第26話 シスター・ウォー 1

 ――その古城の外観は決して隅々に渡って整えられたとは言えないものだろう。


 元々は白の割合が強い砂岩から削り出された明るい灰色の壁面だったのだろうが、しかし今や長年の風雨にさらされ、また濃い緑の蔦がところどころ生えて影を作り黒っぽく見えている。どこかにカラスが巣を作っているのか、決まった時間にカアカアという鳴き声が響き渡るそこは、私自身子供心に恐怖が感じられる城だった。


 しかしそのような古びた外観とは打って変わって、その内装は絢爛けんらんと言って過言ではない。その城の広間は、シャンデリアから放たれる光がクリーム色の壁に反射して明るく、金糸の刺繡の入った赤色の絨毯が引かれて目に鮮やかだ。また飾られた種々の調度品はその道の好事家も息を呑む代物が多く、訪れる者が目を楽しませそして快適にそして過ごせるような工夫が凝らしてあった。

 

 そしてその広間を抜けた奥にも青いカーペットの敷かれた廊下が続いており、その壁際に連なる部屋の内の1つに、私――レミュー・バロナ・ラングロッシェのいる書斎はあった。


「――の史書が示します通り、魔族の長である<魔王>という存在は過去にも何度か歴史の舞台に登場しております。しかしそれらは10年前までの戦争で象徴的な存在として大々的に持ち上げられるほどのカリスマを持つものではなく、精々が魔族や魔獣の小~中隊規模の軍団を率先するリーダーという役回りでした。だからこそ100年前に現れた魔族と魔獣からなるいくつもの師団を手足のように操る<魔王>の存在は歴史上類は無く、人類へと大きなショックを与えたのです」


 ラングロッシェ家が代々に渡って蒐集しゅうしゅうあるいは専門家を雇って独自に編纂へんさんされた蔵書の中から、近代史についてが書かれた分厚い1冊を片手に、仕立ての良い黒の服を身に纏って真っ白に染まった髪をオールバックにした老紳士が私が座る席の脇に立って講義する。机の上にノートは広げているが、その辺りの話については実際に戦争に参加した父からよく聞かされた話で大体は記憶していたため、私は相槌を打つに留めてその老紳士――ラングロッシェ一族の専属家庭教師であるセルゲイに続きを促した。


「その大規模な魔族・魔獣の軍団に王国は当初、圧倒的敗北を重ねて多くの都市を墜としてしまいました。しかしながらそんな中でラングロッシェ家の先々代のご当主はその知略をもってして襲撃を凌ぎ、相次ぐ戦いで人員や物資の調達が困難になる中で20年という月日をかけ、この城下町ではなくローレフへと<大壁>と<巨塔>を建設なされたのです――お嬢様、その理由についてもご存知ですかな?」


「それはローレフがまだ魔王軍に墜とされていない王国内の各都市に、この城下町――アインシュタッドよりも近い位置にあったからですわ。ローレフを起点とした兵站へいたん戦を築くことで物資と人員の移動を最適化する目的があったと、お父様から聞いておりますの」


 セルゲイの豊かな口髭に隠された口角が上がるのが見えて、求められていた答えを返せたのだとわかる。


「正解です、お嬢様。結果としてその兵站戦が活きて王国は崩壊をなんとか免れることができました。それからは長い年月に渡って攻める魔王軍に守る王国軍という形で均衡を保ち、それが崩れたのはご存知の通り、この王国に勇者が現れたことです」


「知っていましてよ! 13年前の<王国の夜明けの日>のことですわね! 打って出られるほどの戦力が無く盾を構えることしかできなかった王国に、最強の1本槍たる勇者様が現れた記念日ですの。しかし、勇者様が現れなければ王国は今も戦乱の中にあったかと思うとゾッとする話ですわ……」


「ええ、まったくですね、お嬢様。その勇者様のご活躍によって魔王は討ち果たされ、そして戦争は終結しました。ここまでがに伝えられている話でしょう。しかしながら、この話には続きがあるのです」


「続き……?」


「はい。ご存じの通り旦那様――アルフリード様はその智慧を頼りにされ勇者一向に同行して魔王城まで攻め入り、そして魔王が消滅するその瞬間に立ち会っていらっしゃいました。その旦那様によれば、魔王は1つ予言じみた言葉を残して灰になったというのです――」


 その時、タイミング悪く、ゴーン! という壁時計の音が部屋へと響く。時計の短針と長針がてっぺんで重なっている、お昼の時間だ。セルゲイは言いかけた言葉を止めて、


「続きはまた明日にしましょう」と、手に持っていた分厚い本を閉じてしまう。


「え~!? 中途半端でイヤですわーっ!!」


「13時からすぐに魔法訓練のはずですよ。休める時には充分休まなくてはなりません」


「ぶ~……ですわぁ……!」


 ぷくーっと頬を膨らませるもセルゲイは穏やかに微笑み受け流してしまう。私のことを今よりもずっと子供のころから見てきているから扱い方がよくわかっているのだろう、機嫌を損ねたかと慌てる様子もまるでない。


