第20話 1日3食カレー日和 3 ~日本カレーを召し上がれ~
ゴートン食堂がお休みのある日のお昼前、厨房で私とルーリの2人はエプロンの腰紐をキュッと締める。鍋の準備よし、食材の準備よし。
「よぉ~しっ! それじゃあルーリ、今日もカレーを作っていくよっ!!」
「お~っ」
そう高らかに声を上げて私とルーリは厨房で天井に向かって拳を突き出した。
「じゃあルーリはいつもの感じで、人参・じゃがいも・たまねぎ、それに生姜とにんにくを切ってもらって良い? 私は先に炒めておくものがあるから」
「うん、わかった。でも先に炒めておくものってなに? お肉?」
「違うよ~――これです」
ずっしりとしたその紙袋をキッチンに乗せると、ルーリは驚きに目を丸くする。
「これって昨日パン屋さんで買った小麦粉!? これを……炒めるの?」
「そうだよ~。これをなんと、バターで炒めていきます!」
私は熱したフライパンにバターを載せ、そして溶けるそれを滑らして表面へと馴染ませると、計量カップで掬った小麦粉をそのままフライパンへと投入する。
「えぇっ!? なんでっ? もしかして――パン? パンなのっ? ソフィアはパンを作ろうとしているのっ?」
「いやいや、ですからカレーを作ると言ってますでしょうに……。まぁ作ってみればどうなるかわかるから、調理を進めよっか」
トントントンとルーリがリズムよく野菜を切る横で、私は小麦粉が焦げ付かないようにヘラでひっくり返しつつ弱熱でじっくり炒めていく。
「ソフィア、野菜ぜんぶ切れたよー?」
「うん、ありがとー。こっちもそろそろ良さそうかな……!」
フライパンの中の小麦粉はバターが染み渡り、充分に炒められこんがり薄茶色になっていて香ばしい匂いを厨房に充満させている。
「それじゃあいつも通り野菜を炒めていこうか? 炒める順番はわかるよね?」
「わかる! 大丈夫……!」
そう言って切った野菜と冷蔵魔具から取り出したお肉を持ってきたルーリに、私はフライパンの前を譲る。
ルーリはそれから小麦粉が入っているのとは別のフライパンを取って、そこに油を敷くと刻んだニンニクを入れて弱熱で熱する。シュワシュワと油に気泡が立ち始めて香りが広がったところでニンニクを取り出して、豚バラ肉を一枚一枚広げて入れていった。
そして熱の通りにくい順番に野菜を入れていくその手際は、もはや手慣れたものだ。たまねぎ、にんじん、じゃがいもと入れて、最後に塩とクミンシードを加えて香りを引き立てる。
「もう完璧だね、ルーリ! これだけできるようになったら他のお料理も余裕でできちゃうよ!」
お肉と野菜にしっかりと熱が通されているのが見て分かり、手順も正確。その成長をナデナデして褒める私にルーリはくすぐったそうに目を瞑った。
「さて、じゃあ今度はお水を入れて煮詰めていこうか。使うスパイスは全部でこの11種類ね!」
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★Memo
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◍ クミン(パウダー)
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・特徴:ザ・カレーの香り!
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・魔法:
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◍ コリアンダー(パウダー)
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特徴:干した柑橘の皮の香り!
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魔法:
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◍ カルダモン(パウダー)
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特徴:フルーツにも相性◎!
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魔法:
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◍ シナモン(パウダー)
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特徴:爽やかさがグッとUP!
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魔法:
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◍ブラックペッパー(パウダー)
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特徴:ご存知、スパイスの王様!
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魔法:
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◍ カイエンペッパー(パウダー)
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特徴:とにかく真っ赤で辛い!
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魔法:
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◍ クローブ(パウダー)
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特徴:強いお薬の香り!
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魔法:
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◍ ナツメグ(パウダー)
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特徴:お肉との相性◎!
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魔法:
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◍ ターメリック(パウダー)
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特徴:綺麗な黄色の着色に!
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魔法:
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◍ ローリエの葉
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特徴:臭み消しにはこれ!
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魔法:
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◍ ジンジャー(生姜)
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特徴:身体を内側から温める!
