第19話 チームとしての強さ
――その巨体は、こちらに顔を向けた。
闇を吸収したかのように黒く、そして鋼の如き硬質な毛並み。下あごから上に向かって伸びている2本の牙は1メートルはあるのではないかというほど長い。紅く凶暴性に染まった両眼を向けられ、俺は盾のように剣を構えてその魔獣の襲撃に備えた。
――マラバリ。
強大な力を宿した猪の魔獣であり、1体だけで村や小さな町を破壊し尽くせるほどの危険な存在。まず一般人が倒すことは不可能に近く、国が持つ軍の1個小隊を投入してようやく勝ち目が見えるほどのものだ。それ故に冒険者組合に寄せられる依頼のうち、マラバリの討伐難易度はその他の魔獣と比べても非常に高い。
(仕事には相当な経験と、何より肝っ玉が必要だ……)
初等・中等の中でも経験の浅いヤツらの中には、マラバリの圧力の前に腰を抜かしてしまう軟弱共もいるからだ。魔獣を狩るのに特化しているとも言える冒険者でさえ竦んでしまう、そんな強力な存在。それが今、桁違いの質量を伴った突進を仕掛けてくる。
「ふッ!!」
しかし俺は仲間の魔法によって強化された敏捷性によって紙一重で
「ブギィッ!!」
マラバリが身体の側面にできた傷の痛みに悲鳴を上げる。ダメージは入った、しかし小さく舌打ちしてしまう。
(浅ェな……!!)
身体を覆う硬い毛に邪魔されたこと、そして突進を躱した直後で身体のバランスが取れていなかったことから剣を思ったより深く突き立てることができていなかったようだ。現にマラバリは痛みよりも怒りをたたえた紅い眼をこちらに鋭く向けて、再び突撃の構えを見せた。魔獣は学習能力が非常に高い。特にマラバリが同じ手を2度喰らうことは、今までの経験上は一度も無かった。
――しかしながら、口元に浮かぶのは笑みだ。
(これでいい……ッ!!)
巨体の背後で、隊形を整え終えた仲間たちを見てニヤリと口角が上がった。マラバリの俺個人への怒りに染まった思考は、容易く自身の後ろを仲間たちへと取らせてしまう。
「――<
仲間から放たれた弓矢の
マラバリは確かに硬い毛並みに覆われていて防御力が非常に高い。しかし言い換えればその毛の薄い部分は覆われている部分と比較して大きく防御力が落ちるということだ。その瞳に新たな怒りを灯した魔獣が仲間たちへと振り返る。マラバリの尻がこちらを向き、毛皮の薄い肛門の近くへと矢が深く水平に突き立っているのが見えた。いつも通りの手が決まったようだ。そうなれば次の相手の行動はただ1つ。
「――オイッ! そっちに行くぞッ!!」
「分かってる!! ――<
俺が声を掛けるとほぼ同時、チームの盾――オースディ・ガナックが盾の
「フン……ッ!!」
まともに当たれば人間の3倍の巨体を持つオーガさえも容易く吹き飛ばすと言われるその突進を真正面から受けたオースディは、しかし後ろに数十センチ押し込まれるだけで食い止める。
「止まったぞォッ!! たたみかけろォッ!!」
盾の後方で武器を構えて攻撃に転じるのを待っていた仲間たちが、合図に寸分たがわず一斉に行動を開始する。
「――<
「――<
「――<
腰の丈ほどある杖を構えた神官職のゴール・ダスティンが唱えた援護魔法によって強化された
いくら硬質な毛に身体が覆われていようともマラバリに火への耐性はない。焼かれる痛みにその巨体をグラつかせた。その波状攻撃に乗じるべく、俺も走りながら
「――<
増強された筋力は地面を蹴って前に進むスピードも格段に上昇させる。仲間たちの攻撃から数瞬の間も与えず黒い巨体へと迫り、特殊技能によって鋭さの増す剣を大きく振りかぶった。
「喰らいやがれェッ!!」
振り下ろした一撃は先程与えたものよりも深い傷をマラバリへとつけるが、それでも決着はまだ遠い。再び反撃に出た魔獣の一撃をオースディが止め、その後ろからカサンドラとエンケルが攻撃をし、それに気を取られている間に俺が後ろから斬りつける。ゴールが状況を見て飛ばす援護魔法を受けながら、反撃を1つ足りともまともに受けることにないように慎重に、しかし一撃一撃に最大威力を持たせる。
