ソフィアちゃんのカレーのおかげでこの町は発展して、そのおかげで忙しくなったリーちゃんを助けるのもソフィアちゃんのカレーだなんて」


 冗談めかして口にしたその言葉をリーちゃんはどういう風にとらえてしまったのか、慌てたようにして首を横に振る。


「私はそれが迷惑だなんて決して思っていませんよ? むしろとても感謝しているんですから。ソフィアさんは人格的にも経済的にも町民たちにとても良い影響を与えてくれました」


「大丈夫、リーちゃんがそう思っていてくれているのは私もわかっているものぉ」


 その返事にリーちゃんはホッとしたように息を吐き、それから今まで手付かずだったチョコレートムースを思い出して、縦にスプーンを入れた。口に運んで、そして広がるその甘さにほだされてか、その表情は柔らかなものへと変わっていく。


「このままのペースでいけばあと数ヶ月中には正式に小都市連合は発足するでしょう。今は忙しいですが、それももう少しの辛抱です。長期に渡る可能性のあった調整がこの短い期間で終わることは、結果的に見ればメリットの多いことかもしれません。多くの波が小刻みにやってくるよりも、1度の高波が来る方がやりやすい時もありますから。ラングロッシェ家の決定も、それを見越してのことかもしれませんね」


「そうねぇ。そういうこともあるかもしれないわぁ。ラングロッシェ家のアルフリード伯爵は知略に優れるとご高名な方だから……」


 セテニールを含む王国内の領地を束ねるラングロッシェ家、その現当主であるアルフリード伯爵は魔王軍との戦争が続く中で武功と智慧ちえをもってしてその名を貴族社会へと広く行き渡らせていた。いち人間として見れば絶対的に感じられる魔族の幹部たちを相手に、自身の領地に属する限られた軍を率いて多くの成果を挙げられた方なのだ。


 しかし、私の言葉にリーちゃんはゆるゆると首を横に振る。


「いえ……それがお越しになっていたのはそのお世継ぎのレリシア様だったんですよ」


「あらぁ……」と、ついつい口に手を当てて驚いてしまった。


 実は数年前にセテニールへとアルフリード伯爵がそのご息女たちを伴って来訪されたことがあり、その姿を見かけたことがあったからだ。


「まだ、大分お若いわよねぇ?」


 私の記憶の中でアルフリード伯爵の横に連れられていた女の子たち、その内の長女と思しき1人――レリシア・バロナ・ラングロッシェは、その当時で今のソフィアちゃんと同年齢くらいに見えたものだ。


よわいは今年で18とのことでした」とリーちゃんが答えてくれる。


「だからこそ小都市連合の結成を即断された時は『アルフリード伯爵を抜きにしてそんな大事なことを決めるなんて』と冷や冷やしたものがありました」


 そこでリーちゃんは一旦言葉を区切って、ストローを口に運ぶ。気付けばチョコレートムースの入っていたガラスの器は綺麗に空になっていた。


「しかしながら領地会議でのご発言をうかがう限り、レリシア様にも類稀たぐいまれなる才覚が宿っていることはすぐにわかりました。冷徹な印象さえ覚えるほど理知的に会議へと臨む姿勢に、彼女の若さゆえに疑念を持っていた各市町村の長からの視線もすぐに畏敬いけいのものへと変わってしまいましたから」


「それは素晴らしいことねぇ……そういえば、確かレリシア様は武の心得もあるとのことだったわよねぇ? さすがは伯爵のご長女ということかしらぁ……」


「ええ、レリシア様は冒険者組合に所属する高等冒険者でもありますから。きっと将来は知略も持ち合わせた英傑として貴族社会に名を馳せるでしょうね。アルフリード伯爵に勝るとも劣らないほどに」


 幾分かスッキリとした表情でリーちゃんはそう締めくくりグラスを持つが、しかしもうアイスコーヒーは飲み切ってしまっていて氷しか残っていない。


「私ばかり話しすぎてしまいましたね、すみません」


 リーちゃんはそう言ってアイスコーヒーのお代わりをもらい一口すすると、


「姉さんは変わりありませんか?」と今日の天気に見合った晴れやかな表情で私に訊く。


 もうずいぶんと吐き出したいものを吐き出せたようだと、その様子を見て私もホッと一息を吐く。しかし私の話……いつもと変わらない日常についてになってしまうけれど。


 私はソフィアちゃんたちがローレフから帰ってきてしてくれたお土産話、掃討戦の炊き出しのためのカレー研究に励んでいること、ソフィアちゃんにお裁縫を教えて上げたことなどを順々に話していく。リーちゃんはそんな私の話の1つ1つへと楽しそうに相槌を打ってくれるものだから、私も話すのが次第に楽しくなってしまって身振り手振りを入れて我が家の可愛い娘たちの物語を夢中で語ってしまう。


 その内に喉が渇き、話を区切ってアイスコーヒーをすすると、リーちゃんが私を見てクスリと微笑ましそうに笑うのがわかった。


「どうかしたかしらぁ?」


「いえ、なんでも」と、リーちゃんもまたアイスコーヒーに口を付ける。


「ただ本当にソフィアさんとルーリさんには、いくら感謝してもし足りないなぁと」

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