第20話 長――<ロード>――

「2体目……だと……?」


 数十メートルと離れていない木々と茂みの間から新たなマラバリが1体、ヌッとその身体を裾野へと乗り出した。先ほどやっと倒したばかりの1体とまったく同じ、黒金の毛並みをした巨体。思わず舌打ちが漏れる。


(――クソッ……! 探知忘れとは、ヤキが回ったか……!?)

 

 探知魔法というものがこの世にはある。術者の力量に依存するところも大きいが、中等冒険者級の魔術師だと大体半径100~200メートルほどの範囲に存在する生体反応をとらえることができるもので、これは討伐対象を見つけた冒険者が初めに行うこととして、基本中の基本であるはずだった。誰だって命を懸けた戦いの最中に別の魔獣と遭遇したいとは思わない。


案内人ダレスの1体って言葉を鵜吞みにしちまうとはな……)


 安全に仕事を進めるには必須のその探知魔法は、仲間の魔術師であるカサンドラであればもちろん使うことができる。実際に市場にいた魔族のガキだって探知で魔力保有量の多い存在を絞り込むことで探し出したのだ。しかし、どうにも今日は市場の1件で頭に血が上って気が回らなかったらしい。人の言葉を信じ込んで、自分たちで情報収集することを怠ってしまっていた。


「ど、どうするよ……! リーダー!!」


 仲間たちもまた、俺と同じく新たなマラバリの出現に息を飲んで、そして各々の武器を構えた。紅い眼を向けるその魔獣を警戒しつつ、自分の状態を努めて冷静に分析する。


特殊技能スキルは発動限度数の半分くらい使っちまったが、もう1体なら何とかやり合える。戦闘後で多少の疲労はあるが怪我もねェし、身体もまだ軽い……)


 ――大丈夫だ。勝って切り抜けられる。


 仲間たちの表情を見るに、状態は俺とそう変わらないんだろう。極端に誰か1人が消耗するような戦い方はしていないから当然でもある。


「よォし……」


 そう確信を得られたから、仲間たちの前面に出るようにして剣を構える。先程と同じように突進をかわしつつ俺が囮になって、マラバリの無防備なケツを仲間たちへと向ければよい。合図を送ろうと目線を後ろの仲間たちにやると、しかし臨戦態勢を整える仲間たちの中で1人だけ、別の場所に視線を固定して呆けたように動かない仲間の姿が目に入る。


 ――エンケルだ。


 プチッと自分のこめかみに青筋が立つのが分かった。空気の読めないヤツだと幾度となく思ってはいたが、互いの命を預け合う場においてまで呆けているとは!


「おォいッ!! エンケルッ!! 何やってんだ!! テメェには目の前の相手が見えねェのかッ!!」


 怒気を直接向けられているわけではない仲間たちもが一瞬、その身体を強張らせるほどの一喝。普段のエンケルであれば飛び上がるようにして驚いたはずだった。しかし、今は何故かその当人は少しも反応を見せない。


(クソが……!)


 眉を吊り上げてもう一度怒鳴ってやろうと思ったその時だ。


「あ、アレ……」


 涸れた声でそう呟くと、エンケルはその手を震わせながらにも動かして目線の先を指した。


「チッ。いったい何だってん――――…………あぁ?」


 ――間抜けな声が出たなと、自分でも思った。


 視線の先、木々の間からは、無数の紅い光がこちらに向けられていた。

 

(――眼? ――そうだ。アレは、眼だ)

 

 無数の紅い眼が、こちらを覗いている。そう理解するに至って、俺の足は無意識に一歩、後ろに下がった。


「――あ、あっちもだぁっ!!」


 声のした方向を振り向くと、後ろ側に広がる木々にも同様の光景が見られた。


「な、何なんだよ……何が起こってるってんだ……」


 合図でもあったかのようにその光が一斉に動き出す。そして横や後ろの山すそから黒い巨体がいくつも歩き出て、ゆっくりとこちらに迫る。その姿は先程仕留めた魔獣、そして未だ目の前で俺たちをジッと見つめる魔獣と同じ。

 

 ――マラバリたちが、俺たちを大きく囲むようにして裾野へ群を作っていた。


「――あ、あ、あり得ません……!! マラバリが群れて行動するなんて聞いたことがない……!!」


 杖を握り締めた手を震わせながら、ゴールが悲壮さもあらわに叫ぶ。否定したい目の前の光景は、しかし現実にそこにあった。総勢20、いや30体以上はいるだろうか。ゴールの言う通りこんな例は自分たちが拠点にしている町ではまるで聞いた試しがない。絶望的な状況に圧倒されて顔色を失う仲間たちだったが、しかし慣れとは大したもので、俺たちは自然と撤退時のフォーメーションを展開できていた。


(――まだだ。まだ……これなら……!!)


 マラバリは元々は個体で生活する魔獣の群体だ。効果的な連携はできはしない。


(バラバラに突っ込んでくる1体1体の動きに注意すりゃあ……退却はできるはずだッ!!)