その攻防が幾度となく繰り返され――そして積み重ねた傷がとうとうマラバリの限界を突き破る。唐突に甲高く鼻を鳴らし背を向けて逃げ出したマラバリに、勝利を確信しつつも手は緩めない。その背中に矢の雨と火球が追い打ちをかける。もはや身体を支える力も無かったのか激しく転倒した黒い巨体に、俺は剣を肩に背負うようにして飛び掛かった。
「これで
全体重・腕力を乗せての一撃。剣の先から伝わるのは硬い毛皮の上から頭蓋を砕き割った感触。剣を持ち上げたその下で――マラバリは完全に沈黙していた。
「オッシャァァァアアアッ!! やったぞテメーら!!」
俺に続いて猛々しい仲間たちの
「終わったな……」
全員疲れた様子ではあったが誰1人大きな怪我を負うことなく、戦闘をやり切った達成感に表情を崩している。討伐の証明としてエンケルがマラバリの耳を刈り取る横で、仲間たちの会話は互いの武功を称え合うものからチームを対象としたものへと変わっていく。
「それにしても前よりも大分スムーズになりましたね。これで何回目でしたか」
「3回目よ。ほとんど無傷で勝てたのは今回が初ね」
カサンドラの答えにそうだったと頷いたゴールは、少し意地悪そうな表情を浮かべて地面に横にした自身の盾の上に座る男を見やる。
「1回目にオースディが序盤で吹っ飛ばされて、死を覚悟したのが嘘のようですね」
「それはもう言わない約束だろうが! あの時は習得
「まァ、あの頃は俺たちも初等だったしなァ……」
今のこのチームは初等冒険者としてそこそこの経験を積んだ後、俺が中心となって作ったものだ。難易度の高い依頼などはチームでないと受けられないことが多く、それまでは即席のチームを組合に任せて組んでもらっていたものの、そこで発揮できる力に限界を感じたことがキッカケだった。同じ初等冒険者同士を集めて結成したチームでいくつもの依頼を達成し、そして中等冒険者への一歩としてマラバリの討伐依頼を受け、そこで死にかけて派手に依頼を失敗したのも今思えばいい経験だ。
「――でもそこから私たちは這いあがった。そうでしょ?」
そう。カサンドラが言う通り、俺たちは死にかける経験をしてもそこで諦めることは決してなかった。その経験をしたのが即席のチームであれば恐らく俺は同じチームをもう一度組もうとは思わなかっただろうし、酷ければ互いを責め合って最悪な関係となってしまったかもしれない。少なくともその戦いで得られた貴重なノウハウは散っていっただろう。
しかし同じ釜の飯を食い、同じ苦い経験に涙を吞んでその次の依頼達成を積み重ねていった俺たちはそうならなかった。1度目の失敗を活かし再度マラバリの討伐に成功したその時、チームとしての強さに限界など無いのだと確信を持てたのだ。
「それにしても3回目の討伐にしてほとんど無傷とは、俺ら結構イケるんじゃねぇか!?」
マラバリの耳を切り、布に包んだエンケルが興奮冷めやらぬ様子で俺に投げ掛けた。コイツは良くも悪くも調子の良いヤツだから、冷や水を浴びせるようなことはせず、かと言って全肯定せずをするにはどう返答したものかと考えているところに横からカサンドラが言葉を継ぐ。
「たまには手放しで喜んだっていいんじゃない? マラバリをここまで確実に仕留められるのは中等チームの中では珍しいと思うわよ」
「そうだなぁ。実力で言えば高等冒険者チームと比べられてもそろそろ遜色ないんじゃないか?」
カサンドラとそれに続いたオースディの言葉にゴールとエンケルはウンウンと賛同する。無言を保っていた俺だったが、実際のところは同じ思いだ。浮足立つでもなく全員が同じ反応をするならばと俺も頷いた。同時、4人の顔が華やぐ。安定した戦いで終始マラバリに隙を与えず封じ切るような戦いはベテランのそれだと確信できるし、実際中等に昇格して3年経った今は数ある中等チームの中でも上位に食い込む優秀なチームだという自負もある。しかし高等冒険者のチームに上がるためにはそれだけでは足りなかった。
