第3章 カレーなる群像物語

第18話 1日3食カレー日和 1 ~ルーリの憂鬱~

 うららかな日差しが緑葉をきらめかせる小春日和、食堂がお休みにも関わらず、それでも私は食堂の厨房に立っていた。


 目の前にはグツグツと3つの小鍋たちが、休日返上で中身を煮たぎらせて働いている。


「そろそろかな……」


 そう呟いて味を見る。口に含んだ瞬間に複数の強化魔法が自分に掛かるのが分かった。


 ただ口惜しいことに、魔法の知識が不足している私にはそれがいったいどんな効果を持つ魔法なのかがさっぱりとわからない。


「とりあえず、味はよし……っと」


 加熱魔具のスイッチを切って、いつものようにそれぞれの小鍋の中身を小容量の器に移してトレイに載せる。計6皿。3皿ずつが2人分である。


「さて、それじゃあ魔法の効果を見てもらわなきゃね」


 強化魔法の種類がわかる人間はこの町、セテニールには1人を除いて他にいない。小さなこの町には冒険者組合もないし、魔術師を専門職としている人も皆無なのだ。


 カレーの載ったトレイを手に、私は厨房のドアを開けてホールへと顔を出す。


「ルーリ、今度もよろしくねー!」


 私の声に反応して、ゆらりと生気の抜けた目をこちらに向けたのは、魔族で銀髪美幼女のルーリだ。


 何でも魔術についての教育を受けて育ったというルーリは、攻撃魔法についても補助魔法についても一定の知識があるようで、これまで私が作ったカレーに込められた魔法種類を教えてくれたのも彼女だ。


 私はそんな頼りある妹分の目の前に小皿を3つ、次々に並べていく。


「それじゃあ、どうぞ召し上がれ!」


「……うぅ…………また、カレー…………うぅ、頭が……」


 何やら頭を抱えるようにして呻くルーリだったが、しかしその声は小さすぎて何と言っているのか私には聞き取れない。


「いただきます……」


 ゴクリと何か覚悟を決めるように喉を鳴らして、ルーリはカレーを掬ったスプーンを口に運んだ。すると、途端にその目が見開かれる。ちゃんと強化魔法は付与されたようだった。


「――このカレーに込められている魔法は<反射速度上昇リフレクセィズ・アップ>、<精神安定付与グラント・メンタル・スタビリティ>、<致命率上昇クリティカル・アップ>、それに<魅力上昇チャーム・アップ>」


「なるほどなるほど……。今回新しく混ぜてみたスパイス、『キャラウェイ』に宿る強化魔法は<魅力上昇チャーム・アップ>――っと。ねぇ、これってどういう効果なの?」


「これは誘惑魔法の一種で、自身が周囲の生物に対して与える印象をより魅力的にする効果がある。特に異性に対して有効な魔法」


「あ、あんまり使う機会もないかもね、それは……」


 私はルーリの言葉に相槌を打ちつつ、忘れないようにエプロンのポケットから取り出したメモ帳へとペンを走らせた。


 使うスパイスによってどんな強化魔法が付与されるのか、そしてその魔法がどんな効果なのかを忘れないようにできるだけ細かく記録するように心がける。


 都市ローレフから帰ってきてからというものの、私とルーリは日夜、私の相乗香辛魔法マジカル・スパイス・シナジクスによって付与される魔法の効果の研究に明け暮れていた。


 それもこれも、すべては2週間後に迫った大規模魔獣掃討戦に備えての事だ。


(より美味しく、より最適な魔法が掛けられるようにしなくちゃだもんね!!)


 掃討戦の舞台は山。ならばその環境に合った強化魔法というものが必ずあるはずだ。


 例えば山は地上に比べて冷え込みが激しいのだから、そんな場所においては体温を一定以上に維持するような魔法があれば便利だろう。幸い生姜を使うことによってそれにピッタリな<寒冷耐性付与>という強化魔法が得られるということをすでに発見することができている。


 ――それなら、もっとスパイスに宿る魔法を把握することで、掃討戦により一層最適なカレーを作ることができるに違いない!!


 そう思い立って、私の朝昼晩に渡るスパイス研究が幕を開けたのだった。


「――こっちの2皿目は<物理強化レイズ・フィジックス>、<魔法強化レイズ・マジック>、<特殊技能強化レイズ・スキルズ>」


「ふむふむ……次のカレーは?」


「<毒無効付与グラント・アンチ・ポイズン>、<保有魔力量増大エクステンド・マジック・ストレージ>、<魔力量恒常回復付与グラント・コンスタント・リカバリー・マジック・ストレージ>――こ、これで終わり……?」


 ルーリが恐る恐るといった様子で上目遣いに私へとそう訊いてくる。


「うん、ご苦労様! 今回の分はこれでお終いだよ」


 私はまたスパイス研究のメモ帳の1ページが埋まったことに満足感を覚えながら、ルーリへと頷いて返した。


 するとルーリは深く息を吐いて、「よかったぁ」と背骨が抜けたようにへにゃっとしてソファへと身体を沈ませる。


「じゃあ、あとはまた今日の夜だね」


「――えぇっ!?」


 そう言った私の言葉に、ルーリは驚いたように飛び起きると机に両手をついて身を乗り出した。


「ソ、ソフィア……聞いてもいい? 私たち、これで何日間カレーを食べ続けてる……?」


「え? 今日で――」


 私は溜まりに溜まったメモ帳をペラペラとめくって、今までに行った組み合わせを数えていく。


10、だね。それがどうかしたの?」


「…………ッ!!! ち、ちなみに後どれくらい試す予定……?」


 普段から雪のように白い肌をなぜか一層白く、いや血の気を引かせたように蒼くさせるルーリへと、私はまだ試せていないスパイスなどを指折り数えながら答える。


「えーっと、ディルシードにジュニパー・ベリー、タイム、オレガノ、セージ、麻の実にペッパー類各種でしょ? あとこの前市場へ買い出しに行った時、行商人のダレスさんにこの辺りで採れないスパイスをありったけ集めて欲しいってお願いしていたのを今度の休みに取りに行く予定だから……それ全部を試そうと思えばまだまだかな。私たちが普段使っているスパイスは15種類前後だけど、カレーに使えるスパイスやドライハーブって50種類以上はあるからねー」


 私のその答えを聞くやいなやルーリは瞳の中の光をサッと消し、そして次の瞬間、重力に逆らうことなく机へと突っ伏した。


「うん? どうしたの、ルーリ? おーい」


「……うぅ、うーーーん……」


 ツンツンとつむじを突いてみるが、しかしルーリは何かに苦しむような低い呻き声を返してグッタリとするだけだった。

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