第13話 初めての友達 1

 いつもと変わらない朝の開店準備中、「しまった」と厨房の冷蔵庫を覗いていたリオルさんが悔しそうな声をこぼした。

 

「どうしたの?」


「買い置きをしてあったと思ったんじゃが、勘違いだったみたいでのぅ。これは市場で買い足してこないといかん」


 そう言うとリオルさんは手早く外出準備を整えて、そして厨房を出る際に私を振り返った。


「ソフィアちゃん、すまんが手が空いたらワシの仕込み分の野菜も切っておいてくれるかのぅ?」


「うん、わかった。気をつけて行ってきてね!」


「うむ、行ってくるわい」


 厨房から出て行くリオルさんを見送って、それから「ふぅ」と息を吐く。ゴートン食堂で1日に使用する野菜の量といったら、それはもう膨大なものなのだ。1日で使う分は木箱に入れられてその日の早朝に食堂へと届けられてくるのだが……


(1種類の野菜がキロ単位で運ばれてくるもんね……)


 その時点で推し測れる通り、今厨房には移動するのが大変なほど木箱がところ狭しと置かれているのだ。しかしそんな野菜を前に目を回していたって何も始まらない。こういう時はひとつひとつ地道に作業を片付けていくに尽きる。


(まずは人参をまとめて洗っちゃおう)


 そうして黙々と仕込みを進めていると、厨房の入り口からルーリがヒョコッと顔を覗かせた。


「リオルさん、外に出ていったけど、どうしたの?」


「買い忘れがあったみたいで市場に行ったよ。私はリオルさんの分まで野菜切らなきゃいけないの」


 そう言いながら、洗い終わった人参をスライサーにかけていく。シャッシャッシャッとリズムよく皮を剥き、丸裸にした人参をボウルに移していく流れ作業。そんな私の様子をルーリは珍しいものでも見るようにジーっと視線を送っていた。


「どうかした……? 私なにか変なところあった……?」


 そんな私の問いかけにフルフルとルーリは首を横に振る。


「ううん。料理っていうものをしているところをちゃんと見たのが初めてだったから、つい……」


「えっ?」


 今やっているのは料理というよりむしろそのための下準備なんだけど、とも思ったがそれよりも気にかかることがあった。


「もしかして料理してるところ、見たことがないの?」


「う、うん……。私、何か変な事言った……?」


 ルーリは少し困ったように首を傾げた。とても嘘を言っている様子でもないし、嘘を吐く理由もないと思うから本当なのだろう。


「うーん、確かにちょっと変かも?」


「それは、どういうとこ?」


 そう聞かれるとなんて返せばいいのか困ってしまう。食事なんていうのは生きていく上で欠かせないものだし、その過程に挟まる料理は日常に深く関わっているものだ。それを見たことがないというのは少し、いやものすごく生活感に欠けていると思ったのだが、それをそのまま口にするのはルーリを傷つけてしまいそうで躊躇ためらわれた。


「えっと、今まで家では誰が料理をしてくれていたの?」

 

 質問に質問で返してしまうのはちょっと良くない気もしたが、ひとまずルーリの家庭で料理がどういうものであったかを知っておいた方がいいと思い、そう尋ねる。するとルーリは特に変わった様子も無く、それがさも当然のことであるように口を開いた。


「普通に、料理人が」


「りょ、料理人!?」


 食いつくようにオウム返しをしてしまった私に若干驚きつつ、ルーリは言葉を続ける。


「うん。別館で作った料理を食堂に運んできてくれるの」


「べ、別館……? 食堂……? お、お嬢様だ……」


 首を傾げるルーリは、やはり何がおかしい事なのかよく理解していなさそうである。家に別館や食堂があるなんて、中世ヨーロッパを舞台にした映画の中の貴族でしか見たことがない。もしかして魔族というのはみんなそれくらい裕福な暮らしをしているのだろうか。ルーリの家庭環境に興味が尽きない。


(でもまあ、そんな環境だったら料理風景を目にしたことがないっていうのも分かるかな……) 


 未だ興味深そうに私の作業風景から目を離さないルーリを見て、ピコンと私に名案が浮かぶ。


「ルーリ、見てるだけよりやってみた方がきっと面白いよ。試しに野菜を切ってみない?」


 私が野菜を洗ってスライサーで皮むきするのにまだ時間が掛かりそうだから、その間にやり方を教えて切ってもらえば効率は上がりそうだし、ルーリも初めての料理体験ができて一石二鳥だ。

 

「えっと、やったことないからできないかもしれない……」


「大丈夫。 私がしっかりやり方を教えるから、きっとできるよ!」


 ルーリは少し迷ったが最後には興味が勝ったのだろう、


「わ、分かった。やってみる……」と小さな拳をグッと握りしめてそう言った。


 私の予備のエプロンを着させて厨房へと立ったルーリはドギマギと少し緊張気で、まるで『初めてお母さんに料理を教えてもらう娘』のようで愛らしい。


「はい。それじゃあ包丁をこうやって持って」


「う、うん……!」


 私は包丁をルーリにしっかりと握らせて、後ろから手を添える。肌は雪のように白かったが、その手の甲からはしっかりと温かみを感じた。一回り身体の小さいルーリはまるで私に後ろから抱きすくめられるような形になっていて、目の前に映る銀髪からはほのかに甘い香りがする。同じシャンプーを使っているはずだけど、これはもっと爽やかな花の――


「ソフィア? ここからどうするの?」


「ふはぁっ!? あぁ、うん。えっとね」


 人参をまな板の上で押さえる姿勢のまま、ついついルーリの魅力に当てられて意識が遠くに行ってしまっていた。深呼吸をして気を取り直す。


「まずは細かく切りやすいサイズにカットしていこう。これくらいの大きさなら、こうして……横にして3等分かな。」


 それから実際にルーリの手を後ろから動かしつつ、人参のいちょう切りの仕方と乱切りの仕方、それに短冊切りを教える。ルーリは初めての包丁で食材を切る感触が面白かったらしく、目を輝かせて次々と人参を切っていく。その動作は私やリオルさんに比べれば非常にゆっくりなものだったが、始めの一歩とはそういうものだ。私はしばらく遠目から見て大丈夫そうだと判断すると、他の野菜の皮むきを再開した。




 リオルさんが市場から戻って来たときには、作業は私1人でやるよりも多く進んでおり、営業時間中に厨房がバタバタとしなくて済みそうなくらい野菜は切り終わっていた。ルーリが手伝ってくれたことを伝えるとリオルさんは微笑ましそうにそうかそうかと頷く。


「とても上手く切れてるのぅ。手伝ってくれて助かったよ、ありがとう」


「ソ、ソフィアがしっかりと教えてくれたから……」


「私はちょっと教えただけだよー」


「ほっほっほ! 忙しい時はまたお手伝いしてくれると嬉しいのぉ」


「う、うん……!」


 リオルさんに褒められたことが余程嬉しかったのか、ルーリはとてもやる気に満ち溢れたキラキラとした目でこちらを向く。


「ほ、他にお手伝いできることはある……?」


「そうだなぁ……」


 野菜はもうすぐ切り終わるし、そうすると実際に味付けをして炒めたり煮込んだりの段階になる。しかしいくらなんでもまだ初心者のルーリにお客さんに出す料理を任せるのは不安だった。しかし、それならと1つ良いアイディアが浮かぶ。


「じゃあ――私たちのお昼ご飯を作ってみようか?」

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