第6話 グリーンカレーを召し上がれ!
盛りつけた料理を大きめのトレイに次々と載せて、私とルーリは審査員席の左右に分かれて端から順番に配膳を行っていく。
『おぉ――っと……、これは――?』
司会者が首を伸ばすようにして覗き込む審査員の前には白米が平らに盛られた平皿、そしての横に蓋のような丸みを帯びた陶器で中身を隠された白い器が並べられていく。
中身が見えないことに少し観客席からも「あれは何だと思う?」などとボソボソやり取りが聞こえるが、先ほどの麻婆豆腐の印象が尾を引いているのだろう、それほど大きなざわつきにはならない。
私は10人の審査員席すべてに料理が行き渡ったことを確認して「どうぞ、お召し上がりください」と促した。
――さていったいどんな料理が出てくるのだろうか、それでもまぁラングロッシェ嬢のところの組ほどのインパクトはないだろう。
そんな心の声が漏れ聞こえてくるような、緊張感のない実食のはじまり。
溜めもなく気軽な気持ちで審査員たちは蓋を開けていき――
「こ、これは……!?」
――直後、鼻孔をくすぐるその南国の香りに天を仰いだ。
微風によって一面に広がる甘く鼻に残るエスニックな香りは、先ほどよりも明らかに大きなざわめきを広場へと起こす。
『この香りはココナッツでしょうか……!? 主にプリンなどのスイーツに使用される食材、ココナッツミルクを料理に使っているとでも言うのでしょうか……!?』
司会者が唖然とした表情で言葉を紡ぐ。そして開けられた器の中身を見て、その表情は驚愕の様相へと変わった。
『――薄緑っ!! 器の中身はマイルドグリーンを基調としたスープ、そしてその中に、トロピカルな赤色の具材が泳いでいますっ!!』
おおっ!! と観客の中から興味をそそられた声が上がる。
『ソフィアさんにお聞きします。この料理はいったい――?』
「はい、料理名は――『グリーンカレー』です!」
『ぐりーん、かれー……?』
司会者は聞きなれない単語をオウム返しする。
審査員たちもみんな一様に聞きなれない単語に顔を見合わせていたが、何はともかく実食をしてみねばと緑のスープをスプーンで掬うと、恐る恐る口へと運んだ。
「――甘い……いやっ!? 辛いっ!?!?」
豆鉄砲を喰らった鳩のようにまん丸に目を見開いて、審査員たちは自分の味覚を確かめるべく何度も何度も器と口の間でスプーンを往復させる。
そして、味わうように舌を鳴らすと、
「はぁ……」
と、長く深い息を吐きだした。
「ふぅ…………」
長い、息を吐きだした。
…………
……………………
………………………………あれ?
それからしばらく待つも一向に言葉が出てこない。
ルーリに「大丈夫だよ」と笑顔を向けた手前、みっともない姿は見せたくないが、さすがにここまで焦らされると不安になってくる。
『あの、すみません? 審査員のみなさま、ご感想は……?』
痺れを切らした司会者がそう促すと、審査員たちはチラチラと互いを見やる。
そしてそのうちに視線は1本にまとまり、10人の中で1番高齢だろうと思われる男性の審査員の元へと集まった。
注目を知ってか知らずか、その老齢の審査員は意を決したように顔を上げた。
「――かつて世界は、狭かった……」
ポツリと独り言のようにこぼれだす感想は、テーブルの向こう側に語り掛けるだけのように静かさを伴ったものだった。
広場もまたその声を聞き漏らすまいとして静まり返る。
「そこには確かな法則があったのじゃ。豊潤さは甘さと共に、香ばしさは塩っぽさと共に。誰もが料理の黄金比を信仰し、メインとデザートを区別し、ひたすらに先人の歩んだ道に続いてきた」
自身の過去を回想しているのだろう。目を細めて語るその翁の言葉に、他の審査員たちも感じるところがあるのか深く頷いて聞き入っている。
「じゃがしかし、そこには『冒険』がなかった。革新的な組み合わせ、奇想天外な調理法、そういったものを行い大成した者は少なく、そしてほとんどの料理人たちはそれらの挑戦を軽視した。ワシを含め――ここにいる者たちも、そうじゃろう」