 

 絶望を振り払うように、強く。強く、そう思い込んだ。大丈夫。焦る心とは裏腹に頭は冷静に回っている。子供の頃から周りの大人に「お前は図太いやつだ」と言われて育った自分の、その生まれ持った性根に人生最大の感謝をおくる。深く息を吸うと仲間たちに向けて声を張る。


「撤退戦ッ! 町に向けてこのままの隊形を維持して退――」


 ――しかし。


「ブォォォォォォォオオオオオオオッ――――!!」


 言葉は、突如として辺りに響いた爆音によってかき消される。目の前のマラバリたちのものではないその音が、自分の、そして仲間たちの腹底に深い衝撃を与えた。


「ひっ……!!」


 それは自分のものであったか、あるいは仲間のものか、それとも全員か。誰のものか分からない弱々しい悲鳴がチームから漏れ出る。爆音の正体は分からなかったが、それが決して自分たちにとって良いニュースにはならないということだけは直感できていた。全員が身体を強張らせて音の所在を首を振って確かめる。ただ、その必要はすぐに無くなった。


「……地面が、揺れている……ッ?」


 ズゥンという低く連続した音が次第にこちらに近づくのが分かった。それが次第に大きくなり地響きを伴い始めたが、俺を含めて仲間の内、誰1人動く者はいない。


(いや、チゲェな……)


 そう、足が竦んで動かすことができないと言う方が正しいかもしれない。こんな時こそ俺はリーダーとして再び大声を張り上げて指示を飛ばさなくてはならないのだろう。そう頭では分かっていた。だが、そんな冷静に回転する脳みそだって、強張って震える喉を解放してはくれない。ただ竦みそうになる膝で何とか身体を支えて、やっと立っている有様だ。そしてとうとうが、派手な音を立てて木々を倒し、目の前へと現れた。


「あ、あぁ……!!」


 その姿を認めたそれぞれの口から漏れ出るのは、もはや言語の形を成していなかった。驚愕が、そして圧倒的な恐怖が音として喉から出ているに過ぎない。

 

 ――追い込まれた記憶の淵で、昔に組合内で聞いたある噂を思い出す。


 何でも魔獣の中には百年を超えて成長する個体があるらしいと。そしてその個体が強者と戦いを潜り抜けることで、群れを率いるロードになることがあると。その時は眉唾だと馬鹿にしたものだが――


「ブォォォォォォォオオオオオオオッ――――!!」


 音の暴力が、周りの空気を弾き飛ばす。目の前にその姿を現した魔獣、超大型のマラバリが咆哮したのだ。鼓膜を破りそうなほどの圧倒的な音量が身体に叩きつけられ、粟立った肌が弾け飛びそうなほどの衝撃に襲われる。


「あぁ……ッ!!」


 恐怖で、その巨体から目が離せない。天を突くほどに長く太い顎の牙が太陽を反射して凶悪にきらめいている。同調するように周りのマラバリも猛り鳴いた。それはまるで自らの王の勇ましさに狂喜する民のようで。


 ――その光景を見て、確信する。


 目の前のコイツが、本来は個体で生活するはずの魔獣マラバリたちをまとめ上げた長――マラバリ・ロードなのだ、と。


(……死んだ)


 いつの間にか、頭は回転を止めていた。

 

 ――マラバリが、もう1匹くらいなら何とか勝てた。

 

 ――現れたその大群が、数だけの烏合の衆なら希望が見えた。

 

 だが……


「統率のとれたマラバリの軍勢だとォッ……? そんなもん、そんなもんよォ……もうどうにもならねェじゃねェーかよォッ……!!」


 辛うじて身体を支えていた膝の力が抜け、情けなく地面に座り込む。しかし、それを責める者はいなかった。何故なら、仲間たちは自分よりもよっぽど早く膝を着き、あるいは頭を抱えてうずくまっていたからだ。


(立てねぇ……)


 震える足に力は入らない。情けない限りの俺たちの姿は、魔獣ならどの個体もが持っている<恐怖スケアー>という特殊技能スキルのせいであることは知っている。その能力に抵抗できるかどうかは、己の心しだいだということも。だが俺たちの心は、すでに折れていた。

 

「ブルァァァァァアアアアアッ――――!!」


 再び、マラバリ・ロードがその怒声を俺たちに叩きつけたと思うと、それに応えるように左右からマラバリが2体、凄まじい突進を仕掛けてくる。すでに立ってすらいない俺たちには、それを避けることはできない。絶望に目を塞ぐ。マラバリが走り迫る振動をとらえる感覚器にも蓋をした。

 

 ――せめて、少しでも……。


 恐怖を、そして痛みを感じずに終わりたい。最期、頭をよぎるのは疑問だ。


(俺たちはどこで間違えた……? これまで積み重ねてきたものは全て無駄だったのか……?)


 答える者は無い。そして考えることを止めた俺は、来たる無慈悲な暴力の塊に身を委ね――


 ――……。


 ――…………。


 ――……………………?


 いつまで経っても衝撃は、痛みはこの身に伝わってこない。そっと目を開けて、そして息を呑む。視界に入ったのは2つの背中。そして左右に転がる――2体のマラバリ。


「い、いったい何が……?」


 目の前の2つの背中が言葉に反応して、こちらへと振り向き、俺は絶句した。


「――おいおい、ちょっとデカい魔獣を前にしたくらいで戦えなくなる中等冒険者サマがどこにいるんだよ」


「アイサ、素直じゃない。ちゃんと『助けにきた』って言ってあげるべき」


 赤髪の冒険者見習いと魔族のガキが、そこに立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る