第5話 麻婆豆腐――<ライバル>――

 調理終了の合図の銅鑼の音が止むと、再びマイク型の魔具を持ち、もう片方の手で正方形の箱を小脇に抱えた司会者がゆっくりとした歩みで広場の中心に置かれた司会席の隣へ立つ。


『さぁ――審査の時間です!!』


 何とも言えない緊張感が参加者たちの間に立ち込め始めるが、しかしその雰囲気を介さない明るく張った声で進行を続ける。


『まずは審査員の皆さまに実食していただく料理の順番を決めていきましょう!! 参加者の各組の代表者1名にこの箱の中から1枚だけ札を引いていただきます。各札には数字が書かれていますので、それが実食の順番です!!』


 司会者の小脇に抱えられた箱には上の面に丸い穴が空いているようだった。


(――ここが私たちの組にとっては1つの


 どうか願った順を取れますようにと、心の中で強く願う。


『審査のタイミングは8組全ての料理の実食が終わったあと!! 審査員の皆さん、いいですか? 分かってるとは思いますが、ちゃんとメモを取って、最初の組の料理を忘れないでくださいね? さて、それでは――各代表者の皆さま、前へどうぞ』


 言葉が終わるに合わせて、それぞれの組の参加者たちが次々にテントから出て司会席へと歩いて行く。


「ルーリ、私が行ってもいい?」


「うん。任せる」


 そうしてルーリの見送りを背に、私もまた司会者の前へと列になる参加者たちの後ろに着くと、


「4番ですわぁっ!!」


 という高らかな声が聞こえる。


(――レミューさん)


 イベント前の参加者紹介で一番注目を集めていた人であり、今回の参加者の中では最も強敵だと思われる『麻婆豆腐』を調理していた組のメンバーだ。


 くるくると身体を回し高そうなロングスカートを翻しながら、テントへと意気揚々といった様子で戻っていく。


 そんなレミューさんを「やれやれ」といった呆れた顔で迎え入れるのは、調理の時間に圧倒的に派手なパフォーマンスで審査員からも観客からも注目を集めたヒヅキさん。


(麻婆豆腐は4番か……どうか――その後の番号が引けますようにっ!!)


 すぐに私の番がきて、札の入ったその箱が前に差し出される。


 えいっ! と手を突っ込んで、深く念じながら1枚引いた。


「――6番、だ……」


 思わず札を持つ反対側の手がグッと拳を握り締めていた。


 私たちの組は、まず最初の1つの賭けに勝つことができたのだ。




 ――そうして10人の審査員による実食が始まった。


 審査員たちはそれぞれレストランなどの自分の店を持っていたり、グルメレポートを生業にしていたりと食に通じている人たちのようで、1組ごとにその料理の見た目や味についての感想を忌憚なく述べていく。


 ただ参加者もさすがなもので、現在3組の評価が終わった段階でマイナスな印象を与えた組は皆無。


 肉料理や卵料理など、それぞれの得意料理なのだろうそれらは見た目からして完成度が非常に高く、異世界ならではの食材を使ったものもあり、審査を待って緊張気味な私にとっても食べてみたいなと思わされるものばかりだった。


『――さて、高評価が続く中! 続いては4番目、ヒヅキ&ラングロッシェ嬢の組の審査です!!』


 その司会者の言葉に、審査員たちの目が明らかに「待っていました」と言わんばかりの輝きを帯びる。


 調理中のパフォーマンスがあっただけに、他の組の料理に舌鼓を打つ中にあってもこの組の期待感はまったく薄れていなかったらしい。


「ふふんっ!! ご賞味あれっ!! 料理名は――『麻婆豆腐』ですわっ!!」


 自信満々といった様子で胸を張り髪をかき上げたレミューさんと相方のヒヅキさんは、麻婆豆腐を入れた白い器とお茶椀に盛られた白米をトレイに載せて審査員席へ配膳して回る。


「おおぉ……!!」


 並べられるその料理を見て広場全体からどよめきが上がり、生唾を飲み込む音が大きく聞こえた。


 純然な赤が、まるで白百合に囲まれた曼珠沙華マンジュシャゲのように白い器へと映えていた。


 漂う花山椒の香りが一層の華やかさを演出している。

 

 清涼感のあるその香りは同時に刺激的でもあり、ひどく食欲をそそられるものである。

 