翁はそう言って周りを見渡す。
その視線に対して喉を詰まらせたような審査員たちの姿は、誰の目にも翁の言葉が図星なのだということがわかるものだった。
「じゃが今我らの目の前にあるこの料理は、どうじゃ。香る南の果実の香り、しかしマイルドさの後に甘さは続かず、際立つスパイシーさが白米を誘う……。あえて、2
そこで言葉を区切ると、翁は立ち上がり気勢勇ましく続ける。
「しかし! この料理はワシらをそんな考えの凝り固まった
静寂の支配する空間を威勢よく張られた猛々しい声が切り裂いた。
瞬間、どよぉっ! と広場全体に音が戻る。
口々に「いったいどんな味なんだっ!?」「そもそもアレは料理なのか? それともデザートなのか!?」「いやいや、それらを超越するものなんじゃっ!?」「わからんっ! あんな色や形状は、似たものすら見たことも無いっ!!」といった、興味と戸惑いが混ざった言葉の波が観客席でぶつかり合う。
麻婆豆腐に引き続いて、また何とも抽象的な感想が出てきたものだった。
しかし、その熱の入ったコメントに対して私は大きく期待を寄せざるを得ない。
『――お、お静かにっ!! お静かにっ!!』
急に熱を取り戻した広場を抑えるように、困った顔をした司会者の声が響く。
『えー……なんだか革新的な料理を排斥してしまう今の料理界隈に対する暗喩的な批判を込めたようなご感想でしたね……。もう少し直接的な味のご感想は――』
「一言で表すなら『トロピカル・マイルド&エスニカル・スパイ・シー』よっ!!」
しかしその司会者の言葉が終わるのを待たずに、グレーのキッチリとしたスーツを着た1人の女性審査員が口火を切って立ち上がる。
どうにも上手い具合に手綱を握らせてくれない審査員たちに司会者は再び困った顔をして小さく笑うが、しかし審査員はそんな司会者の様子を一向に気に留めることなく、そのまま腕を振るって自らが体験したその味を語り始める。
「まず口に含んだ瞬間、舌を包み込むのは果実の甘さ香るココナッツミルクのマイルドさだったわ。でも次に鼻腔を突いたのはエスニックなもので、同時に
「いやいや、決してそれだけじゃないさ。この料理は海を感じさせる中で、しかし海には決して無いものが混じっている。それはまるで陸から吹き下ろす薫風、その正体は――きっと複数のフレッシュ・ハーブだろう。こんな斬新な組み合わせは、味わうどころか聞いたこともなかった!」
「あぁ、海の恵みに森の恵み、そして甘さと辛さ。向かい合わせのそれらが奏でる見事なハーモニー。本来交わることのない
審査員たちは今や困り果てた様子の司会者のことなど気に留めず、口々に実食をしての思いの丈を語っていった。
進行が無視されてポンポンと感想が頭の上を飛び交ってしまっているその司会者には申し訳ないが、私はその審査員たちの言葉に内心でガッツポーズを取る。
不安な気持ちはいつの間にか掻き消えていた。
――なんていったって、これはかなりの好感触っぽいのだ。
「これはきっとどれそれのスパイスを使ってる」「いやそれじゃなくてあの調味料じゃないか」、審査員たちの間で深まる議論を見てさらに確信を強める。
それは端から見ても麻婆豆腐の実食の時に匹敵するほどの熱の入った声で、これはすごい料理なんじゃないかと観客たちのボルテージも上がっていくのがわかった。
『あの……そろそろよろしいでしょうか。実食のご感想を取りまとめて総評はいかがでしょう――?』
このまま語らせていては終わらないと悟った司会者が審査員たちの会話へと身体ごと割って入る。
そうして最終的にもたらされた審査員たちの感想は口を揃えての
「「「美味いっ!!!」」」
であった。
その言葉にわぁっ!! と広場が一際大きく沸き立つ。
「やったねっ!!!」
「うんっ!!!」
息を飲んで評価を待っていた私とルーリも、それに合わせて両手ハイタッチで喜びを分かち合った。
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