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魔法:
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「――さて、いい感じに煮立ってきたね」
グツグツと鍋が音を立てて複雑なスパイスの香りを厨房へと広げていく中で、私は熱の入れていない加熱魔具へと避けていたフライパンを手に取った。
「じゃあ次はいよいよ、炒めておいた小麦粉を投入するよー!」
フライパンの中で香ばしい見た目をしているそれらを全て入れ終わったら、鍋の中へ入った小麦粉がダマにならないように念入りにかき混ぜて、たまにレードルでカレーを掬い上げては落としてその粘度を確認する。
「……あれ?」と、見慣れぬ私のカレーの扱いに気がついてルーリが声を上げた。
「このカレー、いつものカレーよりなんだかトロトロしてる気がする……」
「そうだよ! よく気がついたね!」
ルーリの言った通り、このカレーは普段食堂で提供しているカシミールカレーのようにシャバシャバなスープカレーではない。私が再び鍋をよくかき混ぜてからレードルで掬い上げたカレーを鍋へ落とすと、それはまるで糸を引くような粘りを見せていた。
「もしかして……これは小麦粉を入れたからなの?」
「うん! 正解!」
かき混ぜながらでもソースがブクブクと表面に大きな泡を作り始めるようになったところで火を止めて、あらかじめ炊いて用意してあったご飯を平皿の横半分へと盛り付け、そしてそのもう半分へとトロトロのカレーソースを注ぎ入れる。
「はい、ルーリ。『百聞は一見に如かず』……いや、料理に関する場合はアメリカ風に『プリンの味は食べてみないとわからない』というのが正しいのかな……?」
「? あめりか……?」
私の独り言に首を傾げつつも、差し出されたそのお皿をルーリが受け取った。食器棚からスプーンを取り出してそれも渡してあげると、ルーリは「いただきます」と湯気立つソースを掬ってフーフーと息をかけて冷ましつつ口に運んだ。
「……んっ! 美味しい!」と、ルーリの目が見開く。
「……スパイスだけのいつものカレーとは全然違うまろやかさがあって、それにふんわりと立ち上がるような甘い香りが鼻に抜けていくみたい……!」
ルーリは感動したように目をキラキラとさせると、昨日までのカレーに飽き飽きとした様子からは打って変わって、ヒョイヒョイパクパクとあっという間に平皿の上を綺麗に片してしまう。
ふぅと満足げな息を吐いて落ち着いているルーリへとお水の入ったグラスを渡して、「どうだった?」と聞いてみる。
「すごく美味しかった! なんだか、今までのカレーとは種類がぜんぜん違う感じ……!」
ルーリは目線を上にやって今までに私の作ったカレーを思い返しているようだが、とうとうその中からは似たものを見つけられなかったのか、私に疑問に満ちた瞳を向ける。
「それで、これはなんていう名前のカレーなの?」
そう訊かれ答えようとして、私は少し言葉を迷ってしまう。
「普通のカレー」と答えようとしたのだが、それはあくまで私たち日本人にとっての感覚のものだと気がついたからだ。
だから、「――『日本カレー』かな」と、この場で命名してルーリへと答える。
「ニホンカレー……?」
私の言葉を繰り返し確かめるルーリへと、私は頷く。
そう、今回のカレーはこちらの世界に来てからは一度も作ったことのなかった日本式、日本オリジナルのカレーだった。日本に生まれついてカレーを初めて味わう人ならば、小学校の給食でカレーの日を待ちわびている子供たちならば、今日私が用意したカレーは真っ先に思いついてしかるべき味付けのもの。
スーパーで売られている固形ルーで作ったり、給食のおばちゃんが手間暇かけて作ったカレーに似た『香ばししょっぱさ、ほんのり甘さ』が体現されている、日本人の味覚に合ったカレーなのだ。
「『ニホン』って、ソフィアが前世で住んでいたって言っていた国の名前だったよね? それじゃあ、今までソフィアが作っていたカレーはニホンのものではなかったの……?」
おお、なかなか鋭い考察だ。その問いに、私は頷いた。
「そもそもカレー発祥の国は『インド』という国でね、この食堂で提供しているキーマカレーなんかはその国発祥の料理なんだよ。『カレー』っていう言葉の発祥ももちろんそのインドなの」
「へぇ……じゃあ、日本はその『インド』からカレーを教えてもらったんだね? 異文化交流だ……!」
「う~ん……それはちょっと違うんだよね……」
「え? でも、日本にカレーはなかったんだから、どこかに教えてもらわなきゃ作れないんじゃ……?」
「うん。それは正しいよ。違うというのは『インドから直接日本へとカレーが伝来することが無かった』という点なの。日本とインドの間にね、『イギリス』という別の国が挟まっているんだよ」
「い、いぎりす……? また新しい国が……!!」
「ややこしいよね。イギリスという国はインドという国を植民地化――実質の支配下に置いているって意味ね――していたの。今回作った小麦粉を混ぜ込んだカレーはこのイギリスで料理本として出版されてそのレシピが広まったもので、日本へも『インドのカレー』としてではなくて『イギリスの煮込み料理』として伝来したものなんだよね」