 強く漂うそのごま油と唐辛子の香りは、離れたテントにいる私たちの胃袋さえもキュッと締め付けるほどだった。


『――ゴクリ。では審査員の皆さん、実食をお願いしますっ!!』


「で、では――」


 その真っ赤な料理はいったいどのような味がするのだろうか、そんな疑問に前のめりになる観客は一様にして審査員たちの一挙一動から目を離さない。


 注目を集める審査員たちは、神聖な何かに恐る恐る触れるような様子で白いレンゲで麻婆豆腐を掬って口に運ぶ。


 ハフハフと白い湯気の立つ麻婆を口に含み、咀嚼を始めた直後のこと。


「ほわぁ……っ!!」

「ぁぁぁあ……っ!!」

「おふぅぅぅ……っ!!」


 ほんのわずかに漏れ出てた言葉にならない無意識の感動の声が、それにも関わらずシンと静まり返った広場には異様に大きく響いて聞こえた。


 放心した様子を見せたのも束の間、審査員たちは食器の音だけを鳴らしながら黙々と麻婆豆腐に喰らいつく。


 ガツガツと器に向かい合う審査員たちから、感想は一向に聞こえてこない。


『――あ、あの……!? 審査員のみなさま……? ご感想を……』


 司会者のその言葉にようやく自らの仕事を思い出したのか、審査員たちの何人かが顔を上げる。


 しかし、その食べる手は決して休まっていない。


「これが、麻婆マーボー……――パンチの効いた唐辛子の刺激とゴマの芳醇な香りが油の波に乗ってジワリジワリと口いっぱいに広がっていく、今までにない食体験だ……!! 口の中を支配する旨味が次へ次へと白米を欲している……!!」


「ああぁ……肉の油にゴマの油、しつこさの二重奏デュオの中に、しかしƒƒフォルティシモな唐辛子によって絶妙なハーモニーが生まれているぅッ……!! そしてそれらを、全体を包み込むような山椒のフレグランスがpassionato刺激的な y estitato美味さという一本の道に集約させているんだぁッ……!!」


「おかしい、おかしい……!! 食べているのに、食べ続けているのに、とめどなく湧き上がる圧倒的食欲!! 辛旨の奔流に舌を乗せ走り続ける今、もはや額に浮かぶ汗を拭う手間すら惜しい……!!」


 今までの味や見た目を取り上げた審査とはまるで異なる抽象表現の多い感想の数々。


 それらすべての意味をとらえることは私にはできなかったが、しかしそれらの差すところは何か、それぐらいなら簡単にわかってしまう。

 

 それはまさしく――『絶賛』。


 食べながらに口を開くという礼儀作法の欠如した審査員の姿もまた、その料理が『話すことに口を割く時間すら惜しい』ほど美味しい料理なのだということをありありと物語っている。


 そんな他の組とは段違いの審査員の反応に、観客たちも凄まじいほどの沸き立ち様で、「うぉぉぉおおお! 俺も食べてぇっ!!」「いったいどこに行けば食えるんだぁっ!!」「お腹空いたよぉお母ちゃーんっ!!」といった阿鼻叫喚の嵐だ。


「――ふふんっ!! わたくしが腕によりをかけた料理なんですから、当然の結果ですわっ!!」


「いや、お前は調理してないだろう……」


 周囲の圧倒的高評価を受けてえっへんと腰に手を当てているレミューさんに、実際に調理のほとんどを担当していた様子のヒヅキさんがツッコんでいる。


「そもそもアレ自体がうちの食堂のメイン料理だし……」


「でも、わたくしだっていっぱい手伝いましたわ! ネギを刻んだり、お豆腐を等間隔に切ったりで大活躍したじゃないですのっ!」


「まあ人数分切ってくれてたのは助かったけどさ」


「じゃあわたくしの料理ってことですわよね、あの麻婆豆腐」


「なんでだよっ! 極端すぎるだろっ!」


 そのクールな調理担当にお転婆(?)なお嬢様系アシスタントという組み合わせはちょっとチグハグなようにも感じたが、その心置きのない掛け合いは2人が長い付き合いをしてきた仲なのだということがすぐにわかるものであり、見ていてとても微笑ましい。


(良いコンビだなぁ……)


 でもコンビネーションなら、仲の良さなら私たちだって負けてはいない。

 

 そんな自負があったからこそ、私は絶賛される4組目のヒヅキさんとレミューさんの料理に対して少し不安げな表情を浮かべるルーリに対して笑顔を向けた。


「大丈夫だよ、ルーリ。私たちのカレーだって負けてない!」


「……うんっ!」


 レミューさん達の組のあと、それから5番目の組の実食も終わり、隣のテントに戻ってきて肩を落とす参加者の様子が見えた。


 首を傾げたような審査員たちの様子を見るに「おかしいな? この組は見た目に反して味がそうでもなかったぞ?」と、そんな風に思っているように感じられる。


 正直、レミューさん達の組の直後に実食のあったその5番目の組は運が悪かったと思う。


 前のレミューさんとヒヅキさんの麻婆豆腐の圧倒的なクオリティの余韻が残る中での審査だったのだから。


 加えて、単なる味付けじゃ審査員の舌には響かないがあることを、私は知っていた。


『続いては6番目、ソフィア&ルーリの組の審査ですっ!!』


 そしてとうとう私たちの組が呼ばれる。


 私とルーリは顔を見合わせて1つ頷くと、胸を張ってテントから足を踏み出した。

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