 どうやらワガママは聞き届けられないようだと私も諦めて、目の前に広げていたノート類を片付けた。書斎から出て、広間を抜けた先にある食堂へとセルゲイと並んで歩く。


「そういえば今日のわたくしの魔法訓練の先生は誰でしたっけ……? セルゲイではありませんでしたわよね?」


「私ではありませんな。確か……今日はトーマス・ラスキー先生です。若くしてLv4の水系魔法を収めている優秀な御仁とのことですが」


「えぇっ!? トーマス先生ですのぉっ!? うぅ~……わたくしなんだか、胃が痛くなってきましたわぁ……!!」


「おや、トーマス先生は苦手ですか?」


 大仰に嘆く私の反応を見て、セルゲイは驚いたように目を大きくする。


「だってあの先生、とても厳しいんですもの……! この前だってLv2の魔法の発現が成功するまで訓練を終わりにしてくれないって仰ったんですのよ!?」


「そうでしたか。それはさぞお辛かったことでしょう」


 セルゲイは優しげに目を細めて私を見て、「ですが」と言葉を続ける。


「きっとトーマス先生もお嬢様の成長を思ってのことなのです。それだけに苦手意識を持ってしまうのは少々、先生がお可哀想ではありませんか?」


「それはわかっておりますけれど……」


 セルゲイの諭すような言葉に、深いため息が出てしまう。


「でも、わたくしに元々素養が薄いのはセルゲイも知っての通りですわ……。魔力保有量が極端に少なく、他家からは陰で落ちこぼれ扱いされてますのよ……?」


 魔法――それは決して誰もが使えるものではない。


 それが使えるか否かはその人が生まれながらにして持っている魔力保有量と感性によるところが大きく、それは血筋による遺伝の要素がとても濃いのだ。私のお父様はこの王国でも屈指の賢者でありながら魔法に関してもLv4までを修めた貴族社会の<英傑>として語られる存在である。


 魔法のLvは1~5まであるとされていて、Lv1の魔法は魔力を自分の意志で流して変質させる技術があれば発現可能なのだが、Lv2以上の魔法は一定の魔法保有量が必要不可欠、Lv3以上の魔法はそれに合わせて感性が必須ときている。それを鑑みればLv4までの魔法を使いこなせたお父様は、知性にしても魔力保有量にしても感性にしても、どれをとっても抜群に優秀な血を私へと継いでくれたことになるのだが、しかし私にはその優れた才能のいずれもが遺伝することはなかった。


「――結局この前のトーマス先生の訓練も、いくら試してもLv2を発現させることができずにに終わりましたわ。わたくし、きっともうLv1ここが成長の限界なんだと思いますの」


 自分で言っていて情けなく悲しいことではあったが、このところはまるで成長の兆しを見ることが叶わない。そんなぼやきのような私の言葉に、


「――お嬢様、そう悲観することはございませんよ」とセルゲイは穏やかな口調で諭すように言う。


「努力を重ねる中で成長しないものなんてこの世のどこにもありはしませんよ。時間は流れ行くものです。停滞などしはしません。その中でお嬢様は歳を重ね、それとともに魔力保有量も増えてらっしゃいます。現に昔なら使うことのできなかった魔法を習得なさっているではありませんか」


「それは……そうかもしれないけど、でも――」


「私はお嬢様の常々の努力をこの目で見ております。だからどうかご安心ください。お嬢様の努力は日々実りを付けているのです」


「セルゲイ……」


「さらに言うならば、私はお嬢様の魔法に対する技術的な感性は非常に優れていると思いますよ。それはもう、旦那様の面影を見るほどに」


「ほ、本当ですの……!?」


 そして、そんな会話をしながら私とセルゲイが廊下を超えて広間へと差し掛かった時のことだった。


「――そうやって甘やかすからレミューが成長しないのよ、セルゲイ」


 突然のその声に、私は息を呑みとっさに反応することができない。広間で腕を組んで待ち構えるようにしていたのは、きっと誰の目にも美しく映るであろう若い女性。


 ――つかに真っ赤なルビーを埋め込んだレイピアを携えて仕立ての良い蒼色のドレスに身を包んだ彼女は、私と同じウェーブのかかった長い金髪を片手でサッとかき上げるとツカツカとヒールの音を立ててこちらへと歩み寄る。


「久しいわね、我が妹レミュー


「お……お姉さま……!」


 それは4つ年の離れた姉――レリシア・バロナ・ラングロッシェその人だった。

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