「そ、そうだったんだ……。あれ? でもそれじゃあこのカレーは『日本カレー』ではなくて『イギリスカレー』になるんじゃない……?」
「普通はそう思うよね。でもね、私の生きていた時代にはそのイギリスの家庭料理としてのカレーはそのイギリスからほとんど絶滅していたんだ」
「えぇっ!? イギリスから伝わった先の日本では食べられているのに、イギリスでは無くなっちゃっているの!?」
「あはは……やっぱり変だよね」と、私はルーリのビックリした反応をもっともだと首肯して先を続ける。
「イギリスへとインドからカレーが伝わった頃には多少のブームがあったらしいんだけど、同時に本場のインド人も大勢イギリスに流入してきたんだよね。だから本場インド料理を提供するお店がいくつもイギリス国内にできて、イギリス人がわざわざ手間暇かけて家庭でカレーを作らなくても美味しいインドカレーが食べられる環境ができちゃったの。
反対に日本という国は当時イギリスほどインドと直接的な国交がなかったから、単純にカレーという『イギリス風煮込み料理』だけが輸入されてきたんだ。その当時外国ブームが漂っていた日本という国において、カレーという料理も他の外国料理に漏れず人気を呼んで、国民に広く受け入れられるようになったの」
「イギリスでは本場のカレーに淘汰されてしまったけど、日本においては本場のインドカレーがやってこなかったから生き残ったということ……?」
的確に私の言葉を要約してくれたルーリへと私は頷いた。
「あくまで私の推察によるところも多いけどね。あと日本の国民食としてこの『小麦粉入りカレー』が根付くことになったキッカケとしては、学校給食――私の国では小学校でお昼ご飯が出たの――でカレーが採用されて、子供たちに濃い味付けのカレーが人気を呼んだことがあるんだ。だから日本では大人から子供までカレーが好きな人が多いんだよ。その人気が世界に飛び火してね、『日本のカレー』として多くの国々――本場のインドにも受け入れられるようになったんだ」
「なるほど……だからこの小麦粉入りのカレーをソフィアは『日本カレー』って言ったんだね……!!」
ルーリは空にした平皿を見て、納得気にそう呟いた。
話終えたちょうどその時、食堂のドアベルがチリンチリンと鳴って「やっほー!」というアイサの声が飛び込んでくる。
「いらっしゃい、今日はどうしたの?」と私が厨房を出ると、アイサは両手で抱えて持たなくてはいけないほどの大きさの木箱を1つホールへと運び込んで、一息吐いているところだった。。
「えっと、それはいったい……?」
「ソフィアとルーリ、それに私宛へのお届け物だってさ!!」
木箱を指しての私の問いに、アイサはそう言ってはにかんだ。
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※本編にまったく関係のない、イギリスカレーについての補足だよ!
ソフィア「本編には関係してこないことだから省いてしまったけど、イギリスのカレー事情についてまだまだ語り足りないことがあるんだよね……!」
ソフィア「お父さんたちにイギリスに旅行に連れて行ってもらった時に受けたカレーのインパクトは凄かったよ! 日本ではなかなか見かけないけど、すっごく高級そうなインド料理やパキスタン料理のレストランがあちこちにあるの! そして何よりショッキングなのはそのメニュー。私の知っているカレーが1つも無い! っていうこと!」
ソフィア「それはつまり、日本においてイギリスから伝わったカレーが徐々に西洋料理から日本料理に変わっていく過程があったのと同じように、イギリスにおいてもインドから伝わったカレーに独自変化が訪れていたっていうことなの」
ソフィア「確かにイギリスで家庭風煮込み料理としてのカレーは衰退しちゃったけど、でもカレー自体は国民食と言われるほどにイギリスに根付いているんだよっ!! むしろ私は、それは衰退ではなく進化だと思ってる。イギリスという国は18世紀からそのレシピが広まりつつあった小麦粉入りのカレーから脱却して、20世紀にはカレーという料理概念の幹から新しい枝葉を伸ばした国なんじゃないかって!」
ソフィア「インドで長く愛されるチキンコルマとはまた別のトマトクリームの味わいが西洋感を豊かに伝えるチキンティッカマサラ、鉄製の鍋ごと提供というロックな盛り付け方で一時代を席巻したバルチ料理。オリジナリティ溢れるそれらは、日本カレーよりも先に本場インドへと逆輸入されるほどの人気を呼んでいるの!」
ソフィア「『イギリス料理 = 不味い』っていう認識は……正直な話合っていると思う。私たち、ホテルのバイキングで出てくるスクランブルエッグとベーコンをそれぞれ『ヘルエッグ、デスベーコン』と呼んでいたくらいだし……もちろん作る人にもよるんだろうけどね? でも、イギリスのカレー料理だけはそれに当てはまらない!! それらは独自進化を経てカレーという料理をさらに美味しく楽しくしていっているの!!」
ソフィア「だからぜひ、イギリスを訪れる際はインド料理店なんかもチェックして、イギリスでしか食べられないカレー料理を堪能して欲しいなっ!! 私も機会が合ったらこっちの世界で作ってみるね!!」
ルーリ「……zzz」
※本当に1ミリも本編に関係なかったよ! ごめんね!
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