「――実績。俺たちに無いのはそれだけだな」
高等冒険者は中等冒険者に比べて受けられる依頼の範囲が拡がることはもちろん実入りも良い。しかしその位に上り詰めるための厳しい条件がある。
――『社会に多大な貢献をしたこと』、その証明が必要なのだ。
ここにおける貢献という言葉に明確な定義はなく、達成した依頼が社会に与える影響度や都市や町からの推薦などを勘案して、冒険者組合内の上層部が判断を下す。これを組合は、あえて明確な定義を設けないことによって冒険者各自が『何が社会に求められるか』を考えて行動することを期待していると公言しているが、だからこそ難しい。中等冒険者でも受けられるような依頼の中には、組合上層部が認めるほど社会影響度の高いものはそうそう無いのだ。
「リーダー、それも時間の問題じゃないか?」
「今回は感謝状がもらえる前提での討伐でしたよね? それに対象は中等冒険者チームが相手にするには充分に強敵なマラバリですから、感謝状と一緒にこの件を組合に掛け合えば――」
オースディとゴールは期待に満ちた眼差しでこちらを見る。他の2人も同じような反応で、高等冒険者への昇格は近いのではと夢見る表情だ。
「――甘いぜ、お前ら」
しかし現実を知っている俺は、仲間たちの期待値が高過ぎるままだと組合に戻ってからの落胆は大きいはずだと思い、少々酷だが先んじて事実を突きつける。
「感謝状は高等冒険者への昇格判定の要素としては最も
「ははっ、政治力って。まるで今の俺たちだな」
冗談めかした口調でエンケルが口を挟む。
「あの町長、俺らを口八丁で上手くやり込めやがって。まあそれが高い報酬と感謝状に化けたんだから――」
だが、それは話の流れの中で、最悪の方向へと舵を切る言葉だった。
「――おい。あれのどこが政治力だったって?」
腸が煮えくり返るような感覚に襲われ、エンケルへギロリと睨みを利かせる。
「あ、いや……俺はそういう意味でいったわけじゃ――」
俺の変化に気付いて、及び腰になったエンケルが一歩引いて顔を蒼褪めさせてそう言った。もちろん俺だって頭の冷静な部分では分かっているが、それでも腸が煮えくり返るような感覚と共に怒りが心を支配してしまっていた。だがチラリと視界に入った仲間たちの困った様子を見て、ゆっくりと息を吐き次第に感情を落ち着かせていく。
「……俺たちは、実力でここまで昇ってきた。そうだな?」
「お前たちはさっき自分でも言ってたろうが。実力は高等冒険者たちのチームと変わらないってよ。それにさっきの1件は正当な取引きだった。ガキとはいえ、魔族の首だぜ? 『社会貢献』をそのまま形にしたような戦利品を、邪魔が入らなきゃ手に入れられたんだ。それをあの忌々しい町長の顔を立ててやって、今回はマラバリ討伐に対する報酬と感謝状で勘弁してやろうってことになった。違うか?」
「ち、違わねぇよ。リーダー、お前が正しいよ……」
「フンッ!」
最後の最後でケチがついた気分になって、鼻を鳴らす。
「よぉしっ!
戦闘行動によって次第に山へと接近していたから、町からは大分離れてしまっている。面倒だと思いながらも、いくらか歩くことによって苛立ちも収まってくるだろうと考えることにした。華々しい戦果だったにもかかわらず最後の1件で委縮したようになってしまった仲間たちを背に、町へと歩き出そうとしたその時。
(――視線ッ!?)
背中に刺さるものを感じ、思わず勢いよく辺りを見回す。そして発見したのは信じたくない光景。
――数十メートルも離れていない山の木々の間、長い牙を携えた巨体が紅い眼をこちらに向けて光らせていた。
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