第4話 どこからが勝負か
「――さて、ルーリ。準備の時にルーリが見つけてくれたアレを持ってきてもらってもいい?」
「アレって……あの腐ったミルクのこと?」
「いや、腐ってないから大丈夫。アレはね――ココナッツミルクっていうんだよ」
ルーリの持っていたそのビンから一掬いして舐め、その独特な香りにすぐに気づくことができた。
これはデザートやタイ料理を語る上では欠かせないココナッツミルクなのだと。
確かにこれを普通のミルクと思い込んで舐めたとしたら、それを初めて口にするルーリが腐っているのではないかと思うのも無理はない。
「南の方に生える植物の実から作ったミルクなんだよ。普通のミルクに比べて脂っぽいし、香りも全然違うんだ。放っておくと固体に分離して固まっちゃうし、確かに見た目は……あんまりよくないよね」
ほほー、とルーリは持ってきたココナッツミルクをしげしげと眺めて感心したような声を出す。
「それじゃあ、それをちゃんと
ルーリは私の言う通りに分離したココナッツミルクをかき回して1つの液体とすると、トポトポトポと静かに鍋へと注いでいく。
「――それくらいでストップ。後はさっき作ったペーストを加えて中熱でグツグツ煮込もう」
ミキサーの中のペーストを投入、魔具の熱加減を調整して木べらでグルグルとかき混ぜる。
鍋の中身はココナッツミルクの白から緑へと色を変えて、段々とエスニックな香りを放ち始めた。
「ソフィア、もしかしてこれで完成……? なんだか野菜を切る以外の手間がなかったような……」
「ペーストさえ用意して置けば炒めるのは鶏肉だけで、他は全部鍋に入れて煮込むだけだから手間いらずといえばそうなのかも。あとは味を見て、足りなかったら『フィッシュ・リカー』で塩加減を調整して完成だよ」
――それから10分後、小皿に掬ったスープを1口飲んで私とルーリは親指を立てた。
「うんうん! いい感じにできてる!」
「独特な香り……あの臭かった調味料が料理に使われるとこんなに食欲を誘うものに化けるなんて……」
ほぅと満足げな息を吐くルーリは幸せそうに頬を緩めている。
(普段カレーに馴染んでいるルーリでさえこの反応、『斬新さ』ってことならこれは本当に優勝が近いかも……!)
そう思ってグッと拳を握る。
しかし、その直後。
急に、シャワシャワシャワッ!! という大きな音が聞こえるかと思うと、観客席・審査員席からどよめきの声が巻き起こった。
「――なっ、なに!?」
そう思って音の聞こえた方――とある参加者の組のテントへと視線を向ける。
その視線の先にいたのは、中華鍋を激しく揺する1人の黒髪の少女。
その体格には不釣り合いなほど大きい中華鍋を、身体全体で動かしている姿は料理をしているというよりもむしろ、激しく戦っているかのようだ。
彼女は注目が集まったのを悟ったかのように、今度はひと際大きく中華鍋を引くと中身の具材が
その鮮やかな赤と白のコントラストに、人々の目が釘付けになった。
そして薄く漂う煙からは香るごま油と目に染みるような唐辛子の香り。
グゥッというお腹の音が、どこからともなく鳴り始める。
「こ、これはいったい――?」
審査員席から、観客から、同じような言葉がちらほらと漏れ聞こえる。
誰もがその今までに見たことのない『斬新な』料理に目を見張り、込み上げた唾をゴクリと飲んだ。
視線が集まる先の少女――ヒヅキは真剣な眼差しで強熱設定で炙られるフライパンをかき回し続けており、時折サッと中身を空中で翻す。
その度に観客から「おぉ~!」手慣れた動作に感嘆の声が上がり、その中身に注目が集まる。
真っ赤で、エスニックさとはまた違った辛さを極めたような刺激的な香り。
(――
中華料理店の前を通った時にフワリと香る山椒のその香りが、煙に乗ってこちらに漂ってくる。
(この世界にも中華料理があったの……!?)
いや、きっとそうじゃない。少なくとも周囲の物珍しげな様子を見れば一般的というわけではないとすぐに理解できる。
少し、マズいかもしれない。
「――ソフィア、あっちの組……すごく美味しそうな匂い……」
「そうだね……強敵だ……」
正直、テーマを聞いて今回は余裕で勝てるんじゃないかと考えていた。
『斬新』という新しい切り口という定義の中で言えば、この世界に元々存在しないカレーという料理はまさにそのものだったのだから。
しかし、私の他にも私と同じような珍しい料理という切り札を持っている参加者がいたのだ。
――それはこれでもかという量の唐辛子でごま油を赤色で染めて、香りの強いニンニクと山椒で食欲をかき立て強烈なインパクトを与える中華料理。
その名を
初めてそれを見て、嗅いで、感じた空腹の人々の反応は顕著だった。
再びどこからともなくグゥ~ッというお腹の音が立て続けに聞こえてくる。
「――上手いなぁ……」
調理の段階で音や香りを演出して自分の組に対する周りの期待値を限りなく上げる手段を取るなんて、中々に計算高い。
きっとこの組の料理は審査の時に、他と比べて明らかに記憶に残りやすいものとなるだろう。
果たして審査員が料理を食べてからが勝負だと、誰が決めたのか?
いや、そんなこと誰も決めていない。
――調理の段階からすでに、この勝負は始まっていたのだ。
この世界の人たちにとって未知であるという意味においてカレーと同じレベルの『斬新さ』がある料理な上に、調理パフォーマンスで注目を持って行かれてしまったのは正直、かなり痛い。
「……ルーリっ!」
「なっ、なに……?」
「冷蔵魔具から取ってきて欲しいものがあるんだ――」
今のこの時点の注目度で負けている以上、もはや私たちがこの差を覆すのは審査での味勝負に限られた。
「――えぇっ!? ソフィア、本当にコレをカレーに入れるの……!?」
「うん。大丈夫、『作戦』があるんだ――」
(中華料理の印象に負けない味を……! いや、むしろそれすらも利用してみせる……!!)
――そして時間は流れ、作業終了を報せる銅鑼の音が広場へと大きく響き渡った。
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